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15章 祈り(前)

18話 赦し

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「あれ? みんな帰ってきてたんです、か――?」
 
 ――土曜日、もうすぐ夕方になろうという時刻。
 作戦室を何気なくのぞいてみると、教皇猊下げいかと謁見に行っていたみんなが、中央に置いてある大きな長机を囲んで椅子に腰掛けていた。
 長机にはスーツの上着やネクタイなんかが乱雑に置かれている。
 全員どこか気怠げで、顔色もよくない。あのセルジュ様ですら何か厳しい表情だ。
 とても「お帰りなさい」と明るく迎えられる雰囲気じゃない……。
 
「……あ、あの、……お疲れ様です。何か、飲み物お持ちしましょうか……?」
 
 そう声を掛けてみると、グレンさんが髪をかき上げながら「水をくれ」と返してきた。
 先日教皇猊下と謁見した時よりもさらに険しい顔つき。オールバックにきっちり整えていた髪はグシャグシャになってしまっている。相当掻きむしったようだ……。
 
「水……ですか?」
「ああ。ピッチャーに水を入れて持ってきてくれ。……グラスは、3つ」
「みっつ……?」
 
 出かけていたのは、4人。
 グレンさん、カイル、セルジュ様、それと……。
 
「……ベルナデッタ。すまないが席を外してほしい」
「えっ」
「今からの話し合い……君は、いるべきじゃない」
「俺もそう思うよ。……部屋で休んでなよ、疲れただろ」
「あ……」
 
 グレンさんとカイルの言葉にベルは泣きそうな顔でうつむいて「はい」と小さく返した。
 
 作戦室を後にして、わたしは注文通りにお水のピッチャーとグラスを持っていった。
 その際「おかわりが欲しかったら勝手にぎに行くから気を遣わないでほしい」と言われてしまった。話に決して割り込むなという意思表示だろう。
 
 彼らの話し合いは長時間に及んだ。
 厨房で食事を用意しているところ、時折グレンさんかカイルがピッチャーの水をつぎ足しにやってくる。2人とも無言でずっと眉間にしわが寄っていた。とても声を掛けられる雰囲気ではなかった。
 
 夕飯時になってもやはり終わらず、わたしとベルとルカ、そして途中から来たジャミルで先に夕飯を食べた。
 食べ終わって後片付けもすっかり終わった頃、またカイルがやってきた。
 時刻は、夜の8時。
 彼らが話し合いを始めてから、実に5時間が経とうとしていた――。
 
「みんなここにいたんだ。……ちょうどいい。話があるから、全員作戦室に来てくれる?」
 
 疲れ切った顔で、カイルがそう告げる。
 イリアスのことを話していたのだろうけど、あんな長時間、一体何を……?
 
 
 ◇
 
 
 全員で作戦室へ。
 グレンさんとセルジュ様が椅子に腰掛けている。2人ともカイルと同じく疲れ切った顔をしている。
「適当に座って」というカイルの言葉に従って、わたし達はめいめい椅子を引いて腰掛けた。
 全員座ったのを見届けてからグレンさんが立ち上がり、大きく深呼吸をした。
 
「みんなに大事な話がある。……イリアス・トロンヘイムのことだ。みんな既に知っていると思うが、奴はもうすぐ存在が消える。……10日後だ」
「え……?」
 
 具体的な数字が出てきたのでギョッとしてしまう。
 
 ――10日後、新月の晩。
 イリアスはシルベストル邸の敷地にある礼拝堂に現れ、そこで終わりを迎える。
 これは教皇猊下が禁呪を使って読んだ、イリアス・トロンヘイムの"終わりの未来"。
 なぜ彼がシルベストル邸に来るのかは分からない。教皇猊下が読んだのは、彼がそこに来るという未来だけ。
 それを読んだ上で教皇猊下はグレンさん達に「イリアスの"終わり方"を自由に決めよ」と告げた。
 終わり方……それは、彼の消滅に立ち会うか否か、またはその瞬間の前に命を奪うかどうかということ……。
 
 ――ああ、だからわたし達に「席を外せ」「近づくな」と言ったんだ。
 3人は、彼の運命を決めるために長い時間ずっと話し合っていたんだ。
 
 話をしているグレンさんの顔色は冴えない。カイルもセルジュ様も同様。
 ……それは、つまり……。
 
「……結論から言う。俺達は、イリアスを殺す。……奴が消えるよりも前に」
「……!」
 
『俺も、一歩間違えばああなっていたかもしれない。……俺があいつだったかもしれないんだ。あいつは俺の幻影だ』
『だから俺はあいつを倒す。決着をつけなければ、未来へ進めない』
 
 ……そうだ。
 だって、こうなる前からグレンさんはイリアスを捜していた。彼を倒す――殺すために。
 そんな中、彼をさらに宿敵たらしめる出来事が起こった。グレンさん達3人が出したこの答えは必然と言える。
 ……だけど……。
 
「お……終わるのを待つ、ってことは、……難しいのか」
 
 ジャミルが青ざめた顔でつぶやいた。
 全員の視線が一気に彼に集まり、ジャミルは居心地悪そうに肩をすくめる。
 
「……だって……放っておいたら、死ぬんだろ? 記憶からも消えるんだろ? なら、何も、わざわざ手を下さなくたって――」
「それは無理だよ」
「! カイル……」
 
 ジャミルのつぶやきを食うように、カイルが言葉を投げる。
 
「……その線は、真っ先に消えたよ。そうした方がかえって憎悪と悔恨が残る……3人とも同じ考えだ」
「けど……」
「本音を言うとさ、俺は今すぐ奴を捜し出して殺したいよ」
「……!」
 
 カイルの眼に憎しみの光が射す。
 あまりにも率直な、憎悪の言葉。……背筋が寒くなる。
 
「10日なんて待っていられない、奴がどれだけ弱っていようが知ったことじゃない。俺は、俺のこの手で奴の首を斬り飛ばしてやりたい。奴が俺にやったように、希望を全部摘み取って……絶望で顔を歪ませた上で命を獲ってやりたい」
 
 言いながらカイルは拳をグッと握る。
 わたしもジャミルも、わたし達のあずかり知らない彼の姿に気圧けおされ身動きがとれなくなってしまう。
 そんな中ジャミルの肩にいた使い魔のウィルがカイルの元へ飛んでいき、彼の頭の上に着地した。
 カイルは頭にそっと指をやってウィルをそちらに誘導して止まらせる。その手はさっきまで、憎しみを込めて握っていた手……その指先でクリンと大きく首をかしげるウィルの姿を見て、彼は目を伏せて少し笑った。
 
「……大丈夫、本当にやったりしないよ……。それをやってしまえば、これまで築いてきた"カイル・レッドフォード"という人間も殺すことになる。そうしたら、もう誰にも顔向けできなくなるから……」
「カイル……」
「こんな一面、兄貴とレイチェルには見られたくなかったけど……隠しているとどうしても苦しいから、ごめん。……許して欲しい」
「バカ……謝るなよ、……オレは何も、構やしねえ……」
「そうだよ、カイルは、カイルだよ……」
 
 ジャミルとわたしが涙声でそう言うと、カイルは「ありがとう」と言って笑った。
 ――「本当にやったりしない」と言うけれど、そう考えるに至るまでどれくらいの葛藤があったんだろう。どれくらい苦しんだんだろう。
 何も想像できない。あるがままを受け入れるしかない。
 
 ウィルがカイルの指先から飛び立ち、テーブルの上――うつむいている主人ジャミルの目線の先に着地した。
 そして主人を見上げ、「どうしたの」と言わんばかりに首をかしげる。
 それを見てジャミルは「なんでもねえよ」と笑い、顔を上げて再び口を開いた。
 
「それで……消える前にイリアスを殺したら、奴に関する記憶はどうなるんだ?」
「……おそらく、今彼を忘れていない者の頭には完全に残るだろう。それが私達の目的だ」
「え……?」
 
 セルジュ様の言葉にジャミルは首をひねる。
 
「このまま放置する、とどめを刺す……何をどうやっても、私達の頭に彼の記憶は焦げ付いて残ってしまう。だから、私達は彼の記憶をあえて残す。……憶えておきたいんだ」
「それはどういう……何の、ために……」
 
 本気で分からないといった顔でジャミルが疑問を呈する。わたしも正直言って分からない。
 
「私の人生、そして私の人格の形成には彼の存在が大きく関わっている。彼を忘れるということはすなわち、私という人間の一部を永遠に喪失することを意味する……」
 
 それを受けて、グレンさんとカイルも黙ってうなずいた。
 
(グレン、カイル……)
 
 グレンさんはイリアスから聞いた「海」と「船」を見てみたくて、街へ探しに行った。
 そこでキャプテンと出会い、彼から名前をもらって……彼の「グレン・マクロード」としての人生は、イリアスの存在がなければ始まっていない。
 カイルはイリアスに人生を歪められた。彼の考えや人格も、セルジュ様と同じようにイリアスの影響が大きい。
 3人にとってイリアスは憎むべき敵。同時に、彼らの人生に深く食い込む存在でもある。
 彼の記憶は決して喪失してはいけないもの……。
 
「私達は彼の命を断つ。だが、それは憎悪からくる行為であってはならない。そこに"正義"を見いだしてはならない。……私達は、悪を滅するのではない。正義の鉄槌を下すのでもない。それを頭に叩き込むため、私達はまずイリアス・トロンヘイムという人間を知り、理解をしなければいけない」
「理解……」
 
 思わず反芻はんすうしてしまった。
 セルジュ様がわたしの方を見て「そうだ」と言ってから、また言葉を続ける。
 
「……私達は彼を諸悪の根源として、彼の悪の面だけを見すぎている。だが彼にも善なる心があり、人生がある。生きる上で、何かしら獲得してきたきたはず……。なのになぜ彼は、ああならざるを得なかったのか……これから数日そのことについて考え話し合って、彼の実像を掴むつもりでいる。その過程で、出来うる限り憎しみの感情を洗い流し……どういう人間の命を、人生を奪うのかということを十分に理解した上で、ことに及ぶ。罪の意識と共にイリアスの存在を頭に焼き付けることが、最終の目的だ……」
 
「それは"ゆるし"――ということでしょうか」
「そうだな……そういう感じに、なればいいが」
「隊長……」
 
 ベルのセルジュ様に向けた問いに、グレンさんがどこかぎこちない口調で返した。
 
「…………」
("赦し"……)
 
 赦し――それはミランダ教の教義、その極致きょくち
 人の悲しみを知り、受け入れること。
 人ではなく罪だけに目を向け、憎しみを捨て去ること。
 それがひいては本人の、相手の、全ての救済につながる――。
 
 聖女ミランダ様ですら死の間際にようやく達した境地。
 だけど「聖女ミランダはそこに達することは出来なかった」とする説もある。
 彼女は全てを嘆き、憎みながら死んでいった。今も、誰も何も赦してはいない――そういう説だ。
 ミランダ教に否定的な考えを持つ人、そしてミランダ教の中ですらそう唱える派閥がいる。大昔はそれで戦争が幾度も勃発した。
 それほどまでに、"赦す"ことは難しい。
 たった10日の間に、精神をそこまで持っていくことが出来るんだろうか……?
 
 そんな風に考えて黙りこくっていると、グレンさんが口を開いた。
 
「……俺は宗教的な概念は分からない。だから、直接的な言い回ししか出来ないことを先に詫びておく。……『憎悪を消す』『赦し』……どれだけ綺麗な言葉を並べても、結局物事の本質は変わらない。……俺達がやることは、"殺人"だ。奴について話し合い理解して、その上で殺す。どうやって殺すのかの算段をする。それは言わば……殺害計画だ」
「……!」
「シルベストル邸に現れるイリアスが、瀕死であるとは限らない。死を前にして、最後に大暴れするかもしれない。新月の夜なら、"呪い"の持続力が増す――最期に自分の命を使って禁呪を使ってくるかもしれない。本気で攻略法を考えないと、またこちらがやられる――」
 
 そこまで言ったところで彼は一旦喋るのをやめ、テーブルに両手をついて大きく息を吸った。
 
「俺とカイルとセルジュでイリアスを殺す。……それ以外のみんなは、この計画に巻き込みたくない。出来れば何も知らないまま日々を過ごしていてほしい」
「えっ……」
 
「すまないが、考える時間は与えてやれない。……レイチェル、ジャミル、ルカ、ベルナデッタ。ここに残るか、砦を去るか、今すぐに答えを決めてほしい……」
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