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第四話(4)

ドッペルゲンガーあらわる

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「私が出勤して、営業部へ行く廊下を歩いていると、後ろから来た誰かが、私の背中を、バン!と、手のひらでたたくと同時に言いました。

「内村君、やるじゃないか!物件内覧を取れるとは!早いな!こう言っちゃなんだが、設計部員が営業を出来るようになるには1年や2年はかかると思っていたよ!」

左を向くと営業部長の顔がありました。
私は、何のことを言われているのか、わかりませんでしたが、営業部長のハイテンションに驚いて、言葉が出ませんでした。

営業部長の話を総合すると、昨夕、就業時間が終わってから、営業部長が出張から帰ってきて、営業部の自分のデスクを見ると、他の営業部員が提出した書類や報告書にまじって、建売物件内覧届が出されていたそうです。

物件は、R市内に建てて、内覧を募集している家なのですが、市内の他の町にお住まいの梅原さんというご夫妻が、内覧を申し込まれ、担当者欄には「内村優也」と書いてあるそうです。

私は誰かが、私の名前を使って、いやがらせをしているのではないかと疑い、営業部長に、その届を見せてください、とお願いしました。営業部長は不思議そうな顔をしましたが、いっしょに部長のデスクまで行き、私に届を渡してくれました。

内覧希望者欄には「梅原健二、真由美」と書いてあり、そのお二人の担当者として「内村優也」と書いてあります。私の筆跡でした。提出日はきのうの日付で、これも私の筆跡でした。

私は届を見てぼう然となりました。なぜなら私は、梅原ご夫妻に、会ったこともなく、梅原ご夫妻の現在の住所を、訪問したこともなかったからです。

この届を書いた憶えも、提出した憶えもないのです。

しかし、物件内覧は、見学するお客様どうしの内覧時間が重なり合わないよう、届が出された順に、予約が入れられてゆきます。私は月末の日曜日の午前中に、会ったことがない梅原夫妻を案内しなければなりません……」




「それで、ドッペルゲンガー現象が起こっているのでは、と、考えられたわけですね…内村さんのドッペルゲンガーが、梅原夫妻と会い、物件の内覧を取りつけ、届を書いて部長さんに提出したと…」

鈴木医師がまとめた。

内村氏はうなずいた。

「それだけではないんです。会社のトイレの洗面所の鏡で、昼食に食べたものが歯についていないか、などの、出かける前の身だしなみのチェックをしていた時にです…私は顔の筋肉を動かしていないはずなのに、鏡の中の自分が、にっこり微笑んだりするのです。がんばれよ、という感情のこもった微笑みですが…」


(う~ん。)
鈴木医師は考え込んだ。

(当人がしたことなのに記憶がない、のであれば、解離性障害による二重人格、の可能性はあるが、梅原夫妻と関わったところだけ記憶が抜け落ちているだけなら、大きな緊張を強いられている環境のせいで、うつ状態になっていて、した仕事の一部が思い出せないだけかもしれない…鏡の中の自分が微笑んでくるというのは、統合失調症の陽性症状と考えられなくもないが、被害的な幻覚ではないしなあ…今の話からだけでは、まだ何とも決められないな…)

鈴木医師は、自分の判断を、正直に伝えることにした。

「内村さんのお話から、いくつかの、違う病気の可能性がありますが、今のところの情報だけでは、どの病気か決めかねます。この先、1ヶ月ほど日にちをかけて、何が起こるか起こらないかの観察を続けてみてもらえますか?そして、また不審なことが起これば、お聞かせいただけますか?」

内村氏は、すぐに結論が出ないことに、すこしがっかりした表情を見せた。

鈴木医師は、診察室にかけてあるカレンダーを見てから続けた。

「次の診察日は、梅原夫妻との内覧日の後になりますね。内覧は出来そうですか?不安はありますか?」

内村氏は少し考えてから、答えた。

「梅原夫妻とは会った記憶がないとはいえ、現地集合ですから、お会いして、物件の家を説明することは出来ると思います。家の構造や造作については、他の営業部員より、はるかに知識がありますから。」

「そうですか、それならひとまず安心ですね。次回の診察で、内覧の時に起こったことや、感じたことについて、私に話してください。」

と、鈴木医師は言い、内村氏は、
「わかりました。」

と返事して、診察室を後にした……
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