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ジェニファーとの別れ
しおりを挟むまだ妻帯者だったときでさえ、ジェニファーとの情事は明るく楽しいものだった。
俺たちは罪悪感など少しも覚えずに、ベッドで愉快な時間を存分に楽しんだ。
だのに、結婚が可能になった今、なぜこんなに哀しく切ない想いでジェニファーを抱かなければいけないのだろう。
輝くプラチナブロンドの髪にふれるのも、今夜が最後になるのだろうか。
ジェニファーの淡いピンク色の唇を強くむさぼった。
チクショー!!
今夜はおまえのすべてを食い尽くしてやる。
切ない想いで気持ちが高ぶり、異様な興奮を覚えた。
俺の背中に爪を立てたジェニファーの息づかいに、気持ちは更にエスカレートしていった。
翌朝、ショーンの泣き声で目を覚ました。
フライトでの不眠と、昨晩精力を使い果たしたことで、爆睡はできたものの、ひどく疲れを感じた。
時計を見ると午前八時を過ぎていた。
ずっと寝ていたかったが、正午過ぎの飛行機で帰らなければいけない。
寝室のブラインドから明るい日差しがもれていた。
今日もサンタモニカは眩しいほどの快晴なのだろう。
俺の気分とは対照的だな。
どんな言葉を使ってみても、結局ジェニファーを説得することは出来なかった。
サンタモニカから離れたくないという、それだけの理由ではない。
俺が言うのもなんだけど、あいつは結婚に向いてない。
俺以上に自由を求める人間だ。
若いというだけでなく、何者にも束縛されたく無いのだろう。
あと十年もしたら、少しは落ち着いた生活に価値を見出すようになるだろうか。
だけど、さすがにそんなには待てない。
ベーコンと卵を焼いた匂いが漂ってきた。
いつもはシリアルにヨーグルトのような簡単な朝食しか用意しないジェニファーだけど。
気合いを入れて起き上がり、服に着替えてリビングに向った。
「おはよう、料理してるのか? 珍しいな」
キッチンへ行き、慣れない手つきでフライパンを揺すっているジェニファーの後ろから抱きつく。
「パンケーキを焼いてるのよ。美味しそうでしょう?」
こんがりきつね色を通り越した茶褐色のそれは、お世辞にも美味しそうとは言えない。
「焦げてるじゃないか」
「フフッ、少し焦げてるほうが美味しいのよ」
「そんなわけないだろ」
朝からパンケーキなど食べたくはなかったが、最後の食事くらいは円満に済ませたい。
「毎日食べたいな。ジェニファーの料理が」
出まかせを言って首すじに吸いついた。
「ウソばっかりね。和食のほうが好きって言ってたでしょう」
「大事なのは誰と食べるかだろう。おまえとショーンが一緒なら、なんだって美味いよ」
まわした腕に力を込める。
「もう離して。本当にまっ黒こげになってしまってよ」
ジェニファーは俺の腕をすり抜け、フライパンからパンケーキを皿へ移した。
ショーンはベビーラックに座らされて、ミルクを飲んでいた。
「ショーン、朝飯はうまいか?」
ベビーラックにかがみ込んで見つめると、ショーンは飲み終えたミルク瓶を放りなげ、手足をバタバタさせて笑いだした。
やはり自分の息子だけあって、悠李の何倍も可愛く思える。
抱きあげて胸に抱くと、乳児特有の甘い香りがした。
ジェニファーはどんな子育てをするのだろう。
優しくて子ども好きだけれど、教育熱心とは言えない。
家にジッとしていることが苦手だから、ベビーシッターに任せっきりにして、遊びまわるかもしれない。
モデルの仕事だって、あと何年続けられるってんだ。
能天気なあいつは、そんな将来の不安など感じたこともないのだろう。
いずれは再婚でもするつもりか。
まだ若くて美人だから、子連れでも再婚しようと思えばいくらでもできるだろう。
ショーンは義理の父親に虐待されないだろうか。
「さぁ、食べましょう。ショーンはここへ座らせて」
ショーンをベビーチェアに座らせて、テーブルについた。
スモークサーモンのサラダに焼いたベーコンとソーセージ、それにスクランブルエッグ。
パンケーキには生クリームとベリーが添えられて、見た目は美味そうに見えた。
「このスムージーも手作りなのよ」
体に良さげな緑色のスムージーを一口飲むと、ココナッツミルクの香りが強くて、後味がよくなかった。
パンケーキとスクランブルエッグはそれなりで、焼いただけのベーコンとソーセージが一番うまかった。
それでもジェニファーにしては、よく頑張って準備したものだと思う。
ジェニファーの料理には初めから期待もしていない。
これが親子三人、最初で最後の食事になるのか。
食事を終え、やりきれない思いで帰り支度をする。
と言っても、慌ててリュックひとつで来たので、特に荷物もない。
空港までは車で15分ほどなので、まだ時間があった。
「出発まで少し時間があるから、ショッピングにでも行かないか?」
シャワーを浴びたあと、キッチンで後片づけをしていたジェニファーに言った。
「いいわよ、なにが欲しいの? ご家族へのお土産?」
「いや、、おまえとショーンにだよ。なにか記念になるものをプレゼントするよ」
「嬉しいわ。ありがとう!」
急遽ロスに来ることになったので、ジェニファーとショーンにお土産を買ってくる暇もなかった。
このまま別れてしまうのはあまりに呆気なさすぎる。せめて思い出になるものでも贈ってから帰りたい。
アパートを出ると、海辺のほうから爽やかな南風が吹いて、ジェニファーのサラサラな金髪をなびかせた。
真っ赤なルージュをひいたジェニファーは、シンプルな赤のワンピースがよく似合って、ゾクゾクするほど美しかった。
研修を途中で断念した俺は見限られたのかも知らない。
こいつはもっと将来性のある医者を狙っているのではないのか?
アパートから車で10分ほどの場所にあるサンタモニカプレイスは、ロサンゼルスの地元客もよく利用する屋内型ショッピングモールだ。
高級ブランドや百貨店が揃う三階建てで、ジェニファーに連れられて、よくここで買い物をした。
まずベビー服の売り場へ行き、ショーンの服や靴、オモチャなどを購入した。
子供服でも高級ブランドだけあって、中々の値段だった。
ファッションなどに興味がなく、特に趣味もない俺にとって、こういうところは退屈極まりない場所だ。
買い物に夢中のジェニファーの姿が見えなくなって不安になったのか、ショーンがぐずり出した。
ジェニファーはエルメスというブランド店にフラリと入り、悩む事もなくシンプルな黒のバッグを選んだ。
「前からずっとこれが欲しかったの。大丈夫かしら?」
クズっていたショーンがとうとう泣き出す。
「なんだっていいよ。早くしてくれよ」
「ありがとう!!」
泣いているショーンをジェニファーに渡し、財布からクレジットカードを取り出して、女店員へ差し出した。
「何回払いになさいますか?」
「一回で」
「はい、では、23000ドルを一回でお切りしました」
えっ、23000ドルだって!!
ーー嘘だろ。
230万円以上するっていうのか?
このバッグが、、
呆然としている俺に、
「ではここにサインを」
と、ペンが渡された。
なにかの間違いではないのか?
狐につままれたような気分が拭えないまま、聞き返す事もはばかれて、仕方なくサインをした。
包装されたバッグの紙袋を手に下げ、嬉々とした様子で店を出たジェニファーに問いつめた。
「なんでこれが23000ドルもするんだよっ!」
「だって、ケリーですもの。それくらいはするでしょう」
今までジェニファーに物をねだられたりしたことはなかったので、全くの不意打ちだった。
こんなものに230万も出すなど、正気の沙汰とは思えないが、男と女では考え方も物の価値観も違うのだろう。
買ってしまってからグダグダ言うのもみっともないと思い、押し黙る。
まぁ、230万のバッグは高いけれど、エンゲージリングもあげてなかったし、記念に残るプレゼントにはなったわけだ。
本人が気に入って喜んでくれたなら、それが一番いいだろう。
なんとなく、手切れ金を取られたような気分になり、寂しさがつのる。
即決即断のジェニファーの買い物は早かったが、さすがにもう空港へ行かなければ間に合わない時間になった。
慌てて空港まで飛ばして、レンタカーを返却した。
「じゃあ、そのうちまた暇を見つけて会いに来るよ」
検査場の前でジェニファーを抱きしめた。
「ありがとう。ショーンが生まれてわたしは本当に幸せよ。あなたも幸せになってね」
涙ぐんでいるジェニファーに、もう、わたしとショーンのこと忘れてと言われたような気がした。
「……じゃあ、元気でな!」
最後にショーンの頭をなで、後ろ髪を引かれるような思いで検査場へ入った。
一体、何をしにわざわざロスまで来たのかな。
結局、ジェニファーがなにを考えているのかさっぱり分からないままの別れとなった。
ルークやライアンと今後も会うのかどうか知る由もないが、いずれにしてもあいつがこの先、慎ましくシングルマザーなどやってるわけもない。
日本へ来たところで性格や行動が変わるものでもなく、よく考えてみたらジェニファーとの結婚は、俺にとっても難しいものだったに違いない。
あいつにもそれが十分にわかっていたのだろう。
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