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「ひなちゃんおきてー!」
ゆっさゆっさと体をゆすられ元気な声をかけられて、日向はパチリと目を開いた。
一瞬ここがどこかわからず、ぼんやりしたが。
「おきた?」
「起きた。おはよう優君」
覗き込んでくるふくふくほっぺの顔に、そういえばと昨日のことを思い出す。
いつのまにかひなちゃん呼びになっているのにも驚いた。
上体を起こしきょろりと室内を見れば、すでに寝ていたのは日向一人だった。
「ひなちゃんおきたよー」
寝室の外へと出ていく優を眺めながら、人様の家で惰眠をむさぼりすぎたと軽く自己嫌悪だ。
のそのそと布団から立ち上がり居間に行くと、夾が箸をせっせと並べている。
「おはよう夾君」
「おはようひな君」
こちらも呼び名が親し気になっていた。
洗面所借りるねと向かい、顔を洗って再び戻ると優がちょこんと座っていて、知臣と秋が目玉焼きの乗った皿を運んできた。
夕食のとき同様に和気あいあいと食事を済ませ、秋と夾は夏休みであることと優は保育園には行っていないことを知った。
「よし、暑くなる前に送っていくか」
一人で帰れると言ったが、まあまあとうながされ玄関を出た。
ガレージに行った知臣が戻ってきたときには、赤いママチャリを引いていた。
「自転車平気か?」
「平気だけど……二人乗りって駄目なんじゃ」
思わずじとりと見やると。
「内緒でよろしく」
パチリとウインクが返ってくる。
それに思わず嘆息した。
「こっそりよろしく」
「了解」
ママチャリの後ろに腰を下ろすと、ゆっくりと自転車は動きだした。
五分も漕げば汗が噴き出してくるのを知臣があっついと日陰まで全力で漕いだりするから、日向は思わず笑っていた。
自転車で二十分の距離をそうやって送ってもらい、日向が到着地だと伝えていた祖母の家に着いた頃には二人とも汗だくだった。
そうして自転車を下りてお礼を言うと。
「日向君ならいつでも歓迎だから、また来いよ」
にかりと爛漫に笑う知臣に、思わずこくりと頷いて遠ざかる自転車の後ろ姿を見送った。
「さてと」
くるりと家に向き直れば、黒い瓦屋根に白い壁のこじんまりした二階建てが目に入る。
ここに来るのは久しぶりだ。
懐かしさに目を細めて、とりあえず家に入ろうと鍵を取り出した。
玄関の鍵穴に鍵を入れて回すと、なんの手ごたえもないことに驚いて、おそるおそる玄関の引き戸に手をかける。
「なんで……」
それは難なくからりと開いた。
ここは祖母が亡くなってからは叔母が管理しているが、基本的には東京に暮らしている人だ。
偶然同じ期間にここへ来るなんてそんな確率が低いことあるわけがない。
泥棒かと思いながらそっと玄関を開けて中に入ると、土間には薄汚れた男物のスニーカーがあった。
日向が眉根を寄せた時だ。
「よお、久しぶりだな」
居間になっている部屋から一人の男が気だるげな足取りで現れた。
「あんた……」
その男の見覚えのある姿に、日向は瞳を眇めた。
そこにいたのは千葉治。
昼から酒を飲んでいたのか赤ら顔にしわくちゃの服を着ていて、根本の黒い金髪をがしがしとかいている。
日向より二つ年上のこの男は叔母の一人息子だった。
何度も会ったことがあるが、そのたびにどこか粘ついた雰囲気で、ニヤニヤと視線で舐めまわされるのが不快だった。
玄関に立ったままの日向にのったのったと近づいてくる。
日向はじろりと治を睨んだ。
自分よりも背の高い治を見上げる形になると、ニヤニヤしている口元から歯並びの悪さが目立った。
「なんでここにいる」
「親父がうるさくてなあ、お袋からここの鍵借りて避難して来たんだよ」
悪びれもしない態度に、内心舌打ちだ。
年齢的には就職しているはずなのに、ここにいるということは、おそらく就活を失敗したのだろう。
父親は厳格な人だったが、母親である叔母はたいそう甘い人だったからなと苦々しく思う。
「お前も逃げて来たんだろ?知ってるぜ、お袋から聞いたからな」
治の言葉にカッと頭に血がのぼってぎりりと睨み上げる。
しかし治は気にした風もなく手を伸ばしてくると、ぐいと突然前髪を掴み上げられた。
「見事に傷が残ったな。勿体ねえ」
「離せ!」
無理矢理に顔を露わにされた日向が、バシリと治の手を叩き落とす。
その反応にイラついたように治は片目を眇めたが、気を取り直したように。
「二階は使ってないから好きに使うといいさ」
我が物顔で笑った。
「ここはお前の家じゃない」
ぴしゃりと言い切って、しかし治のいる一階にいる気はなく、日向は足早に二階に一部屋だけある和室へと向かった。
「最悪だ」
部屋に入って襖を閉めると、長い溜息が出る。
室内をきょろりと見回すと、祖母が亡くなった時に片付けてしまったから、がらんとしていて何もない。
それも別にいいかと思いショルダーバックを下ろすと、畳の上にぺたりと座った。
何度か迷ったあとショルダーバックからノートパソコンを取り出して、電源を入れる。
ぼんやりパソコンが立ち上がるのを待ってから、動画サイトの自分のチャンネルを見ようとしたが。
「ネット、繋がらないんだ」
慌ててスマホを見ると、こちらも圏外になっている。
そういえばそうだったと思いだす。
立地のせいなのか、電波が不安定すぎる家だったと。
不便じゃないかと心配すれば、全然平気だとスマホも持っていない祖母は笑っていた。
事務所に許可を貰い、デビューが決まったことやデビュー日をチャンネルで発表していた。
しかし退院してすぐにその話が無くなったというメッセージは更新した。
それ以来、怖くてチャンネルは開いていない。
応援してくれていた人達の反応が気になるけれど、それ以上に怖かった。
詳しい理由は書かなかったから、視聴してる人達は急にデビューの話が立ち消えたと思っているはずだ。
「まさか歌じゃなくて、顔が原因で駄目になるなんてな」
もぞりと膝を抱えて、繋がらないインターネットの画面をぼんやりと見やる。
ボイストレーニングだって頑張ったし、デビュー曲は何度も作り直した。
自分なりに努力はしていたつもりだ。
「無駄だったのかな……歌に魅力なかったのかな」
ポツリと言葉が何もない空間に落ちる。
ぼんやりとパソコン画面を見たあと。
「いいや、別に」
無気力に呟いてパタンとパソコンのラップトップを閉じた。
ゆっさゆっさと体をゆすられ元気な声をかけられて、日向はパチリと目を開いた。
一瞬ここがどこかわからず、ぼんやりしたが。
「おきた?」
「起きた。おはよう優君」
覗き込んでくるふくふくほっぺの顔に、そういえばと昨日のことを思い出す。
いつのまにかひなちゃん呼びになっているのにも驚いた。
上体を起こしきょろりと室内を見れば、すでに寝ていたのは日向一人だった。
「ひなちゃんおきたよー」
寝室の外へと出ていく優を眺めながら、人様の家で惰眠をむさぼりすぎたと軽く自己嫌悪だ。
のそのそと布団から立ち上がり居間に行くと、夾が箸をせっせと並べている。
「おはよう夾君」
「おはようひな君」
こちらも呼び名が親し気になっていた。
洗面所借りるねと向かい、顔を洗って再び戻ると優がちょこんと座っていて、知臣と秋が目玉焼きの乗った皿を運んできた。
夕食のとき同様に和気あいあいと食事を済ませ、秋と夾は夏休みであることと優は保育園には行っていないことを知った。
「よし、暑くなる前に送っていくか」
一人で帰れると言ったが、まあまあとうながされ玄関を出た。
ガレージに行った知臣が戻ってきたときには、赤いママチャリを引いていた。
「自転車平気か?」
「平気だけど……二人乗りって駄目なんじゃ」
思わずじとりと見やると。
「内緒でよろしく」
パチリとウインクが返ってくる。
それに思わず嘆息した。
「こっそりよろしく」
「了解」
ママチャリの後ろに腰を下ろすと、ゆっくりと自転車は動きだした。
五分も漕げば汗が噴き出してくるのを知臣があっついと日陰まで全力で漕いだりするから、日向は思わず笑っていた。
自転車で二十分の距離をそうやって送ってもらい、日向が到着地だと伝えていた祖母の家に着いた頃には二人とも汗だくだった。
そうして自転車を下りてお礼を言うと。
「日向君ならいつでも歓迎だから、また来いよ」
にかりと爛漫に笑う知臣に、思わずこくりと頷いて遠ざかる自転車の後ろ姿を見送った。
「さてと」
くるりと家に向き直れば、黒い瓦屋根に白い壁のこじんまりした二階建てが目に入る。
ここに来るのは久しぶりだ。
懐かしさに目を細めて、とりあえず家に入ろうと鍵を取り出した。
玄関の鍵穴に鍵を入れて回すと、なんの手ごたえもないことに驚いて、おそるおそる玄関の引き戸に手をかける。
「なんで……」
それは難なくからりと開いた。
ここは祖母が亡くなってからは叔母が管理しているが、基本的には東京に暮らしている人だ。
偶然同じ期間にここへ来るなんてそんな確率が低いことあるわけがない。
泥棒かと思いながらそっと玄関を開けて中に入ると、土間には薄汚れた男物のスニーカーがあった。
日向が眉根を寄せた時だ。
「よお、久しぶりだな」
居間になっている部屋から一人の男が気だるげな足取りで現れた。
「あんた……」
その男の見覚えのある姿に、日向は瞳を眇めた。
そこにいたのは千葉治。
昼から酒を飲んでいたのか赤ら顔にしわくちゃの服を着ていて、根本の黒い金髪をがしがしとかいている。
日向より二つ年上のこの男は叔母の一人息子だった。
何度も会ったことがあるが、そのたびにどこか粘ついた雰囲気で、ニヤニヤと視線で舐めまわされるのが不快だった。
玄関に立ったままの日向にのったのったと近づいてくる。
日向はじろりと治を睨んだ。
自分よりも背の高い治を見上げる形になると、ニヤニヤしている口元から歯並びの悪さが目立った。
「なんでここにいる」
「親父がうるさくてなあ、お袋からここの鍵借りて避難して来たんだよ」
悪びれもしない態度に、内心舌打ちだ。
年齢的には就職しているはずなのに、ここにいるということは、おそらく就活を失敗したのだろう。
父親は厳格な人だったが、母親である叔母はたいそう甘い人だったからなと苦々しく思う。
「お前も逃げて来たんだろ?知ってるぜ、お袋から聞いたからな」
治の言葉にカッと頭に血がのぼってぎりりと睨み上げる。
しかし治は気にした風もなく手を伸ばしてくると、ぐいと突然前髪を掴み上げられた。
「見事に傷が残ったな。勿体ねえ」
「離せ!」
無理矢理に顔を露わにされた日向が、バシリと治の手を叩き落とす。
その反応にイラついたように治は片目を眇めたが、気を取り直したように。
「二階は使ってないから好きに使うといいさ」
我が物顔で笑った。
「ここはお前の家じゃない」
ぴしゃりと言い切って、しかし治のいる一階にいる気はなく、日向は足早に二階に一部屋だけある和室へと向かった。
「最悪だ」
部屋に入って襖を閉めると、長い溜息が出る。
室内をきょろりと見回すと、祖母が亡くなった時に片付けてしまったから、がらんとしていて何もない。
それも別にいいかと思いショルダーバックを下ろすと、畳の上にぺたりと座った。
何度か迷ったあとショルダーバックからノートパソコンを取り出して、電源を入れる。
ぼんやりパソコンが立ち上がるのを待ってから、動画サイトの自分のチャンネルを見ようとしたが。
「ネット、繋がらないんだ」
慌ててスマホを見ると、こちらも圏外になっている。
そういえばそうだったと思いだす。
立地のせいなのか、電波が不安定すぎる家だったと。
不便じゃないかと心配すれば、全然平気だとスマホも持っていない祖母は笑っていた。
事務所に許可を貰い、デビューが決まったことやデビュー日をチャンネルで発表していた。
しかし退院してすぐにその話が無くなったというメッセージは更新した。
それ以来、怖くてチャンネルは開いていない。
応援してくれていた人達の反応が気になるけれど、それ以上に怖かった。
詳しい理由は書かなかったから、視聴してる人達は急にデビューの話が立ち消えたと思っているはずだ。
「まさか歌じゃなくて、顔が原因で駄目になるなんてな」
もぞりと膝を抱えて、繋がらないインターネットの画面をぼんやりと見やる。
ボイストレーニングだって頑張ったし、デビュー曲は何度も作り直した。
自分なりに努力はしていたつもりだ。
「無駄だったのかな……歌に魅力なかったのかな」
ポツリと言葉が何もない空間に落ちる。
ぼんやりとパソコン画面を見たあと。
「いいや、別に」
無気力に呟いてパタンとパソコンのラップトップを閉じた。
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