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 待ち合わせのホテルのラウンジに入ったら、店員にすぐさまテーブルに案内された。
 すでに相手は来ているらしい。
 窓際のテーブルに近づくと、座っていた一人が立ち上がった。
 リルトほどではないけれど身長がある。
短い髪は金色だから、彼が弟だろうか。

『兄さん』

 英語で呼びかけた彼は二十代前半に見える。
 来ているスーツはいかにも高そうだ。
 リルトに足早に近づくと、ガバリと豪快に抱き着いた。
 これがハグ文化かと驚いてしまった。
 さすが外国人。
 彼はリルトと同じ紺碧色の瞳をしているけれどたれ目なせいか、あまり似ていなかった。

『番が見つかったと。おめでとう』
「まだ仮だからな」

 彼が英語で話しかけるのを、リルトは日本語で返した。
 伊織を気にしてくれているのかと思ったら、弟の方が伊織を見て今度は日本語を口にした。

「でも一緒に暮らしてるんでしょ。そちらの方が?」

 慌てて伊織はぺこりと頭を下げた。

「はじめまして。町田伊織です。日本語上手ですね」
「兄がいる国だから気になって勉強したんだ。はじめまして、トニエル・クランベルだ」

 右手を差し出されたので握手なんか慣れていない動きでぎくしゃくと握り返した。

「こっちは番のケリーだ」

 トニエルが目線を向けた先で、テーブルにもう一人座っていたらしい。
 立ち上がったのはトニエルと同い年くらいの青年だった。
 赤い髪に青い瞳の可愛らしい顔立ちをしている。
 まさしくオメガのイメージそのままな中性的な外見だった。

「はじめましてケリーだ。よろしく」
「よろしくお願いします」

 ケリーとも握手を交わしてテーブルへと席につく。
 トニエルの番だというケリーを見ると、とても自分は同じオメガとは思えなかった。
 弟の番がこんなオメガらしいオメガなのに、リルトは自分なんかでよかったのだろうかと本気で心配になってしまう。
 居心地悪く隣のリルトを見やると、緊張していると思われたのかテーブルの下できゅっと一瞬手を握られた。
 その体温にほんの少し力が抜ける。

「言った通り体調が不安定なんだ。無理はさせるなよ」
「もちろん、ケーキは食べれる?」

朗らかに笑ってトニエルがメニューを差し出してくれたので頷いて受け取った。
甘いものはリルトと出会ってからよく食べるようになったけれど、腹にたまりやすい。
ムースの方が食べやすいかなと思いチーズのムースと紅茶を頼んだ。
トニエルとケリーも同じケーキを頼み、リルトだけコーヒーのみだ。
すぐに運ばれてきたそれらがテーブルに並べられてから、トニエルは好奇心旺盛な表情で笑みを浮かべた。

「兄さんとの生活はどう?あ、敬語はいいよ、話しにくいから」
「よくしてもらってる。食事するの苦手だったけど一口サイズのお弁当作って面会のたびに持ってきてくれたりした」
「そっか、兄さん料理得意なんだ」

 にこにこと相槌を打つ様子は、何だかとても嬉しそうだ。
 リルトと同じように犬属性に見えるけれど、リルトみたいに子犬には見えない。
 ケーキを口に運ぶケリーもにこりと愛想よく口を開いた。

「伊織はオメガのことあまり知らないんだよね。気になることあったら何でも聞いてね」
「ありがとう」

 そうかと思う。
 オメガのことはざっと教えてもらっただけで、具体的なことはそこまで知らないのだ。
そのあとは主にトニエルがリルトに色々と話かけていた。
この短時間でもわかってしまった。
トニエルは兄が大好きなんだと。
一時間もするとリルトが腕時計に目線を落とした。

「お前まだ今日はやることあるんだろ?」
「ええ、なのでそろそろ……明日家にお邪魔していいかな?行ってみたい」

 トニエルの言葉にリルトがあからさまに眉を顰めた。
 それにむっとトニエルが唇を尖らせる。
 リルトよりも表情がよく変わって人懐こい印象だった。

「久しぶりなんだから、ちょっとくらいいいでしょ」
「久しぶりなの?」

 そんなに会っていないのだろうか。
伊織の疑問に答えたのはケリーだった。

「義兄さんが十八で家を出る話したときが最後だね」
「え!会わなすぎじゃない?」

 思わず声が大きくなってしまった。
驚きだ。
 仲が良さそうなのに。

「ああでも大学出てからはアメリカと日本なんだっけ。それじゃ遠いか」
「そうなんだよね」

 トニエルが寂しそうに眉を下げた。
 リルトのように可愛いとか子犬だとかほだされるとかはまったくなかったけれど、しょんぼりしているので思わずリルトを見てしまった。
 ケリーの言う通りなら十年くらいまともに会っていないということだ。
 その視線にリルトははあと嘆息したあと、しょんぼりしているトニエルへ目線を向けた。

「明日来るんだな」

 リルトの言葉に、トニエルがぐっとなる。
 そして恐る恐るリルトを見やった。

「いいの?」
「伊織さえよければ」

 リルトの視線が向けられたので、伊織は頷いて見せた。

「俺はかまわないよ。ぜひどうぞ」

 トニエルがほっとしたように肩から力を抜くと微笑んだ。

「ありがとう、そうさせてもらうよ。じゃあ悪いけど今日はこれで」

 トニエルが立ち上がると、ケリーも立ち上がった。
 慌てて伊織も立ち上がろうとしたけれど、手で制される。

「支払いはしておくからゆっくりして。また明日」

ケリーに小さく手を振られたので振り返すと、トニエルも軽く手を上げて二人は立ち去った。
二人がラウンジから出て行ったのを視線で見送ってから、ほうと一息つく。
「なんかお兄ちゃん大好きって全開だったね」
 微笑ましくて笑ってしまうと、リルトは何だか複雑そうな表情だった。

「どうかした?」
「いや、予想外すぎて……交流はトニエルが十歳で俺が十五のときに終わったから」
「え、そうなの?仲良さそうだったのに」

 意外だと眉を上げると、リルトが複雑そうに首の裏をかいた。

「うーん……微妙な話なんだけどな、前も言ったけど結構でかい企業の跡取りだったんだ。両親はベータだったからアルファだって喜んで、十五歳まで跡取り教育受けてた」
「なんか大変そう」
「自分の時間はほとんどなかったかな」

 リルトは苦い笑みを浮かべて残っていたコーヒーを口に運んだ。

「その頃も俺はマッチングを待ってたけどまだ十五だし、希望を持ってた。十歳のトニエルがケリーとマッチングしたんだけれど、番を持ったアルファは遺憾なく能力を発揮する。番効果を狙ってトニエルが跡取りになったんだ」
「マッチングしただけで?」

 何だか理不尽だ。
 思わず伊織は眉をひそめてしまった。

「アルファは身を固めてこそって考えが結構あるんだよ」
「だからってそんな簡単に……あ、暇になったから読書したって」
「うん、跡取りの勉強とかが一切なくなったから。それまで分刻みだったのに持て余して大変だった」

 なんだかその表情が寂し気に見えて、思わず伊織はテーブルに置かれていたリルトの手に手を重ねた。
 ぎゅっと握ると、小さく笑って表情から苦みがなくなったことにほっとする。

「まあそのあと小説にハマって作家になったから、むしろトニエルに変わってラッキーだったと思ってるよ」
「えと……交流なかったのって、嫌いになった、とか?」

 聞くのはためらわれたけれど、おずおず尋ねればいいやと否定された。
 それに少し安心する。

「離れたのはトニエルからだ。俺が番を強く望んでたのも、跡取りとして忙殺されてたのも知ってたからな。それが全部自分の物になって引け目を感じたみたいだ」
「あー……そうだね、そうなるよね。リルのこと凄く好きそうだったし」
「あと仮番でフリーのアルファの傍に自分のオメガを置きたくないってのも、気持ちがわかるからな」
「そうなんだ?」

 アルファのこだわりだろうか。
 よくわからないという顔をしたら、そういうものだと言われた。

「トニエルはフリーじゃないから今日会ったけど、フリーだったら会わせなかった。アルファはそういうものなんだ。だからまあ、距離が出来ても仕方がないと思ってこっちからは関わらずにいた」
「でも番になったあとに会わなかったの?」
「それなあ……」

 はああと今までの比じゃないくらい盛大にため息を吐かれてしまった。
 何か面倒くさいことでもあったのだろうか。

「アルファは二十過ぎたらマッチング諦めてベータかアルファとくっつくんだ」
「言ってたね」
「俺は諦めきれなくて待つことを決めてたんだけど、周りが凄くうるさくてさ。妥協しろとか独り身のアルファはみじめだとか」
「そんなこと言われるの?」

 目を丸くすると、リルトは言われると頷いた。
 アルファというだけで独り身を許されないなんて、まったく知らなかった事実だ。
 だったら二十八まで独り身のリルトは、さぞかし外野がうるさかったのだろうとうかがい知れた。

「あんまりうるさいから、相続権とか放棄して俺の人生に口出ししないように両親と縁を切って、そのまま吹っ切れて日本に来たんだ」
「思った以上にごたごたしてた。そりゃあ声をかけにくいね」
「まあそうだな。それで俺がマッチングしたこと知って、何か塞き止めてたのが外れたのか追いかけてきた。あんなの十歳以前の頃みたいだ」

 やれやれと言いたげなリルトだけれど、瞳は優しい。
 弟との交流は嬉しいものだったのだと思わせた。

「きっと本当はずっと仲良くしたかったんじゃない?日本語あんなに話せるんだもん。共通の話題とか探したんじゃないかな」
「かもな」

 くすりと、仕方ないと言わんばかりに笑う。
 その顔は見たことのない兄としての顔だった。

「これからは仲良くしたら?」
「まあ、弟だしな」

 弓なりに口元にカーブを浮かべるリルトに、伊織も笑ってみせる。
 まだ重ねている手をきゅっと握りしめた。
 知らなかったことを知って、胸の奥がいっぱいになる。
 酷いことを沢山言われたのに、伊織と出会うまで待っててくれたのだ。
 嬉しい。
 心がポカポカする。
 でもそれと反対に沈む気持ちもあった。

(ずっと待ってた相手が俺で、ごめんね)
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