君と運命になっていく

やらぎはら響

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 そして退院当日の病室。
 花の買ってきてくれた着替えなどの荷物をまとめた大きな紙袋を二つ持って病室を出ようかなと思っているとリルトと花がかち合った。

「あなたがマッチング相手のアルファかい?」
「あなたが花?伊織の恩人の」

 花のことはポツポツとリルトに話していたので、大体の関係は知られている。
 リルトの視線の先で、花はいつも通りの態度でフンと鼻を鳴らした。

「恩人なんかじゃないよ。ただの近所のババアさ」

 またそんな言い方をすると唇を尖らせたあとに、伊織は二人のあいだに立った。

「花ちゃんはリルのファンなんだよ」

 伊織の言葉に、リルトはパチリとまばたきをしてから花へと笑いかけた。

「嬉しいな」
「余計な事言うんじゃないよ、まったく」

 ちょっとバツが悪そうにしている花に、伊織は目元を緩めた。
 素直じゃないのはいつものことなので、いっそ微笑ましい。
 そんな伊織の視線からプイと顔を背けて、花はリルトを真剣な顔で睨み上げた。

「リルト先生」

 さんづけでなく先生呼びなことに、尊敬とファン心理が見て取れる。
 思わずほっこりしたけれど、バレたら怒られそうだから伊織は素知らぬ振りをした。

「運命の番らしいね。一緒に暮らすのはそれが理由かい?」
「運命だとときめいたけど、そのあとは伊織との交流で好感を持ったんだ。今は信頼されたいし力になりたい」

 思った以上に真剣な声での返答に、伊織は驚いてリルトを見た。
 その顔も真摯なもので、軽口や冗談のたぐいは一切含まれていなかった。
 その誠実さに伊織は胸の奥が高鳴ったけれど、そんなことバレたくなくてこっそりと手を握りしめてやり過ごした。
 花がじっと睨みつけるように目の前の男を見つめると、リルトは少し悪戯気に小さく笑った。

「伊織は俺を可愛いと言うんだ。そんなこと言って甘やかしたのは伊織が初めてだ」
「……こんな大の男のどこが可愛いんだい」
「子犬みたいにシュンとした顔するとついほだされるくらいには、可愛いと思うんだけど」

 伊織が思わず口を挟むと、花が嫌そうに顔を顰めた。

「ほだされてるんじゃないよ。手綱はしっかり掴みな」
「えぇ……俺なんかには勿体ない人だし、手綱掴むなんて無理だよ」

 眉を下げると、リルトが伊織の手を取った。
 何だと思うと、わずかに眉が寄っている。

「なんかじゃないよ伊織」

 思わず苦笑してしまう。
 気遣わせてしまった。
 事実なんだからスルーしてくれてかまわないのにと思う。
そんな伊織の様子をジトっとした目で花が横目に睨んだ。

「相変わらずだねあんたは。リルト先生、あんたに伊織を任せて大丈夫なのかい」
「少しずつでも意識改革していきたいと思ってるよ」
「……ふん、いいだろう」

 何だか二人で分かり合っている。
 何の話なんだと首を傾げるも、二人は説明はしてくれなかった。
 そのあとに、これから住むリルトの家は花の家から電車で一時間くらいしか離れていないことがわかった。
 リルトがいつでも伊織に会いにきてほしいと言うと、花は「気が向いたらね」とそっけない返事だった。
 そのまま花とは別れてリルトの車で移動した。
 到着したのは閑静な住宅街にある白い壁に青い屋根の一軒家だった。
 車庫に入れた車から降りて、伊織はぽかんとその二階建てを見つめた。

「マンションじゃなくて一軒家なんだ」
「本や資料が増えるたびに引っ越しするのが面倒になってね。数年前に借りた」
「そっか、確かに花ちゃんも本の量凄かった。読書用以外に仕事の資料もあるなら、凄い量になりそう」
「そういうこと」

 玄関の鍵を開けて中に入ると、外から見てもわかっていたけれどなかなか広々としていた。

「入って、案内するよ」

 伊織の荷物を手にしたリルトの後ろをついて、風呂やトイレ、書斎なんかも通りながら家の中を案内される。

「ここが伊織の部屋だよ」

 言いながら二階にあるこげ茶色の扉を開けると、そこは家具だけがある部屋だった。
 それなりに広く、机や本棚、ベッドがある。

「用意してくれたんだ、ありがとう」

 中に入って見回すと、窓には青いカーテンがついていた。
 リルトの色だなあとのんびり思っていると、紙袋をベッドに置いたリルトがどこか歯切れ悪そうに口を開いた。

「うん……それで、相談があるんだ。伊織のベッドは一応準備したけどよければ俺の寝室で一緒に寝たい」
「一緒に?」
「うん。隣で寝たい」

 ハッキリキッパリ主張された。
 伊織は言われたことを何とか咀嚼して脳に回すと、ひとつの疑問が浮かび上がる。

(俺はリルと恋人になったのか?違うよな……でも仮にも番だから恋人(仮)なのか?)

 恋人じゃないなら一緒に寝るのはおかしいけれど、この場合はどうなるんだ。
 ぐるぐる考え込んで黙り込んでしまった。

「ごめん伊織、そんなに悩ませるつもりじゃなかった。断ってくれていい」

 シュンとするリルトに萎れた尻尾の幻覚が見える。
 どうしよう罪悪感凄いと思いつつ、一緒に寝るのは嫌かと考えたら特にそんなことはなかった。

「ええと、仮番ってことは仮の恋人になるって認識であってる?」

 とりあえず浮かんだ疑問を口にすると、パッとリルトが伊織の顔を見た。
 その紺碧色の瞳は期待に満ちている。
 これは裏切れないな、などと眩しい眼差しに耐えた。

「仮でも恋人なら、一緒に寝てもおかしくない、のか、な?」
「おかしくない!」
「食い気味。えっと、じゃあ、うんいいよ。一緒に寝よう」

 リルトの顔がパアアと輝いた。
 ただでさえ整った顔が眩しいほどだ。

「ありがとう伊織!」

 ガバリと抱きしめられて頬と額にちゅっちゅっとキスが降ってきた。
 喜びようが凄い。
 見えないはずの尻尾がぶんぶん振られているようだ。
 恥ずかしさからぐいぐいと腕から何とか抜け出すと、残りの部屋も案内してもらった。
 時刻はもう夕方だ。
 料理はリルトが作ってくれるというので、台所で見学させてもらった。
 料理が作られる光景を見るのはほぼ初めてだったから、結構面白かった。
 爽子は一人で外食が中心だったし、子供に食事を作るような母親じゃなかった。
 なのでもっぱら、コンビニやスーパーの溺愛だったのだ。
 食事も終わったあとにせめて皿洗いを申し出たけれど、食洗器があるので必要ないらしい。
 結局上げ膳据え膳でいいのだろうかと思っているあいだにリビングのソファーでくつろぐことになった。
 しばらくまったりしていると湯舟が沸いたと電子音が響いた。
 こんなお知らせ音がなるのかと関心してしまう。

「湯舟浸かるんだな」
「日本の入浴文化って素晴らしいと思うよ」

 どうやらリルトは日本式の風呂が好きらしい。
てっきりシャワーのみかと思っていたので意外だった。

「俺シャワーしか浴びたことないや」
「そうなのか?」

 驚いたリルトに伊織は肩をすくめて見せた。

「なんかやることなすこと母さんの気に障ったみたいで、家にいるときは部屋から出たら怒るんだよね。だからシャワーで三分が基本」

 今までの生活を説明すると、あからさまにリルトの眉が寄った。
 どうやらご機嫌斜めスイッチを押してしまったらしい。

「どうかした?」
「いや、それなら今日はゆっくり風呂を楽しもう」

 言うなりひょいと抱えられた。

「え!どういうこと!」
「一緒に入る」
「何でそうなったの?一人でいいよ一人で!」

 あわあわしている間に、さっさとリルトが先ほど案内された洗面所へと歩いていく。
 降りようとしてじたじたと蠢いても、その腕はまったく揺るがなかった。

「湯舟に慣れてないのなら、のぼせたら危ない」
「いやいや俺はシャワーで済ますから」
「却下」

 ええ、と困惑で呻くと洗面所に辿りつき下ろされた。
 そんなに簡単に上げ下げしないでほしいなと思う。

「自分で脱がないなら脱がせるよ」
「強引すぎる」

 はあと大きく息をついた。
 そしてリルトを見ると有無を言わせぬ笑顔だ。
 いつもは子犬なのにと思いつつ、ここまで来たならもういいかと渋々脱ぎだした。
 それに気を良くしたリルトも着ていたシャツを脱いでいく。
 盗み見るとその体はしっかりと引き締まっていて、しなやかに筋肉がついている。
 自分の小枝のような体との違いに啞然として、伊織はこっそり見ていたのも忘れて思いっきり凝視してしまった。

「どうした?」

 ズボンも下着も脱いでしまったリルトはどこもかしこも逞しい。
 下半身もとても立派だ。
 すべて脱ぎ捨てたばかりなのに伊織は何だか今すぐ服を着たくなった。

「なんで作家なのに筋肉がしっかりあるんだ」
「体力落ちると執筆ペースも落ちるからね。運動は欠かさないんだ」

 作家なんて籠って机に向かってるだけじゃないのかと関心した。
 リルトの隣に並ぶと自分の瘦せっぽちが際立つような気がして腕を見下ろすと、リルトがそっとその腕を取った。
 長い指が回ってしまうくらい頼りない。

「まずは十キロは増やさないと」
「そんなに増えなくていいから」

 入院した頃に比べたら体重は順調に増えているのだ。
 健康になったのもひとえにリルトの手作り弁当のおかげだと思っている。

「ほら入ろう」

 真剣なリルトを促して、浴室へと入った。
 もくもくと湯気があって、それだけで自分がシャワーを浴びるときとは違うなと思う。
 まずはと思ったら、リルトに髪をひと撫でされた。

「髪を洗わせて」
「ええ?髪短いし、楽しいのそれ」
「楽しい」
「……いいけど」

 断言されてしまっては断りにくい。
 頷けばニコニコ顔になった。
 椅子に座ってすぐに洗われだしたけれど、ベリーショートなんてすぐに洗いあがってしまう。
 それでも満足そうだったので、気持ちよかったしまあいいかと思った。
 そのあとリルトも手早く髪と体を洗った。
 それを横目に伊織も体を洗い終えると、リルトが湯舟へと入る。
 そして手を差し伸べられた。

「おいで」

 お湯に浸かるなんて伊織には未知だ。
 恐々手を取ると「怖くないよ」と宥められてしまった。
 足先からゆっくりお湯に入り、誘導されるままにリルトの足のあいだに座る。

「並ぶんじゃないの?」
「こっちの方が足を伸ばせる」

 反論しにくい。
 結局大人しくそのまま腕を引かれて、リルトの胸にもたれかかった。
 ガッシリしていてびくともしないことに吃驚する。

「うあーあったかい」

 思わず声が漏れた。
 クスクスと頭上から声がする。

「気持ちいい?」
「プールにも入ったことないから変な気分」
「それも母親が?」
「なんか行事とかも参加駄目だったけど、とにかく一人でいろ、人と関わるなって方針で普段から制限が凄かった」

 するりとリルトの大きな手が腹部に回された。
 素肌に人が触れているなんて、今までの生活なら考えられなくて不思議な感覚だ。

「本当碌なことしない」

 まるで唸るようにリルトがここにはいない母親に苦々しく吐き捨てる。

「あはは、おかげで嫌われてるんだろうなとは思ってたよ。自分がオメガだったのを隠されてたのは驚いたけど」
「……しんどくはなかった?」
「特には。花ちゃんいたし、産まなきゃよかったが口癖だったせいか嫌われるのにも慣れた」
「伊織」

 腹にまわっていた手がそのままぎゅっと抱きしめてきた。
密着した体と、リルトの唇が耳に触れてドキリとする。
お湯の熱さでなく体温が上がった気がした。

「俺は君に会えてよかった。君に会えて嬉しい。俺を可愛いなんて言う君にどんどん惹かれてる」
「へ?何急に」

 何だ何だと思っていると、突然ぼろりと目から涙が零れ落ちた。
 滲んだ視界に驚いても、あとからあとから溢れてくる。

「え、なに、えぇ?」

 突然の涙腺崩壊に動揺してうろたえていると、リルトが顔を覗き込んで目元にキスを何度も落としていく。
 それでも涙は止まらない。
 どうしたらいいかわからず、伊織はわざとらしく目元をこすってあははと笑った。

「やだな、何これ。俺図太いから母さんの言うことなんて気にしたことないのに」
「伊織、言葉は毒にも薬にもなる。言われた言葉は蓄積するんだ。泣いてもおかしいことじゃない」

 そんなこと言われても。
 頭を振ってぐいぐいと目元をこすった。
 図太いからあの環境に耐えられた。
 今さら泣いても仕方ない。
 両手で乱暴に目元をこするのをリルトが腕を掴んで止めた。
 滲む視界の向こうで額をこつりと合わせられる。

「大丈夫、泣いてもいい。しんどくてもいいんだ」

 ふるふると拒否をするように首を振っても、なだめるように濡れた頭を撫でられた。

「少しずつでいいよ」

 結局泣き止むまでずっとリルトからのキスの雨を受けた。
 何とか泣き止んで風呂から上がりそれぞれグラスで水を飲む。
 伊織の目元は真っ赤になっていた。
 冷やすか聞かれたけれど、どうせ外出なんてしないので断った。
 まさかいきなり泣くなんてと不甲斐ない気持ちでいっぱいだ。
 変なところを見せてしまった。
 こっそりため息を吐くと、空になったグラスをリルトが伊織の手から抜き取った。
 それを自分の分と一緒にシンクに置く。

「伊織、寝室へ。仮契約をしよう」

 仮契約。
 その言葉にドキンと胸が緊張を帯びる。
 忘れていたわけではないけれど、泣いたことですっかり隅に追いやっていた。
 ぎこちなく頷くと、そっと背中に手を当てて寝室までエスコートされた。
 リルトの寝室は大きなベッドとサイドテーブルしかなかった。
 長身のリルトがゆとりを持って寝るためだろう。
 白いシーツの上にぎくしゃくと腰かけると、隣にリルトが腰を下ろした。
 いつも面会室でお弁当を食べる距離と同じはずなのに、緊張する。

「えっと、噛む、だけ?」
「だけだよ。体液流し込むからちょっと強めに噛むけど、それだけ我慢して」

 それでサイドテーブルの上に救急箱があるのかと納得した。

「項こっちに向けて」
「ん」
「噛むよ。いい?」

 まるで土壇場で逃げてもいいよと言われている気がして、伊織はくっと唇を引き結んだ。
 こくりと頷くと、項に吐息がかかる。
 ザワリと肌が粟立った瞬間、歯を突き立てられた。

「う、あ」

 項が熱くなって頭が一瞬真っ白になる。
 けれどそれも一瞬で落ち着くと、あとはじくじくとした痛みだけだった。

「終わった?」
「ああ」

 おそるおそるリルトに向き直ると抱きしめられた。
 金色の髪が頬に当たって少しくすぐったい。

「受け入れてくれてありがとう」
「こっちこそ、俺なんか気遣ってくれてありがとう。色々面倒くさいだろうに」
「面倒なんかじゃない。俺が伊織を大事にしたいんだ」

 そっと体を離されると、目線を合わせられた。
 柔らかく笑っているのに、その瞳は熱を帯びて見えて落ち着かない気分にさせた。

「大事にって……」
「大事だよ」

 そっと額にキスをされる。

「俺はもう伊織のことがすっかり好きなんだよ」
「好き?」

 まぬけな表情を浮かべてしまった伊織に、まるで糖蜜のような甘さを含んだ眼差しが見つめてくる。
 何だかひどく恥ずかしい気持ちになった。

「こんな図体でかい男を可愛いって甘やかす君が、心配だし愛しくなる」
「いや可愛いんだから仕方なくない?心配なら控えてよ」
「やだ。甘やかしてくれるなら、存分に甘える」
「心配とか言ったくせに」

 ぶうと唇が尖ってしまった。

「俺にとって君は大事な人だ。唯一だって思う」
「大げさだよ」
「覚えておいて、君は大事な人なんだ」

 念押しするように噛んで言い含められる。
 その甘やかともいえる言葉に、心の柔らかい部分を撫でられたように感じて温かくなった。
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