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10章 "悲嘆"

6話 ミスキャスト(3)

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「うそつき……うそつき……」
 
 ルカはうつむいたまま両腕を抱えて、呼吸を乱し肩を震わせながら呪文のように繰り返す。
 
「ル、ルカ……」
「うそつき!!」
 
 金切り声でそう叫んで立ち上がり、セルジュ卿の元へドカドカと歩いて行く。
 
「うそつき、うそつき、うそつき!!」
「え……?」
 
 急に詰め寄られたセルジュ卿は、わけが分からないといった風な顔でルカを見下ろしている。
 
「うそつき! 神様はいるわ! そんなニコライなんて人は知らない! うそつき!」
「ルカ……!」
「嫌い! あなたなんて、嫌い!!」
 
 殺気のこもった目でセルジュ卿を睨みあげ、彼の胸元を拳で殴りつけ始める。
 
(まずい……!!)
 
 アルノーや砦の給仕アルバイトの子相手なら、許されるかはともかくとして平謝りで済むかもしれないが、今度の相手は貴族だ。
 今は魔法が使えないから水をぶっかけたり氷の槍で攻撃したりはできないものの、無礼な言いがかりをつければ温厚なセルジュ卿といえど許してもらえないかもしれない。
 
「ルカ! やめろ! 何やってるか分かってんのかよ!?」
 
 ルカを羽交い締めにしてなんとか引き剥がすが……小柄な少女といえど、理性をなくしたように本気で暴れる人間を制するのは至難の業だ。
 
「やめろ! やめろって……!!」
「神様はいるわ!! いるもの! そう教わったの!! わたしは選ばれたんだから!! 神様を否定するあなたは汚い"ヒト"だわ!! ヒトの中でも一番汚い……悪魔よ!!」
「…………っ!!」
 
 ――事実がなんであれ、ルカはずっと"神"を信じて祈ってきた。人生のどれくらいそうしていたんだろうか?
 花を育ててモノを作って、神以外から喜びやその他の感情を得るなどして教義を破ってはきたものの、根幹は変わっていない。
 急に神の存在をないものとされることはルカ自身を全否定することに他ならない。
 こんな形で種明かしなんて、やってはいけなかったんだ。
 
「離して、離してぇっ!! 許さない!! 悪魔!!」
「つっ……!」
 
 暴れまくるルカに手首を噛まれた。痛みで力が緩んだ瞬間に突き放され、さらに顔をひっかかれる――強い力で手を振り下ろされたためにメガネが外れ床に転がり落ちた。
 痛む顔と手首を押さえながらメガネを拾いにいく――メガネはちょうどグレンの足元辺りに転がっていた。
 
 ――そういえば、コイツはさっきから何をやってるんだ。
 
 そう思って拾ったメガネをかけながら恨み半分にグレンを見上げたが、オレはすぐに顔をそらした……その異様さを直視できなかったからだ。
 
 ――狂乱するルカ、戸惑うセルジュ卿、足元に這いつくばっているオレ――そのいずれも見ていない。
 熱で朦朧もうろうとしているからなのか? それだったらもっと辛そうな顔をしていてもいいのに何の表情もない。ただまっすぐに背筋を伸ばし座っていた。
 この異様な有様のどこにも目を向けていない、ただ座っているだけの置物。
 
「もう嫌、嫌!! 汚い、ヒトは汚い! お兄ちゃまはいない、神様もいない、わたし、わたしっ……うわああああん!」
「待て、ルカ! ルカッ!!」
 
 泣き叫びながらルカは食堂を飛び出していった。そしてテラス越しに見える廊下を駆け抜け……砦の外へ。
 
「……ルカ……ッ!」
「待ちなさい、君!」
 
 ルカを追っていこうとするオレの肩をセルジュ卿がつかみ引き留める。
 
「なんだよ! 離せよ!!」
 
 貴族相手だが今は何も取り繕っていられない。今アイツを追いかけないと、自暴自棄になって何をやらかすか分からないんだから。
 
「気持ちは分かるが……傷を治してからにしよう」
「えっ……」
 
 セルジュ卿がオレに向けて手をかざし目を閉じると、彼の指輪が光る。
 さっき噛まれた手首と引っかかれた顔の痛みが引いていき、傷が消えた。
 
「うっ……あ、ありがとう、ございます……すみません、無礼な口を聞いて」
「構わない。こちらこそすまない……彼女が当事者だったなんて」
「…………」
「申し訳ありません、セルジュ様……せっかく来ていただいたのですが、彼女を捜さなければ」
「…………!」

 さっきまで置物だったグレンが何事もなかったかのように立ち上がってセルジュ卿に頭を下げ、話を終わらせようとする。

「そうですね、ではこれで失礼させてもらいます……私も捜しましょうか?」
「いえ、もうすぐクライブも帰ってきますし、我々だけで問題ありません……お気遣いありがとうございます」
「分かりました。また何かあれば立ち寄らせてもらいます」
「はい。……彼女の非礼、どうかお許しください」
「少し驚きましたが大丈夫です。こちらにも非があるのだから、気にしないで下さい」
「………………」
 
 
 砦の入り口までセルジュ卿を見送った。
 これからルカを捜しに行かなければいけないが……その前に今隣に立っているグレンの奴に色々言ってやりたくてたまらない。
 
 なんでルカに全部聞かせた、この場に居合わせる必要はなかっただろう。
 なんでルカが暴れた時、何一つ動かずただボケーッとしていたんだ。
 
 熱で正常な判断力がなかったのかもしれないが、行き場のない怒りを全部コイツに向けたくなってくる。
 ――ダメだ、落ち着かないと……剣持ってた時みたいに怒鳴り散らしてしまう。
 
 思考を整理しようとしていたら、グレンに肩を思い切り叩かれた。
 
「痛っ! ……なんだよ、ふざけんな! …………グレン?」
 
 何か言ってやろうと苛立ちながらグレンを睨んだが様子がおかしい。
 眼が赤に戻っているし、顔は青白く息が荒い。
 肩は叩かれたのではなく、オレの肩を支えに立っていたからだった。
 さっきまでシャンと立っていたのに――緊張の糸が切れたのだろうか?
 
「すまない……」
「……いや……」
「頼む……ルカを、捜してやってくれ……そんな遠くには、行けないはず……」
「……ああ、分かってる。アンタは寝てろよ。……なあ、なんでだよ。なんで――」
「……俺……俺、は……」
「グ、グレンッ……!!」
 
 肩に置かれた手がずるりと落ち、そのままグレンは地面に倒れ込んだ。
 額が熱い。やっぱり何も大丈夫なんかじゃなかった。
 ただセルジュ卿の前で外面を取り繕うためだけに平静なフリをしていたんだ。
 
(なんでだよ……なんで、こんなになってまで平気なフリするんだよ!?)
 
 
 ◇
 
 
「ちくしょう……」
 
 グレンを医務室に運んだ後砦を出てルカを捜しているが見つからない。
 教会、ミロワール湖、植物園……思い当たる限りルカが好みそうな所を捜したつもりだが……。
 
 ウィルがいれば、ルカの気配を捜して飛んで行けたのに。
 グレンを医務室まで運ぶのも一苦労だった。なんだかんだで最近、ウィルに頼りきりだった。
 使い魔とかいって、これじゃどっちが主人だかわからない。
 
(オレ一人じゃなんにもできねえんだな……)
 
 ――闇堕ちしかかった経験も、詰め込みまくった知識も何一つ役立てていない。
 いや、活かせていないんじゃ経験とも知識とも言えないな……なんだろう、オレのアタマには何が入ってるんだろう?
 あの場面でも何一つ立ち回れなかった。何の役も、こなせない。
 
(ダメだ、オレがヘコんでる場合じゃねえ)
 
 1人で抱え込んでたらまたおかしなことになってしまう。
 今自分には相談できる相手がいるんだ。砦に戻ってカイルとベルが帰るのを待とう。
 そう思って一旦砦に戻り、グレンの様子を見に医務室に行ってみると……ベッドの傍で奴が顔面蒼白で倒れ込んでいた。
 
「え……!? どうし……」
 
 確かにベッドに寝かせたはずだ。目が覚めた時に水でも飲もうとしたんだろうか?
 いや、さっき倒れた時と何か違う気がする。熱は相変わらずで息が荒いが、それよりも寝息がやたらとでかい。
 意識を失っているというよりは、ただただ眠りこけているような……。
 
「……あ……!」
 
 昏倒しているグレンの傍らに、あるものが転がっていた――そこから推測される事実に血の気が引き、オレはその場にへたり込んでしまった。
 
 
 ◇
 
 
「ジャミル君、ジャミル君!」
「兄貴! どうした!?」
 
 グレンを再びベッドに運んだあと。
 床に座り込んであれこれ考えていたオレを現実に引き戻したのはベルとカイルだった。
 
「ああ……お帰り。なんだ、早かったな2人とも……」
「いや、早いっていうか……」
「え?」
「あのね、出先で急にこの鳥ちゃんが黒い渦に姿を変えて……吸い込まれちゃったのよ」
「俺もだよ。出発しようと思ったらベルナデッタが渦と一緒に出てきて、飛竜シーザーごと吸い込まれてさ」
「ウィルが? ……飛竜まで運べるのかよ、すげえな……ハハ」
「『すげえな』じゃないよ……どうしたんだよ、何かあったのか?」
「……!」
 
『何かあったのか』という言葉に涙がにじんでしまう。
 ――オレは、助けを求めていたんだ。だからオレの気持ちを汲んでウィルはこの2人を連れてきた。
 
「……ジャミル君?」
「…………っ、ごめん……オレもう、どうして、いいか……」
 
 
 2人にセルジュ卿から聞いたことを書き留めておいたメモを渡し、今日あったことを説明した。
 この話の後ルカが発狂して行方をくらましたこと。
 オレがルカを捜している間にグレンが昏倒していたこと。
 そしてグレンの傍らにあったもののことを――。
 
「え……眠り草を?」
「ど、どうして」
 
 転がっていたのはドルミル草――通称"眠り草"。
 紅茶に葉を1枚浮かべて飲むくらいで安眠効果が得られる。
 間違っても直接葉を飲んではいけない。学校で習うし、学校でなくてもグレンくらいの戦士なら絶対に知っているはずだ。それなのに飲んだ。
 
「ジャミル君、大丈夫よ。意識が戻ったときに頭痛がしたり吐いたりするかもしれないけど、死んだりしないわ」
「そうだよ……兄貴のせいじゃない、気にするな。グレンの奴も熱で朦朧としてたんだろ――」
「ちがう! ちがうんだ……!!」
「「…………」」
 
 いい年こいてメソメソ泣いているオレに2人がフォローを入れてくれるが、そういうことじゃない。
 今この現実に涙しか出ない。
 
 ――オレは知ってるんだ。
 
 闇堕ちをしかかった時、嫌な夢ばかりを見た。
 体験した嫌な思い出が演劇のように何度も目の前で繰り広げられ、両親や過去の自分自身が繰り返しオレを罵倒して心の傷をえぐってきた。耐えられなかった。そんな夢ばかりだったから眠りたくなかった。
 グレンだってきっと同じ状況のはずだ。だけどコイツは"眠り草"を飲んでまで寝てしまった……眠りたかったんだ、起きていたくなかったんだ。
 
 昔グレンは光の塾に行きたくて『毎日馬鹿みたいに祈っていた』。
 飢えをしのぎたくて、救いを求めて、来る日も来る日も、"神"のために。
 だが、その"神"はまやかし。神を自称する中年の男に一生懸命祈りを捧げていた。
 金切り声で狂乱するほどにショックを受けたルカと同じ……いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。
 
 光の塾の真実は、グレンという男も打ちのめした。
 辛い過去と妄想の世界へ逃げたくなるくらいに、耐えがたい現実だったんだ――。
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