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四章 儀式と狂う計画
1 山小屋での雑談
しおりを挟むそれは、ある町のある家で行われた。
「――なぁよぉっ!」
怒鳴った男性は剥き出しの怒りをぶつけるかの如く、女性を殴りつづけた。それは平手ではなく握り拳にして。
男性は小太りで年齢は五十三。見た目は老けて見える。
女性は男性より二つ下で、こちらも老けて見える。それは、女性が男性の日々の暴力に疲弊して老けて見えるのではない。女性の性格が彼女を醜い人相に仕立て上げたと言ってよい。
普段は、仕事で思い通りに事が運ばない旦那の怒りのはけ口とばかりに、女性は暴力の被害者となっている。
しかし今回ばかりは理由が違う。
「お前、そこら中でペラペラ、ペラペラ! 悪口言いまわってるんだってなぁ!」
女性は血塗れの顔で呼吸を乱し、男性を見た。
「てめぇみてぇな女を娶った俺が陰で馬鹿にされてんだよぉ! おめぇのせいでなぁっ! どうしてくれんだ!!」もう一発殴った。
散々暴力を振るい、疲れ、女性の抵抗も乏しい反応にも嫌気がさした。
男性はそこらへんの家具を蹴っ飛ばして治まらない怒りを露わに外へ出た。
女性は嘆いた。
”こんなはずではなかった”と。
若い頃から異性の者達と仲良く過ごすことが多く、女性同士で仲良くする事を嫌った。好きでない者達で仲良しごっこに励む様子を見ただけで怖気をきたす程に。
彼女が女性と過ごす時は、常に自分の正論を盾に言い返してくる者達を、言葉攻めと威圧と力づくで優位に立とうとした。
男勝りの性格により、何時しか女性は街一番の大将格、他の女性は歯向かえない地位を築いた。
現在の旦那も、気の強さに惚れ、意気投合してそのまま結婚に至った。
この判断が女性にとっての地獄の始まりとなった。
始めは軽く叩き合い、馬鹿にしあっても上手くいっている夫婦であった。旦那が怒っても怒鳴り合って翌日には普通通りになっていった。
その生活の歯車が狂い出したのは、初めてできた子供が五歳の時に病気で亡くなってからである。原因は栄養失調による免疫力低下状態の中、感染力の強い病に罹ったせいである。
医師の診断を聞いて旦那は直感した。女性の面倒見が悪かったと。
旦那の意見に反して女性は思った。旦那の横暴に子供の心に負担がかかって病んでしまったのだと。
双方、どちらかのせいにしたが、行き着く先は暴力での解決。そうなるとどうしても旦那が優勢となる。
旦那と別れる選択肢もあったが、負ける事を嫌う自身の性根と、旦那から逃げても行く場所がなく、下手をすれば近所に住む家族に迷惑が掛かると思った。
行く先のない女性の怒りのはけ口が、近所の取り巻き連中(女性は仲の良い友人だと思い込んでいる)に愚痴を零し、別の悪口で憂さ晴らしする事に徹した。
暴力と悪口の底なし沼にどっぷり沈み、抜け出すどころかズルズルと沈んでいく日々。
互いに理解できない自業自得といえる、無駄な抗いと無自覚の反発精神。悪循環でしかない。
今日、とうとう旦那や他者に対する女性の悪口が露呈してしまった。
「……あたしが……何したってのよ」独り言だが、涙ながらに呟いた。
「――そりゃ、罰が当たったんだろ」
突然、知らない男の声が聞こえた。
女性が声の方を向くと、本当に見たことない茶色い紳士服姿の男が、旦那が暴れて倒した椅子を立て直して腰掛けた。
不思議と周囲は凄然と物が散らかり荒れているが、柔らかい茜色の夕陽を浴びている男の姿が、救いの神か、そんな絵画の描写のようにも思えた。
「だ、誰だ?」
「言っても意味なく無駄なので黙秘させてもらうよ。それより貴女の事について語らせてくれないか。猛りを鎮めたいのでね」
男は笑顔を絶やさず、手ぶりを交えて語った。
「身の程を弁えず、自身の価値を過信して自惚れ、人相にまで『醜悪』が相応しく表れている。その真髄を極めんが如く頭の中で言葉を選び、あ、違うな、選ばずとも言葉がそのまま口を通して発せられる時点、既に才能の域と言えようか……」
「なに言ってんだ? 馬鹿じゃないの?」
「貴女の悪口の話だ」
女性は言い返せない。
反論より、痛みを再発させない事を優先した防衛本能が沈黙を選んだ。
「他者の心情も顧みず、自らの鬱憤のはけ口をとばかりに自然と零れる罵詈雑言の数々。既に人の皮を被った化物の領域だ。他者の恨み辛み、悪辣な業を集めに集め、敗北する事を嫌い、優位に立つことばかりを念頭に位置づけ、迷走と暴走を続けた知能の低い化物。大いに愚かで無様だ。しかし有用な存在だ」
突然現れた男の暴言を聞いた女性は鼻で嗤った。
「頭ん中、花でも咲いてんだろ、てめぇ。バァァカ」
男は笑みを絶やさず立ちあがり、女性の元まで歩み寄った。
「素晴らしい。人相も脳も、口から発する言葉全てがその成りを”悪”の頂きに。いや、ソレを優に超えた存在だ。まさしく【醜悪】の人柱として、役を担った存在。喜ばしい限りだ」
男が女性の首を鷲掴むと、軽々持ち上げた。
苦しみに悶え、男の腕を掴んで離そうとする女性は、足をバタつかせながら睨んだ。
「どうせ生きていても周囲に嫌われ、旦那の暴力でいずれ死ぬ命だ」
男は倒れた机の、一本の足に女性の背を当てた。
「大いに役立ってくれ」
男が女性の腹部に手を当てると、まるで暴風で押されたような勢いで女性は飛ばされ、机の脚に貫かれた。
まるで生き物の標本の様な有り様となった女性は、痛みと苦しみに、涙して悶えた。
「用は済んだ。残り僅かばかりの余生、懺悔の時間に当てて果てるといい」
女性は気づいた。男は普通の人間でない事を。
それは、このような芸当と姿を消した様子からである。
どれほど足掻いても、女性は現状を変えることも、助けを呼ぶことも出来ない。
やがて、女性は息絶えた。
後日、女性を殺したとして旦那が捕まった。どれほど旦那が訴えても信じる者がおらず、普段の生活態度と人間性から殺人の容疑者とされた。しかし不十分な証拠と、犯行方法が男性一人でしたとは考えにくいとして釈放された。
数日後、旦那は刺殺体で発見された。
町の保安官が調べた所、旦那は周囲から恨みを買い集め、これを機に殺されたものと思われた。
こうして、町一番の嫌われ夫婦は、無残な末路を迎えた。両者共、犯人は捕まっていない。
◇◇◇◇◇
口の悪い女性を殺したハーネックは、町外れの林の中にいた。
一仕事終えてから、町中を歩いていると自分を追う気配を感じ取り、人気のない場所へと誘導した。
「ここなら誰もいない! そろそろ出て来るといい!」
ハーネックが叫ぶと、後ろの木陰から、木こりか農家と思われる衣服を着た屈強な体格の男性が現れた。
男性は顔の皺が少々目立ち、眼つきは鋭い。
雰囲気は落ち着き、静かな印象である。
「やはり君か、ギド」
「久しぶりですね先生。立ち話よりも、近くに俺の家があります。そこで話をしましょう」
仕事を終えた場所の近くに弟子の家がある。偶然にしても不自然極まりない。
警戒しながらもハーネックは黙って教え子の後を付いて行った。
到着した一軒の丸太小屋の前には、焚火(ヤカンを火に当てて何かを沸かしている)の途中だと伺える。
「まさか、私に泊まる事を要求するとは思えんが?」
「寝床は必要ないでしょ。丁度湯が沸けた所でしたので、何か飲みながら話しでも。と」
ギドは家の前で、ヤカンの蓋を開けて沸騰具合を確認すると、「そこに掛けて待っててください」と言って家へ向かった。
ハーネックは指示された通りの場所へ腰かけ、焚火の火を眺めて待った。
暫くして、ギドがコップ二つを持って戻って来た。
コップに湯を注ぎ、一つをハーネックに渡した。
「話してもらおうか、私はこの町へ訪れたのは偶然でしかない。そこにお前の居住区があり、来訪初日にお前に発見され、後を付けられた。そんな偶然は考えられん。その証拠に、湯を沸かしている途中で私の尾行だぞ。この不自然についての理由、どう説明する?」
ギドはコップに入った珈琲を一口啜ってから答えた。
「偶然などではありませんよ。もっと単純に考えればいい。俺は貴方が来ることを知っていた。日付は知らないが、予測は可能だったというだけです」
「えらく気の長い話だ。私が事を起こし始める所からなら日数はしれているが、その時を予測することなど不可能。予めここに目星をつけ、長年待っていたというしか考えられんよ」
そこまで言うと、ギドの何気ない表情と珈琲を啜る様子から、結論が導き出された。
「……私がここに来ると踏んで、何年も待っていたのか」
「ええ。前回から今回までは年単位で月日が開く事は分かってましたが、時間は分からない。なら、来ると分かる場所で張って入れば貴方に会えます。あの街は貴方が目当てとする者達が五人はいる。一体、誰を人柱に?」
ゆっくり視線を向けられ、ハーネックは答えず見返した。
ギドの行動に未だ疑問が残る部分は多いが、この会話で大方の想像が付いた。
1 目星をつけた街で待ち伏せ。
2 目当てとなる者達の傍に奇文を用いた秘術を準備し、ハーネックの来訪を待つ。
3 術は長続きしないが、時折、更新しに見回れば問題は解決する。
ギドの実力を知るハーネックが予測するには、五件分なら仕込みは容易と判断した。
恐らく、どの家の者が人柱となったかは準備した罠により判明していると思われる。
湯を沸かしている時に訪れたのはまさしく偶然で、ギドが向かった時にはハーネックが仕事を終えた後。
これなら辻褄が合い、そうまでして自身を追う理由も導き出された。
「お前、私の計画を阻止しようとしているな?」
急に話を変えられたが、ギドは表情を変えなかった。
「どのように阻止を? 俺はそこまで奇文関連の技術が秀でていない。ましてや貴方を相手になど」
「随分口が回るな。ここまで人生を費やした待ち伏せをしておいて、”私に無害であるように振舞い、話をするだけ”など、どう考えても不自然極まりない。私に好意を抱き、崇拝しているなど考えられんからな。大方、あいつと共謀し、私を阻止しようという口だろ」
「半分正解、半分外れです」
珈琲を一口飲み、コップを椅子の空いてる所に置いた。
「あいつには報告はしますよ、貴方が今どこまで進展しているか。けどそれだけだ。なぜなら、我々は貴方にどう抗おうと敵わない。それに、一対一で俺が貴方を止めるなど自殺行為だ。まあ、今の貴方が俺を殺す事は出来ないがね」
「言うではないか。そう定義する理由は?」
「まずこちらが仕掛けていないし敵意も無い。よって貴方は計画に不要な者を殺せないから俺を殺せない。話を戻しますが、この役は俺が適任だった為に担っただけであり、あいつへの報告後は御役御免。長年の張り込みもようやく解消されるだけだ」
ハーネックはギドを苦手とした。
弟子ではあるが、昔から何を考えているかが分からない。
感情の高ぶりを中々見せない。
何かの理由で高ぶりを露わにした状況が次に訪れても、同じように高ぶりを見せない。
熱しやすく冷めやすい性格だと決めつければ容易に済むが、なら彼の生き甲斐とするものが見えなさすぎる。
ハーネックには人間の生き甲斐とするものが普段の行いから容易に理解は出来た。
どの人間にも存在し、分かりやすいか分かりにくいの誤差はある。
しかしギドは違う。別物なのだ。
『分かりにくいを極めた存在』といっても過言ではない。
奇文に関する修行も、観察のように熟し、技術は身に着けても喜びを露わにせず、その技術すら遺憾なく発揮しようとしない。
熱意も関心も無い。
存在自体に疑問しか残らず、どことなく恐怖すら感じる程の人間。それがギド=サルバンであった。
話を終えたハーネックは立ちあがった。
「話は終わりだ。次に向かわせてもらうとしよう」
ハーネックの去りゆく姿を、ギドは残りの珈琲を飲みながら見送った。
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