1年間限定異世界講座

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4月

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 教会の外は暖かな日差しに包まれている。教会の中もいつもより明るい。春の陽気にあてられて、先生は昼寝をしようと、椅子に横になった。

「ごめんくださいませーーー!!!」

 先生は飛び起きた。目を丸くして教会の入り口を見る。オリヴィアが腰に手を当てて立っていた。

「嘘だろ本当に来たの!?」

 先生は心の底から叫んだ。

「心外ですわ!私、口に出した事はやる女ですのよ」
「有言実行ってこと?」

 先生は困惑したように額に指を当てた。オリヴィアはツカツカと先生の元に行き、隣に腰掛けた。

「有言実行、とはなんですの?」
「あぁ、四字熟語だよ。この世界には存在しないから別に聞いても意味がな」
「気になりますわ!」
 
 オリヴィアは先生の言葉を遮って言った。

「あー……そうだったね、君は知的好奇心の塊だった」
「なんだか腹が立ちますがその通りなので今回は見逃してあげましょう」
「わーありがとうございますー」

 先生は抑揚なく言った。そしてまた足を組んで、その上に肘をついて頬杖をついた。
 
(先生は授業をなされるときはこの体勢ですのね、これが授業開始の合図ですわ)
 オリヴィアは一人頷いて、小さなポーチから取り出したメモ帳に羽ペンで書き込んだ。

「それ、インクごと持ってきたの?」
「えぇ、たくさん書き取りますから」

 そう言いながら、オリヴィアはつらつらと書き込んでいく。

「さ、授業をしてくださいまし」
「あぁうん、わかったよ」
 
 先生はやれやれ、と言った様子で息を吐いた。

「始めに言っておくけど、これは僕の前世の世界に存在したものなんだ。だからこの世界には存在しない」
「えっと、つまり先生には前世の記憶があると?」
「うん。言ったよね、異世界転生者って」
「…………ん、んん?」

 オリヴィアは訳がわからない、と首を傾げた。頭の中には無数の疑問符が重力に逆らって上昇している。

「つまり、僕はこの世界とは違う世界で死んで、この世界に新たに生を受けたってことだよ」
「…………亡くなられたのですか?」
「君が悲しむことじゃないよ」

 眉尻を下げるオリヴィアに、先生は微笑んで言った。そして少し背伸びをして、オリヴィアの頭を撫でた。

「な、撫でっ…………!?」
「オリヴィアちゃんは優しい人だね」

 オリヴィアは撫でられることを享受した。しかしその顔色は弾まない。
 オリヴィアはわからなかった。自分は箱入り娘で、今まで王都から出たことがなく、この町の現状を把握してすらいなかったというのに。   
あの日に現状を把握してから、何もできていないのに。
 それなのに。

「私…………私、わかりませんわ」
「この町のことは君が気にするようなことじゃない。気にするべきなのは国王だよ、君はただのご令嬢だろう」
「……………………………………、」

 オリヴィアは何も言えなかった。そんなオリヴィアの様子を見てか、先生は話題を変えた。

「この世界に存在しないってことはわかった?」
「!…………はい、わかりましたわ」

 オリヴィアは羽ペンとメモ帳を持ち直した。書き込みを再開し、羽ペンは休まることを知らない。

「だから君はこの知識を仕入れても、あまり役立てることはできないと思うんだけど。それでもいいの?」
「構いませんわ、気になるんですもの」

 先生は降参、というように両手を上げた。そしてまた足を組んで、頬杖をついた。

「僕が前いた世界には漢字っていうものがあったんだ。これが文字の一種なんだけどね、本当に種類が多くて難しい」
「文字、ですか。この国の文字でも50はありますわ、漢字というのはどれくらいありますの?」
「実は正確な数はわからないんだ。でも逆を言えば、わからないくらいに多い」
「そ、そんなになんですの………」
 
 オリヴィアは驚きつつも、手を止めない。
 先生はえーと、と一度思考を巡らせて、

「余裕で万は超えるよね」
「想像していたのと桁が違いますわ!」
「大体どれくらいを想像してたの?」
「365くらいです」
「何故1年間の日数…………」
「な、なんとなくですわ」

 オリヴィアは内心で、1年間限定という期限が魚の小骨のようにつっかえていた。だが、なんだかそのキーワードが今の二人の関係に亀裂を入れるような気がして、どうしても口に出せなかった。

「その漢字にはそれぞれに意味があるんだ。それで、その意味を考えて、4つの漢字を組み合わせて作った言葉が四字熟語」
「面白いですね、まるでパズルですわ」
「そうだね、似てるかも」
「それで、有言実行というのも四字熟語なんですの?」

 先生は頷いた。

「有言実行っていうのは、口に出したことは必ず実行するっていう意味の言葉なんだ」
「私にぴったりではありませんか」
「そうだね。あとはそうだな…………君に似合う四字熟語なら、七転八起とか」
「七転八起?」

 オリヴィアは羽ペンを動かす手を止めた。

「何度失敗しても諦めずに立ち上がるっていう意味」
「まぁ…………先生は私のことをそのように評価してくださっているのですね!嬉しいです!」

 オリヴィアは満面の笑みで手のひらを合わせた。羽ペンは器用に右手の親指に挟んでいる。

「諦め悪そうだしね」
「褒められているのか貶されているのかわかりませんわ」

 オリヴィアはムスッと頬を膨らませた。

「あははっ、ごめん、ごめんって」
「むぅ…………先生にぴったりの四字熟語はどんなものですの?」
「僕?そうだなぁ…………」

 先生の表情に影が差した。先生は微笑むが、どこか影のある諦めたような表情だった。オリヴィアは少し、聞かなければよかったと後悔した。

「朝生暮死」
「どういう意味ですの?」
「内緒」

 先生はニヤリと笑って、口の前に指を一本立てた。
 オリヴィアは深追いする気になれなかった。知的好奇心が暴れているけれど、今は我慢するときだと思ったから。
 
「先生、七転八起と有言実行はどのように書くのですか?」
「漢字でってこと?」
「はい」
「それ貸してくれる?」

 オリヴィアは先生に羽ペンとメモ帳を渡した。先生は慣れた手付きで、メモ帳にオリヴィアが見たことのない字を書き込んでいく。

「複雑ですわ…………」
「この国の文字はシンプルだからね、余計にそう見えちゃうかな。漢字を知ってる僕からすれば、まだ簡単な方」
「簡単!?」

 オリヴィアはその言葉で、新たに知的好奇心に火がついた。気になることが湧き水のようにどんどん溢れてくる。

「もっと難しい漢字はどんなものがあるのですか!?」  
「難しいか………龍とかかな」

 先生は字を書き込んだ。オリヴィアはそのあまりの画数の多さに、目眩がしそうになった。

「これでなんと読むんですの?」
「りゅうって読む。意味はドラゴン」
「ドラゴン!伝説上の魔物ですわね……!」

 オリヴィアは目を輝かせた。先生は不思議そうに言う。

「怖くないの?」
「はい?」
「この国の人はドラゴンを怖がるみたいだから」
「確かに皆恐ろしい生き物と言いますが、私は怖くありませんわ。だってかっこいいじゃありませんの!」
「ははっ、同感」

 オリヴィアは感極まって、先生の左手を握った。左手で持っていた羽ペンは、衝撃で椅子の上にカランと落ちた。


「あーーーーーーーー!!!」


 突然、先生でもオリヴィアでもない、第三者の声が響き渡った。
 オリヴィアはビクリとして、声の発生源に目を向ける。先生と同い年くらいの小さな少女が、先生とオリヴィアに向かって指を指していた。

「先生が美人なお姉さんと手繋いでる!」

 少女は駆け寄りながら言った。
 少女は先生の前に来て、少し前かがみになって頭を差し出した。それに先生は仕方ないなぁというように、頭を優しく撫でる。
 オリヴィアは怒涛の展開にフリーズして、状況を理解しようと考えて、思い至った。

(先生が、美人なお姉さんと、?)
 オリヴィアは今の状況を理解して、顔を真っ赤にした。
 先生は頭を撫でるのをやめた。少女も頭を上げる。

「大丈夫?熱でもあるの?」
「だ、だい、だいだい大丈夫、ですわ!」

 オリヴィアは目にも止まらぬ速さで先生の左手を離した。椅子に落ちたペンを拾うも、その手はガタガタと震えている。

「お姉さん誰?」

 少女はオリヴィアに聞いた。オリヴィアはなんとか平常心を取り戻して、少女に目線を合わせるように前かがみになって言う。

「私はオリヴィアといいますわ。あなたは?」
「スーちゃんね、ステラって言うの!」

 オリヴィアは心臓が凍ったような錯覚に陥った。ステラという名前は、オリヴィアが意図して考えないようにしていた、いわばパンドラの箱。オリヴィアは、先程の恥ずかしさとは違う思いで、手を震わせた。

「お姉さん、どうしたの?寒いの?風邪ひいたの?」
「え、えぇ、そうですの。暖かいですけれど、風はまだ冷たいですからね」

 オリヴィアは平常を装って、笑顔で対応する。ステラはメイドのステラではない、あのステラは大人で、幼くはない。自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、メイドのステラと目の前のステラが混同してしまう。
 
「ならスーちゃんが温めてあげる!」
「あっ______、」

 ステラがオリヴィアの手を両手で握った。先程オリヴィアが先生にしたのと同じように。
 
(温かい………………)
 オリヴィアは凍りついた心臓が解凍されていくように感じた。

「温かいよねぇ、子ども体温。といっても、オリヴィアちゃんも子ども体温だからあんまりわからないかも」
「そうですの?」
「僕体温低いんだけど、オリヴィアちゃん温かいというよりは熱いから」
「せーんーせーいー?」

 オリヴィアは口角をピクつかせながら、両手の拳を握った。

「あーごめん、ごめんって」
「先生怒られてるー!おっかしー!!」

 冷や汗を流す先生に、ステラが笑った。オリヴィアはムスッとしながら、拳を解いた。

「えっと、ステラちゃんは」
「スーちゃん!」
「スーちゃんは、先生のお友達ですか?」
「ううん」

 ステラは勢いよく首を振った。

「スーちゃんね、先生の生徒なの。ううん、スーちゃんだけじゃなくて、この町の人みーんな先生の生徒!」

 オリヴィアはステラの言っている意味がわからなかった。

「皆、生徒?」
「うん。先生に色々なこと教えてもらってるの!川のお水を飲んでもお腹痛くならない方法とか、イノシシさんに畑をぐちゃぐちゃにされない方法とか!」
「ただの生活の知恵だよ」

 先生は少し恥ずかしそうに言った。

「凄いですわ!流石は先生です!」

 オリヴィアは先生に尊敬の眼差しを向けた。
 先生は恥ずかしそうに目をそらした。

「スーちゃんね、先生に文字を教わってるんだ」
「文字?」
「最近やっと『リンゴ』って書けるようになったんだよ!」
「……………………………………、」
「うん、スーちゃん頑張ったもんね」

 えへへと笑うステラに、先生はステラの頭を撫でた。
 オリヴィアは、また何も言えなかった。オリヴィアにとって文字とは幼少の頃からの常識で、文字のない生活など考えもしなかった。法の改正などは全て紙と文字で国民に報せるもので、国民の中でも文字は常識であると思っていた。思い込んでいた。

(そうですわ、この町で文字を見かけたことなんて、なかったじゃありませんの)
 オリヴィアは、また胸が苦しくなった。

「お姉さんはさ、リンゴ食べたことある?」
「へ?え、えぇ、ありますわ」
「やっぱり美味しいの?」
「……食べたこと、ないんですの?」
「リンゴって結構高級品だからね、僕らにとっては」 

 オリヴィアは目を丸くした。王都ではありふれた果物だというのに。

「今度、持ってきますわ」
「本当?じゃあ4つちょうだい!」

 ステラは指を4本立てた。

「4つ?」
「うん!スーちゃんの分と、先生の分と、お姉さんの分と、おばあちゃんの分!」

 ステラは指を1本ずつ折りながら言った。

「お祖母様?」
「リンゴって体にいいんだって。先生とお医者様が言ってた!」
「お医者様?お医者様って、私を送ってくださった……」
「うん、そのお医者様だよ」 

 先生は頷いた。そして眉尻を下げて、

「スーちゃんのおばあさんは病で寝たきりなんだ」
「そうなんですのね…………」

 オリヴィアも眉尻を下げた。

「で、でもでも!お医者様は毎日体を温めて、栄養のあるものを食べれば良くなるって!」   

 暗い雰囲気に戸惑ったステラが、慰めるように明るく言った。

「今度、リンゴだけじゃなくて他にも色々持ってきますわね」
「本当!?ありがとう!」

 ステラは心底嬉しそうに笑った。

「そうだ!じゃあお礼に、お姉さんを秘密の場所に連れて行ってあげる!」
「秘密の場所?」
「うん!」 

 ステラは大きく頷いた。

「子どもしか知らない場所でね、秘密基地みたいなものさ」
「秘密基地…………楽しそうですわね!」
「早く行こ!暗くなっちゃう!」

 ステラがオリヴィアの服の裾を引っ張る。オリヴィアは立ち上がった。

「あぁっ、引っ張らないでくださいまし!伸びてしまいますわ!」

 引っ張るステラのあとを追うオリヴィアに、先生は笑いながら後を追った。





 教会を出て約20分後。雑木林の中に入り、獣道を進む。よく躓きかけるオリヴィアの手をステラが右から握り、ゆっくりとした足取りで土を踏んでいく。

「だ、大丈夫なんですの?なんだか薄暗いですし……」

 雑木林の中は薄暗い。鬱蒼と茂る木々に阻まれ、日の光が届かないからだ。全体的に湿度が高く、あちらこちらにキノコが生えている。

「大丈夫だよ、まだ明るいから」
「ここお日様の光が入らないの。だからいつも暗いしジメジメしてる」
「だからこんなにもキノコがたくさん生えているのですね……」

 オリヴィアは立ち止まって、一点を指差した。

「まぁ、可愛らしいキノコですわ!」

 オリヴィアが指差したのは、赤色のカサに白い斑点という見た目のキノコだった。

「あぁ、それ毒キノコだから気をつけて」
「はぇ!?」

 オリヴィアは驚いて、指を差した手を引っ込めた。

「美しい花には棘がある?」
「そうだねスーちゃん、よく覚えてたね」
「えへへ~」

 ステラは先生に褒められて嬉しそうに笑う。
 オリヴィアは首を傾げた。

「なんですの?それは」
「あぁ、ことわざだよ」
「聞いたことがありませんわ…………それも前世の世界のものですの?」
「そうだね、詳しいことは歩きながらにしようか」

 オリヴィアはステラと先生に先導されながら歩く。時々枝を踏んで、ぽきりぱきりと音がした。

「ことわざっていうのは、まぁ一言で言うと教訓かな」
「教訓ですか、先程のは?」
「薔薇を想像してみてよ、綺麗だけど棘があるだろう?」
「薔薇ですか?」

 オリヴィアはいつも花瓶に挿さっている薔薇を思い浮かべた。しかし、棘などどこにもない。

「薔薇に棘なんてありませんわよ?」
「えっ?」

 先生は意表を付かれたように目を丸くした。

「お姉さん何言ってるの?薔薇の茎はトゲトゲじゃん!」
「えぇ!?」
「あー…………そういうことか」

 先生は参った、というように額に指を当てた。

「もし触っても怪我しないように、花瓶に挿す前に棘は全て切り取られてるってことか」
「全っ然気が付きませんでしたわ…………」

 今度はオリヴィアが額に指を当てる番だった。

「まぁとにかく、薔薇の茎には本来なら棘があるんだ。棘を触ると怪我するだろう?」
「はい」
「つまり、綺麗なものは時として人を傷つけることもあるっていう意味さ」

 オリヴィアは合点がいったように頷いた。

「なるほど。綺麗だからといって不用意に触れては痛い目を見る、ということですわね」
「よくできました」
「やりましたわー!」

 オリヴィアは嬉しくなって、ガッツポーズをした。

「他にはどんなことわざがあるのです?」
「スーちゃんあれ好きだよ!河童の川流れ!」
「か、かっぱ?」
「うん!」
 
 ステラがオリヴィアの手を放して、しゃがみこんだ。近くに落ちていた木の棒を拾い、地面に絵を描き始めた。
 楕円から生えているように三角形のギザギザを描き、その下に大きい丸を一つ。その大きい丸の中に目を描き、口の部分にはくちばしを。

「こ、これが河童ですの?」

 ステラは中腰になって絵を覗き込んだ。見たこともない、摩訶不思議な生き物にステラは知的好奇心を大いに刺激された。

「うん!体が緑色してて、頭のお皿が割れたり乾いたりしちゃうと力が出なくなっちゃうんだって!面白いでしょ!」

 下から見上げるステラに、オリヴィアは頷いた。

「えぇ、とっても面白いですわ!」
「河童っていうのは…………まぁ、この世界で言う魔物みたいなものかな」

 先生が左手で右腕の肘を支えて、右手を顎の近くにもっていった。
 ステラは先生の解説を聞こうと、体勢を元に戻した。

「河童っていうのはとても泳ぎが上手だとされているんだ。そんな河童でも、泳ぎに失敗して川に流されることがある。つまりどんなに上手な人でも、失敗することがあるっていう意味」
「なるほど!メモですわ…………」

 オリヴィアはポーチからメモ帳と羽ペンを取り出して、つらつらと書いていく。

「あ!大変、日が暮れちゃう…………!」

 ステラはスッと立ち上がって、オリヴィアたちより数歩先に行った。

「早く行こう!」
「そうだね、オリヴィアちゃん」
 
 オリヴィアはメモ帳と羽ペンを急いでしまった。そして差し出された先生の手を取って、歩きだした。







「わぁ…………!」

 オリヴィアは感嘆の声を上げた。
 雑木林を抜け、開いた場所に出たオリヴィアたちを出迎えたのは、一面の青白い花だった。

「綺麗でしょ?」
「えぇ、とても!こんな素敵な場所に連れてきてくれて、ありがとうございます!」
「えへへ、どういたしまして!」

 ステラは腕を後ろに回して、笑った。

「先生、この花の名前は?」
「ハナニラだね。とても丈夫な植物だよ」
「素敵ですわね!」

 オリヴィアは両の手のひらを合わせて言った。
 先生は、少し悲しそうに笑った。

「さて、名残惜しいけど今日はもう帰ろうか。日が傾いてきてる」
「本当だ!おばあちゃんが心配しちゃう!お姉さん、また来ようね!」
「はい、是非!」

 ステラとオリヴィアは笑い合って、手をつないだ。ステラが先導して、オリヴィアが後をついていく。先生もその後ろをついていった。



 




 教会でステラと別れて、オリヴィアと先生は前と同じ夜道を歩く。ステラは少し恥ずかしさはあるものの、転ばぬように先生と手をつないだ。

ってなんだと思う?」

 突然、先生がそう切り出した。オリヴィアは目を丸くして、先生を見る。

「優しい…………ですか」
「これは持論だけどね。僕は優しいって、考え方だと思うんだ」
「…………考え方?」
「そう」

 先生は頷いた。

を基準とした考え方ができる人。例えば、ハンカチを落としたから拾ってあげよう、とか。これは相手の為を思ってるだろう?」
「……はい、そうですわね」
「この人は病気なんだ、辛そうだなぁ。なんとか助けてあげたいけど、自分にはその手段がない。こう考える人は、優しいと思うんだ」

 オリヴィアは歩みを止めた。手をつないでいる先生も、必然的に足を止める。

「だからね、優しい優しくないって、行動で決めるものじゃないと思うよ」
「_______!」

 オリヴィアははっとして、息を吸った。

「人を助けても、助けた理由が打算まみれだったら、それは優しいのかな」
「それは…………優しくありませんわ」
「ね?」

 先生はニコリと微笑んだ。

「だからオリヴィアちゃんは優しい人だよ。優しくて、素直で良い子」

 オリヴィアはなんだか恥ずかしくなって、俯いた。

「……褒めても何も出ませんわよ」
「別にいいよ。さぁ、そろそろ行こうか」

 先生が先導して、歩みを再開する。オリヴィアの足に弾かれて、小石が道端に転がった。

「そういえば、今日はどうやってここまで来たの?」
「知恵を巡らせましたの、私。使用人の一人にそばかすを消して眼鏡を外せば私とそっくりな方がいらしたので、その方に身代わりを頼みましたわ」
「やるねぇ、上手く誤魔化しきれてるといいけど」
「不穏なことを言うのはやめてくださいまし!」

 先生はごめんごめん、と誤りながら笑った。

「もう…………!」

 ムスッとするオリヴィアに、先生はまた笑った。

「ですが、私が誘拐されて以来、警備が厳しくなりましたの。警備が緩くなるのは月に1度、ですから次にお会いできるのは来月ですわ」
「月1か、じゃあ残り授業は11回になるのかな」
「あの…………先生?」
「ん?」

 オリヴィアは恐る恐る尋ねた。

「どうして、1年間だけなのですか?」
「……………………………………、」

 先生は、笑顔のままで答えなかった。

「…………先生?」
「さぁ、どうしてだと思う?」
「…………わかりませんわ」
「だろうね」

 先生は指を1本立てた。

「じゃあ、宿題。期限は丁度1年後、来年の4月まで。最後の授業で答え合わせだ」
「わかりましたわ、考えておきますわね!」

 やる気に満ち溢れているオリヴィアとは反対に、先生はどこか諦めたような、悲痛そうな表情だった。







4月23日 晴れ

 やっと城を抜け出す方法を編み出せました。使用人のアリスには、顔が似ているからと身代わりの役を任せて申し訳ないと思っています。しかし帰ってきて、私の身代わりをしていたアリスと入れ替わっても、誰も気が付きませんでした。父上が王都の視察で城を空け、警備が手薄になるのは月に1度。町に行けるのも月に1度になります、一回一回の授業を大切にしなくてはなりません。
 本日の授業も大変為になる話を聞かせていただきました。『有言実行』を私の目標として掲げることにします。そして薔薇に棘があるということを初めて知りました。自分の世間知らずさに恥ずかしさすら覚えます。
 ステラちゃん、もといスーちゃんとも仲良くなれました。彼女のお祖母様はご病気で、寝たきりの状態らしいのです。次はリンゴを始め、体に良いものをたくさん持っていきましょう。彼女に教えていただいた秘密の花畑は本当に綺麗でした。ハナニラというお花だそうです。あまりに綺麗でしたので、1輪持ち帰ってしまいました。机の花瓶に飾ってあります。
 先生から優しいということについて教えていただきました。なんだかとてもしっくりきます。先生こそお優しい人だと思います。
 先生から宿題を出されました。何故1年間限定なのか。答え合わせは来年の4月だそうです。今はまだ見当もつきません。
 
 そういえば、先生はハナニラの花畑のとき、どうして少し悲しそうな表情をなされたのでしょうか。
 
 早く次の授業を受けたいです。国王なのですから、父上はもっと国王の責務として、王都へ何度も視察に行けばいいのに。


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