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第一章 異界からの姫君
第二十三話
しおりを挟む晧月は、自分でも驚く程に、胸がざわついた。市の体を掻き抱く、目の前の男が憎たらしい。その腕を離せ。その体を離せ。その子は俺の大事な娘なのだと、今すぐエイサフから奪い去ってしまいたくなる。冷え冷えとした殺気のナイフを隠し、無理矢理笑みを浮かべるも、その顔からはピリピリとしたものが滲み出ていた。
市に会おうと、いつものように窓から部屋を訪れたら……何故エイサフが居るのか。しかも、市の体を抱き締めながら、彼は横目で晧月を見やった。その瞳には、晧月への敵対心と、勝ち誇ったかのような優越感が浮かんでいる。
「これはこれは……晧月皇子。窓から侵入してくるとは、随分と無粋だな」
「そういうエイサフ王子こそ、いつまでその子を抱き締めているつもりだい?早く離れなよ」
「どういう権限があって、私に命じているのだ?私はただ、未来の王妃に愛を乞うているだけ……この宮殿の掟に従い、行動しているではないか。それを咎めるとは、そなたはこの宮殿の主にでもなったつもりか?」
バチバチと、両者の間に火花が散った。そんな二人の空気を壊すように、市がハッキリとした口調で告げる。
「エイサフ王子、離して下さいませ。苦しゅうございます」
トントンと彼の胸を叩く小さな拳。エイサフはハッとして、力の入っていた両腕を緩めた。
「すまぬ、姫……大事無いか?」
「ええ。大丈夫ですので、若君……私を解放して下さいませ」
「ならぬ。そなたは私の腕の中で、じっとして居れば良い」
「な……」
強引なエイサフは、大胆にも、市の目尻に唇を落とした。まるで見せ付けるように、彼は挑発的な笑みを晧月へと向ける。
市の頬が青ざめた。エイサフは何故、晧月の前でこんな事をするのか。これでは、まるで自分とエイサフが恋人同士のようではないか。
「いい加減に、お戯れはよして下さいませ!」
思わず、悲鳴のような声を上げて、市はエイサフの胸を強く押した。彼女の頭は、晧月に見られたくないという思いで一杯だった。何故、そう思うのかは、わからない。わからないけれど、晧月に誤解されるのは嫌だった。
「おっと……やはり、じゃじゃ馬姫だな。子供のように、すぐに暴れる」
誰のせいだと、市の眉が吊り上がる。彼の胸板は厚く、筋肉に覆われ、ビクともしない。市の小さな拳では、何の衝撃も与えられないようだった。現にエイサフは、小さい子の悪戯を受け入れているとでもいうような顔で、市を見ている。
ーーくやしや……!おなごの力では、男には適わぬ……!されるがままじゃ……!
市の顔が、悔しい気持ちで真っ赤に染まる。噛み締めた唇は小さく震え、しかし、その瞳は苛立たしげにエイサフを睨み上げていた。
晧月は黙ったまま、二人の様子を見ていた。いつも笑みを浮かべている顔は、能面のように無表情だ。彼は、一つ大きく息を吐き出すと、一歩足を踏み出した。
「あのさぁ……もう、この宮殿の掟とかどうでも良くなっちゃった。だって、お前だけは、今すぐここで殺してやりたいからね」
晧月の体から、ぶわりと殺気が溢れ出す。空気が揺れた。市の目に見えない何かが、彼の体から発せられ、空気をビリビリと揺らしているのだ。彼は、美しい銀髪をザワザワと靡かせて、懐から短刀を取り出した。
「お前も、そのダサい刀を抜けよ」
晧月の挑発に、エイサフはフッと鼻で笑う。
「私と斬り合うつもりか……良いだろう。私もそなたを殺してやりたくて、うずうずしていたところだ」
エイサフは市を後ろに下がらせると、腰に刺していた、長い剣を抜いた。氷のような薄い刃は、まるでエイサフの鋭利な眼差しそのもの。
「斬り合いなど、おやめ下さい!」
市の必死の言葉は、二人には届かない。敵国だという二人の王子は、向かい合い、憎しみを込めた眼差しを交わしていた。
「我が渼帝国の兵士達の、恨み……シュッタイト王子であるお前を殺せば、晴れるだろうか」
「抜かせ。我がシュッタイト帝国の王子たる私が、そうやすやすと殺られるものか。兵士達の恨みを晴らすのも、私ぞ」
殺伐とした雰囲気に、市は気が遠くなりそうだった。こんなにも、間近で殺気を浴びたのは初めてだ。重圧感のある空気が、彼女の体にのしかかり、足がふらつく。
先に仕掛けたのは、どちらの王子であったか……市の目では追えなかった。室内に風が吹いたと思えば、二つの剣がぶつかり合い、火花を散らしていた。キィンと甲高い音を鳴らし、何度も何度も剣が交わる。その様はまるで、神聖なる舞踏のようだ。勢いのある動きをするエイサフと、舞うように動く晧月。一度刃が離れ、お互いに踏み込んだ時、突風のような動きが市の前髪を浮かせた。
「死ねぃ!晧月!」
体重を乗せたエイサフの重い一撃に、晧月の短刀が耐えきれず割れてしまう。咄嗟に身を交わした晧月の肩を、エイサフの剣は容赦なく切り付けた。
「……っ」
晧月の美しいチャイナ服の刺繍が、赤に染まる。市は耐えきれず、悲鳴を上げた。
「もう……もう、おやめ下さいませ!お願いですから、剣を下ろしてください!」
「姫、しかと見ていよ……私がこの男を殺す瞬間をな……!」
市の言葉を無視して、エイサフはとどめの一振を振り上げた。しかし、晧月は素早く懐から手裏剣のような暗器をエイサフに向かって飛ばす。先の鋭くとがったそれは、当たれば肌を切り裂くだろう。エイサフは、すかさず剣を振り回し、全ての暗器を弾き飛ばした。その目を離した瞬間に、晧月はエイサフの背後に回り込み、彼の首に尖ったクナイを突き付けた。
「……チェックメイトだ、何か最後に言い残したことはあるかい?」
市は目を見開いたまま、硬直していた。晧月の優しい銀色は、まるで獰猛な肉食獣のようにギラついてる……そして、暖かみのない冷たい瞳だ。彼はその美しい顔に、残酷なほど完璧な笑みをのせた。
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