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〈5 錯綜クインテット〉
ep67 とある暑い日、腐女子は見た②
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「頼む、一生のお願いだ。一緒にお祭り行ってくれ。この通り!」
床に額をこすりつけ深々と頭を下げる。渾身の土下座だった。咲乃は、神谷の頭のつむじを眺めて、既視感を覚えていた。
「……もしかして、また厄介ごと?」
嫌な予感がして咲乃が尋ねる。ぱっと上がった顔には、かつて見たあのいやなニマニマ笑いが広がっていた。
「まぁまぁまぁ、そんな顔すんなよ。聞いてくれって」
「うざいから近寄るな」
神谷が調子よく、咲乃の肩へ腕を回す。咲乃は神谷の怠絡みに、心底嫌な顔をした。
「重田がさ、行こうって言うんだよ。中学の最後の思い出作りにってさ」
彩美からお祭りに行くメンバーは聞いていなかったが、たぶん重田は強制参加だろう。最近の重田は、彩美の良い下僕だ。一度交わした約束は破らないし、頼まれると嫌とは言えない。誠実で清く正しい哀れな重田くんは、生真面目なのをいいことに、彩美に上手く利用されている。
そして、咲乃もまた、その数少ない誠実で優しい友人を心から信頼している。
「重田がいるってことは、山口さんもいるよね?」
彩美のことは伏せるつもりだったが、ものの数秒で見抜かれてしまった。何もかもあの下僕のせいだ。
「あー、いたかなぁ。いるなぁ、うん」
神谷は、とぼけるように頬を掻きつつ視線をそらした。咲乃は容赦なくじっと神谷を見つめる。
「それで? 山口さんに連れてこいって?」
全くその通りで話が早い。これ以上ごまかすのは無理そうだと、神谷は改めて頭を下げた。
「頼む! 俺と重田の命を守ると思って! な、この通り!」
何度も頭を下げて頼む神谷を、咲乃は睨みつけた。
「絶対に嫌だ」
「そう言うなよぉ。俺たちを助けてくれよぉ。重田の胃がストレスで溶けそうなんだよぉ!」
「人の名前を出せば何とかなると思ってるの、本当に嫌い」
「そんなこと言うなよぉ~、俺たち友達だろぉ~、マジで命の危機なんだってぇ~」
神谷はふざけた調子で咲乃に抱き着いた。咲乃が、神谷の重さに耐えかねてそのまま倒れると、神谷が悪戯っぽい笑みを浮かべて咲乃のわき腹をくすぐり始める。
咲乃は歯を強くくいしばってくすぐりに耐えると、「嫌だって言ってるだろ!」と言って神谷の顔を掴んで押しのけた。
*
夏休みも中半に入った。気温は日に日に上がり、35度を超す猛暑日が続いている。
どこからともなく聞こえてくるアブラゼミの喚き声を聞き流し、じりじりと焼き付ける太陽と、揺れるように立ち込めるアスファルトの熱気を、気力だけで踏みしめながら、クーラーのある篠原宅を目指した。
せっかくシャワーを浴びて出てきたのに、全身の汗が止まらない。女の子たちがプールの話をしながら自転車で走り去って行くのを横目に、羨ましそうに見送ってしまう自分の弱さを自覚して、わたしは頭を横に振った。
夏やすみと言ったらプールやお祭り、海や花火大会。楽しいことの目白押しだ。去年は引きこもってたから、夏休みにそういったイベントとは無縁で過ごしてしまった。今年もそれらのイベントは諦めざるをえない。
模擬試験の結果も悪かったし、今は遊んでる余裕なんかない。
来年の夏は、絶対に夏らしいことして過ごすんだ。お祭りは絶対に行きたい。屋台のたこ焼きに、焼きそば、りんごあめ。ちなちゃんと、夏の思い出を沢山つくるんだ。
篠原くんの家に着くと、事前に鍵は開けてあると聞いていたのでそのまま玄関のドアを開けて中に入った。玄関には神谷くんの靴があり、今日は随分早いなと思いつつ靴を脱ぐ。
わたしがリビングに続くドアのノブに手をかけた、その時だった。
「嫌だって言ってるだろ!」
篠原くんの声にびっくりして、ドアに嵌ったガラス窓から中の様子を覗いた。
位置的にローテーブルの脚が邪魔で、よく見えないけれど、二つの人陰が床の上に重なって見え……重な……て????
「は……わ……わ……わ……」
わたしは衝撃の光景を前にして、再びガラス窓を覗いた。
篠原くんが下、神谷くんが上。
篠原くんが下、神谷くんが上だ!!!
なんで気付かなかったんだろう。腐女子としたことが、二人の関係に全く気づけなかったなんて。
自分の鈍さが悔やまれる。
「帰ろう」
ちなちゃんの気持ちを知っているだけに複雑だけど、恋のあれこれに関しては、第三者がどうにかできることではないもんな。
回れ右をして、足音を立てないように玄関へ向かう。今日は調子が悪かったことにして、勉強会は休ませてもらおう。漫画の世界だったら、壁になって二人の甘い空間を眺めていたいとは思うが、リアルでそれをするのはさすがに本人たちに悪い。わたしは、わきまえている類のモブ腐女子だ。
「待って、津田さん。なんで帰るの?」
後ろから肩を掴まれて、びっくりして飛び上がってしまった。振り向くと、髪が乱れた篠原くんが息を切らしてそこにいた。
*
というわけで、誤解が解けたところで勉強会は始まる。
なぜ帰ろうとしていたのかを尋ねられて、わたしが何と誤解したのかを正直に白状すると、神谷くんには呼吸困難になるんじゃないかと心配になるほどに笑われ、篠原くんからはドン引きされた。
わたしは味方だよと言いたくて正直に言ったのに、言うんじゃなかった。
はーあ、違ったかぁ。なんかもう、色々気が抜けて、今日はやる気が出ん。
あの女の子たちは今頃、可愛い水着を着て冷たいプールではしゃいでるだろうか。泳ぐのは苦手だし、別に水着が着たいとは思わないけど、プールの水は気持ちが良いんだろうな。
「なぁなぁ、トンちゃん」
休憩中、神谷くんが、篠原くんに聞かれないように小さな声で話しかけてきた。わたしは神谷くんに耳を近づける。
「トンちゃんからも説得してくれよ、祭り行きてぇって。午前中は勉強がんばるからさ。夜ちょっとだけ行くくらいいいじゃんな?」
「まだ諦めてなかったんですか?」
今さっき、篠原くんにドン引きされたばかりなのに、遊びたいなんて言えるメンタルわたしにはないのよ。
「頼むよ、トンちゃん。マジで俺の命がヤベーんだって! この通り!」
「そんなこと言われても……」
そもそも、篠原くんは行きたくないっていってるんだよな。本人が行きたくないっていってるのに、なんで山口さんたちのために、嫌がっている篠原くんを連れ出さなきゃいけないの? っていうか、神谷くん模試がC判定だったからって調子に乗ってない?
「そもそも、わたし、山口さんのこと応援してないですから。ちなちゃん派ですから!」
「あぁ、本田かー。やっぱあいつも篠原のこと狙ってんの?」
「……しり……ません……けど?」
しくじったー……。ちなちゃんの気持ちを他の人に喋っちゃうなんて、親友の風上にもおけない。しかもよりによって、神谷くんに言っちゃうなんて……。
「あ、あの、内緒にしてください。ちなちゃんのことは……」
わたしが両手を合わせて神谷くんに頼み込むと、神谷くんは意味ありげに「はーん」とわたしを見た。
「だったら、俺の頼みも聞いてくれよ。 その方が、お互いにフェアーだよなぁ?」
ぐぬぬ。ほんとに、抜け目ないなぁこの人。
「……わかりました。お祭りのこと、言ってみます」
「サンキュー、トンちゃん!」
「でも、言ってみるだけですから。断られたらそれ以上のことはしませんからね!?」
「わかってるって」
ごめん、ちなちゃん。他人の恋愛ごとを勝手に喋っちゃったあげく、結果的に山口さんに協力するみたいになっちゃって……。
わたしはため息をつくと、キッチンで飲み物を出している篠原くんに近づいた。
「あの、篠原くん……」
「あ、津田さん。今、津田さんたちの分も用意するから。麦茶でいい?」
「あー、はい。麦茶大好きです」
言いにくい……。言いにくいよ……。
桜花咲受験の勉強はわたしのためでもあるのに、お祭りに行きたいだなんて……。
床に額をこすりつけ深々と頭を下げる。渾身の土下座だった。咲乃は、神谷の頭のつむじを眺めて、既視感を覚えていた。
「……もしかして、また厄介ごと?」
嫌な予感がして咲乃が尋ねる。ぱっと上がった顔には、かつて見たあのいやなニマニマ笑いが広がっていた。
「まぁまぁまぁ、そんな顔すんなよ。聞いてくれって」
「うざいから近寄るな」
神谷が調子よく、咲乃の肩へ腕を回す。咲乃は神谷の怠絡みに、心底嫌な顔をした。
「重田がさ、行こうって言うんだよ。中学の最後の思い出作りにってさ」
彩美からお祭りに行くメンバーは聞いていなかったが、たぶん重田は強制参加だろう。最近の重田は、彩美の良い下僕だ。一度交わした約束は破らないし、頼まれると嫌とは言えない。誠実で清く正しい哀れな重田くんは、生真面目なのをいいことに、彩美に上手く利用されている。
そして、咲乃もまた、その数少ない誠実で優しい友人を心から信頼している。
「重田がいるってことは、山口さんもいるよね?」
彩美のことは伏せるつもりだったが、ものの数秒で見抜かれてしまった。何もかもあの下僕のせいだ。
「あー、いたかなぁ。いるなぁ、うん」
神谷は、とぼけるように頬を掻きつつ視線をそらした。咲乃は容赦なくじっと神谷を見つめる。
「それで? 山口さんに連れてこいって?」
全くその通りで話が早い。これ以上ごまかすのは無理そうだと、神谷は改めて頭を下げた。
「頼む! 俺と重田の命を守ると思って! な、この通り!」
何度も頭を下げて頼む神谷を、咲乃は睨みつけた。
「絶対に嫌だ」
「そう言うなよぉ。俺たちを助けてくれよぉ。重田の胃がストレスで溶けそうなんだよぉ!」
「人の名前を出せば何とかなると思ってるの、本当に嫌い」
「そんなこと言うなよぉ~、俺たち友達だろぉ~、マジで命の危機なんだってぇ~」
神谷はふざけた調子で咲乃に抱き着いた。咲乃が、神谷の重さに耐えかねてそのまま倒れると、神谷が悪戯っぽい笑みを浮かべて咲乃のわき腹をくすぐり始める。
咲乃は歯を強くくいしばってくすぐりに耐えると、「嫌だって言ってるだろ!」と言って神谷の顔を掴んで押しのけた。
*
夏休みも中半に入った。気温は日に日に上がり、35度を超す猛暑日が続いている。
どこからともなく聞こえてくるアブラゼミの喚き声を聞き流し、じりじりと焼き付ける太陽と、揺れるように立ち込めるアスファルトの熱気を、気力だけで踏みしめながら、クーラーのある篠原宅を目指した。
せっかくシャワーを浴びて出てきたのに、全身の汗が止まらない。女の子たちがプールの話をしながら自転車で走り去って行くのを横目に、羨ましそうに見送ってしまう自分の弱さを自覚して、わたしは頭を横に振った。
夏やすみと言ったらプールやお祭り、海や花火大会。楽しいことの目白押しだ。去年は引きこもってたから、夏休みにそういったイベントとは無縁で過ごしてしまった。今年もそれらのイベントは諦めざるをえない。
模擬試験の結果も悪かったし、今は遊んでる余裕なんかない。
来年の夏は、絶対に夏らしいことして過ごすんだ。お祭りは絶対に行きたい。屋台のたこ焼きに、焼きそば、りんごあめ。ちなちゃんと、夏の思い出を沢山つくるんだ。
篠原くんの家に着くと、事前に鍵は開けてあると聞いていたのでそのまま玄関のドアを開けて中に入った。玄関には神谷くんの靴があり、今日は随分早いなと思いつつ靴を脱ぐ。
わたしがリビングに続くドアのノブに手をかけた、その時だった。
「嫌だって言ってるだろ!」
篠原くんの声にびっくりして、ドアに嵌ったガラス窓から中の様子を覗いた。
位置的にローテーブルの脚が邪魔で、よく見えないけれど、二つの人陰が床の上に重なって見え……重な……て????
「は……わ……わ……わ……」
わたしは衝撃の光景を前にして、再びガラス窓を覗いた。
篠原くんが下、神谷くんが上。
篠原くんが下、神谷くんが上だ!!!
なんで気付かなかったんだろう。腐女子としたことが、二人の関係に全く気づけなかったなんて。
自分の鈍さが悔やまれる。
「帰ろう」
ちなちゃんの気持ちを知っているだけに複雑だけど、恋のあれこれに関しては、第三者がどうにかできることではないもんな。
回れ右をして、足音を立てないように玄関へ向かう。今日は調子が悪かったことにして、勉強会は休ませてもらおう。漫画の世界だったら、壁になって二人の甘い空間を眺めていたいとは思うが、リアルでそれをするのはさすがに本人たちに悪い。わたしは、わきまえている類のモブ腐女子だ。
「待って、津田さん。なんで帰るの?」
後ろから肩を掴まれて、びっくりして飛び上がってしまった。振り向くと、髪が乱れた篠原くんが息を切らしてそこにいた。
*
というわけで、誤解が解けたところで勉強会は始まる。
なぜ帰ろうとしていたのかを尋ねられて、わたしが何と誤解したのかを正直に白状すると、神谷くんには呼吸困難になるんじゃないかと心配になるほどに笑われ、篠原くんからはドン引きされた。
わたしは味方だよと言いたくて正直に言ったのに、言うんじゃなかった。
はーあ、違ったかぁ。なんかもう、色々気が抜けて、今日はやる気が出ん。
あの女の子たちは今頃、可愛い水着を着て冷たいプールではしゃいでるだろうか。泳ぐのは苦手だし、別に水着が着たいとは思わないけど、プールの水は気持ちが良いんだろうな。
「なぁなぁ、トンちゃん」
休憩中、神谷くんが、篠原くんに聞かれないように小さな声で話しかけてきた。わたしは神谷くんに耳を近づける。
「トンちゃんからも説得してくれよ、祭り行きてぇって。午前中は勉強がんばるからさ。夜ちょっとだけ行くくらいいいじゃんな?」
「まだ諦めてなかったんですか?」
今さっき、篠原くんにドン引きされたばかりなのに、遊びたいなんて言えるメンタルわたしにはないのよ。
「頼むよ、トンちゃん。マジで俺の命がヤベーんだって! この通り!」
「そんなこと言われても……」
そもそも、篠原くんは行きたくないっていってるんだよな。本人が行きたくないっていってるのに、なんで山口さんたちのために、嫌がっている篠原くんを連れ出さなきゃいけないの? っていうか、神谷くん模試がC判定だったからって調子に乗ってない?
「そもそも、わたし、山口さんのこと応援してないですから。ちなちゃん派ですから!」
「あぁ、本田かー。やっぱあいつも篠原のこと狙ってんの?」
「……しり……ません……けど?」
しくじったー……。ちなちゃんの気持ちを他の人に喋っちゃうなんて、親友の風上にもおけない。しかもよりによって、神谷くんに言っちゃうなんて……。
「あ、あの、内緒にしてください。ちなちゃんのことは……」
わたしが両手を合わせて神谷くんに頼み込むと、神谷くんは意味ありげに「はーん」とわたしを見た。
「だったら、俺の頼みも聞いてくれよ。 その方が、お互いにフェアーだよなぁ?」
ぐぬぬ。ほんとに、抜け目ないなぁこの人。
「……わかりました。お祭りのこと、言ってみます」
「サンキュー、トンちゃん!」
「でも、言ってみるだけですから。断られたらそれ以上のことはしませんからね!?」
「わかってるって」
ごめん、ちなちゃん。他人の恋愛ごとを勝手に喋っちゃったあげく、結果的に山口さんに協力するみたいになっちゃって……。
わたしはため息をつくと、キッチンで飲み物を出している篠原くんに近づいた。
「あの、篠原くん……」
「あ、津田さん。今、津田さんたちの分も用意するから。麦茶でいい?」
「あー、はい。麦茶大好きです」
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桜花咲受験の勉強はわたしのためでもあるのに、お祭りに行きたいだなんて……。
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