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リルトの家の台所。
林檎のタレとドレッシングを作るために、エプロンをした花とケリーと伊織がいた。
トニエルとリルトが再会して二日目。
トニエルは午前中から来訪する気満々だったけれど、同じ時間に花にちょっとした料理を教わる約束を伊織がしていた。
なので午後からならと伝えたところ、ケリーが興味を持ったらしく参加したいと言われて今に至る。
花はトニエルにもケリーにも物怖じしなかった。
現在アルファ二人は邪魔だと、花によって食後のデザートの買い出しに追い出されている。
花の持ってきた予備の赤いエプロンを身に着けたケリーが真剣な顔で玉ねぎをすり下ろしている。
「うー……目が痛い。でも林檎のタレなんて食べたことないから楽しみ」
「豚肉と相性がよくて美味しいよ」
花の言葉にケリーが俄然やる気を出す。
伊織の方は林檎をすり下ろす手を動かしていた。
「林檎のドレッシングも食べたことないや」
「あんたが食欲出てきたのはよかったよ。肉もついてきたし」
「リルが少量ずつ種類作ってくれるから食べるの結構好きになって。でも手伝ってみたら凄く手間かかってるんだよ」
はじめてリルトの家に来てから食事作りを手伝ったら工程が沢山あって驚いたのだ。
同時にこんな手間暇を毎回かけてくれたのかと思うと、嬉しく思ったし感謝もした。
「まあそうだろうね。同じものを大量に作る方が楽だよ」
花の言葉にケリーが手を止めた。
そうなんだと不思議そうにしている。
「料理しないからわかんないや。でもそんな手をかけてくれるなんて素敵な恋人だ。なんでまだ仮なの?」
「こ、こいびとじゃないよ!」
「え!違うの?」
思わぬ言葉にひっくり返ったような声を出すと、それ以上に大きな声をケリーが驚いた様子で返した。
そんなふうに驚かれても違うものは違う。
恋人(仮)だ。
「俺の体調考えて側にいてくれてるんだ。それだけだよ」
「えぇ!まさかキスは?」
「してないよ!」
あけすけな質問は花もいるのだからやめてほしい。
(そりゃ口以外はしてるけど!風呂も一緒だけど!寝るのも一緒だけど!)
それでも正式な恋人ではない。
顔を真っ赤にして全否定すると、ケリーは絶句していた。
「うっそ」
「だって俺が運命のオメガなんて、貧乏クジもいいとこだろ」
「えぇ、そんな言い方よくないよ」
眉をひそめるケリーに一瞬ぐっと詰まったけれど、伊織は「俺の体のことは聞いてる?」と尋ねた。
ケリーがこくりと頷いてくる。
「一応。無理させないようにって聞いた」
「じゃあわかると思うけど、俺オメガとしてはポンコツで価値ないんだよ」
つらつらと口にすると視界の端で花の眉根が寄った。
ケリーも眉間に皺を寄せると、腰に手を当てて憤慨してきた。
「何言ってるの、義兄さんは今の伊織と一緒にいることを選んだから、それありきで好きなんでしょ!その言い方だと選んだ義兄さんに不良品に熱上げて馬鹿だなって言ってるようなものだよ!」
「そこまでは……」
「よく言った!その通りだよ」
ケリーの剣幕に手を止めて一歩後ずさると、花がよく通る声で称賛した。
うんうんと深く頷いている。
「花ちゃん?」
「あんたは自分のことを価値がなくて当たり前と思ってる。あの環境で育ったんなら仕方ないけど改めな」
ビシリと指を突きつけられる。
いつもとは違う真剣な剣幕に、伊織はぎこちなくへらりと笑おうとして笑えず奇妙な表情になった。
「やだな、俺図太いの知ってるでしょ。そんな悲観的じゃ」
「誤魔化して鈍くなって自分を守ってるだけだよ。無意識なのかずっと卑下したことしか言ってない」
「そんな、こと」
だってそれが普通で、当たり前のことだ。
卑下なんてしてない。
事実しか言ってない。
ふる、と小さく首を振っても花の視線の強さは変わらなかった。
「リルト先生がいるんだ、受け止める気概もあるだろ。自己評価を改善して他人に価値があると思われることを受け入れな」
花のキッパリとした言葉に伊織は絶句してしまった。
伊織は自分に価値があるなんて考えたこともない。
だって最初からそう思ってたら、わざわざそれを突きつけられても傷つかないから。
結局何も言えず、そのあとはぼんやりと過ごしてしまった。
せっかく作った林檎を使ったタレやドレッシングの昼食も覚えていない。
リルトがとても心配してくれたけれど、うまく説明できなくて結局昼食が終わったら解散になってしまった。
トニエルに悪いことをしたなと思う。
そのまま頭がまわらなくて二、三日ぼーっとしてしまったので、通院日じゃないけれどリルトに病院に連れてこられてしまった。
「発情期の兆候が出てますね」
日下部の言葉に驚いた。
「発情期……」
「ぼんやりしてしまっているのはフェロモンの数値が大きく変動しているからですね。はじめての発情期は不安定なものだから、この状態も症状の範囲内です」
隣に座っているリルトがあからさまにほっとした顔をした。
そういえばここ数日ひどく心配させてしまったなと、申し訳なく思う。
「発情期……くるんだ」
ぽつりと零せば、日下部が緩やかな雰囲気で頷いた。
「ちゃんと発情期を迎えればひとまず体は安定するはずです。予想より回復が早くてよかったです。クランベルさんとの相性がよかったんでしょう」
確かに甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
信頼できるアルファが側にいると回復しやすいとも言われた。
何だか自分ばかりが恩恵を受けている気がして、少しモヤりとする。
「二日以内に本格的になるでしょう。発情期は……」
チラリと日下部がリルトを見やる。
「少し二人で話をしても?」
「では以前使っていた面会室を使ってください」
日下部の指示に頷くと、連れだって診察室を出た。
右手を取られてゆっくりと入院中に慣れた道筋を歩く。
(そういえば歩くときいつも手を繋がれてる)
気づいてしまうと、何だかそこに意識が集中してしまった。
大きくて温かい手。
多少の接触なら慣れたはずなのに何故か頬が熱くなり伊織は俯いた。
面会室で椅子に座っても手は握られたままだった。
「伊織、発情期のことだけど、一緒にすごさせてくれないか?」
「一緒?発情期って……性欲が酷くなるんだっけ?いまいち想像出来ない」
「伊織は薬の副作用で性欲もなかったんだよね?」
確認されて、恥ずかしさに俯いて小さく首肯した。
正直まともに勃つこともほとんどなかったし、不便もなかったので気にしたこともない。
「でもオメガの発情期は一人だととても辛いと聞く。負担を軽くするだけで絶対に抱いたりしない。どうしても嫌だと思ったら離れる。だからギリギリまで側にいさせてほしい」
真剣に懇願してくるリルトをぼんやり見つめ返す。
また可愛い顔してるなんて見当違いの感想が出てきて困った。
伊織がそれに弱いのを知ってて、ずるいと思う。
「よく、わかんない。ぼうっとする」
「発情期の準備期間に入ってるんだ。ちゃんとオメガの講習受けてるから安心して。準備ははちゃんと出来るから」
「準備……一緒にいるの?」
「……嫌?」
そっと顔を覗き込まれた。
嫌かなどうかなと考えながら、無意識でその輝く金髪に手を伸ばしていた。
頭を撫でると驚いた表情を浮かべたリルトが、嬉しそうに笑う。
その顔を見たらほっと力が抜けた。
「発情期よくわかんないけど、リルがいるなら大丈夫な気がする」
だっていつも真綿に包むようにしてくれる。
リルトの側は安心する。
だから、発情期も一緒なら何とかなるんじゃないかと思った。
「ありがとう、絶対に伊織の嫌がることはしない」
額にキスを落とされて、とろりと微笑まれた。
その後は日下部に注意事項なんかを聞いて帰った。
それからは大変だった。
体温が少しずつ上がると聞いていたのに、発熱するように一気に上がってしまった。
そして体力を温存するために沢山睡眠をとるようになるとも聞いたのに、体温が一気に上がった具合の悪さと暑さでまったく眠れない。
おまけに発情期中は食事がおろそかになりやすいらしく、オメガは栄養を蓄えるために沢山食べるしそれが重要だとも聞いていたのに、熱でいつも以上に食べられなかった。
性欲が高まったかどうかなんて、伊織にはさっぱりわからずひたすら具合が悪いばかりだ。
準備期間が聞いていた通常のものと違いすぎてリルトが病院に連絡をとる始末だった。
衰弱する可能性が高くて危険だからと結局緊急入院が決まってしまった。
伊織の体は抑制剤を飲めない状態だから点滴と睡眠薬で強制的にベッドに拘束されて過ごした。
そのあいだは意識が混濁していて、五日後に頭が元に戻ってスッキリしても入院中のことはまったく覚えていなかった。
「うまくいかなかった……」
ベッドに上半身を起こした状態でぽつり呟くと、ベッド横に座っているケリーが苦笑した。
オメガ病棟。
しかも発情期で入院したのでオメガ以外は面会謝絶になっているらしい。
わざわざケリーが様子を見に来てくれた。
「体治ったと思ったのに」
「発情期は人それぞれだから、問題ない人もいれば大変な人もいるよ」
「そうなの?ケリーは……」
どうなんだろうと聞けば、ケリーはバツが悪そうに指先で頬をかいた。
「あー……俺は色々と恵まれててさ、そういうので困ったことないんだ」
「そっか」
参考にはならないらしい。
ケリーはオメガとして問題なく発情期を迎えているのだろう。
「義兄さんが心配してたよ。まさかこんなに弱るとは思わなかったんじゃない?」
「性欲凄くなるって聞いたけど、欠片もなかった。ただただしんどかったよ」
「まあ個人差あるからさ。慣れれば通常通りのものがくるようになるよ」
面会時間は限られていたので、そこまで話すとケリーは帰っていった。
誰もいなくなった病室で、深々とため息を吐く。
シーツを思わず握りしめたら深い皺が寄った。
「オメガなのに発情期に発情しないどころか、意識混濁って……欠陥品にも程がない?」
リルトの顔を思い出す。
発情期がくるとわかった時の真剣な顔。
「一緒にいてくれるって言ってくれたのにな」
ぽつんと零した声は静かな病室に頼りなく落ちた。
「ちゃんとしたオメガじゃないから入院なんて大げさになったし……」
自己嫌悪が酷かった。
発情期がくるならてっきりもう回復したものと思い込んでいたから余計に。
リルトに顔を合わせづらい。
もう一度大きく伊織はため息を吐いた。
結局、はじめての発情期は不安定だから様子を見ると言われてさらに三日も入院した。
林檎のタレとドレッシングを作るために、エプロンをした花とケリーと伊織がいた。
トニエルとリルトが再会して二日目。
トニエルは午前中から来訪する気満々だったけれど、同じ時間に花にちょっとした料理を教わる約束を伊織がしていた。
なので午後からならと伝えたところ、ケリーが興味を持ったらしく参加したいと言われて今に至る。
花はトニエルにもケリーにも物怖じしなかった。
現在アルファ二人は邪魔だと、花によって食後のデザートの買い出しに追い出されている。
花の持ってきた予備の赤いエプロンを身に着けたケリーが真剣な顔で玉ねぎをすり下ろしている。
「うー……目が痛い。でも林檎のタレなんて食べたことないから楽しみ」
「豚肉と相性がよくて美味しいよ」
花の言葉にケリーが俄然やる気を出す。
伊織の方は林檎をすり下ろす手を動かしていた。
「林檎のドレッシングも食べたことないや」
「あんたが食欲出てきたのはよかったよ。肉もついてきたし」
「リルが少量ずつ種類作ってくれるから食べるの結構好きになって。でも手伝ってみたら凄く手間かかってるんだよ」
はじめてリルトの家に来てから食事作りを手伝ったら工程が沢山あって驚いたのだ。
同時にこんな手間暇を毎回かけてくれたのかと思うと、嬉しく思ったし感謝もした。
「まあそうだろうね。同じものを大量に作る方が楽だよ」
花の言葉にケリーが手を止めた。
そうなんだと不思議そうにしている。
「料理しないからわかんないや。でもそんな手をかけてくれるなんて素敵な恋人だ。なんでまだ仮なの?」
「こ、こいびとじゃないよ!」
「え!違うの?」
思わぬ言葉にひっくり返ったような声を出すと、それ以上に大きな声をケリーが驚いた様子で返した。
そんなふうに驚かれても違うものは違う。
恋人(仮)だ。
「俺の体調考えて側にいてくれてるんだ。それだけだよ」
「えぇ!まさかキスは?」
「してないよ!」
あけすけな質問は花もいるのだからやめてほしい。
(そりゃ口以外はしてるけど!風呂も一緒だけど!寝るのも一緒だけど!)
それでも正式な恋人ではない。
顔を真っ赤にして全否定すると、ケリーは絶句していた。
「うっそ」
「だって俺が運命のオメガなんて、貧乏クジもいいとこだろ」
「えぇ、そんな言い方よくないよ」
眉をひそめるケリーに一瞬ぐっと詰まったけれど、伊織は「俺の体のことは聞いてる?」と尋ねた。
ケリーがこくりと頷いてくる。
「一応。無理させないようにって聞いた」
「じゃあわかると思うけど、俺オメガとしてはポンコツで価値ないんだよ」
つらつらと口にすると視界の端で花の眉根が寄った。
ケリーも眉間に皺を寄せると、腰に手を当てて憤慨してきた。
「何言ってるの、義兄さんは今の伊織と一緒にいることを選んだから、それありきで好きなんでしょ!その言い方だと選んだ義兄さんに不良品に熱上げて馬鹿だなって言ってるようなものだよ!」
「そこまでは……」
「よく言った!その通りだよ」
ケリーの剣幕に手を止めて一歩後ずさると、花がよく通る声で称賛した。
うんうんと深く頷いている。
「花ちゃん?」
「あんたは自分のことを価値がなくて当たり前と思ってる。あの環境で育ったんなら仕方ないけど改めな」
ビシリと指を突きつけられる。
いつもとは違う真剣な剣幕に、伊織はぎこちなくへらりと笑おうとして笑えず奇妙な表情になった。
「やだな、俺図太いの知ってるでしょ。そんな悲観的じゃ」
「誤魔化して鈍くなって自分を守ってるだけだよ。無意識なのかずっと卑下したことしか言ってない」
「そんな、こと」
だってそれが普通で、当たり前のことだ。
卑下なんてしてない。
事実しか言ってない。
ふる、と小さく首を振っても花の視線の強さは変わらなかった。
「リルト先生がいるんだ、受け止める気概もあるだろ。自己評価を改善して他人に価値があると思われることを受け入れな」
花のキッパリとした言葉に伊織は絶句してしまった。
伊織は自分に価値があるなんて考えたこともない。
だって最初からそう思ってたら、わざわざそれを突きつけられても傷つかないから。
結局何も言えず、そのあとはぼんやりと過ごしてしまった。
せっかく作った林檎を使ったタレやドレッシングの昼食も覚えていない。
リルトがとても心配してくれたけれど、うまく説明できなくて結局昼食が終わったら解散になってしまった。
トニエルに悪いことをしたなと思う。
そのまま頭がまわらなくて二、三日ぼーっとしてしまったので、通院日じゃないけれどリルトに病院に連れてこられてしまった。
「発情期の兆候が出てますね」
日下部の言葉に驚いた。
「発情期……」
「ぼんやりしてしまっているのはフェロモンの数値が大きく変動しているからですね。はじめての発情期は不安定なものだから、この状態も症状の範囲内です」
隣に座っているリルトがあからさまにほっとした顔をした。
そういえばここ数日ひどく心配させてしまったなと、申し訳なく思う。
「発情期……くるんだ」
ぽつりと零せば、日下部が緩やかな雰囲気で頷いた。
「ちゃんと発情期を迎えればひとまず体は安定するはずです。予想より回復が早くてよかったです。クランベルさんとの相性がよかったんでしょう」
確かに甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
信頼できるアルファが側にいると回復しやすいとも言われた。
何だか自分ばかりが恩恵を受けている気がして、少しモヤりとする。
「二日以内に本格的になるでしょう。発情期は……」
チラリと日下部がリルトを見やる。
「少し二人で話をしても?」
「では以前使っていた面会室を使ってください」
日下部の指示に頷くと、連れだって診察室を出た。
右手を取られてゆっくりと入院中に慣れた道筋を歩く。
(そういえば歩くときいつも手を繋がれてる)
気づいてしまうと、何だかそこに意識が集中してしまった。
大きくて温かい手。
多少の接触なら慣れたはずなのに何故か頬が熱くなり伊織は俯いた。
面会室で椅子に座っても手は握られたままだった。
「伊織、発情期のことだけど、一緒にすごさせてくれないか?」
「一緒?発情期って……性欲が酷くなるんだっけ?いまいち想像出来ない」
「伊織は薬の副作用で性欲もなかったんだよね?」
確認されて、恥ずかしさに俯いて小さく首肯した。
正直まともに勃つこともほとんどなかったし、不便もなかったので気にしたこともない。
「でもオメガの発情期は一人だととても辛いと聞く。負担を軽くするだけで絶対に抱いたりしない。どうしても嫌だと思ったら離れる。だからギリギリまで側にいさせてほしい」
真剣に懇願してくるリルトをぼんやり見つめ返す。
また可愛い顔してるなんて見当違いの感想が出てきて困った。
伊織がそれに弱いのを知ってて、ずるいと思う。
「よく、わかんない。ぼうっとする」
「発情期の準備期間に入ってるんだ。ちゃんとオメガの講習受けてるから安心して。準備ははちゃんと出来るから」
「準備……一緒にいるの?」
「……嫌?」
そっと顔を覗き込まれた。
嫌かなどうかなと考えながら、無意識でその輝く金髪に手を伸ばしていた。
頭を撫でると驚いた表情を浮かべたリルトが、嬉しそうに笑う。
その顔を見たらほっと力が抜けた。
「発情期よくわかんないけど、リルがいるなら大丈夫な気がする」
だっていつも真綿に包むようにしてくれる。
リルトの側は安心する。
だから、発情期も一緒なら何とかなるんじゃないかと思った。
「ありがとう、絶対に伊織の嫌がることはしない」
額にキスを落とされて、とろりと微笑まれた。
その後は日下部に注意事項なんかを聞いて帰った。
それからは大変だった。
体温が少しずつ上がると聞いていたのに、発熱するように一気に上がってしまった。
そして体力を温存するために沢山睡眠をとるようになるとも聞いたのに、体温が一気に上がった具合の悪さと暑さでまったく眠れない。
おまけに発情期中は食事がおろそかになりやすいらしく、オメガは栄養を蓄えるために沢山食べるしそれが重要だとも聞いていたのに、熱でいつも以上に食べられなかった。
性欲が高まったかどうかなんて、伊織にはさっぱりわからずひたすら具合が悪いばかりだ。
準備期間が聞いていた通常のものと違いすぎてリルトが病院に連絡をとる始末だった。
衰弱する可能性が高くて危険だからと結局緊急入院が決まってしまった。
伊織の体は抑制剤を飲めない状態だから点滴と睡眠薬で強制的にベッドに拘束されて過ごした。
そのあいだは意識が混濁していて、五日後に頭が元に戻ってスッキリしても入院中のことはまったく覚えていなかった。
「うまくいかなかった……」
ベッドに上半身を起こした状態でぽつり呟くと、ベッド横に座っているケリーが苦笑した。
オメガ病棟。
しかも発情期で入院したのでオメガ以外は面会謝絶になっているらしい。
わざわざケリーが様子を見に来てくれた。
「体治ったと思ったのに」
「発情期は人それぞれだから、問題ない人もいれば大変な人もいるよ」
「そうなの?ケリーは……」
どうなんだろうと聞けば、ケリーはバツが悪そうに指先で頬をかいた。
「あー……俺は色々と恵まれててさ、そういうので困ったことないんだ」
「そっか」
参考にはならないらしい。
ケリーはオメガとして問題なく発情期を迎えているのだろう。
「義兄さんが心配してたよ。まさかこんなに弱るとは思わなかったんじゃない?」
「性欲凄くなるって聞いたけど、欠片もなかった。ただただしんどかったよ」
「まあ個人差あるからさ。慣れれば通常通りのものがくるようになるよ」
面会時間は限られていたので、そこまで話すとケリーは帰っていった。
誰もいなくなった病室で、深々とため息を吐く。
シーツを思わず握りしめたら深い皺が寄った。
「オメガなのに発情期に発情しないどころか、意識混濁って……欠陥品にも程がない?」
リルトの顔を思い出す。
発情期がくるとわかった時の真剣な顔。
「一緒にいてくれるって言ってくれたのにな」
ぽつんと零した声は静かな病室に頼りなく落ちた。
「ちゃんとしたオメガじゃないから入院なんて大げさになったし……」
自己嫌悪が酷かった。
発情期がくるならてっきりもう回復したものと思い込んでいたから余計に。
リルトに顔を合わせづらい。
もう一度大きく伊織はため息を吐いた。
結局、はじめての発情期は不安定だから様子を見ると言われてさらに三日も入院した。
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