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治済が一橋館にて仕える六役に対して奏者番の意知が若年寄に内定したことを告げるや、用人の杉山嘉兵衛美成が真っ先に反応する。

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 一方、こおり奉行の木村きむら源助げんすけ敬忠ゆきただ稲守いなもり三左衛門さんざえもん榮正よしまさはと言うと、二人とも家基いえもとの死以前にここ一橋ひとつばしやかたにて八役はちやくであるこおり奉行としてつかえ始めたものの、しかし、治済はるさだはこの二人のこおり奉行に対してもやはり心を許してはいなかった。

 それと言うのも木村きむら源助げんすけにしろ稲守いなもり三左衛門さんざえもんにしろ、所謂いわゆる

一橋ひとつばし譜代ふだいの臣…」

 それではなく、勘定かんじょうより異動いどうしてきた口であり、つまりは、

外様とざま…」

 というわけで、治済はるさだとしてはいまひとつ信用が置けず、そこでこの二人には勿論もちろん家基いえもと一件いっけんに関わらせてはおらず、ゆえに当然とうぜん、「密談みつだん」から除外じょがいしたのであった。

 いや、それなら勘定かんじょう奉行の小倉おぐら小兵衛こへえ雅周まさちかとて、木村きむら源助げんすけ稲守いなもり三左衛門さんざえもん立場たちばは同じであった。

 すなわち、小倉おぐら小兵衛こへえもまた勘定かんじょうより、それもその筆頭ひっとうである評定所ひょうじょうしょ留役とめやくより一橋ひとつばしやかた勘定かんじょう奉行へと異動いどうたし、本来ほんらいなれば、こおり奉行の木村きむら源助げんすけ稲守いなもり三左衛門さんざえもん同様どうよう

外様とざま…」

 それに色分いろわけされるにもかかわらず、しかし、治済はるさだはこの小倉おぐら小兵衛こへえに対しては家基いえもとの一件にかかわらせており、ゆえに「密談みつだん」にも当然とうぜん、参加を許していたのだ。

 それでは何ゆえに治済はるさだ本来ほんらい木村きむら源助げんすけ稲守いなもり三左衛門さんざえもん立場たちばが同じであるはず小倉おぐら小兵衛こへえに対してはこうも対照的たいしょうてき姿勢しせいを見せるのかと言うと、それは小倉おぐら小兵こへえが、

一橋ひとつばし譜代ふだいの臣…」

 であったからだ。

 成程なるほど小倉おぐら小兵衛こへえのその「キャリア」だけから見れば、勘定かんじょうより異動いどうしてきた木村きむら源助げんすけ稲守いなもり三左衛門さんざえもん同様どうよう外様とざま色分いろわけされがちだが、しかし、小倉おぐら小兵衛こへえの場合、ただ勘定かんじょう、それも筆頭ひっとうたる評定所ひょうじょうしょ留役とめやくより異動いどうたしたわけではなく、さしずめ、

二代目にだいめ勘定かんじょう奉行…」

 その顔を持ち合わせていたのだ。

 すなわち、小兵衛こへえが父、小倉おぐら伴内ばんない孟雅たけまさもまた、この一橋ひとつばしやかたにて勘定かんじょう奉行としてつかえ、そのそく小兵衛こへえは「二代目にだいめ勘定かんじょう奉行」に当たるのだ。

 それゆえ治済はるさだ一見いっけんこおり奉行の木村きむら源助げんすけ稲守いなもり三左衛門さんざえもん立場たちばが同じに見えるこの小倉おぐら小兵衛こへえに対しては、やはり家基いえもと一件いっけんに関わらせており、ゆえに「密談みつだん」にも参加させたのだ。

 そしてそれは同じく勘定かんじょう奉行の寒河かんこう宇八郎うはちろう常員つねかずにも言えることであった。

 ことに寒河かんこう宇八郎うはちろうの場合、自身じしんが、

一橋ひとつばし譜代ふだいの臣…」

 であったのだ。

 すなわち、小倉おぐら小兵衛こへえのように、あるいは木村きむら源助げんすけ稲守いなもり三左衛門さんざえもんのように、勘定かんじょうより異動いどうしてきたわけではなく、この一橋ひとつばしやかたにてまずは小十人こじゅうにん皮切かわきりに、大番おおばん順次じゅんじ昇進しょうしんかさね、所謂いわゆる

はんすすめ…」

 そしてつい八役はちやくである勘定かんじょう奉行へとのぼめたわば、

一橋ひとつばしやかたのプロパー社員」

 そう言えたので、それゆえ治済はるさだはこの寒河かんこう宇八郎うはちろうにしても小倉おぐら小兵衛こへえ同様どうよう家基いえもと一件いっけんに関わらせ、そして「密談みつだん」にも当然とうぜん、参加させることにしたわけだ。

 こうして茶室ちゃしつに一部の者をのぞいて彼ら「六役ろくやく」をまねいた治済はるさだはそこで意知おきともが若年寄へと進むことが内定ないていしたことを告げたのであった。

 するとさき反応はんのうしめしたのは用人ようにん杉山すぎやま嘉兵衛かへえ美成よししげであった。

 嘉兵衛かへえもまた、治済はるさだ手先てさきとして、

家基いえもと寿命じゅみょうちぢめる…」

 つまりは家基いえもとわって、治済はるさだ実子じっし家斉いえなりを次期将軍にえるとの、治済はるさだのその姦計かんけいに手をしたのであった。

 嘉兵衛かへえもまた、治済はるさだが父にして一橋ひとつばし家の始祖しそである宗尹むねただの頃よりここ一橋ひとつばしやかたにてつかえていたわば、

一橋ひとつばしのプロパー社員…」

 であったものの、しかし、嘉兵衛かへえはそれだけで治済はるさだ姦計かんけいに手を貸したわけではなかった。

 嘉兵衛かへえには砂野いさのなる今年で24になる孫娘まごむすめがいるのだが、この砂野いさのは現在、大奥にてつとめており、治済はるさだはそこに目をつけたのであった。

 すなわち、砂野いさの大奥おおおくでの出世を約束、わば、

取引とりひき条件じょうけん…」

 として、嘉兵衛かへえにも、

家基いえもと寿命じゅみょうちぢめる…」

 その姦計かんけい片棒かたぼうかつがせたのであった。

 いや、治済はるさだとしては本来ほんらい、このような回りくどい真似まねをしなければ嘉兵衛かへえの協力を得られないならば、そもそも嘉兵衛かへえの協力など求める必要はないように思われたが、しかし、

家基いえもと寿命じゅみょうちぢめる…」

 その姦計かんけいを成功させるにたってはどうしても大奥おおおくの協力がかせず、つまりはその姦計かんけい手引てびきをしてくれる奥女中おくじょちゅう存在そんざいかせず、それもただの奥女中おくじょちゅうでは駄目だめで、

中年寄ちゅうどしより…」

 その地位にある奥女中おくじょちゅう存在そんざいかせず、そこでこの一橋ひとつばしやかたつかえる者の中で一族いちぞくの中に大奥おおおくにて、それも中年寄ちゅうどしよりとしてつかえている者は誰かと見渡みわたせば、畢竟ひっきょう用人ようにん杉山すぎやま嘉兵衛かへえ収斂しゅうれんされ、そこで治済はるさだとしてはこの嘉兵衛かへえに対して孫娘まごむすめ砂野いさの大奥おおおくでの出世を、

取引とりひき条件じょうけん

 にして、嘉兵衛かへえにも家基いえもと寿命じゅみょうちぢめるという姦計かんけい片棒かたぼうかつがせることに成功したのであった。

 事実、砂野いさのは去年、さらに言うなら治済はるさだ実子じっし豊千代とよちよこと家斉いえなりが次期将軍として江戸城西之丸にしのまる入りを果たしたその翌年の天明2(1782)年に中年寄ちゅうどしよりより年寄としよりへと昇進しょうしん

 いや、嘉兵衛かへえのみならず、孫娘まごむすめである砂野いさのにも片棒かたぼうかついでもらったわけで、それゆえ嘉兵衛かへえとしてはその姦計かんけいが、すなわち、

家基いえもと寿命じゅみょうちぢめる…」

 いや、実際にちぢめてしまったその姦計かんけい表沙汰おもてざたになることをおそれており、姦計かんけい首魁しゅかいとも言うべき治済はるさだ同様どうよう、いや、それ以上に周囲しゅうい些細ささい異変いへんにも神経しんけいとがらせており、わば、

「アンテナをっており…」

 それゆえ大名ですらない意知おきともが若年寄に内定ないていしたと治済はるさだより聞かされるや、

「よもや…、4年前の一件いっけん山城やましろめに探索たんさくさせるためではござりますまいな?」

 嘉兵衛かへえのその「アンテナ」にぐに反応はんのうしたようで、つまりは嘉兵衛かへえぐにそこに気がついたのだ。

「分からぬ…、山城やましろめが昇進しょうしんは一応、御側御用取次おそばごようとりつぎ横田よこた筑後ちくごめが言い出したことらしく…、されば如何いかにも一見いっけん主殿とのもめが我が子可愛かわいさから、子分こぶんとも言える横田よこた筑後ちくごめを使嗾しそうして、せがれ山城やましろめが昇進しょうしんを言い出させたとも考えられるが…」

 治済はるさだがそこまで口にすると、嘉兵衛かへえが続きを引き取ってみせた。

「その実、上様うえさまがおのぞみあそばされし人事ではないか、と?」

 嘉兵衛かへえ治済はるさだの顔をのぞむようにしてその表情をうかがいつつ、確かめるようにそう言うと、治済はるさだもその通りだと言わんばかりにうなずいた。
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