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【第3部】13章 切り裂く刃

7話 ベルとリタ

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「ごきげんよう、ベルナデッタ」
「は……」
 
 休みの日、学生寮の人気ひとけのない庭で「1人おやつタイム」をひっそり楽しもうとしていたら、先日出会った侯爵令嬢のリタ様に声をかけられた。
 お手製ぶどうパイを食べようと大口を開けている、まさにその時……まさかこんな所でまた会うとは思わず、そして声をかけられるとも思わず……間抜けな顔のままで固まっているあたしを見て、彼女は手を口元に当てて少し困った顔をする。
 
「ごめんなさい。食べている途中に……迷惑だったかしら」
「い! いいえ! いいえ!! またお会いできて、嬉しいですわ!」
 
 ぶどうパイを箱に入れながら、首をぶんぶんと振って大声を上げる。
 
 ――なんでこんなに大声出ちゃうのかしら。ああ恥ずかしい、田舎者丸出しよ。少し落ち着かなきゃ……。
 
「……あ、あの……わ、わたくしなんかを覚えていて下さって、とても嬉しいです!」
「うふふ。……ねえ、隣に座ってもよろしくて?」
「えっ!?」
「……駄目かしら。お邪魔?」
「いいえ! あのっあのっ どうぞ! どうぞこちらへ!!」
 
 どうしても声が上ずってしまう。
 リタ・ユング侯爵令嬢――彼女の父上のユング侯爵ゲオルク様は「三竜侯さんりゅうこう」と呼ばれる竜騎士団領の大貴族。
 三竜侯とは、かつて竜騎士団領がロレーヌの領土だった頃、独立軍を率いて戦い抜いた3人の英雄のこと。
 ゲオルク様、リタ様はその子孫というわけだ。

 しかも聞くところによると、リタ様は聖女様候補だとか……。
 国は違えど、あたしなんかが気軽に話していい存在じゃない。
 というか、すごく美人だしいい香りがするし、もうそれだけで緊張しちゃう。
 
「……って、何かしら?」
「へっ!?」
 
 どうやら何か話しかけられていたのに、緊張しすぎて意識が飛んでいた。
 しかも、またこんな間抜けな大声……リタ様が目を丸くしている。
 
「も、申し訳ありませんっ……」
「ふふ、ベルナデッタは元気ね。……ねえ、今食べようとしていた物って、なんだったの?」
「あ……これはあの、ぶどうのパイです。領地で採れるぶどうを使って、わたくしが作りました」
「まあ、素敵。貴女、料理が得意なの? すごいわ。……ねえ、わたくしに少し下さらない?」
「えっ」
「……駄目かしら」
 
 リタ様が残念そうに眉尻を下げる。
 さっきの驚いた顔といい、キリッとした顔の彼女がこんな顔をするとギャップがあって少しキュンとしてしまう……いえいえ、駄目よ流されちゃ。
 
「リタ様に召し上がっていただくような物ではありませんし、仮に召し上がるとしても、毒味係がいなければ」
「毒味……それなら今貴女がしてくれたわ」
「え?」
「大きいお口を開けて食べようとしていたでしょう。それが毒がない何よりの証拠になるのではない?」
「はう……」
 
 さっきの間抜けな顔を見られたことを思い出して顔が真っ赤になる。
 そうね。毒があるかもしれない物を、あんな大口開けて嬉しそうに食べたりはしないわ……。
 
 
 ◇
 
 
「……これ、とてもおいしいわ。貴女って料理がとても上手なのね」
「あ……」
 
 さすがに素手で食べさせるわけにはいかないので、寮からお皿とカトラリーを持ってきてパイを切り分け、一緒に食べた。
 うん、おいしい。自信作よ。
 リタ様にも褒められちゃった。嬉しすぎて飛び上がりそう。
 でも……。
 
「あの、でもやっぱり、レザン地方のぶどうに比べれば少し渋いかもしれません」
「…………」
「粒も小ぶりですし、瑞々しさなんかも――」
「レザン地方というのは、ぶどうの名産地ね。でもわたくしは、貴女の作ったこのパイを褒めているのよ」
「ありがとうございます。でも……」
「貴女は、自分が作ったこのパイが嫌い? 貴女の領地で採れたぶどうは?」
「! い、いえ。もちろん、好き……です」
 
 消え入りそうな声でそう言ったあと、続く言葉を見つけられずにうつむいてしまう。
 あまり資源がないサンチェス伯領に於いて、このぶどうは唯一の名産品。
 だけどレザン地方の高級なぶどうと比べれば色も形も悪くて、見劣りする。
 こんな物をわざわざ食べる人の気が知れない、好んで食べるのは貧乏舌。
 母がそう言うの。
 褒めたら機嫌を悪くして、もっと悪く言うの――。
 
「顔を上げなさい」
「…………はい」
「ねえベルナデッタ。貴女が良いと思うものを、貴女自身が下げてしまっては駄目。貴女という人間の価値まで下がってよ」
「あたしの、価値?」
「そう。例えば……ねえ、わたくしのこの髪って、どうかしら」
 
 そう言ってリタ様は、長い髪を手に取ってこちらに見せてくる。
 陽光に照らされると青く煌めく、美しい銀の髪……。
 
「とても美しくて、綺麗です。青空を映した鏡や、湖みたいですわ」
「……ありがとう。わたくしもこの髪が好きよ。でも、この髪は純粋な銀ではないから、ノルデン貴族に言わせれば偽物の銀らしいの。……"色混じり"というのだけれど」
「い、色混じり……!? な、なんてことを」
「青魚みたいで臭ってきそう、なんて言われたこともあるわね」
「そんな……こんなに、綺麗なのに!」
 
 プンスカ怒るあたしを見て、リタ様がフッと笑った。
 
「わたくしも、この髪は自慢よ。でも悪意を持つ者の言葉で、わたくしの価値はどこどこまでも下げることが出来る。だから、わたくしは自分の信じる者の言葉だけを大事に胸にしまっているの。もう関わることもない雑魚の言葉なんて、耳に入れないの」
「ザ、ザコ」
「ふふ、そうよ、雑魚。雑兵よ。ねえ、あなたの価値は、あなたに悪意を持つ者の言葉で決められるものではなくてよ。ミランダ教の黄金の種の話を思い出してみて?」
「……」
 
 ミランダ教の、世界の始まりの神話。
 光の神が人間に与えた、永遠の豊穣をもたらす黄金の種。
 どこに植えるかで争いを起こしている間に種が一粒枯れて黒くなった。
 それに怒った神は、人間を無の世界に閉じ込めた――……。
 
「貴女の好きな物を悪し様に言う人は、果たして貴女を好きな人かしら? 貴女に好意を持たない者の意見なんて、汚泥おでいと同じ。心にとどめておくと、貴女の中にある黄金の種が枯れて黒くなってしまう。そのうちに闇に堕ちてしまってよ」
「……リタ様」
 
 彼女の言葉が胸にストンと落ちて、泣きそうになってしまう。
 そんなあたしの顔を見てかリタ様があたしの両手を取って握り、顔を傾けて静かに微笑んだ。
 
「ごめんなさい。せっかくのティータイムなのに、説教みたいなことを。貴女と年も変わらないのに、生意気だったわ」
「いえ……ありがとうございます」
「……ああ、わたくし、そろそろ行かないと。ねえベルナデッタ、来週もここにいる?」
「はい」
「よかった。わたくし、また来るわ。だからその時は、楽しい話をしましょう?」
「はい。あたしもまた、お菓子を作ってきますわ」
「うふふ、楽しみ! それでは、ごきげんよう」
「ごきげんよう……」
 
 青銀の髪を風になびかせ、彼女は颯爽と立ち去る。
 
(リタ様……)
 
 会ったばかりのあたしにここまで言ってくれるなんてさすが聖女候補、慈愛の人。
 でも「あたしを悪し様に言うのは母です」なんて言ったら、きっと失望されてしまうわね……。
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