あの雨のように

浅村 英字

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三時間目

自宅で

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 目が覚めた。日も登り始めた頃意識が戻ってきた。時計の針が五時を示す直前で体を起こす。携帯からアラーム音がするまでの二時間と少し、俺は無意味なアラーム設定を解除し、私服に着替える。
 リビングに行ってもこの時間はやはり誰もいない。俺は暇すぎたから、家族全員分の朝食を作り出す。土曜の早朝、父親は仕事だから軽く食べられるものを作る。とりあえず、だし巻き卵にお味噌汁。お米を研いでその二つの準備をしていても、まだ時間があまりそうだからと、ついでにナスの蒲焼き風を作る。その四つが出来る六時頃、母がリビングに姿を現す。

「めっちゃ上手に出来てるじゃん!」

 母は、俺の料理を褒めてくれて、俺にはその感覚が洗いものをしている時にも強く残っていた。

「お、旨そうじゃん辰矢」

 七時頃、父も母と同じような言葉を言って食べ始める。

「ご馳走さま」「美味しかった」

 両親にいってらっしゃいと言って二人が出て行くところを見届ける。見届けた後は今日の予定を考える。雪菜のためのお昼ご飯を作った後の予定が一切ない。
 そんな暇な俺の予定を作ろうとするように、携帯から着信音が鳴る。常識的に考えても、今の時間は八時前、最初の電話には多少早すぎないか?こんなことをしそうな奴は、きっとあいつだろうと携帯を見る。やっぱり・・・

「もしもし?」

『よう、おはよう辰矢。いきなりやけどさ、今日何するん?』

 蒼午の言葉に電話である必要性が浮かばなかった。

「特に予定はないけど?」

『なら、お昼から遊びに行かない?』

 昨日も一緒に遊んだのに、今日も会うのかと少し呆れる。

「何すると?」

『ボーリングでも行こうぜ!』

「悪い。ボーリングとかなら俺はパスかな。明日映画行くからお金はあまり使いたくはないから」

 誰と行くのか気になりそうだった蒼午を振り切って電話を切る。明日の映画も気になるし、今日はお金を使うことをしなくない。買い貯めておいた本でも読もうかと一息つく。いつからか、暑くない季節には窓の近くでコーヒーを飲みながら本を読むようになった。
 十一時頃、お腹が空いたから俺は、本を閉じてもう一度キッチンに立つ。

「気軽にうどんにするか・・・」

 と、一人言で気を紛らせて、鍋に水を入れる。

「おはようお兄ちゃん」

「おはよう雪菜。お昼うどんでいいやろ?」

 寝起きの妹は髪を整えずにそのままの姿でリビングに現れた。今ここでお昼ご飯を別の物に変えろと言われたところで、俺には何も出来ないのだが。

「うん。大丈夫」

 寝起きでも元気の良い妹を見ると若さと健康さを見せしめられる。それが羨ましいと思ってしまう。

「お兄ちゃん」

「ん?どうした」

 雪菜は俺の横で俺が切っているねぎを見つめながら聞き出した。

「明日って何か予定ある?」

「何急に。あるけど?」

 笑いながら答える俺の横から雪菜は俺の正面に移動する。

「じゃあ、今日は?何もないなら友達と勉強するから教えてよ」
 
 今日やら明日やら急な話を持ってこられても、俺はともかくその友達は、振り回されて大丈夫なのだろうか。

「俺はいいけど。その友達は大丈夫なの?」

「うん。元々勉強する予定だったから」

 お昼ご飯のうどんが出来た。二人そろって食べ終わり、雪菜が着替え終わるまで食器を洗い、軽く掃除をする。いつまで経っても二階の自室から降りてこない雪菜に呆れて、俺は携帯をいじりだす。

「ヴヴ・・・ヴヴ・・・」

 今日二回目の電話がかかってきた。

「もしもし?」

「あっ、辰矢。いきなりごめんね。今日お昼のやつ行く?」

 電話相手は、明日一緒に映画に行く雪菜だった。

「いいよ気にしないで。お昼ってことは蒼午のやつ?」

「そうそう。さっき言われたんだけど、どうしようか考えてて」

「俺は妹と妹の友達に勉強教えないといけないから今日は無理なんだよね」

 口が裂けても彼女にお金がもったいないからなんて言えない。

「そっかぁ。意外と妹思いなんだね」
  
 まさかの高評価に、少しだけ気分がよくなる。

「どうしよう・・・」

「予定がないなら行ったら?」

「いや、まぁ」

 彼女はどことなくモジモジとしている。会って間もない相手に声だけで自分の感情を伝えられるのは、彼女なりの才能なのだろう。

「私さ、蒼午くん?あの人ちょっと苦手なんだよね・・・」

 俺も何となくそれが分かる気がする。

「だから、他に誰が行くか分かればどうしようか決められるんだけど・・・?」

「ごめんね、今日は妹の方を優先するって決めてたから、あいつらの情報は持ってないかな」

 申し訳ないが、今回は誰に誘われようとも、蒼午に関することは全て放置させてもらう。

「そうなんだ。ごめんね急に電話なんかしちゃって」

 そう言われ、会話が終わると電話が切れる。

「お兄ちゃん、お待たせ」

 その日は一日妹と妹の友達の勉強に付き合って終わった。

 翌朝、目が覚めると驚いた。いつも起きる五時よりも一時間早く目が覚めた。日も登る気配もなく、あたりは静かに眠っているように思えた。聞こえるのは、揺れて鳴る草木や水の音。世界が小さく思えるこの時間、俺は自分の余命がどれだけ残っているのが気になることがない。そんな時間を思いっきり楽しむには自分の予定に先がなさすぎて、対応できない。そんな余裕はない。
 寝巻きから運動着に着替えて外に出る、体が弱まり、頑丈じゃないから体育の授業中だけを運動する時間にすると、その時に対応できる分の体力や、痛みに関する対応力がないから運動をする。授業後に体に対する反動が大きいと次の授業に参加できない。その反動にも対応できるようにたまに運動をする。
 イヤホンを付けて、よく聞いている洋楽を流しながら軽く走る。走る間に見る景色も静かで、俺一人がこの世界に取り残された気がした。
 二時間近く走り、汗だくになったからシャワーを浴びてリビングに向かう、その中でようやく自分の世界じゃないことを知れた。

「おはよう辰矢。大丈夫なの?朝から運動なんて」

 心配性の母は学校に行くのすら反対していた。半強制的に納得している母の前で無理そうなことを知るのはやめておいた方がいい。

「大丈夫だよ。軽く走っただけで、一切無理はしてないから」

 こういうのは時折言って、母に心配させまいとしている。

「コーヒーある?」

 朝食も食べて、キッチンに立っている母に飲み物のオーダーをすると、母はすぐに準備してくれた。

「はい。砂糖とかはいる?」

「いらない。ありがとう」

 もらったコーヒーを二階の自室に持っていき、いつものように本を読む。
 今日の集合時間は午後一時、場所は映画館下のカフェ。今からおよそ五時間後、映画館に着くまでかかる時間は大体三十分、四時間くらいすれば家出ようかなって思い始めた。

「辰矢ぁ、お昼ご飯何がいい?」

 母の声が扉の向こうから聞こえる。お昼と言われて思い出した、映画館下のカフェにはかなり美味しいと噂の桜色モンブランがあったはず。思い出すと、無償にモンブランが食べたくなって来た。

「お昼は、いらないかな。友だちと映画観に行くから、そこで食べてくるよ」

 母は悲しげな声で返事して一階に戻った。
 一冊の本を読み終えて、集合時間まで二時間半。少し早いが私服に着替えて準備する。

「夜ご飯までには帰ってくるよ」

 そう言って俺は家を出る。バスで向かう途中も新しく読み始めた本を手にしている。バスに揺られて三十分、映画館下のカフェに着いて、噂のモンブランを注文する。
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