上 下
282 / 385
【第3部】13章 切り裂く刃

21話 明暗

しおりを挟む
 術が使えても、聖女候補に選ばれても、あたしはやっぱり弱くてなんにもできない。
 
 前エリスに捕まった時も今も、ベソかいて好きな人の名前を唱えることしかできなかった。
 でもそれが意識の闇を通して彼の使い魔に繋がり、そして彼を導いた。
 
『オレのこと、ずっと呼んでた?』――。 
 
 あの時彼が、あたしの手をつかんでそう言った。
 あたしはとっさに『放して』と言ってしまった。
 本当は、来てくれて嬉しかったのに。ずっとずっと、呼んでいたのに。
 彼の視線から、自分の気持ちから、逃げようとしたの。傷つくのが怖かったから。
 
 ……でも。
 でも、今度は……。
 
「ジャミル君、……ジャミル君っ……!!」
 
 立ち上がって彼の元に駆け寄り飛びつくように抱きつくと、彼も抱き返してくれる。
 ……温かい。夢じゃない、幻じゃない。
 彼と別れたのはほんの2週間ほど前なのに、もっとずっと長く離れていたかのような気がしてしまう。
 
「……なんで、もっと早くに呼んでくれないんだよ……」
 
 かすれた声で彼がそうささやいた。
 
「ごめんなさい、だってもう、会えないと思って……」
「なんでだよ。オレはベルが求めてくれるなら、どこだって……闇の中だって飛んで行けるのに」
「……っ、う……っ、ひっ……」
 
「闇の中だって飛んで行ける」――その言葉の示す意味に、涙がますますあふれる。
 たとえあたしが闇に堕ちたって、彼は来てくれる。
 あたしを捜して、引き上げてくれる。
「ベルナデッタ・サンチェス」という人間を、証明してくれる――……。
 
「……ベル。……その……」
「!!」
 
 父の呼びかけに今どういう状況だったかを瞬時に思い出し、慌てて彼から身を離した。
 恥ずかしくて顔を赤くする……よりも、とんでもない人の前でとんでもないことをしてしまった事実に身体の熱が引いていく感覚を覚える。
 
「……結局、そういうことよねえ」
「…………!」
 
 母が顔を歪めてせせら笑う。裂かれた頬は全く治っておらず、頬からは血が流れ続けている。
 
 ――怖い。
 まるで、魔物だ……。
 
「はぁ~……、先に婚約破棄されてよかったこと。こっちが違約金払わなきゃいけないところだった! いやねえ、優しくしてくれたのか知らないけれど、そんな男に熱上げちゃってぇ……。ベルちゃんってば、ほんっとお馬鹿。知性がお胸に吸収されちゃったのかしら? ……あのね、教えておいてあげるわ。その男、ロマンティックなこと言ってるけど所詮カラダ目当ての下郎よ。今はベルちゃんに夢中でも飽きたらそのうちに捨てられちゃう。あー、かわいそうなベルちゃん! 婚約破棄された上に純潔じゃない貴族令嬢なんて、なぁんの市場価値も……」
 
「……よくしゃべるね、オバサン」
「!!」
 
 言葉の途中でジャミル君がボソリとつぶやいた。
 敬語でも丁寧語でもない話し口調、加えて貴族社会ではまず絶対に聞かない「オバサン」という呼称に母が目をクワッと見開く。
 
「口の聞き方も知らないの! 下郎!」
「……いや、しゃべるのやめときなよ……顔そんなザックリいって血出てんじゃん。痛くないの?」
「っ……!」
 
 指で頬を切るマネをしながら、彼が疑問を投げかける。
 
 ――以前アーテ様と対峙した時、彼はアーテ様をさんざんに煽ってあざけり笑った。
「闇には闇でお返しした」なんて言っていたっけ。
 大事なものを傷つけられた彼の怒りの心は静かながらもすさまじく、大きなプレッシャーを感じた覚えがある。
 でも今、彼からそういうものは感じられない。
 彼の心に呼応してたかの姿でアーテ様を威嚇いかくしていた使い魔のウィルも、小鳥の姿のまま。
 
 ふと彼の顔を見ると、何か困り果てたような表情になっていた。
 怒っていない。ただただわけが分からないといった顔……ううん、これは……。
 
 かわいそうなものを見る目 とでもいうのか……。
 
「えっと……オバサンは、継母なの?」
「な……なんて無礼な……この私が」
「継母じゃないんだ?」
「そうよ! お腹を痛めて産んだ、かわいい我が子――」
「……かわいい我が子? かわいいの? 好きなの?」
「あ、当たり前でしょう……」
「え、ウソでしょ? だって今『知性がお胸に吸収された馬鹿』とか『市場価値がない』とかって……。そんなの相手がとびきり嫌いじゃないと……いや、嫌いでも面と向かってなんて言えないでしょ?」
「な……」
「血ドバドバ流しながらそれ言って、そんでその口で『かわいい我が子』って……なんかさ、あの……」
「ジャ、ジャミル君」
 
「……すごいね、オバサン」
 
 あごの下に手をやって、感嘆するように彼がそう言った。
 
「平民とは常識とかちがうんだろうけど。なんかオレの知ってる"親"と全然ちがうなぁ……」
 
 アーテ様の時のように、わざと煽っているわけじゃない。
 本気で目の前の人間の行動原理が分からないんだ。
 
 彼はご両親との仲があまりよくないと聞いた。
 でもカイルさんの話ではいい親御さんのように思えたし、以前ジャミル君自身も「善人」だと言っていた。
 カイルさんの事件があってからギクシャクし始めただけで、それまではきっと当たり前の愛情を注がれながら、仲良く楽しく過ごしてきたのだろう。
 そういう人にとって今目の前にいる人物の"親"としての振る舞いは、奇怪なものにしか映らないらしい……。
 
 でも、これこそ大多数の人間がルイーザ・サンチェスという人間に対して抱く率直な気持ちなんだろう。
 
 彼の言葉は敬語ではないというだけで攻撃性はない。ただ、疑問と感想を述べているだけ。
 でもここ数日投げられてきた攻撃的な言葉のどれよりも心をえぐるものだったようで、母は何も返せないでいる。
 ジャミル君はそんな母に憐れみの目を向けながら父とハンスの方に向き直り、深々と頭を下げた。
 
「……すみません。僕は本当にすごく怪しいんですけど、捕まえるのはあとにしてもらって……この剣の話、聞いてもらえますか」
「え……ああ……」
「まず、あの剣からあの人を離した方がいいです」
「……おい、ルイーザ様を医務室へお連れしろ」
「君……先ほど『この剣がある限り魔法は使えない』と言ったが、一体どういうことだろうか」
 
 ハンスがそばにいた給仕に指示を出し、父がジャミル君に質問を投げる。
 ――彼が捕らえられなくてひとまず安心した。父もハンスも、ジャミル君の身の上や処遇よりもまず優先すべき事項があると判断したのだろう。
 
「ああ、それは……」
「ちょっと! どうして私が! ケガしてるのよ!? 血こんなに出てるのに立てるわけないでしょう!」
「…………」
「医務室って何よ、まさか"草子クサコ"なんかに処置させる気!? 顔よ? 顔にケガしてるの! 術師はどうしたの!」
 
 "草子"――それは、薬師の蔑称。
 主に回復魔法使いが、術を使えない薬師を馬鹿にして言う言葉。
 母は"無能力者"と差別されるのが何より嫌いなのに、こうやって他の差別は積極的に行う。
 それを2日前オスヴァルト伯に非難されたはずなのに、本当にこの人は、どこまでもどこまでも……。
 
「……"祈りは力、祈りは縛り"ってことですよ。術師があの人の傷が治るよう祈れば、この剣に逆の心が集まって打ち消す」
 
 ジャミル君がこの場にいる全員に聞かせるようなよく通る声で、射貫くような目線を母に向けながらそう告げた。
 
「な、何よ……」
「分かんないのかよ。この場の誰も、アンタの傷が治って欲しくないと思ってんだよ」
「な、なんですって」
「オバサンがしゃべればしゃべるほど、その気持ちが湧き上がる。……オバサンの傷が治らねえのは、オバサン自身のせいだよ」
 
 "祈りは力、祈りは縛り"――それはミランダ教の教義のひとつ。
 矛盾する2つの心が光と闇のバランスを保つ。
 
『あんたが祈ればこいつらも神に祈る』
『祈りのパワーがちがうのよ』――。
 
 数ヶ月前、砦にやってきたアルゴスの言葉だ。

 あたしとハンスがどれだけ祈っても、他の人間の心がそれを打ち消す。
 傷を治そうとする心よりも、治るなという心が。
 
 ――そう。
 "祈りのパワーが、ちがう"……。
 
「何なの!? どこまで陰湿なのよここの人間は!!」
 
 ここまできても、母は戦い続ける。
 かたわらでは薬師が母の傷の応急処置をしている――医務室に赴く気がなく立ち上がることすらしないために、誰かが呼んだのだろう。
 叫ぶ母に迷惑そうな顔で「喋らないでください」とたしなめるも、もちろん母は聞かない。
 
 だって母はいつも被害者。
 孤独な"正義の神"なのだから――。
 
「もう嫌っ! うんざり! こんなところ明日にでも出て行ってあげるわよ!! ……ハンス! 今すぐ迎えを呼んで! ああ~、いやだ! 全員でよってたかって力のない女を叩き出すなんて、ほんっと田舎は陰湿でろくでもないったら!!」
「申し訳ありません。ただいま修道院を探しておりまして、もう少し時間を……」
「修道院って何よ!? "迎え"といえばトレント伯領か、私のお姉様に決まってるでしょう!!」
「……駄目なのだ、ルイーザ。迎えは来ない」
 
 哀れむような目で父がそう告げると、母は目が落ちそうなくらいに目を見開いた。
 
「……は? 何……」
「お前の姉上は、2人ともお前の受け入れを拒否した」
「…………!」
「えっ? う、嘘……」
「……嘘ではない。『尻ぬぐいはもう二度とごめんだ』『煮るなり焼くなり好きにしてください』……手紙にはそう書かれていた。……お前、一体何をしたんだ」
「…………」
 
 さしもの母も、とうとう言葉を失ってしまう。
 
 伯母2人と母の関係性は知らない。
 母は伯母にコンプレックスを抱いており、しょっちゅう悪口を言っていた。
『お姉様の子供はみんな不細工』『回復魔法を使えるのは私の子供だけ』とか……それらは全て、あたしやここの召使い達だけが聞いていたこと。
 だけどオスヴァルト伯の言葉を借りるなら、「人はどこで誰が繋がっているか分からない」。
 内部の者だけに言ったつもりでも、回り回って伯母の耳に入る可能性は十分にある。
 
 さらに「尻ぬぐいは二度とごめんだ」という言葉――例えば今回イリアスに"カラスの黒海"を渡したような不義理を何度もやらかして、伯母達は都度その後始末をしてきたのかもしれない。
 
『両親は魔法を使えるお姉様ばかりをかわいがって、自分はほったらかしだった』
 
 それは母の視点だけの言葉。でも、伯母からすればちがうのかもしれない。
 もしかしたらあたしや父よりももっと、恨みと憎悪が深い可能性がある。でなければ、引き取り拒否だなんて……。
 
 父はさらに言葉を続ける。
 
 ――探していた修道院はミランダ教系列だったが、『聖女なんて寝ているだけ』なんて侮辱したとあっては、受け入れ先はないだろう。
 ミランダ教はロレーヌ王国の国教とも言える宗教。
 その象徴たる聖女様を侮辱することは、大昔ならば極刑に処されるほどの重罪だった。
 今はさすがにそんなことはないものの、侮辱したばかりか軽口や冗談で他人を攻撃するための手段として用いるなど、破門クラスの暴挙、暴言。
 
 恐らく異教――聖光神団せいこうしんだん系列の修道院を探して、そこに送られることになるだろう。
 聖光神団は、主にディオールの中北部からノルデンにかけて信仰されている宗教。
 つまり、母は遠く離れた異国の地に1人で送られることになる。
 
 ディオールは北上すればするほど寒さと魔物の強さが増す土地。
 街道を行き来するのも一苦労するという。修道院に入れば、簡単に外出はできない。
 宗教、文化、気候、常識……何もかもが異なる地で、元伯爵夫人が平民として暮らす……自分のことを何もできない母にとってそれは相当の苦しみだろう。
 
 母曰く、サンチェス伯領は『陰湿な人間の多いひなびた田舎』。
 だけどちゃんと目を向ければ、この土地も領民も召使いも、母を歓迎していた事実が見えたはず。
 でも、それを否定し続けたのは母自身。

 ありのままの「ルイーザ・サンチェス」――いや、「ルイーザ・トレント」はもうどこにも受け入れられず、誰にも歓迎されない。
 
 何を悔いたところでもう、手遅れ――。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

モブで薬師な魔法使いと、氷の騎士の物語

恋愛 / 完結 24h.ポイント:213pt お気に入り:1,477

緑の指を持つ娘

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:22,531pt お気に入り:2,062

お姉さまに惚れ薬を飲まされた私の顛末

恋愛 / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:1,940

あなたが捨てた私は、もう二度と拾えませんよ?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:3,764

冷遇された聖女の結末

恋愛 / 完結 24h.ポイント:553pt お気に入り:1,610

私はこの恋がかなわないと知っている

恋愛 / 完結 24h.ポイント:142pt お気に入り:60

処理中です...