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一橋治済の「最も危険な遊戯」 その2
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「いや、それに致しましても、田安様が御邸にて佐野善左衛門めに、お逢いあそばされまするは中々の策でござりまするな…」
話もとい「悪巧みが大方、纏まったところで、矢部主膳はそんな感想を漏らした。
「と申すと?」
治済が矢部主膳にその真意を尋ねた。
「ははっ…、されば佐野善左衛門が縁者…、善左衛門が本家筋の庶子に佐野與五郎政峰なる者がおりまして、かの者が田安家にて仕えおり申し…」
矢部主膳によればその佐野與五郎は先代、先々代と、つまりは田安家の始祖である宗武、その二代目である治察と二代に亘って近習番として仕え続けた者だそうな。
そして、天明3(1783)年の今は佐野與五郎が仕えるべき当主は不在という訳で、佐野與五郎は田安家において事務職、所謂、「家司」として勤めていた。
また、同じく本家筋の庶子である捨五郎政信なる者が田安家にてやはり「家司」として仕える、それも佐野與五郎と同じく、宗武、治察と二代に亘って近習番として仕えた杉浦兵左衛門洪嘉の養嗣子として迎えられており、しかもこの杉浦兵左衛門が実兄の杉浦猪兵衛良昭は田安家にて廣敷用人という重職にあるとのことであった。
それ故、佐野善左衛門にとって御三卿の田安家は斯かる縁者である佐野與五郎や佐野改め杉浦捨五郎を介して非常に身近な存在であり、「シンパシー」を抱いていた。
「斯様なる佐野善左衛門めがこと故、下屋敷とは申せ、田安様が御屋敷にて越中様と逢えるとなれば狂喜乱舞するは必定…、そして上様が越中様を装いあそばされたとしても、佐野善左衛門めがこれに気付くことは万に一つもなく…、何しろ田安様は越中様が御実家なれば…」
矢部主膳のその意見に治済も大いに頷いた。
治済としてもそのつもりで―、佐野善左衛門に己が松平定信だと信じ込ませるつもりで、田安家の下屋敷を選んだのであった。
いや、真、佐野善左衛門に己が松平定信だと信じ込ませるには、定信が当主を継いだばかりの白河藩の上屋敷、は流石に無理だとしても、中屋敷や下屋敷で逢うのが常道であるやに思われるやも知れぬ。
だが実際には佐野善左衛門に己が松平定信であると信じ込ませる「舞台」として白河藩の屋敷は実は適当とは言えなかった。
それと言うのもズバリ、佐野善左衛門が白河藩の屋敷を把握してはいないだろうことに起因する。
大名諸侯の数だけ大名屋敷も存する。いや、上屋敷だけでなく、中屋敷や下屋敷も含めれば、大名諸侯の2~3倍以上には達するであろう。
佐野善左衛門の様な一介の新番士、一介の旗本が一々、大名の顔を把握していないのと同様、その屋敷の所在地をもまた、把握している筈がないのだ。
これで例えば大名屋敷の門前に、
「白河藩上屋敷」
或いは「白河藩中屋敷」、「白河藩下屋敷」とでも表札、看板でも掛かっていれば話は別だが、実際には大名屋敷も含めて武家屋敷においてはこの手の表札、看板が掛かっていることはなく、それ故、佐野善左衛門としては足を運んだその先が白河藩の屋敷であると告げられたところで、そこが間違いなく白河藩の屋敷であると確信するだけの根拠は何もないという訳だ。
そしてそれは取りも直さず、佐野善左衛門に己が間違いなく松平定信であると信じ込ませる「舞台」としては不十分であることを意味する。
だが御三卿の田安家、その屋敷ともなれば話は別であった。
大名屋敷への度重なる「御成」で知られる五代将軍・綱吉とは違い、今の将軍・家治は外出してもそれは軍事訓練である鷹狩りが主であり、大名屋敷へと「御成」に及ぶことは滅多にない。
いや、だからこそ、将軍の「SP」をも勤める新番士の役職にある佐野善左衛門が大名屋敷の所在地まで把握していないと断言出来た。
これで仮に家治が綱吉同様、大名屋敷への「御成」を好む様な将軍であったならば、その「SP」を勤める新番士も勿論、警護の為に将軍に同行、随行することになり、その過程で新番士も、即ち、佐野善左衛門も或いは大名屋敷の所在地に通じることになっていたやも知れぬ。
だが実際には家治は大名屋敷への「御成」を綱吉程には好まず、それ故、佐野善左衛門も大名屋敷の所在地に通ずることもないという訳だ。
しかし、その家治にも例外はあり、将軍家である御三卿、ことに清水家と田安家への「御成」がそれであった。
大名屋敷への「御成」を好まない家治も「家族」とも言うべき御三卿、ことに清水家と田安家、この両家の屋敷に足を運ぶのは好み、上屋敷は元より、下屋敷にも例えば鷹狩りの帰途などに立寄ることも屡であった。
そして鷹狩りにも新番士は「SP」として勿論、随行する。
いや、それどころか供弓、弓の射手として鷹狩りに参加することさえあった。
佐野善左衛門は矢部主膳によると、主膳とは「同期の桜」、安永7(1778)年6月に新番士として取立てられ、爾来、今年、天明3(1783)年までの凡そ5年以上に亘って新番士を、即ち、将軍・家治の「SP」をも勤めてきた訳で、佐野善左衛門が将軍の顔ならば把握しているだろうと、治済がそう考える所以であり、同時に、その家治が例えば鷹狩りの帰途などに、
「非公式に…」
将軍家である御三卿、その中でも清水家や田安家の屋敷を訪れることも屡であり、それ故、その家治に「SP」として随行する佐野善左衛門ならば、御三卿の屋敷をも、それも下屋敷に至るまでやはり把握しているに相違ないと、そうも考える、これまた所以であった。
その様な治済にとって、佐野善左衛門が田安家とは縁者を介してだが、所縁があったとは正に、
「嬉しい誤算」
であった。これで愈愈もって、田安家の下屋敷という「舞台」が、佐野善左衛門に治済が定信だと信じ込ませるには最高のそれとなってくれるに違いないからだ。
だが、久田縫殿助は佐野善左衛門が田安家と所縁があることについて、治済とは正反対に、「嬉しい誤算」とは考えず、それどころか懸念を示した。
「されば…、佐野善左衛門が越中様の顔を存じておることはあるまいの?」
それこそが久田縫殿助の懸念の原因であった。
佐野善左衛門が田安家と所縁があるならば、田安家出身の越中様こと定信の顔も知っているのではないか、仮にそうだとすれば、治済が定信を名乗ったところで、直ぐに佐野善左衛門に見破られるのではないかと、久田縫殿助はその点を案じていたのだ。
だがそれは久田縫殿助の杞憂に過ぎなかった様で、矢部主膳によると、佐野善左衛門が田安家と所縁があると言っても、それは縁者に田安家臣が複数いる為に、
「田安贔屓…」
それであるに過ぎず、定信の顔までは、それどころか田安家の女主たる寶蓮院の顔さえも正確に把握しているかどうか、甚だ怪しいとのことであった。
これで久田縫殿助も一安心したが、しかし、もう一つ、別の懸念が生じた。
仮に定信に扮した治済が田安家中に知られぬ様、とりわけ女主の寶蓮院の目を盗んで、下屋敷を勝手に使うことが出来たとして、そしてその下屋敷にて佐野善左衛門と逢える段になって、
「田安家の下屋敷にて定信様と逢える…」
そのことを縁者である佐野與五郎や杉浦兵左衛門、或いは杉浦猪兵衛に漏らさぬとも限らず、その場合、治済としては甚だ困ったことになる。
何しろ、佐野善左衛門が縁者である彼等3人はこれから治済が田安家の下屋敷を勝手に使うべく、抱込もうとしている、謂わば、
「工作対象外」
とでも呼べる田安家臣であるので、そんな彼等の耳に定信が下屋敷にて佐野善左衛門と逢うなどと伝われば、彼等3人ににしてみれば正に、「寝耳に水」であり、3人は寶蓮院に対してその様なことを、つまりは定信が下屋敷を使い、そこで佐野善左衛門と逢うことを許したのかと、確かめるに相違ない。ことに寶蓮院に対して廣敷用人として仕える杉浦猪兵衛はそうだろう。
そうなれば治済の計画、もとい「危険な遊戯」も破綻を来たすこととなろう。久田縫殿助はその点も懸念した。
すると久田縫殿助のその懸念に対してもやはり矢部主膳が「解決策」を導き出した。
「されば上様が越中様としていざ、田安様が御下屋敷にて佐野善左衛門めに御逢いあそばされし段になりましたならば、この矢部主膳が佐野善左衛門に堅く口止めを致します故に…、左様…、越中様におかれては真は白河藩が藩邸にて逢いたきところなれど、未だ存命の岳父の目もあり、何より婿入り先の屋敷では腹を割った話も出来ず、そこで実家である田安家の屋敷にて逢うことに…、なれど養母上の寶蓮院様様こそ、越中様が下屋敷にて佐野善左衛門と逢うことを…、言うなれば下屋敷を気儘に使うことを許されたが、なれど外の田安家中は、とりわけ廣敷用人として寶蓮院様に仕え奉りし杉浦猪兵衛などは反対の代表格とも申せる仁だそうで、その杉浦猪兵衛に同調せし者も多く、そこで越中様と田安様が御下屋敷にて逢うことは決して他言してはならぬ、ことに田安家中に対して…、と、まぁ斯様に堅く口止め致さば、佐野善左衛門も斯かる縁者には漏らしますまい…」
矢部主膳のその意見に治済も大いに頷いた。治済もまた、今の矢部主膳の意見と大意、同じことを考えていたからだ。
久田縫殿助もそれでとりあえずは納得したが、しかし新たにもう一つ、これは懸念ではなく疑問が浮かんだ。
それは矢部主膳が「メッセンジャー」を務めることであった。
即ち、矢部主膳は一橋家とは、それも治済とはこうして所縁があるものの、しかし、定信とは何の所縁もない。無論、定信の養家である白河藩松平家とも、である。
その様な矢部主膳が定信に扮した治済と佐野善左衛門との間に立って、「メッセンジャー」を務めることに久田縫殿助は疑問に思えたのだ。
いや、佐野善左衛門は久田縫殿助以上に疑問に思うであろう。
「定信とは何の所縁もない矢部主膳が何故に、定信が自分と逢いたがっているなどと、打明けるのか…」
仮に矢部主膳に「メッセンジャー」を担わせたならば、佐野善左衛門は必ずやそう疑問に思う筈であった。
「ここはやはり、越中様個人か、或いは白河松平家か…、少なくとも田安様と所縁のありし者を間に入れるべきではござりますまいか?」
つまりはその条件に該当する者も今回の計画、もとい「危険な遊戯」に関わらせる必要があると、久田縫殿助は治済に対して意見具申に及んだ。
確かに尤もな意見ではあったが、これは中々に難しい、ハードルが高い条件と言えた。
何しろ、佐野善左衛門への「メッセンジャー」、定信に扮した治済より佐野善左衛門への「メッセンジャー」を務めさせるからには、佐野善左衛門と相役、同僚の新番士、それも同じ三番組の番士であることが望ましく、その上で、
「定信個人と所縁があるか、或いは白河松平家と所縁があるか、少なくとも田安家と所縁がある者…」
という条件が付くからだ。
いや、更に今一つ、
「治済の手足となって働いてくれる者…」
その絶対不可欠とも言える条件までも付さねばならないからだ。
「差出がましゅうはござりまするが…」
陪席を許されていた侍女の雛がそこで口を挟んだ。
それは雛が貴重な進言を与えてくれる「前触れ」であり、治済もそれが分かっていたので、
「許す、申せ」
治済は雛をそう促した。いや、急かした。
「されば…、御番士よりも御番頭の方がより信憑性が…」
即ち、仮令、定信と所縁があり、且つ、治済とも所縁があり、しかも治済との所縁の方を優先、治済の為にその手足となって働いてくれる、先の「条件」に全て合致する、そんな都合の良い新番士がいたとしても、やはり一介の新番士が佐野善左衛門に対して、
「定信が逢いたがっている…」
その様な「メッセンジャー」を務めたところで、佐野善左衛門からは、
「何故に定信ともあろう者が、一介の新番士にその様な伝言を託すのか…」
そう疑われる可能性が高かった。
それよりは新番頭に「メッセンジャー」を務めさせた方が、つまりは新番頭より佐野善左衛門へと、
「定信が逢いたがっている…」
その「伝言」を伝えさせた方が、まだしもその「伝言」に信憑性がある、というものである。即ち、佐野善左衛門を信じ込ませられるという訳だ。
何しろ新番頭と言えば、従五位下諸大夫役でこそないものの、従六位布衣役であり、しかも布衣役の中では小普請組支配に次いで重職であったからだ。佐野善左衛門が欲したのも無理はない。
雛のその進言は真に的確であり、治済もそれを至当と認めると、矢部主膳に対して、今の3番組を支配する番頭が誰であるか尋ねた。
「されば蜷川相模守親文様にて…」
矢部主膳がそう応えると、しかし雛がその蜷川親文に「メッセンジャー」の役を担わせることに、即ち、今回の計画もとい「危険な遊戯」に一枚噛ませることに否定的反応を示した。
仮に蜷川親文が支配する新御番3番組に所属する新番士たる佐野善左衛門が営中、殿中にて若年寄の田沼意知を討果たそうものなら、佐野善左衛門が死を賜るのは当然として、蜷川親文も佐野善左衛門を支配する者として、要は「上司」として管理責任が問われることに相成ろう。
無論、佐野善左衛門の様に死を賜ることこそないものの、それでも出世に響くだけの管理責任が問われることは避けられまい。
蜷川親文もその程度のことは承知している筈であり、だとしたらその蜷川親文にも一枚噛ませることは、つまりは声を掛けることは極めて危険と言えた。
最悪、蜷川親文が田沼サイドへと、或いは将軍・家治に治済からの「誘い」を密告、告口に及ぶ危険性があり得たからだ。
雛が蜷川親文に声を掛けることに否定的反応を示したのは斯かる事情からであり、これもまた至当であった。
「だとするならば、3番組以外の番を差配せし番頭に声を掛けるべきであろうかの…」
治済がそう応じると、雛も今度は「御意」と首肯した。
そこで治済は改めて矢部主膳に対して3番組以外の番を支配する番頭について、その名前を尋ねた。
果たして矢部主膳が外の番を支配する新番頭の名前まで把握しているか、治済にも流石に確信が持てなかったものの、しかし、案に相違して矢部主膳は蜷川親文以外の全ての本丸新番頭の名前をそれも正式名称で諳んじてみせた。即ち、
「1番組は仙石次兵衛久峰」
「2番組は永見伊豫守爲貞」
「4番組は松平大膳亮忠香」
「5番組は天野阿波守忠邦」
「6番組は飯田能登守易信」
彼等新番頭が夫々、支配していた。
果たしてこの5人の新番頭の中でも、今回の計画もとい「危険な遊戯」に一枚噛ませるに相応しい者は一体誰か…、こういう場合、「知恵者」の久田縫殿助よりも「生字引」の岩本喜内の方が役に立つ。
「松平大膳亮様と申さば、細田伊左衛門時矩殿が娘御…、細田五郎三郎時昭殿が姪御の住殿が息ではござりませぬか…」
岩本喜内のその解説に治済も大いに頷いた。実は治済も同じことを考えていたのだ。
即ち、松平忠香は勘定奉行や西之丸留守居、旗奉行といった顕職を勤め上げた松平駿河守忠陸を父に持ち、その母は―、松平忠陸が妻女は住なる女性であり、旗本の細田五郎三郎時昭の姪に当たる。
この松平忠香が母、住にとっては叔父である細田五郎三郎は生憎、嫡子には恵まれず、しかし一人娘の到にだけは恵まれ、そこで当時、御金奉行を勤めていた平岡十左衛門道富が四男の助右衛門時義を養嗣子として迎えた上で一人娘の到と娶わせたのであった。つまりは婿養子である。
その婿養子である細田助右衛門も到との間に嫡子には恵まれず、やはり後に養嗣子を迎えることになる訳だが、しかし娘には恵まれ、それも3人の娘に恵まれ、この三女のうち次女である遊歌は成長後にはここ、一橋屋形にて侍女として仕えることになった訳だが、遊歌はその当時の一橋家の当主、それも一橋家の始祖である宗尹に見初められ、側妾として召出されたのだ。
そして遊歌は一橋宗尹との間に一女と五男をもうけ、そのうちの|一人《ひとりこそが誰あろう治済であった。
つまり、治済にとっては外曾祖父に当たる細田五郎三郎の姪―、治済の族叔祖母の住が松平忠陸との間にもうけた嫡子こそが松平忠香であった。
「しかも、松平大膳亮様が実妹は、松下蔵人殿が妻女にて…」
岩本喜内はそうも補足した。
即ち、住は松平忠陸との間に忠香の外にもう一人、統なる娘をもうけ、その統は御城本丸は中奥にて将軍・家治の小納戸として仕える松下蔵人統筠の許へと貸した。
この統もまた夫、松下蔵人との間に嫡子は恵まれず、しかし二女には恵まれたので、そこで当時は西之丸裏門番之頭を勤めていた、今は先手弓頭を勤める市岡左大夫正峰が次男の正邑を養嗣子、それも婿養子として迎えたのだ。長女の空を正邑と娶わせたのだ。
そしてこの正邑にしても治済とは多少ではあるが所縁があり、正邑の実母、即ち、市岡左大夫が妻女の成は岩本正利・喜内兄弟の実姉であるのだ。
それ故、正邑は岩本正利・喜内兄弟にとっては甥、正利の次女にして治済の愛妾、次期将軍・家斉の母堂である富にとっては従弟に夫々、当たる。
その正邑は今は西之丸の中奥にて次期将軍・家斉に小姓として仕えていた。
ともあれ、松平忠香は実妹の統を介して―、婚家である松下家、更には市岡家を介して、岩本正利・喜内兄弟とも所縁があったのだ。それは即ち、治済との所縁でもあった。
「松平大膳亮様は越中様との所縁こそなきものの、なれど事程左様に上様との所縁がござりますれば…」
松平忠香こそ、今回の計画もとい「危険な遊戯」に一枚噛ませるに最も相応しい新番頭であると、岩本喜内は進言した。
治済としても全く同感であった。
いや、越中様こと定信との所縁はないとは申せ、同じ松平である。
しかも忠香が当主を務める松平家は庶流とは申せ、五井松平の流を汲むという名門であった。
五井松平と言えば、所謂十八松平の中でもトップクラスに位置し、定信の養家である白河藩松平家はそれよりも格下の久松松平の流を汲む、それもやはり庶流であった。
そうであれば定信が何かの折、新番頭の松平忠香と話す機会に恵まれ、その際、支配する番は違えど、新番士の佐野善左衛門の話題となり、結果、定信が佐野善左衛門にいたく興味を抱かれ、機会があれば近々、佐野善左衛門に遭ってみたい…、それが定信の意向であると、松平忠香より佐野善左衛門へと大意、その様に伝えて貰えれば、佐野善左衛門も容易にその話もとい「作り話を信じるに違いない。
治済はそうと決めると、松平忠香を今回の己の「危険な遊戯」に一枚噛ませることとし、しかしその為にはまず、松平忠香の「抱込み」が必要不可欠であった。
「さればそれにつきましては手前に…、兄、岩本内膳にお任せ願えれば…」
岩本喜内がそう請合った。
成程、松平忠香の「抱込み」、その為の「手入」は岩本内膳こと、内膳正正利が適任と言え、治済はその旨、許した。
治済はその上で、田安屋敷、それも下屋敷を寶蓮院らに気付かれぬ様、勝手に使うべく、その為にやはり必要不可欠となる田安家の下屋敷奉行の「抱込み」、「手入」を岩本喜内とそれに久田縫殿助の両名に任せることにした。
話もとい「悪巧みが大方、纏まったところで、矢部主膳はそんな感想を漏らした。
「と申すと?」
治済が矢部主膳にその真意を尋ねた。
「ははっ…、されば佐野善左衛門が縁者…、善左衛門が本家筋の庶子に佐野與五郎政峰なる者がおりまして、かの者が田安家にて仕えおり申し…」
矢部主膳によればその佐野與五郎は先代、先々代と、つまりは田安家の始祖である宗武、その二代目である治察と二代に亘って近習番として仕え続けた者だそうな。
そして、天明3(1783)年の今は佐野與五郎が仕えるべき当主は不在という訳で、佐野與五郎は田安家において事務職、所謂、「家司」として勤めていた。
また、同じく本家筋の庶子である捨五郎政信なる者が田安家にてやはり「家司」として仕える、それも佐野與五郎と同じく、宗武、治察と二代に亘って近習番として仕えた杉浦兵左衛門洪嘉の養嗣子として迎えられており、しかもこの杉浦兵左衛門が実兄の杉浦猪兵衛良昭は田安家にて廣敷用人という重職にあるとのことであった。
それ故、佐野善左衛門にとって御三卿の田安家は斯かる縁者である佐野與五郎や佐野改め杉浦捨五郎を介して非常に身近な存在であり、「シンパシー」を抱いていた。
「斯様なる佐野善左衛門めがこと故、下屋敷とは申せ、田安様が御屋敷にて越中様と逢えるとなれば狂喜乱舞するは必定…、そして上様が越中様を装いあそばされたとしても、佐野善左衛門めがこれに気付くことは万に一つもなく…、何しろ田安様は越中様が御実家なれば…」
矢部主膳のその意見に治済も大いに頷いた。
治済としてもそのつもりで―、佐野善左衛門に己が松平定信だと信じ込ませるつもりで、田安家の下屋敷を選んだのであった。
いや、真、佐野善左衛門に己が松平定信だと信じ込ませるには、定信が当主を継いだばかりの白河藩の上屋敷、は流石に無理だとしても、中屋敷や下屋敷で逢うのが常道であるやに思われるやも知れぬ。
だが実際には佐野善左衛門に己が松平定信であると信じ込ませる「舞台」として白河藩の屋敷は実は適当とは言えなかった。
それと言うのもズバリ、佐野善左衛門が白河藩の屋敷を把握してはいないだろうことに起因する。
大名諸侯の数だけ大名屋敷も存する。いや、上屋敷だけでなく、中屋敷や下屋敷も含めれば、大名諸侯の2~3倍以上には達するであろう。
佐野善左衛門の様な一介の新番士、一介の旗本が一々、大名の顔を把握していないのと同様、その屋敷の所在地をもまた、把握している筈がないのだ。
これで例えば大名屋敷の門前に、
「白河藩上屋敷」
或いは「白河藩中屋敷」、「白河藩下屋敷」とでも表札、看板でも掛かっていれば話は別だが、実際には大名屋敷も含めて武家屋敷においてはこの手の表札、看板が掛かっていることはなく、それ故、佐野善左衛門としては足を運んだその先が白河藩の屋敷であると告げられたところで、そこが間違いなく白河藩の屋敷であると確信するだけの根拠は何もないという訳だ。
そしてそれは取りも直さず、佐野善左衛門に己が間違いなく松平定信であると信じ込ませる「舞台」としては不十分であることを意味する。
だが御三卿の田安家、その屋敷ともなれば話は別であった。
大名屋敷への度重なる「御成」で知られる五代将軍・綱吉とは違い、今の将軍・家治は外出してもそれは軍事訓練である鷹狩りが主であり、大名屋敷へと「御成」に及ぶことは滅多にない。
いや、だからこそ、将軍の「SP」をも勤める新番士の役職にある佐野善左衛門が大名屋敷の所在地まで把握していないと断言出来た。
これで仮に家治が綱吉同様、大名屋敷への「御成」を好む様な将軍であったならば、その「SP」を勤める新番士も勿論、警護の為に将軍に同行、随行することになり、その過程で新番士も、即ち、佐野善左衛門も或いは大名屋敷の所在地に通じることになっていたやも知れぬ。
だが実際には家治は大名屋敷への「御成」を綱吉程には好まず、それ故、佐野善左衛門も大名屋敷の所在地に通ずることもないという訳だ。
しかし、その家治にも例外はあり、将軍家である御三卿、ことに清水家と田安家への「御成」がそれであった。
大名屋敷への「御成」を好まない家治も「家族」とも言うべき御三卿、ことに清水家と田安家、この両家の屋敷に足を運ぶのは好み、上屋敷は元より、下屋敷にも例えば鷹狩りの帰途などに立寄ることも屡であった。
そして鷹狩りにも新番士は「SP」として勿論、随行する。
いや、それどころか供弓、弓の射手として鷹狩りに参加することさえあった。
佐野善左衛門は矢部主膳によると、主膳とは「同期の桜」、安永7(1778)年6月に新番士として取立てられ、爾来、今年、天明3(1783)年までの凡そ5年以上に亘って新番士を、即ち、将軍・家治の「SP」をも勤めてきた訳で、佐野善左衛門が将軍の顔ならば把握しているだろうと、治済がそう考える所以であり、同時に、その家治が例えば鷹狩りの帰途などに、
「非公式に…」
将軍家である御三卿、その中でも清水家や田安家の屋敷を訪れることも屡であり、それ故、その家治に「SP」として随行する佐野善左衛門ならば、御三卿の屋敷をも、それも下屋敷に至るまでやはり把握しているに相違ないと、そうも考える、これまた所以であった。
その様な治済にとって、佐野善左衛門が田安家とは縁者を介してだが、所縁があったとは正に、
「嬉しい誤算」
であった。これで愈愈もって、田安家の下屋敷という「舞台」が、佐野善左衛門に治済が定信だと信じ込ませるには最高のそれとなってくれるに違いないからだ。
だが、久田縫殿助は佐野善左衛門が田安家と所縁があることについて、治済とは正反対に、「嬉しい誤算」とは考えず、それどころか懸念を示した。
「されば…、佐野善左衛門が越中様の顔を存じておることはあるまいの?」
それこそが久田縫殿助の懸念の原因であった。
佐野善左衛門が田安家と所縁があるならば、田安家出身の越中様こと定信の顔も知っているのではないか、仮にそうだとすれば、治済が定信を名乗ったところで、直ぐに佐野善左衛門に見破られるのではないかと、久田縫殿助はその点を案じていたのだ。
だがそれは久田縫殿助の杞憂に過ぎなかった様で、矢部主膳によると、佐野善左衛門が田安家と所縁があると言っても、それは縁者に田安家臣が複数いる為に、
「田安贔屓…」
それであるに過ぎず、定信の顔までは、それどころか田安家の女主たる寶蓮院の顔さえも正確に把握しているかどうか、甚だ怪しいとのことであった。
これで久田縫殿助も一安心したが、しかし、もう一つ、別の懸念が生じた。
仮に定信に扮した治済が田安家中に知られぬ様、とりわけ女主の寶蓮院の目を盗んで、下屋敷を勝手に使うことが出来たとして、そしてその下屋敷にて佐野善左衛門と逢える段になって、
「田安家の下屋敷にて定信様と逢える…」
そのことを縁者である佐野與五郎や杉浦兵左衛門、或いは杉浦猪兵衛に漏らさぬとも限らず、その場合、治済としては甚だ困ったことになる。
何しろ、佐野善左衛門が縁者である彼等3人はこれから治済が田安家の下屋敷を勝手に使うべく、抱込もうとしている、謂わば、
「工作対象外」
とでも呼べる田安家臣であるので、そんな彼等の耳に定信が下屋敷にて佐野善左衛門と逢うなどと伝われば、彼等3人ににしてみれば正に、「寝耳に水」であり、3人は寶蓮院に対してその様なことを、つまりは定信が下屋敷を使い、そこで佐野善左衛門と逢うことを許したのかと、確かめるに相違ない。ことに寶蓮院に対して廣敷用人として仕える杉浦猪兵衛はそうだろう。
そうなれば治済の計画、もとい「危険な遊戯」も破綻を来たすこととなろう。久田縫殿助はその点も懸念した。
すると久田縫殿助のその懸念に対してもやはり矢部主膳が「解決策」を導き出した。
「されば上様が越中様としていざ、田安様が御下屋敷にて佐野善左衛門めに御逢いあそばされし段になりましたならば、この矢部主膳が佐野善左衛門に堅く口止めを致します故に…、左様…、越中様におかれては真は白河藩が藩邸にて逢いたきところなれど、未だ存命の岳父の目もあり、何より婿入り先の屋敷では腹を割った話も出来ず、そこで実家である田安家の屋敷にて逢うことに…、なれど養母上の寶蓮院様様こそ、越中様が下屋敷にて佐野善左衛門と逢うことを…、言うなれば下屋敷を気儘に使うことを許されたが、なれど外の田安家中は、とりわけ廣敷用人として寶蓮院様に仕え奉りし杉浦猪兵衛などは反対の代表格とも申せる仁だそうで、その杉浦猪兵衛に同調せし者も多く、そこで越中様と田安様が御下屋敷にて逢うことは決して他言してはならぬ、ことに田安家中に対して…、と、まぁ斯様に堅く口止め致さば、佐野善左衛門も斯かる縁者には漏らしますまい…」
矢部主膳のその意見に治済も大いに頷いた。治済もまた、今の矢部主膳の意見と大意、同じことを考えていたからだ。
久田縫殿助もそれでとりあえずは納得したが、しかし新たにもう一つ、これは懸念ではなく疑問が浮かんだ。
それは矢部主膳が「メッセンジャー」を務めることであった。
即ち、矢部主膳は一橋家とは、それも治済とはこうして所縁があるものの、しかし、定信とは何の所縁もない。無論、定信の養家である白河藩松平家とも、である。
その様な矢部主膳が定信に扮した治済と佐野善左衛門との間に立って、「メッセンジャー」を務めることに久田縫殿助は疑問に思えたのだ。
いや、佐野善左衛門は久田縫殿助以上に疑問に思うであろう。
「定信とは何の所縁もない矢部主膳が何故に、定信が自分と逢いたがっているなどと、打明けるのか…」
仮に矢部主膳に「メッセンジャー」を担わせたならば、佐野善左衛門は必ずやそう疑問に思う筈であった。
「ここはやはり、越中様個人か、或いは白河松平家か…、少なくとも田安様と所縁のありし者を間に入れるべきではござりますまいか?」
つまりはその条件に該当する者も今回の計画、もとい「危険な遊戯」に関わらせる必要があると、久田縫殿助は治済に対して意見具申に及んだ。
確かに尤もな意見ではあったが、これは中々に難しい、ハードルが高い条件と言えた。
何しろ、佐野善左衛門への「メッセンジャー」、定信に扮した治済より佐野善左衛門への「メッセンジャー」を務めさせるからには、佐野善左衛門と相役、同僚の新番士、それも同じ三番組の番士であることが望ましく、その上で、
「定信個人と所縁があるか、或いは白河松平家と所縁があるか、少なくとも田安家と所縁がある者…」
という条件が付くからだ。
いや、更に今一つ、
「治済の手足となって働いてくれる者…」
その絶対不可欠とも言える条件までも付さねばならないからだ。
「差出がましゅうはござりまするが…」
陪席を許されていた侍女の雛がそこで口を挟んだ。
それは雛が貴重な進言を与えてくれる「前触れ」であり、治済もそれが分かっていたので、
「許す、申せ」
治済は雛をそう促した。いや、急かした。
「されば…、御番士よりも御番頭の方がより信憑性が…」
即ち、仮令、定信と所縁があり、且つ、治済とも所縁があり、しかも治済との所縁の方を優先、治済の為にその手足となって働いてくれる、先の「条件」に全て合致する、そんな都合の良い新番士がいたとしても、やはり一介の新番士が佐野善左衛門に対して、
「定信が逢いたがっている…」
その様な「メッセンジャー」を務めたところで、佐野善左衛門からは、
「何故に定信ともあろう者が、一介の新番士にその様な伝言を託すのか…」
そう疑われる可能性が高かった。
それよりは新番頭に「メッセンジャー」を務めさせた方が、つまりは新番頭より佐野善左衛門へと、
「定信が逢いたがっている…」
その「伝言」を伝えさせた方が、まだしもその「伝言」に信憑性がある、というものである。即ち、佐野善左衛門を信じ込ませられるという訳だ。
何しろ新番頭と言えば、従五位下諸大夫役でこそないものの、従六位布衣役であり、しかも布衣役の中では小普請組支配に次いで重職であったからだ。佐野善左衛門が欲したのも無理はない。
雛のその進言は真に的確であり、治済もそれを至当と認めると、矢部主膳に対して、今の3番組を支配する番頭が誰であるか尋ねた。
「されば蜷川相模守親文様にて…」
矢部主膳がそう応えると、しかし雛がその蜷川親文に「メッセンジャー」の役を担わせることに、即ち、今回の計画もとい「危険な遊戯」に一枚噛ませることに否定的反応を示した。
仮に蜷川親文が支配する新御番3番組に所属する新番士たる佐野善左衛門が営中、殿中にて若年寄の田沼意知を討果たそうものなら、佐野善左衛門が死を賜るのは当然として、蜷川親文も佐野善左衛門を支配する者として、要は「上司」として管理責任が問われることに相成ろう。
無論、佐野善左衛門の様に死を賜ることこそないものの、それでも出世に響くだけの管理責任が問われることは避けられまい。
蜷川親文もその程度のことは承知している筈であり、だとしたらその蜷川親文にも一枚噛ませることは、つまりは声を掛けることは極めて危険と言えた。
最悪、蜷川親文が田沼サイドへと、或いは将軍・家治に治済からの「誘い」を密告、告口に及ぶ危険性があり得たからだ。
雛が蜷川親文に声を掛けることに否定的反応を示したのは斯かる事情からであり、これもまた至当であった。
「だとするならば、3番組以外の番を差配せし番頭に声を掛けるべきであろうかの…」
治済がそう応じると、雛も今度は「御意」と首肯した。
そこで治済は改めて矢部主膳に対して3番組以外の番を支配する番頭について、その名前を尋ねた。
果たして矢部主膳が外の番を支配する新番頭の名前まで把握しているか、治済にも流石に確信が持てなかったものの、しかし、案に相違して矢部主膳は蜷川親文以外の全ての本丸新番頭の名前をそれも正式名称で諳んじてみせた。即ち、
「1番組は仙石次兵衛久峰」
「2番組は永見伊豫守爲貞」
「4番組は松平大膳亮忠香」
「5番組は天野阿波守忠邦」
「6番組は飯田能登守易信」
彼等新番頭が夫々、支配していた。
果たしてこの5人の新番頭の中でも、今回の計画もとい「危険な遊戯」に一枚噛ませるに相応しい者は一体誰か…、こういう場合、「知恵者」の久田縫殿助よりも「生字引」の岩本喜内の方が役に立つ。
「松平大膳亮様と申さば、細田伊左衛門時矩殿が娘御…、細田五郎三郎時昭殿が姪御の住殿が息ではござりませぬか…」
岩本喜内のその解説に治済も大いに頷いた。実は治済も同じことを考えていたのだ。
即ち、松平忠香は勘定奉行や西之丸留守居、旗奉行といった顕職を勤め上げた松平駿河守忠陸を父に持ち、その母は―、松平忠陸が妻女は住なる女性であり、旗本の細田五郎三郎時昭の姪に当たる。
この松平忠香が母、住にとっては叔父である細田五郎三郎は生憎、嫡子には恵まれず、しかし一人娘の到にだけは恵まれ、そこで当時、御金奉行を勤めていた平岡十左衛門道富が四男の助右衛門時義を養嗣子として迎えた上で一人娘の到と娶わせたのであった。つまりは婿養子である。
その婿養子である細田助右衛門も到との間に嫡子には恵まれず、やはり後に養嗣子を迎えることになる訳だが、しかし娘には恵まれ、それも3人の娘に恵まれ、この三女のうち次女である遊歌は成長後にはここ、一橋屋形にて侍女として仕えることになった訳だが、遊歌はその当時の一橋家の当主、それも一橋家の始祖である宗尹に見初められ、側妾として召出されたのだ。
そして遊歌は一橋宗尹との間に一女と五男をもうけ、そのうちの|一人《ひとりこそが誰あろう治済であった。
つまり、治済にとっては外曾祖父に当たる細田五郎三郎の姪―、治済の族叔祖母の住が松平忠陸との間にもうけた嫡子こそが松平忠香であった。
「しかも、松平大膳亮様が実妹は、松下蔵人殿が妻女にて…」
岩本喜内はそうも補足した。
即ち、住は松平忠陸との間に忠香の外にもう一人、統なる娘をもうけ、その統は御城本丸は中奥にて将軍・家治の小納戸として仕える松下蔵人統筠の許へと貸した。
この統もまた夫、松下蔵人との間に嫡子は恵まれず、しかし二女には恵まれたので、そこで当時は西之丸裏門番之頭を勤めていた、今は先手弓頭を勤める市岡左大夫正峰が次男の正邑を養嗣子、それも婿養子として迎えたのだ。長女の空を正邑と娶わせたのだ。
そしてこの正邑にしても治済とは多少ではあるが所縁があり、正邑の実母、即ち、市岡左大夫が妻女の成は岩本正利・喜内兄弟の実姉であるのだ。
それ故、正邑は岩本正利・喜内兄弟にとっては甥、正利の次女にして治済の愛妾、次期将軍・家斉の母堂である富にとっては従弟に夫々、当たる。
その正邑は今は西之丸の中奥にて次期将軍・家斉に小姓として仕えていた。
ともあれ、松平忠香は実妹の統を介して―、婚家である松下家、更には市岡家を介して、岩本正利・喜内兄弟とも所縁があったのだ。それは即ち、治済との所縁でもあった。
「松平大膳亮様は越中様との所縁こそなきものの、なれど事程左様に上様との所縁がござりますれば…」
松平忠香こそ、今回の計画もとい「危険な遊戯」に一枚噛ませるに最も相応しい新番頭であると、岩本喜内は進言した。
治済としても全く同感であった。
いや、越中様こと定信との所縁はないとは申せ、同じ松平である。
しかも忠香が当主を務める松平家は庶流とは申せ、五井松平の流を汲むという名門であった。
五井松平と言えば、所謂十八松平の中でもトップクラスに位置し、定信の養家である白河藩松平家はそれよりも格下の久松松平の流を汲む、それもやはり庶流であった。
そうであれば定信が何かの折、新番頭の松平忠香と話す機会に恵まれ、その際、支配する番は違えど、新番士の佐野善左衛門の話題となり、結果、定信が佐野善左衛門にいたく興味を抱かれ、機会があれば近々、佐野善左衛門に遭ってみたい…、それが定信の意向であると、松平忠香より佐野善左衛門へと大意、その様に伝えて貰えれば、佐野善左衛門も容易にその話もとい「作り話を信じるに違いない。
治済はそうと決めると、松平忠香を今回の己の「危険な遊戯」に一枚噛ませることとし、しかしその為にはまず、松平忠香の「抱込み」が必要不可欠であった。
「さればそれにつきましては手前に…、兄、岩本内膳にお任せ願えれば…」
岩本喜内がそう請合った。
成程、松平忠香の「抱込み」、その為の「手入」は岩本内膳こと、内膳正正利が適任と言え、治済はその旨、許した。
治済はその上で、田安屋敷、それも下屋敷を寶蓮院らに気付かれぬ様、勝手に使うべく、その為にやはり必要不可欠となる田安家の下屋敷奉行の「抱込み」、「手入」を岩本喜内とそれに久田縫殿助の両名に任せることにした。
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