盗みから始まる異類婚姻譚

XCX

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44. 闖入者

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 なぜ、どうしてあの奴隷がここにいるんだ。
 リュカの心臓が早鐘のように打つ。鼓動が耳元で聞こえる。本当に心臓が飛び出してしまいそうで、咄嗟に胸を手で抑える。
 蘇芳は、侵入者がバトーの奴隷だと気がついているのだろうか。視線を巡らせ、赤鬼を探す。蘇芳も、驚きに満ちた表情を浮かべていた。彼が侵入者の正体に気づいているのが明白だった。
 途端、呼吸まで苦しくなってきた。うまく酸素を取り入れることが出来なくて、セキシと繋いだ手を思わずきつく握ってしまう。

「…リュカ様、どうされました?」

 少年の異変に気がついた従者は、即座に彼を抱きかかえ、屋敷に戻った。はあはあと息切れしている少年を玄関先に座らせ、両頬を手で優しく包みこむ。

「リュカ様、私を真似てゆっくり息を吐いてください」

 視線を合わせ、優しく語りかける。セキシに言われた通りに根気強く呼吸を繰り返し、ようやくリュカは落ち着いた。

「良かった…。落ち着きましたね」

 安堵の笑みを浮かべる従者の青年は、少年の頬を流れる涙を袖でそっと拭った。

「少し、刺激が強すぎましたね。さっさと戻っておくべきでした」

 さも自分の不手際とばかりに、申し訳ございませんと頭を下げる青年に、リュカは慌てて否定した。今度はリュカが彼の頬に触れ、顔を上げさせる。

「セキシのせいじゃない…っ!俺、あの侵入者…知ってるんだ。だから、それで…ちょっとびっくりして…」
「リュカ様、知っていると言うのは…一体どこで?」

 声がどんどん小さくなって、最後の方はもごもごしてしまう。まさかの発言に、セキシは驚きに目を見開いた。
 リュカは闇オークションで出会ったバトーのことと、その奴隷について話した。バトーがどんなに嫌な奴で、奴隷が目の前でどんな仕打ちを受けていたかも。

「何と惨い…。さぞ怖かったでしょう」
「…俺、外の世界で人間がどんな風に扱われてるか初めて知った…。テル・メルでは、俺が唯一の人間だったし、辛いこともたくさんあったけど、俺はずっとずっと恵まれてた方だったんだって思い知らされた」
「リュカ様…」

 あの日目にした、奴隷としての人間に対する扱いを思い出して、体が竦む。あの時感じた恐怖で全身がこわばり、血の気が引く。
 抱きしめられ、優しい温もりに鼻がツンとする。自分からも背中に腕を回してしがみつけば、それに応えるようにきつく抱擁される。
 あの少年の惨たらしい姿を見て、ああ良かったなどとはちっとも思えない。自分だって、ああなっていたかもしれない。これからも蘇芳に見放されて、いつ彼と同じような立場に陥るともわからないのだ。この温もりもいつか失ってしまうかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうだった。
 リュカはずっとセキシの膝の上で彼に抱きしめられていた。暗く沈んだ表情の青年を見て、少年は己の発言を後悔した。心優しいセキシが人間の扱いの酷さを憂いて、心を痛めてくれているのは明らかだった。そんな顔をさせたくて言ったわけではない。大好きな人が悲しい顔をするのは、何よりも辛い。気にしないでと言いたかったが、セキシを困らせるだけだと分かっていたので、リュカは何も言わず彼に体を預けていた。
 彼の胸に顔を埋めると、穏やかな心音が聞こえた。一定のリズムで聞こえてくる心地の良い音を耳にしていると、不思議と瞼が下がってくる。
 蘇芳はなかなか戻って来なかった。陽が沈み、食事も風呂を終えても姿はなかった。気づけば何度も時計を見ているが、針はほとんど進んでいない。時間が経つのがとても遅く感じる。

「リュカ様、今夜は一緒に眠っていただけないでしょうか?一人寝するには少し肌寒くて…」
「うん、いいよ」

 セキシが気遣って傍にいてくれるが、申し訳ない気持ちになってしまう。だが、一人でいるとずっともやもやしてしまって、きっと眠れないだろう。罪悪感はあるが、青年の申し出は正直とてもありがたかった。
 セキシの部屋で、彼の枕の横に己のを並べると少し気分が浮上した。湯たんぽで暖められた布団に入り、消灯しようとした瞬間、戸が開く音が聞こえた。リュカは弾かれたように部屋から飛び出し、玄関へと向かった。期待していた赤鬼の姿があった。走って出迎える少年に驚いたのか、蘇芳は目を丸くしている。
 聞きたいことがたくさんあるのに、言葉が出てこない。リュカは棒のように突っ立っていた。互いに動かず、見つめ合う形になる。

「蘇芳様、お帰りなさいませ」

 少年を追って玄関にやってきたセキシの声で、二人は我に返る。蘇芳は短く返事をすると、履物を脱いで家に上がった。

「何か食うものあるか」
「すぐにご用意致します。お風呂も」
「ああ、頼む。また出なきゃなんねえ」

 リュカに目もくれず、蘇芳は横を通り過ぎ、セキシに声をかける。何も言われず、無視されたことに胸がずきりと痛む。従者の青年は少年の後ろ姿に一瞥を寄こしたが、慌ただしく台所へと消えた。
 自分の部屋に入った赤鬼を、リュカは追いかけた。羽織の袖をぎゅっと掴めば、赤鬼がこっちを向く。

「あいつ…、バトーの…奴隷、だよな?」
「ああ」
「今、どこにいんの…?」
「武器を所持してる様子は見られなかったから、親父の屋敷に連行した」
「何で、どうやってここに…」
「…さあな。それを今聞き出そうとしてんだよ」
「…聞き出すって、どうやって?」
「……言わなくても、分かるだろ」

 蘇芳を仰ぎ見る。昼間の雰囲気とは打って変わって、冷めた態度だった。気が立っているのか、纏う雰囲気もぴりぴりとしている。リュカはただ言葉を待った。情報を聞き出すために、鬼たちがあの奴隷に何をするか、おおよその見当はつく。だが、違って欲しいと心のどこかで祈っていた。

「拷問だ」

 リュカは小さく息を呑んだ。祈りは無情にも届かなかった。どんな、とはさすがに聞けなかった。袖を掴んでいた手を離して、思わず一歩後ずさる。
 そこへ御膳を持ったセキシが現れた。卓の上に置くように指示しながら、蘇芳は羽織を脱いだ。

「もう休んでいいぞ。食器は流しに置いておく」

 蘇芳は背を向けたままだった。そう言ったきり、こちらを振り返ろうともしない。セキシは軽く一礼すると、少年を促して退室した。
 布団に入ると、セキシに抱きしめられた。しばらく経つと、戸の開閉音が聞こえて、蘇芳が出て行くのが分かった。
 昼間目にした、全身を戦慄かせる奴隷の姿が脳裏に浮かぶ。まるで亡霊のようにつきまとう残像を振り払おうと、リュカはきつく目を閉じて、セキシに抱きついた。
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