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【第3部】13章 切り裂く刃

15話 陰謀の渦(前)

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「レイチェル!」
「!!」
 
 グレンさんがわたしを呼ぶ声が聞こえた――と思う間もなく、駆け寄ってきた彼がわたしを抱きすくめる。
 
「……すまない。どこにも行かないって言ったのに」
「…………っ」
 
 その言葉で一時停止していた感情と涙があふれ出し、わたしは彼の背に手を回して大声で泣いた。
 その際にさっきまで握りしめていた彼のジャケットが床に落ちてしまったけれど、正直、今そこまで気が回せない。
 
「グ、グレンさ……どこ行っ……、わたし、わたし、また、会えない、って……」
「…………」
 
 わたしの言葉と感情に応えるように、彼はわたしを抱く手に力を込めた。
 
 ――金曜日、やっとアルバイト解禁になったわたしはワクワクで砦へ。
 でも、誰もいない。
 
 最近はずっとイリアスの情報を探していたから魔物退治には出ていないはず。
 でも予定が入ることだってあるよね……と、いつも彼が書いている冒険のタイムスケジュールを確認した。
 けれど、予定表は白紙。つまり、今週も魔物討伐などには出かけない。
 
 グレンさんとカイルがいないばかりか、ルカも、ベルもいない。
 
 ――まあ待っていればそのうち帰ってくるでしょ。初期は1人で留守番していることも多かったしね。
 
 なんて思いながら待っていたけれど、夜になっても誰も帰ってこない。
 夕食を作って1人で食べて、夜を明かした。
 
 次の日、朝帰ってくるかもしれないと思って早起きをしてみたけれど、やっぱり誰もいない。
 
 ――どうしたのかな。わたし、来る日を間違えちゃったかな。
 
 カレンダーを何度も確認した。一度家に帰ってお母さんに聞いたりもしたけれど、間違っていない。
 
 夜になっても、まだ誰も帰ってこない。その日も1人で夕食を食べた。
 寝る時間になっても、やっぱり1人。
 小規模とはいえ、ここは砦。1人でいるには広すぎるし、夜は怖い。
 だから……見つかったら恥ずかしいけど、恋人だし、寂しいし、何より怖いし、いいよね――と思って、グレンさんの部屋で寝ることにした。
 
 ――シーツをかぶると、彼に抱きしめられた時と同じ香りがする。
 余計に寂しくなって、子供みたいにべそをかきながら寝た。
 
 翌朝。
 やっぱり、やっぱり誰もいない。
 知らない間に砦の契約終わっちゃったのかな――そんな風にも思ったけど、壁には彼のジャケットが掛かったままだし、そんな大事なことを誰も教えてくれないわけがない。
 
 ――なんで? なんで誰もいないの?
 寂しくて悲しくて、とうとう耐えきれなくなって、壁に掛かっている彼のジャケットを抱きしめて、それに縋り付いて泣いた――。
 
 そんなことを主語も述語も話の順序もめちゃめちゃに、しゃくり上げながら話した。
 その間、彼はずっとわたしを抱きしめたまま頭を撫でてくれていた。
 
「ごめん。寂しい思いをさせた」
「ううん……、会いたかった……お帰りなさい」
「……ただいま」
 
 
 ◇
 
 
「イリアスが、ミランダ教の司祭……」
 
 わたしが落ち着くのを待ってからグレンさんはお風呂に入り、その後食堂で久しぶりに料理を振る舞った。
 遅めの昼食を一緒に食べながら、ことの顛末を聞く。
 
 ベルは聖女候補に選ばれ、実家の伯爵家に帰った。
 その数日後にセルジュ様率いる聖銀騎士がやってきて、グレンさんとカイルとジャミルは「光の塾の残党、及び重要参考人」として聖銀騎士団の詰所に連行され……そしてその先で「ミランダ教の司祭」としてイリアスが堂々と現れたという。
 
 
「よう……アンタも、釈放されたのか」
「あ、ジャミル。ルカも……一緒だったの?」
 
 話をしていると、ジャミルとルカが食堂にやってきた。
 ルカはお兄さんのアルノーさんと泊まりがけで出かけていたらしい。
 
「ああ、たまたま街で会ってよ。連れてきてもらったんだ」
「連れてきて……って、また魔法が?」
「ああ……」
 
 沈んだ顔をしたジャミルが向かいの席に座って突っ伏した。
 その傍らには、ペッタンコになった紫色のゲル状の塊。
 ジャミルの隣に座ったルカが、それをツンツンしたり指でつまみ上げたりしている。
 ウィルは一応いるけど、主人の元気がないから小鳥の形になれないようだ。
 
 ベルが聖女候補になったために、別れるような形に。
 その上拘束されて投獄……相当に参っているのだろう。
 少ししてからジャミルは顔を上げて座り直し、正面にいるグレンさんに頭を下げた。
 
「……ごめん。捕まったのって、オレのせいだよな」
「気にするな。どうせ、なにがしかの理由をつけて捕まえる気だっただろうし」
「……カイルはまだ帰ってねえのか」
「お前の次が俺だったから、今頃取り調べを受けているかもしれないな。……ジャミル君の取り調べは、イリアスが?」
「いや、オレはセルジュさんだけだったけど……アンタん時はあのヤローが取り調べしたのか」
「ああ。セルジュきょうと術師4人に沈黙魔法サイレスをかけられた中でな。途中俺の過去の話をほじくり返して、怒りを煽りに煽ってきて……俺は危うく憤死するところだった」
「ふ、憤死ってそんな」
「いや……言い過ぎでもねえぞ。魔法は心の力だしな。怒ったら魔法として発動しちまうところをサイレスで抑えられてたら、十分あり得るんじゃねえか」
「危険。サイレスしてる術師も命の危険に晒される」
「ああ。紋章使いを捕まえたときは、とにかく怒らせないのが定石なんだがな……」
「…………」
 
 術の知識が豊富な3人に対して、わたしは学校で少し基本知識を学んだ程度。
 このまま話が進むと置いてきぼりにされそうでなんだか心細い。
 そんなわたしの内心を察してか、グレンさんが補足で説明をしてくれた。
 
 普通の術師は魔器ルーンを取り上げた上でサイレスの印が刻まれた手かせをめれば術を封じられる。
 でも紋章使いは魔器なしで出せるからそれだけでは無理で、手かせに加えて、術師数人でサイレスをかけることでやっと封じることができる。けれど、それも完全じゃないらしい。
 言うなれば、獰猛どうもうな肉食獣を鍵のない檻に入れて、入り口を生身の人間が塞いでいるようなもの――危険を避けるため、対象者を怒らせないように細心の注意が必要だ。
 でなければサイレスの対象者もろとも、暴発した魔法に巻き込まれて死んでしまう……らしい。
 
「…………」
 
 淡々と説明してくれているけれど、わたしは怖くてたまらない。
 
「……なんで? あの人、グレンさんの魂を狙っているんじゃないの? 死なせてしまったら何も……」
「そういやあのヤロー、グレンが不死者アンデッドになったとき『極上の魂を台無しにした』っつってたな……もう取れねえ、使えねえとかか?」
 
「そうか……俺は読み違いをしていたかもしれない」
「え?」
 
 言いながらグレンさんが立ち上がり、食べ終わった食器を厨房に持っていって洗い始めた。
 
「俺も、奴はまた俺の魂を狙ってくるものとばかり思っていた。だがそれなら今回の振る舞いはおかしい。怒らせて会話の主導権を握りたいのだとしてもリスクがありすぎる。……本当に憤死させたかったのかもしれない」
「なんでだ? ……アンタのことはもういらないとか、それとも口封じとかか?」

「それもあるだろうが……俺が思うに、狙いは団長のセルジュじゃないだろうか」
「セ、セルジュ様を……?」
「俺にサイレスをかけていた術師に、彼が魔力を分け与えていた。もし抑え込んでいた俺の魔法が暴発すれば、俺と術師とセルジュ、全員死んでいた。それこそが狙いだったのかもしれない」
 
「あくまで推測にすぎないが」と前置きしたあと、食器を洗いながら彼は言葉を続ける。
 水の音と、食器がカチカチとぶつかる音。そんな日常の生活音にあまりに不釣り合いな非日常の話――それがなぜか、怖さを余計に引き立たせる。
 
 ――光の塾も手駒にしていた2人の"女神"もいない今、イリアスは聖銀騎士団を使ってあれこれしたいはず。
 でも自分の方が歴が長いとはいえ、団長のセルジュ様がいては満足に動けない。
 彼の父親は有力貴族――ミランダ教のお偉方と繋がりがあるかもしれないし、何よりセルジュ様自身の人望も厚い。ないがしろにしすぎては自分の団内の立場が悪くなる。
 手駒にできれば便利だけど、2人の女神とちがって簡単にはいかない。
 それなら、イリアスにとってセルジュ様は邪魔でしかない――。
 
「目の上のタンコブってことか……」
「ああ。だから、俺を使って手を汚さずに殺そうとした……」
 
「……なんで……」
 
 怖すぎて言葉が続かない。
 真偽はともかく、グレンさんの命が危機に晒されたことに変わりはない。
 それに、何もしていないセルジュ様を邪魔だからといって殺すというのも全く理解できない。
 肩をすくめて身震いしていると、食器を片付け終えたグレンさんがまた隣に腰掛け、テーブルの下で握り合わせているわたしの手を取り、そっと包んだ。
 少しほっとしたけど、次に続いた彼の言葉は新たに大きな不安を煽るものだった。
 
「もうひとつ……奴はどうやら、カイルを狙っているらしい」
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