とある田舎の恋物語

やらぎはら響

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 治と同じ家にいるのが嫌で、日向は午前中から昨日の川辺へと向かって歩いていた。
昨夜は布団もない畳の上で転がって寝ていたから体が多少ギシギシとしている。
何もする気になれないので部屋でぼんやりしていたのだが、治がいると思うと嫌な気分になり、ない気力を振り絞って出かけたのだ。
ジワジワとうるさい蝉時雨のなかを歩いていると、小さい頃ここへ来ると山の中で走り回ったなと思い出す。
この地域には遊ぶような場所はないが、隣町に行けばデパートがある。
いつも歌を歌っていた日向を連れて祖母はデパートに行き、おもちゃのキーボードを買ってくれた。
それがきっかけで、歌うだけでなく曲を作るようになったのだ。
今でも自宅の部屋には大切に保管されてある。
ぽつぽつとその頃作ったつたない曲を口ずさむ。
口の中で小さく歌を歌っていると、じわりと涙が滲んできて、慌てて目元を腕でこすった。
本当は真っ先に祖母の墓へ行きたかった。
けれど、歌が大好きだと言っていた自分がこんな状態なのを見せるのが嫌だった。
 歩いていた足を止めて、ぼんやり足元の黒い影を見ていたら。

「お、ちょうどよかった」

 前方から聞き覚えのある声。
顔を上げれば、知臣が紙袋をカゴに入れて自転車を漕いできた。
 目の前でキュッとブレーキをかけて自転車を下りると、片手を上げて挨拶してくる。

「おはよう」

 ぺこりと会釈すると。

「水ようかんが送られてきたから昨日のお詫びもかねて、日向君のとこ向かってたんだ」

 ガサリと紙袋を示せば、そこには高そうな店のロゴが金色に光っている。

「お詫びって、別によかったのに。夕食ご馳走になったし」
「まあまあ、貰えるものは貰っとけって」

 ゆるく笑って、知臣がカゴから持ち上げた紙袋を差し出した。
 それを受け取りながら、冷たい食べ物が好きな日向はかすかに口元を緩めた。
 けれど、家には帰りたくない。

「これ、すぐ冷蔵庫入れなきゃだよね」
「まあそうだな」

 知臣の肯定に、思わず肩が落ちる。
 仕方がない。
 戻りたくはないが、一度帰ろうと思った時だった。

「急いで冷蔵庫に入れなくてもいい案があるぞ」
「へ?」
「ここで食っちまえ」

 悪戯気に笑った知臣に、日向は思わずきょとんとした。

「まだ冷えてるし、川辺で食べたら格別だと思うぜ。あ、水ようかん好きじゃないか?」
「いや、大好き。その案乗った」
「よし、じゃあ行くか」

 のんびり話しながら自転車を押して歩き始める。
川辺はすぐ近くだったから自転車を断ればあっという間に日向の息は上がった。
到着した頃には、膝に手をついて大きく息を吐き出していた。

「大丈夫か?」

 自転車を止めて紙袋を持った知臣が日向に声をかける。
 それに、ふうと落ちつくように息を整えて頷いた。
 顔を上げると前髪が額に汗で張り付いてしまっている。

「少しは運動してるか?」
「いや、してない」

 それどころか退院明けたばかりで体力などかけらも戻っていやしない。

「散歩でもいいから毎日体動かせよ。使わなかったらもっと体力落ちちまうぞ」

 ほらこっちと手招かれて、日向は苦笑した。
 なんだかんだで会ったときから気にかけてくれて面倒見がいいなと思ったからだ。
 知兄に促されて丸い大きな岩に腰を落とすと、ガサガサと紙袋から水ようかんとプラスチックのスプーンを取り出す。

「はい、知臣さんも」
「俺はいいよ、家に食べる人とかいないのか?」

 日向は透明な容器に入った水ようかんを知臣に差し出した。
 わざわざ治に持って帰ってやる気はない。

「証拠隠滅に協力して」

 にやりといたずらっぽく笑うと、知臣もにやりと笑って水ようかんを受け取った。

「じゃあ遠慮なく」

 ぺりりと蓋のフィルムを剥がして、つやつやの水ようかんをすくい、口に運んでいく。
 上品な甘さを、つるりと舌から喉へ味わった。

「美味そうに食うね」
「冷たいもの好きだから」
「体冷やすのはよくねーからほどほどにな」
「そんなやわじゃない」

 またパクリと一口。

「ははっ男らしい」

 王子様のように爽やかに笑うのに、相変わらず言葉遣いは粗野でイメージが狂うなと思う。
 そんなふうにまったり水ようかんを食べたあと、そろそろ行こうかと腰を上げる。
 川辺からお互いの家の分かれ道まで歩いていると。

「よう」

 家を出るときには居間で酔いつぶれていたはずの治がいた。
 昨日の服のままなので、シャワーも浴びてないのかもしれない。
 思わず日向の眉間に皺が寄った。

「何してんだよ」

 どこか不機嫌そうな声音に。

「別に」

 日向もつっけんどんに答える。

「誰だそいつ」
「誰だっていいだろ」

 ちらりと知臣を見やった治の質問をにべもなくはねのけると、チッとあからさまに舌打ちをした。
 しかし知臣に視線をやると、へらへらと下卑た笑みを浮かべてみせる。

「あんたこいつの顔見た?」
「なっ」

 突然の話題に日向は息を飲んだが、治の口は止まらない。

「どうにかしてでも傷跡消す努力しろって思うよなあ、みっともない。せっかく元は見れる顔なのにさ」

 治の言葉に、嫌がらせと分かっていても日向は頬に羞恥で血がのぼるのを感じ、顔を隠すように前髪をぐっと引っ張った。
 知臣は最初に顔を見た時から体を見た時まで、まったく態度が変わらなかった。
 同情的でも、まして傷跡に不快感を露わにすることもなかったから油断していた。
 何も言えず、ぐっと唇を引き結んで視線を足元に落としたとき。

「うぐぅ」

 治のうめき声に目線を上げると、知臣が自転車のハンドルを片手で持ち、空いた左手で治の胸倉を掴み上げていた。

「お前何のつもりでそんなこと口にしてんだ?」
「はな、はなせえ」

 無表情な知臣の顔は、端正さが際立っている。 
 治がもがこうとした瞬間にぱっと知臣が手を離すと、治はすぐに後ずさりした。

「くそっ今日は帰らねえからな」

 捨て台詞のように吐き捨てると、転がるようにバタバタと二人を残して走り去って行った。

「もしかして、行く当てってあいつのとこか?」

 ぽかんとしていた日向だが、知臣に話しかけられて、慌てて首を振った。

「正確には祖母の家。あいつもいたのは計算外」
「ふうん……あのさ、俺いつも家にいるんだよな、優もいるし。なんなら夏休みだから全員いるけど」

 何を言いたいのだろうと首を傾げると、知臣がしんなりと焦げ茶色の瞳を細める。

「家にいるのが嫌だったら、なるべくうちに来いよ」
「え……でもそんなこと」

思わぬ申し出に戸惑う日向だが。

「下心あるから。弟達の相手してくれると嬉しいかな。もー毎日元気すぎて」
「あは」

 やれやれというように首を振る知臣に、思わず日向は笑ってしまった。

「とりあえず、明日は昼飯食べに来いよ」

 優しく言われてしまえば甘えたくなる気持ちが出てきてしまい。

「ありがとう」

 翌日の昼食は甘えさせてもらうことにした。
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