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正淳は富と共に倫子の中年寄を勤め、その後、萬壽姫の中年寄をも勤めた高橋と、高橋と共に萬壽姫の中年寄を勤めた大崎からも聴取する。
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「されば…、若狭は富の方殿への聴取は叶いましたので?」
意次は思い出したように尋ねた。
「いや、流石に富当人よりの聴取は治済に拒まれたらしい…、家斉、いや、当時はまだ豊千代であったな、その豊千代の養育を盾に取られてな…」
正淳が留守居に進んだ安永5(1776)年、家斉はまだ豊千代と幼名を名乗っており、この時、僅か3つに過ぎなかった。
「されば若狭は富の方殿への聴取を諦めましたわけで?」
「然様…、なれど富に聴きたいことがあらば、廣敷用人を通じてその旨、富に聴くが良いと…」
一橋館にも大奥に相当する廣敷があり、そこで富は暮らしており、ゆえに当然、富に仕えるべき男子役人たる廣敷用人も存在した。
治済はその廣敷用人を介して富への聴取を許可したとのことであり、これには意次も意外であり、
「一橋殿は然様なことを申されましたので?」
思わずそう聞き返したものである。
「然様…、尤も、だからと申して、富が正直に答えるとも思えなんだが、ともあれ正淳は治済によって召されしそれな廣敷用人に対して、富に糺したき儀を…、倫子が死の状況について伝え託し、廣敷用人より富へとそれが伝わり、富もまた廣敷用人に対してその儀に対する答えを託してと、斯かる経過を辿って、富の答えが正淳に伝わったそうな…」
「して、富の方殿がご返答は若狭を納得させましたので?」
意次はその答えを予期していながらも、一応、尋ねた。
それに対して家治は、「まさか…」と応ずると、
「やはりと申すべきか、或いは当然と申すべきか、昔のことゆえ記憶にないと抜かしたそうな…」
家治は意次が予期した通りの、いや、それ以上の答えをよこした。
意次としては富はもう少しまともな誤魔化しをしたものと予期していたのだが、それが、
「記憶にない…」
そのような陳腐な答えでお茶を濁そうとは、意次は心底、呆れ果てたるものであった。
「それで…、若狭は斯かる返答に対して…」
どのような反応を示したのか…、意次は家治にそう尋ねた。
「その場はとりあえず引き退がったそうな…」
「されば若狭はそれで納得致しましたので?」
意次は怪訝な表情を浮かべて尋ねた。
「無論、内心では到底、納得すまいが、なれどこれ以上、粘ってみたところで、富が…、と申すよりは治済がと申すべきところであろうか…、ともあれ正淳を納得させるようなまともなる返答が期待出来る筈もなく…」
確かにその通りだと、意次は思った。
「それに治済が反応を見極めるのが主目的ゆえ、正淳としてもこれ以上の長居は無用と、一橋館を後にしたそうな…」
「左様でござりましたか…、その結果、一橋殿は何ら動きを見せ申さず、それゆえに若狭も一橋殿が畏れ多くも御台様を害し奉りし下手人であると、確信致しましたわけで…」
意次が改めてそう尋ねると、家治も「然様」と応じた。
「ときに、畏れ多くも姫君様に附属せし中年寄は…」
今度は意知が思い出したかのようにそれを尋ねた。萬壽姫が身罷ったのは安永2(1773)年のことであり、この時にはもう、富は治済の側室として一橋館にて暮らしていたので、富が萬壽姫の、それも生前、最期の中年寄である筈はない。
「されば高橋ぞ」
家治がそう答えたので、意知は「西之丸の年寄の?」と聞き返した。
「然様…、今は西之丸にて…、西之丸の大奥にて大崎と共に年寄として仕えており、のみならず、かつては高橋と大崎は共に萬壽に中年寄として仕え、その後…、萬壽亡き後には客会釈として余に仕えた後、2年前、家斉が西之丸入りを果たしたのに伴い、高橋と大崎はその西之丸の大奥の年寄として召されたのだ…」
「されば…、姫君様には二人の中年寄が附属しておりましたので?」
意知がそう尋ねると、家治は意知が何を問おうとしているのかに気づき、
「されば意知は、倫子には中年寄が一人しか…、岩田こと富しか附属しておらなんだのかと、それを問いたいのであろう?」
家治は意知の質問の意図をピタリと言い当ててみせ、意知も「御意」と応えた。
「されば無論、倫子にも二人の中年寄が附属しておったわ…、一人は富、そして今一人は高橋ぞ…」
家治よりそう聞かされて、意知は絶句した。
「…それでは、高橋も畏れ多くも御台様を害し奉りし一人では…」
意知はやっとの思いで口を開くや、その可能性に触れた。
「如何にも…、されば正淳は高橋に対しては、萬壽が死の状況について糺すと共に、倫子が死の状況についても糺し、また、大崎に対しても同じく、萬壽と倫子、二人が死の状況について糺したそうな…」
「高橋に対しましては…、畏れ多くも御台様と姫君様のお二人に中年寄として仕えし高橋に対しまして、御台様と姫君様、お二人がご薨去の際の状況につきて尋ねましたるは当然のこととして、御台様には中年寄としては仕え奉ることはござりませなんだ大崎に対しましてもその、御台様がご薨去の際の状況につきて、若狭は尋ねましたので?」
意知がその点を尋ねると、これには父・意次が答えた。
「されば大崎も下手人の…、畏れ多くも御台様を害し奉りし下手人の一味だとして、されば大崎が御台様に中年寄として仕え奉らなんだとしても、御台様がご薨去の際の状況につきて糺すは決して無駄ではあるまい…」
意次は意知を諭すようにそう言うと、家治も「如何にもその通りぞ」と加勢したので、意知も「ははっ」と応じた。
「尤も、その大崎にしろ高橋にしろ、やはりと申すべきであろうな、正淳が糾問にまともに答えることはなかったそうだがの…」
「やはり…、記憶にないの一点張りにて?」
意知がそう勘を働かせるや、家治は頷くと、「いや…」と応じた。
「正淳としては大崎からも、高橋からも、まともな返答が得られるとは期待してはおらなんだ…」
家治がそう告げたので、「やはり…、二人の反応を見極めますのが主目的にて?」と意知は先回りしてそう尋ねた。
「然様…、大崎と高橋はその時…、正淳が糺した時には余に仕えし客会釈にて…」
客会釈…、御客会釈とは中年寄とは逆に、将軍にのみ附属する奥女中であり、御三家や御三卿、諸大名からの女遣の接待役である。
「されば己の糺し方が気に入らなければ、余に告口して貰うて一向に構わぬと…、或いは年寄に告口するのも勝手次第と、正淳は斯様に申したそうだが…」
「一橋殿同様に、大崎も高橋も何ら動きを見せることはなく…、告口には及ばず、と?」
意知が尋ねると家治は「然様」と応じたので、正淳はそれで高橋と大崎もまた、倫子の死に、いや、倫子のみならず、萬壽姫の死にまで関与したに相違あるまいと、そのように確信したのであろうと、意知はそう思った。
いや、意知も今ではそう確信するに至った。
意次は思い出したように尋ねた。
「いや、流石に富当人よりの聴取は治済に拒まれたらしい…、家斉、いや、当時はまだ豊千代であったな、その豊千代の養育を盾に取られてな…」
正淳が留守居に進んだ安永5(1776)年、家斉はまだ豊千代と幼名を名乗っており、この時、僅か3つに過ぎなかった。
「されば若狭は富の方殿への聴取を諦めましたわけで?」
「然様…、なれど富に聴きたいことがあらば、廣敷用人を通じてその旨、富に聴くが良いと…」
一橋館にも大奥に相当する廣敷があり、そこで富は暮らしており、ゆえに当然、富に仕えるべき男子役人たる廣敷用人も存在した。
治済はその廣敷用人を介して富への聴取を許可したとのことであり、これには意次も意外であり、
「一橋殿は然様なことを申されましたので?」
思わずそう聞き返したものである。
「然様…、尤も、だからと申して、富が正直に答えるとも思えなんだが、ともあれ正淳は治済によって召されしそれな廣敷用人に対して、富に糺したき儀を…、倫子が死の状況について伝え託し、廣敷用人より富へとそれが伝わり、富もまた廣敷用人に対してその儀に対する答えを託してと、斯かる経過を辿って、富の答えが正淳に伝わったそうな…」
「して、富の方殿がご返答は若狭を納得させましたので?」
意次はその答えを予期していながらも、一応、尋ねた。
それに対して家治は、「まさか…」と応ずると、
「やはりと申すべきか、或いは当然と申すべきか、昔のことゆえ記憶にないと抜かしたそうな…」
家治は意次が予期した通りの、いや、それ以上の答えをよこした。
意次としては富はもう少しまともな誤魔化しをしたものと予期していたのだが、それが、
「記憶にない…」
そのような陳腐な答えでお茶を濁そうとは、意次は心底、呆れ果てたるものであった。
「それで…、若狭は斯かる返答に対して…」
どのような反応を示したのか…、意次は家治にそう尋ねた。
「その場はとりあえず引き退がったそうな…」
「されば若狭はそれで納得致しましたので?」
意次は怪訝な表情を浮かべて尋ねた。
「無論、内心では到底、納得すまいが、なれどこれ以上、粘ってみたところで、富が…、と申すよりは治済がと申すべきところであろうか…、ともあれ正淳を納得させるようなまともなる返答が期待出来る筈もなく…」
確かにその通りだと、意次は思った。
「それに治済が反応を見極めるのが主目的ゆえ、正淳としてもこれ以上の長居は無用と、一橋館を後にしたそうな…」
「左様でござりましたか…、その結果、一橋殿は何ら動きを見せ申さず、それゆえに若狭も一橋殿が畏れ多くも御台様を害し奉りし下手人であると、確信致しましたわけで…」
意次が改めてそう尋ねると、家治も「然様」と応じた。
「ときに、畏れ多くも姫君様に附属せし中年寄は…」
今度は意知が思い出したかのようにそれを尋ねた。萬壽姫が身罷ったのは安永2(1773)年のことであり、この時にはもう、富は治済の側室として一橋館にて暮らしていたので、富が萬壽姫の、それも生前、最期の中年寄である筈はない。
「されば高橋ぞ」
家治がそう答えたので、意知は「西之丸の年寄の?」と聞き返した。
「然様…、今は西之丸にて…、西之丸の大奥にて大崎と共に年寄として仕えており、のみならず、かつては高橋と大崎は共に萬壽に中年寄として仕え、その後…、萬壽亡き後には客会釈として余に仕えた後、2年前、家斉が西之丸入りを果たしたのに伴い、高橋と大崎はその西之丸の大奥の年寄として召されたのだ…」
「されば…、姫君様には二人の中年寄が附属しておりましたので?」
意知がそう尋ねると、家治は意知が何を問おうとしているのかに気づき、
「されば意知は、倫子には中年寄が一人しか…、岩田こと富しか附属しておらなんだのかと、それを問いたいのであろう?」
家治は意知の質問の意図をピタリと言い当ててみせ、意知も「御意」と応えた。
「されば無論、倫子にも二人の中年寄が附属しておったわ…、一人は富、そして今一人は高橋ぞ…」
家治よりそう聞かされて、意知は絶句した。
「…それでは、高橋も畏れ多くも御台様を害し奉りし一人では…」
意知はやっとの思いで口を開くや、その可能性に触れた。
「如何にも…、されば正淳は高橋に対しては、萬壽が死の状況について糺すと共に、倫子が死の状況についても糺し、また、大崎に対しても同じく、萬壽と倫子、二人が死の状況について糺したそうな…」
「高橋に対しましては…、畏れ多くも御台様と姫君様のお二人に中年寄として仕えし高橋に対しまして、御台様と姫君様、お二人がご薨去の際の状況につきて尋ねましたるは当然のこととして、御台様には中年寄としては仕え奉ることはござりませなんだ大崎に対しましてもその、御台様がご薨去の際の状況につきて、若狭は尋ねましたので?」
意知がその点を尋ねると、これには父・意次が答えた。
「されば大崎も下手人の…、畏れ多くも御台様を害し奉りし下手人の一味だとして、されば大崎が御台様に中年寄として仕え奉らなんだとしても、御台様がご薨去の際の状況につきて糺すは決して無駄ではあるまい…」
意次は意知を諭すようにそう言うと、家治も「如何にもその通りぞ」と加勢したので、意知も「ははっ」と応じた。
「尤も、その大崎にしろ高橋にしろ、やはりと申すべきであろうな、正淳が糾問にまともに答えることはなかったそうだがの…」
「やはり…、記憶にないの一点張りにて?」
意知がそう勘を働かせるや、家治は頷くと、「いや…」と応じた。
「正淳としては大崎からも、高橋からも、まともな返答が得られるとは期待してはおらなんだ…」
家治がそう告げたので、「やはり…、二人の反応を見極めますのが主目的にて?」と意知は先回りしてそう尋ねた。
「然様…、大崎と高橋はその時…、正淳が糺した時には余に仕えし客会釈にて…」
客会釈…、御客会釈とは中年寄とは逆に、将軍にのみ附属する奥女中であり、御三家や御三卿、諸大名からの女遣の接待役である。
「されば己の糺し方が気に入らなければ、余に告口して貰うて一向に構わぬと…、或いは年寄に告口するのも勝手次第と、正淳は斯様に申したそうだが…」
「一橋殿同様に、大崎も高橋も何ら動きを見せることはなく…、告口には及ばず、と?」
意知が尋ねると家治は「然様」と応じたので、正淳はそれで高橋と大崎もまた、倫子の死に、いや、倫子のみならず、萬壽姫の死にまで関与したに相違あるまいと、そのように確信したのであろうと、意知はそう思った。
いや、意知も今ではそう確信するに至った。
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