奇文修復師の弟子

赤星 治

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四章 儀式と狂う計画

7 狂い、不気味に迫る

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「じゃあすいませんシャイナさん。多分すぐ戻ってくるとは思いますが……」
 ダイクに呼ばれた日の昼過ぎ、モルドは洗濯物を入れようとしているシャイナに声を掛けた。
「はい。大事な用事だから、こっちの事は気にしないで」
 相変わらず機嫌がいい。

 ダイクが来る前から、薄々、なにか異変を感じていたモルドだが、やはり長年の記憶喪失とはこういった後遺症を残すものだという解釈は拭えなかった。


 モルドを見送ったシャイナは、上機嫌に鼻歌を交えて洗濯物を取り込んでいた。

「そうだ。モルド君も、もう一年以上もいるんだし家族みたいなものよね。お父さんも帰ってきて、お母さんも揃ったら皆で食事して、モルド君も家族になってもらえるように話してみよ」
 シャイナは洗濯物を物干し竿から外しながら喋った。
「……え? お父さんはまたすぐ出ていくって?」
 誰かと話しているみたいな独り言。
「もう、大丈夫よ。あちこち動こうとする人は何を言っても聞かないんだから、いっそのこと動けなくすればいいのよ」

 最後の洗濯物のシーツを外すと、シャイナの進行方向に、かつて真っ黒い少女同様に全身が黒い、シャイナと同じ背格好、髪型の女性と思われる人物が、笑顔で立っていた。
 シャイナは”それ”と目が合いながら話していた。

「そうよ。お父さんもお母さんもモルド君も、家から出れなくすればいい」
 手に持った洗濯物を地面に落とし、両手の指先を合わせ、笑顔で真っ黒い女性に語った。
「そしたらいつも皆、一緒に居られるじゃない!」

 突然の髪を靡かせるほどの風が横から吹き、髪が顔にかかりながらもやり過ごすと、前方に真っ黒い女性はいなかった。
 シャイナは何が起きたか分からないまま、地面に落ちた洗濯物を慌てて広い、家へと戻った。
 不思議な事に、モルドを見送った時はまだ太陽が高い位置にあったはずが、既に周囲が薄らと朱色に染めるほどの夕方であった。

(……あれ? 私……こんな時間まで洗濯物を?)
 モルドを見送ってからの記憶がまるで無かった。
 奇妙な感覚に陥ったままのシャイナは、急に予定が狂ってしまったことに焦りつつ、夕食の準備に取り掛かろうとした。


「――やめて!! シャイナには――」
 突然母親の叫ぶ声がした。
 台所にて夕飯を作っているシャイナは、手を止めて周囲を見回した。しかし誰もいない。
「――駄目だエメリア!! それをすると」
「これしか方法がないの!」
 シャイナの両親が何かしようとしている。
 その光景が、何も無かった台所に幻覚として突如、シャイナの眼前で繰り広げられた。

 エメリアは、少女を抱きしめている。
 シャイナは胸が締め付けられる程に苦しみ、その場に座った。それでも眼前の光景を眺めていた。
 男性がエメリアと少女に近づこうとするが、二人を囲う鉄格子のような黒い物体に阻まれて近づけない。
 その黒いものは、よく見ると奇文である。そして少女の身体中に蔓延っているのも奇文と分かる。
 シャイナは息苦しくなり、胸を抑え呼吸を荒げ、それでも三人の様子から視線を逸らせない感情が釘付けにさせた。

「待て! それをこんな所で壊せば取り返しがつかなるなるぞ!」
 男性の叫びを無視し、エメリアは右手に握った墨壺と思われるものを、地面に叩きつけて割った。
「貴方、この子を頼みます」

 墨壺が割れた途端、少女に纏わりついた奇文が彼女の肌から剥がれ、一定の位置で少女を守る繭のような形になった。
 割れた墨壺からみるみる増えていく奇文は、まるで沼の様な様子を形成した。
 奇文の繭に守られた少女を、男性の方に投げたエメリアは、沼の奇文が身体中を這い上がった。



「いやああああぁぁぁ――!! お母さぁぁん!」
 シャイナは唐突に記憶を全て思い出した。
 母親がどのような顛末を迎え、それに自分が関与している事も全て。
「駄目だよシャイナ」
 シャイナの背後に、あの真っ黒い女性が立っていた。
 先程と違い、シャイナはその異様で怨霊染みた不気味な姿に、全身が凍り付く思いである。
「……あ、ああ……あなた……は?」涙をこぼすし、恐怖が増しながらも、見上げた。
 身体がまるで動かせない。
「寂しいこと言わないでよ」
 真っ黒い女性はシャイナにゆっくりとしがみ付いた。
「ひ、ひぃっ――!!」
 すぐ自分の顔の傍にその不気味な顔がある。
 肌触りは人間そのものだがひんやりと冷たい。
 不気味さ、恐怖、体感から寒気と鳥肌が立つ。

「私はあの時からずっと……」
 シャイナは黒い女性に顔を撫でられ、顎を掴まれて視線を男性の方へ向けられた。
 幻覚の光景は、男性の元まで投げられた少女の繭が、紐が解けるように緩み、みるみる少女の中へ吸い込まれた。
「……あなたと一緒にいたじゃない。シャイナ」
 恐る恐るシャイナが女性の方を向くと、自分と同じ顔の女性が穏やかな笑みを向けていた。
「いやあああああぁぁぁ――!!」
 叫びと同時に、幻覚も真っ黒い女性も消え、夕方の台所の風景へと戻った。

 驚愕の表情が戻らないまま、シャイナは間もなく気を失って倒れた。

 ◇◇◇◇◇

 遅刻しないよう、早めに役所へ到着したモルドは、受付の男性職員に事情を説明すると、暫く待つ様に言われ、待合室の椅子に腰かけて待っていた。
 十数分後、男性職員が何かを持って戻って来た。

「すみません。今、管理官長は急な用事の対応中な為、本日は会えないそうです」
「え? 向こうが今日って言ったのに……」

 視線を逸らせてぼやくモルドに、男性職員は紫色に輝く墨壺を手渡した。
 色も形も、モルドがデビッドから渡されたものと少々違うが、どう見ても墨壺である。

「何ですか?」
「管理官長がこれを貴方に渡してくださいと。何か聞いてませんか?」
「いえ。大事な話があるから、今日来るように言われただけでして」
 すると、男性職員は何か考える素振りを見せた。
「もしかしてあの事でしょうか?」
「……何ですか?」
「ここ数日の事ですが、この街の住民が何人か行方不明になる事件が起きたのです」
 だが、そう言った事件は担当する兵がいる筈。その疑問を知ってか、職員は続けた。
「同時期、街のいたるところに奇妙な奇文が発生もしました」

 モルドは驚いたが、そんな話はダイクから聞いていない。
 買い出しの時に街へ赴いてもそんな奇文は見ていないし、奇文が見えるシャイナでさえ何も言っていない。
 俄かには信じられなかった。

「僕もシャイナさんも奇文が見えます。買い出しでこの街へ来た時、何も見てませんし、そんな失踪事件の話も知りませんよ」
「だからその事でお話しがあるのではないでしょうか。自分は奇文ってのをよく知りませんし、詳しくは説明できません。この事件の事で呼ばれたかどうかも分かりませんが、ただ、可能性があれば昨今の事件絡みかと思っただけです」

 確かに、管理官長という重要な役職に就いている者が、そう易々と周囲へ情報を漏らすわけない。
 あれ程堅物な人間が、一介の職員に話すというのも考えにくい。

 ではモルドを呼んで話す訳は?

 その点について考えてみると、モルド自身はデビッドの弟子でありハーネックとも接点がある。
 街の異変がハーネック絡みとすれば納得はいく。
 しかし情報も無いまま墨壺を渡されても、それ以上の事は何も考えが及ばない。

 仕方なく納得したモルドは、男性職員に礼を述べ、役所を後にした。


 役所内から外の光景が視界に入った途端、モルドは度肝を抜かれた。

 まだ夕方すら迎えていない時間に訪れ、たった数十分程しかいなかったのに、外は暮れなずむ風景であった。
 街内では街灯や各家屋からの部屋灯りが灯されていた。
 急いで外に出たモルドは、今し方聞いた男性職員の話を思い出し、急いで帰宅する事にした。

 街に異変が起きている。とてつもなく嫌な予感しかしない。
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