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第四話(3)

仏の手腕

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「秋本先輩が運転席に乗り込み、私は助手席に座りました。秋本先輩は、行くべきところへの道順が、頭に入っているらしく、ナビやグーグルマップは使いませんでした。

会社のビルがあるオフィス街をぬけて、商店街がある下町のほうへ来ました。店舗が並んだ表通りを横目に、裏通りに入り、アパートや小さいマンションが並んでいる居住のエリアに来ました。

秋本先輩は、あるマンションの駐車場に軽自動車を乗り入れ、白線で区切られた駐車スペース内に停めました。

「この駐車スペース、勝手に停めていいんですか?」

私が聞くと、

「だいじょぶ、だいじょぶ。今から訪問するところの駐車スペースだから。日中は、だんなさん車で出勤していて空いてるから。」

と言いながら、たったと車を降り、マンションの入口に向かうので、私もあわててついてゆきました。

先輩は、スキップしながら階段で2階に上がり、中程の部屋のドアの前まで行き、インターホン付きチャイムを押しました。

ややあって、不機嫌な女性の声が、インターホンから響きました。

「セフティホームさんね。うちはA社の家を買うことに決めたと、この間、言ったでしょ。何度もしつこく来ないでちょうだい。」

「奥さん、それがですね…A社の家に、ある欠陥があることがわかったんですよ…今日はそれをお伝えに来ただけなので…ここで申し上げますね。」

秋本先輩はインターホンに顔を近づけて、ささやくように言いました。イライラしていた奥さんが沈黙しました。

「奥さんがA社の家に決められたのは、A社のカタログに「震度7まで耐えられます。」と書いてあるのを読んだことも、決心の理由のひとつになっていませんか?」

奥さんは少し考えている様子でしたが、
「そうね。私も夫も、そこは確認したわね。」
と、答えました。

秋本先輩は、我が意を得たり!という表情で、
「そこが!A社は、理論上の計算値でそう書いているだけで、うちのように、実験して、震度7に耐えられることを証明しているわけではないんですよ!」

奥さんが、ハッと息をのむのが、インターホン越しでも、はっきりとわかりました。

秋本先輩は、たたみかけるように言いました。
「今日はそのことに詳しい設計部の内村を連れてきました。ドア越しでいいですから、内村の話も聞いてやってくださいよ。」
秋本先輩は、インターホンのカメラに私の顔が写る位置まで、私を無理矢理引っ張って、カメラの前に顔をすげさせました。

「あら、イケメンの方ね。待ってね。」

奥さんは、さっきまでの不機嫌はどこへやら、すぐパタパタ足音が聞こえると、ドアチェーンはつけたままですが、ドアを開けてくれました。

「内村君、さあ、専門家の意見を、奥様に話してくれたまえ。」

私は、ドキドキして、しどろもどろだったのですが、今朝、営業部で秋本先輩に話したのと同じ話を、奥さんにも話しました。

奥さんの、初めて聞いたわ~、という表情が変わらないうちに、秋本先輩は、奥さんの目の前に、自分のスマホを差し出し、我が社の家の軸組を震度7相当で揺らしている実験の時の録画を、ループ再生で、しばらく見てもらいました。

そして先輩は、きめゼリフを言いました。

「実験で安全が証明されている我が社と、理論上の計算値だけで、いかにも安全そうに書いているA社と、どちらを信頼なさいますか?」

奥さんは、真剣な表情で、しばしだまりこんでしまいました。そして、口を開いた時、こう言いました。

「私だけでは決められないから、夫がいる休みの日に、もう一度来てくれる?」

その言葉を聞いた、秋本先輩は、喜びの笑みをかみしめるような表情で、深々と頭を下げました。

「ありがとうございます。日曜日にお電話の上、うかがわせていただきます。」

私も、合わせて頭を下げました。



この日は、同じ要領で、5軒のお客様を訪問し、A社の家に決めていたお客様、決めかけていたお客様の心をひっくり返し、我が社の家に再度、注目を集めさせてもらい、次回の訪問の約束を取り付けました。

私は、順をふんでテンポよく話し、お客様の心をつかんで動かす、秋本先輩の手腕に、ただただ驚きを隠せませんでした。

それから3週間ほどは、秋本先輩に付き従って行動を共にし、営業の実際を見せてもらいました。


ーー


「内村君、そろそろひとりだちをしてもらわないとね~。」

ある朝、秋本先輩から、私が恐れていた言葉が投げかけられました。

「最初は緊張すると思うけど、ひとりでお客様と向かい合って初めて、見えてくるものがあるんだよ。今日からひとりで顧客まわり10軒ね~。」

秋本先輩はそう言って、我が社の家を紹介したパンフレットと、お客様の氏名と住所と電話番号がまとめてあるリストを、ドサッと私に渡しました。

「それから、コレ、営業車のキー。くれぐれも駐車違反にならないように気をつけてね~。」

クルマのナンバーが書かれたキーホルダー付きのキーをお客様のリストの上に置かれ、私はたいへんな宿題を出された小学生のような、悲しい気持ちになりました。

でも、いつまでも秋本先輩について行くだけというわけにはいかないことは、自分でもわかっていましたから、なんとかトライしてみようと思いました。



最初は、お客様を訪ねても、インターホン越しに、
「パンフレットは郵便受けに入れといて。いま忙しいから。」
などと言われ、お客様に会ってもらうこともなかなかできませんでした。



「ドンマイ、ドンマイ。内村君にとっては、生まれて初めての経験なんだから、そのうち慣れてくるよ~。2度目は、パンフレットを読んでいただけましたか?と言って訪問するんだよ~。」

秋本先輩がそう教えてくれるのが、救いでした。

ところが営業部の中で、私への嫌がらせというか、もて遊ばれているというか、とんでもないことを始めている人達もいたのです。



ある時、外回りから帰ってくると、真島という名の、皮肉っぽい先輩が、私の肩越しに、声をかけてきました。

「今、俺達の間でさ、カケをやっているんだけどさ、君が成約を取れるか、取れないかというカケよ。まあ俺は、取れないほうにかけてるから、期待を裏切らないでくれよな。」

そう言うと、ニヤニヤしながら私を追い越して行ってしまいました。

私は涙が出そうになりました。
元の所属部署は違えど、家という製品を造って、それを販売して利益を上げて、給与をもらう仲間ではありませんか。どうして嫌がらせをするのでしょうか。

私は夕方こっそり、真島先輩に言われたことを、秋本先輩に相談しました。

秋本先輩は、言いました。

「あいつらは、新人が入ってくると、いつもそういう嫌がらせをするのさ。心がねじくれているんじゃないかね。気にするなよ。営業はコツコツ続けることで必ず成果が出てくるから。」

私は秋本先輩の言葉を信じて、お客様への訪問を続けました。

そんな時に、あの不思議な出来事が起こったのです……」
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