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田安館に岩本正利を差し向ける「リスク」につき、一橋館の番頭である鈴木治左衛門と守山八十郎はその役目柄、本能的にそれに気づき、難色を示す。

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 だが久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ以外は治済はるさだのそんな胸中きょうちゅうに気づかないと見え、彼らは治済はるさだ縫殿助ぬいのすけとの間でひろげられたやり取りを首をかしげてながめるばかりであり、そうと気づいた久田ひさだ縫殿助ぬいのすけはそのことを彼らにもくだいて説明してやった。

 すると用人ようにん永井ながい與右衛門よえもん定之さだゆきが表情をくもらせつつ、

「なれどそのためには彼ら…、高井たかい多宮たみやらに対しまして、上様うえさまがその、竹本たけもと九八郎くはちろうめに山城やましろめの殺害をけしかけられましたることをも、それもまずはじめに打ち明けねばなりますまい…」

 そう指摘してきした。永井ながい與右衛門よえもんのその懸念けねん中々なかなかまとており、久田ひさだ縫殿助ぬいのすけの説明を正確せいかくに理解したからこその指摘してきと言えた。

 確かにその通りであり、岩本いわもと正利まさとし高井たかい多宮たみやらにそれを打ち明けないことには、つまりは治済はるさだ竹本たけもと九八郎くはちろうとのやり取りをはぶいて、ただ、九八郎くはちろう高井たかい多宮たみやらに対して、

田沼たぬま意知おきともを殺すことについて相談を持ちかけるに相違そういなく…」

 そのようにいきなり切り出しても、高井たかい多宮たみやらとしては当たり前だが、岩本いわもと正利まさとしは何ゆえにそのようなことを言うのかと、首をかしげるばかりであろう。

 そこで岩本いわもと正利まさとしより高井たかい多宮たみやらに対して意知おきともを殺すことについて相談を持ちかけるに違いない竹本たけもと九八郎くはちろうのその背中せなかを押してやって欲しいとたのんでもらうに当たり、その前段階ぜんだんかいとして、治済はるさだ九八郎くはちろうとの間でのやり取り、すなわち、

治済はるさだ竹本たけもと九八郎くはちろうに対して田沼たぬま意知おきともを殺すようけしかけた一件…」

 それを説明してもらうことになるわけだが、しかし、それに対して高井たかい多宮たみやらが如何いかなる「アクション」を起こすか、それが永井ながい與右衛門よえもん懸念けねんの種であった。

 高井たかい多宮たみやらが如何いか岩本いわもと正利まさとしの、

「かつての同僚どうりょう…」

 もっと言えば仲間なかまであったとしても、そのような重大事じゅうだいじを打ち明けられれば最悪、公儀こうぎ…、幕府に通報するやも知れないからだ。

 ともあれ久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ永井ながい與右衛門よえもん懸念けねん至当しとうと認めつつも、

「確かに、これで例えば書状しょじょうでのやり取りなればそれが確かなあかし…、上様うえさま竹本たけもと九八郎くはちろうめに山城やましろめの殺害をけしかけし確かなるあかしとなるやも知れませぬが、じかっての話し合いともなれば何のあかしも残らず…」

 そう告げて、永井ながい與右衛門よえもんを驚かせた。

 いや、番頭ばんがしらである鈴木すずき治左衛門じざえもん直裕なおひろ守山もりやま八十郎はちじゅうろう房覺ふさあき両名りょうめいの驚きぶりたるや、それ以上であった。

しからば、上様うえさま岩本いわもと殿に田安たやすやかたへと足をはこばせまするご所存しょぞんにて?」

 鈴木すずき治左衛門じざえもん治済はるさだにそうたずねた。それこそが彼らの驚きの正体しょうたいであった。

 御三卿ごさんきょうとは何のえん所縁ゆかりもない、言ってみれば部外者ぶがいしゃがその御三卿ごさんきょうやかたへと足を運ぶことが如何いかにありないことであるか、とりわけ番頭ばんがしらという、やかたを守るべき番方ばんかた…、武官ぶかん頂点ちょうてん位置いちする鈴木すずき治左衛門じざえもん守山もりやま八十郎はちじゅうろうはその役目やくめがら

本能的ほんのうてきに…」

 そのことに気づいたのであり、また、永井ながい與右衛門よえもんにしても鈴木すずき治左衛門じざえもん守山もりやま八十郎はちじゅうろうほどではないにしても同様どうようであった。

 いや、岩本いわもと正利まさとしは確かにかつては田安たやすやかたにて小姓こしょうとして田安たやす家の始祖しそである宗武むねたけつかえたことがあり、それゆえ田安たやすやかたとはまったくもって、

えん所縁ゆかりもない…」

 というわけではないものの、それでも今の岩本いわもと正利まさとし最早もはや田安たやすの臣ではなく、普請ふしん奉行であり、いや、それどころか一橋ひとつばし治済はるさだ実子じっしにして次期将軍たる家斉いえなりの、

母方ははかた祖父そふ…」

 という立場にあり、田安たやすよりも一橋ひとつばしとのえにしの方が強かった。

 そのような岩本いわもと正利まさとしが、

「かつての勤務先きんむさき…」

 とも言うべき田安たやすやかたを訪れたところで、たしてやかたの中へと通してくれるか、はなはだ疑問であり、仮にやかたの中へと通ることがかなったところで附人つけびと頂点ちょうてん位置いちする家老かろうの目にいやでも止まるというものであろう。

 いや、家老かろうならまだ良い。御三卿ごさんきょう家老かろうなど所詮しょせんは、

「おかざり…」

 まさしくそのような存在そんざいぎないからだ。無論むろん、ここ一橋ひとつばしやかためる水谷みずのや勝富かつとみのように、御三卿ごさんきょう家老かろうとしてのその本来ほんらい職分しょくぶんとも言うべき、

御三卿ごさんきょう監視かんし…」

 それをたそうとする家老かろうもいたが、しかし、それはあくまで例外れいがいであり、そのほとんどは、

大過たいかなく…」

 御三卿ごさんきょう家老かろうとして、日々ひびごしたい、それも、

「やりごしたい…」

 ようは「ことなかれ主義しゅぎ者」でめられており、今の田安たやすやかためるただ一人ひとり家老かろうである戸川とがわ山城守やましろのかみ逵和みちともなどはまさにその典型てんけいと言えた。

 いや、中には同じくここ一橋ひとつばしやかたにて、水谷みずのや勝富かつとみ相役あいやく…、同僚どうりょうとしてつかえるはやし忠篤ただあつのように監視かんし対象たいしょうであるはず御三卿ごさんきょうまれてしまう家老かろうさえいた。

 問題なのは番頭ばんがしらであった。

 御三卿ごさんきょうやかたにてつかえる番頭ばんがしら家老かろう附人つけびとであり、のみならず、御三卿ごさんきょうやかたつかえる家臣かしんだん所謂いわゆる

邸臣団ていしんだん…」

 その事実上じじつじょうのトップに位置いちしていた。

 無論むろん、「邸臣団ていしんだん」のトップはあくまで家老かろうではあるものの、先述せんじゅつした通り、家老かろうはあくまで「おかざり」にぎず、実際に御三卿ごさんきょうやかた差配さはいしているのは番頭ばんがしらであった。

 家老かろう役方やくかた…、文官ぶんかんのトップであるのに対して、番頭ばんがしら番方ばんかた…、武官ぶかんのトップであり、それゆえかり岩本いわもと正利まさとしやかたおとずれたりすれば、実際にやかた警備けいびしている番頭ばんがしら配下はいか組頭くみがしらを通じて、ぐに番頭ばんがしらへとその訪問ほうもんが耳に入る仕組しくみになっていた。

 すると番頭ばんがしらは…、田安たやすやかた番頭ばんがしらである常見つねみ文左衛門ぶんざえもん直與なおとも中田なかた左兵衛さへえ正綱まさつなの二人が岩本いわもと正利まさとしに対して、

一体いったい、何の用件ようけんにて不意ふいおとずれたのか…」

 そのことを誰何すいかされるのは必定ひつじょう…、番頭ばんがしらである鈴木すずき治左衛門じざえもん守山もりやま八十郎はちじゅうろうには役目やくめがら、そのことに本能的ほんのうてきに気づいたからこそ、岩本いわもと正利まさとし田安たやすやかたへとけることに誰よりも驚き、そして、難色なんしょくをもしめしたのであった。

 それに対してやはりと言うべきか、怜悧れいり久田ひさだ縫殿助ぬいのすけはそんな鈴木すずき治左衛門じざえもん守山もりやま八十郎はちじゅうろう懸念けねんに気づくや、微笑びしょうかべたかと思うと、

「されば明日は15日、月次つきなみ御礼おんれいでござるぞ…」

 鈴木すずき治左衛門じざえもん守山もりやま八十郎はちじゅうろうの二人にそうげたのであった。するとそれに対して二人は思わず、それも同時に、「あっ」と声を上げたのであった。
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