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9章 壊れていく日常

◆回想―嘘つきのカラス(後)

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 リューベ村の孤児院に入って何度目かの冬。
 
 近所で数件ボヤ騒ぎが続き、騒ぎに乗じて空き巣も出た。
 ある日、村の自警団の人間が孤児院に注意喚起にやってきた。
「火を扱う時は大人の人と」「不審な人を見かけても子供だけで解決しようとせず、自警団の詰め所まで報告に来てください」――そんな内容だったと思う。
 
「ボヤ騒ぎに空き巣ですか……怪しいのならここに一人いますけどね。ちょっと聞いてみては?」

 副院長が俺を見ながら口の端を吊り上げる。
 今日も色んな色の絵の具をパレットの上でぐちゃぐちゃにかき混ぜたみたいな汚い火だ。
 
「ふ、副院長、何を言うんです……」
 
 院長がまた汗を拭きながら副院長をたしなめる。
 
「だってねえ、この子しょっちゅう『火』『火』って言ってますでしょ? 火が好きみたいだし、本当に火が見たくて点けてみたとか、あってもおかしくないで――」
「いい加減に、しなさいっ!!」
「!!」
「こ、この子はね、あまり喋りませんけど、そういう子じゃありませんよ! いくらノルデン人が嫌いだからといって、無力な子供を放火犯扱いなんて、いくらなんでもあってはならないことです!!」
 
 院長が大声で叫んだ。いつも透明に近い薄い色なのに、この時ははっきりと色濃い赤の火だった。どうしたんだろう。
 副院長も珍しくたじろいでいる。
 
「いえあの、私はそうかもしれないという可能性の話をしただけでして……」
「ダンさん……あんたいつもそういうこと言ってるの? 注意喚起に来ただけなのに他人を攻撃するきっかけに使わないでほしいなぁ……それじゃ、俺達はこれで失礼しますよ」
 
 自警団の男が眉間にしわを寄せながら副院長を睨み、続けて院長に頭を下げて去っていく。
 副院長はこの後、2人だけになった時を狙って「院長がかばったからと言って調子に乗るな」なんて言ってきた。
 
 それからも院長がいない時に「早く言わないとどんどん言いにくくなるよ?」「神様はちゃんと見ている」とみんなが見ている前で何度も言ってくる。
「やっていない」と何度言っても全く無駄だった。
 俺が放火犯であることは彼の中では既に決定事項。あとは俺が正直に罪を告白するだけ――そういう段階であったようだ。
 
 何度も言われているうちに、頭がギュッとなる感覚を覚えるようになった。
 きっとイライラして、ストレスが蓄積していっていたんだろう。
 
「ごめん、ごめんね……グレン」

 都度都度、その息子のレスターが目に涙を溜めながら詫びてくる。これも嫌でたまらなかった。

「なんでレスターが謝るんだ。何もしてないのに」
「だって、父さんが」
「副院長じゃなくて、レスターが謝るのは分からない。悪くないのに」
「だって」
「……院長みたいなことしないでほしい」
「グレン……」
 
 ノアとエマがいなくなって、副院長のイライラの矛先は俺とレスターに向くようになっていた。
 他の子は年下ばかり。副院長に攻撃されても助けてくれる者はいない。
 仲良くしていれば副院長に目をつけられると思っているのか、2人がいた時以上に話しかけてこないし、話しかけても無視される。
 お互いに唯一の味方だった。
 
「おれがいなかったらいいのかな」
「え?」
「みんな、おれが教室とか食堂に来ると冷たい色になるんだ。それまであたたかい色だったのに。おれがいなかったらそのままでいられるのかな」
「そんな、そんなこと言わないでよ……ボクは、グレンがいなくなったらいやだよ……」
 
 目に涙を浮かべながら、レスターが言う。悲しい色をしている。
 レスターは院長や副院長と違って、表情と気持ちがいつも一致している。嘘がないキレイな色だった。
 臆病だけど正直で、優しかった。
 
 
 ◇
 
 
 ボヤ騒ぎはそれからも数件続き、とうとう20件にまで上った。
 空き巣の被害も増え続けた。組織的な犯行じゃないかとも言われていたらしい。
 
「……だからね、やり方が違うんだよ!! なんで教えていないやり方でやる!?」
「ノアがくれた教科書に書いてありました」
 
 その日もまた、副院長は燃え上がっていた。
 確か算術の授業――自分がまだ教えていない公式で問題を解いたことが、自分の言った通りにしないことがとにかく許せないらしかった。
 教科書に書いてあろうがなんだろうが自分のやり方に従えこれだからカラスは、と数十分喚いていた。
 
「黙っていないで何か言いなさい!!」
 
 いつも一方的に罵り、何か言えと言われ何か答えれば「口答えをするな」――これがいつもこいつの攻撃手法だった。
 結局黙ってやりすごすのが一番いいと学んだが、なぜかこの時だけは我慢ができなかった。
 
「カラスって、なんですか」
「あ?」
「副院長はいつもおれをカラスって言う。カラスは空を飛んでるあの鳥ですよね。……おれは人間です。カラスって言われるのは、分かりません。おれはカラスじゃないです」
「うるさいな、話をすり替えるんじゃないよ!! ……まあ、知らないなら教えてあげるよ。カラスっていうのはゴミや残飯を漁って盗みを働く君みたいな薄汚いノルデン人のこと。覚えておきなさいね」

 ニタリと笑った副院長から汚い火が立ち上る。気持ち悪くて吐きそうだった。
 
「おれは盗みなんてやってません」
「うるさい! 最近のボヤ騒ぎだって、盗みも放火もお前がやったってみんな言ってるよ!」
 
 また、放火犯、泥棒扱い。
 カラスの意味の話だったはずなのに、この人のこれは『話のすり替え』じゃないんだろうか。
 全然意味が分からない。何に対して怒っているのかも分からない。頭が良かったノアやエマなら、分かったんだろうか?
 ……頭が煮えるような感覚がする。
 
「盗みも放火もやってない! 副院長はウソつきだ、副院長は、……っ?」
 
 ふと周りを見ると、年下の子どもたちがまとう火の色が副院長と似た色になっていた。
 根も葉もない、何の根拠もない言いがかり。
 でも毎日繰り返し聞いているうちに彼らの中で真実になりつつあったらしい――みんなが俺を疑っていた。そういう色をしていた。
『お前がやったってみんな言ってる』……本当に、そうなのか。
 
 ――どうして。
 
「ちがう、ちがう……おれは、ちがう……どうして、どうしてみんな……」
 
 拳を思い切り握る。呼吸は落ち着かないし頭がグラグラする。左手が焼けるように熱い。
 どうして、どうして、どうして。
 俺は、俺は。
 
「おれは、何もやってないっ!!」
 
 ――そう叫んだ次の瞬間。
 副院長の顔の周りの空間が、小さく爆発した。
 
「うわあああっ!!」
「!!」
 
 小さい爆発で当たりはしなかったものの、急な衝撃と爆音を間近で食らった副院長がもんどり打って倒れる。
 周りの子供達の悲鳴が聞こえる。煙がうっすらと部屋に充満し、パチパチと火の粉が床に落ちていく。
 
 今のは……今のは一体何だろう? 俺が叫んだ瞬間に爆発したような気がした。さっきからずっと左手が熱い。
 
「……!」
 
 見れば、左手の甲に赤い火のような絵が浮き上がっていた。
 もしかして、これのせいで? そんなまさか――。
 頭が全く整理しきれない。
 パニック状態の俺を現実に引き戻したのは、左頬に走った衝撃だった。副院長が俺を打ったんだ。
 
「お前、グレン!! 今のはお前がやったのか!!」
「あ……」
「この手!! 紋章か!? 火の紋様……やっぱり、やっぱりだ!」
 
 俺の左手を取りながら鬼の形相で俺をにらみ付け、耳が壊れそうなくらいの大声で叫ぶ。
 
「やっぱりお前が放火犯じゃないか!!」
「ち、ちが……」
 
 そう言いながら周りを見回すと、子供達はみんな教室から出て、廊下から遠巻きにして俺達の様子を伺っていた。
 ――みんなのまとう火の色を俺は知っている。
 前の孤児院で神父に誰かが殴られていた時、イリアスをみんなで鞭で打った時と同じ色。
 みんな、俺を怖がっているんだ――。
 
「ち、ちがう……おれ、こんなの知らな……、レ、レ、レスター……」
「ヒッ……」
「え……?」
 
 この場で唯一の味方のはずのレスター。
 ……レスターは優しくて正直で、臆病だ。表情と気持ちがいつも一致している。
 いつもキレイな色の彼は、この時も残酷なくらいに嘘がないキレイな色だった。
 でも――色なんか見なくたって分かる。
 レスターは、俺を怖がっている。俺に怯えている。ガチガチと歯を震わせ何の言葉も発さない。
 
 俺はレスターのことを友達だと思っていた。でも、そうじゃなかったみたいだ――。
 
 
 ◇
 
 
「ダンさん、いくらなんでも子供を牢屋になんて……」
「だって危険でしょう、ここでないといきなり火を出してみんな焼かれるかもしれない」
「でもねぇ……」
 
 騒ぎのあと、俺は村の自警団詰め所の牢屋に放り込まれた。
「牢屋には風と影の魔石が埋まっているから魔法は撃てない。抵抗をしても無駄だから」と鼻の穴を大きくして副院長が勝ち誇っていた。
 石造りの地下牢は声が反響していつもの何倍もうるさい。なんでもいいから早く出て行って欲しい。
 
 しばらくして副院長が自警団の人間と上の階に上がっていった。
 何かがなり立てている声が聞こえる。……うるさい。もうあの男の声を聞きたくない。
 前の孤児院の神父の方がまだマシにすら思える。規律さえ守っていれば怒鳴られないし殴られなかった。
 
 これからどうなるんだろう。懲罰房に入れられて鞭で打たれるんだろうか。前の孤児院に戻されるんだろうか。
 ……嫌だ。嫌だけど、今の孤児院ももう戻りたくない。
 
 
 ◇
 
 
 大人達の話し合いの結果、俺はまたどこかの孤児院に送られることになった。
 雨がしとしとと降っていた。
 
 副院長が「なにか言っておくことがあるんじゃないか」とか、「ここの出身だなんて言わないでね」とかなんとか言っていたけど無視した。
「副院長は感情にまみれた汚いヒトです」とだけ返しておいた。
「ヒト」という言葉は今までの人生で、自分の中にある最大級の侮辱だった。
 こいつがよく言う「カラス」とどっちが重いだろうか。
 言葉の意味を正確に分からなくても何かしら侮辱されたことは分かったようで「最後の最後まで恩知らずめ!」と叫んで孤児院に引っ込んでいった。
 
 院長は「守れなくてごめん」「君にその紋章が宿ったのはきっと意味があるはずだよ」なんて、また薄い色の火を立ち上らせながら言っていた。
「なんでウソばかりつくんですか」と言うと、返す言葉を失っていた。
 
 馬車に乗る際、木の陰からレスターが覗いているのが見えた。
 ノアとエマがいた時、あそこにみんなで集まった。いなくなってからもあそこでレスターとよく話をした。
 あんな所から俺を覗いて、一体どういうつもりなんだ。
 
 やがて馬車が走り始める――しばらく揺られていると雨足がどんどん強まり、周りの音が聞こえないくらいの激しい雨が馬車の幌を打つ。
 ――馬のいななきが聞こえたかと思うと馬車が大きく揺れて停止した。ぬかるんだ道に車輪がはまったらしい。
 馭者ぎょしゃと、中に乗っていた大人複数人が木の棒なんかを使ってぬかるみから押し出そうとしている。
 今、馬車には誰も乗っていない――。
 
「あっ、こらぼうず! どこへ――」
 
 馬車から飛び出して、どこへともなく走り出した。
 このまま乗っていたら、前の孤児院みたいな所へ連れて行かれるかもしれない。
 別の孤児院なんてウソを言って、本当は懲罰房へ行くのかもしれない。
 副院長みたいなのがたくさんいて、また毎日怒鳴り散らされる生活を送るのかもしれない。
 
 ――雨が冷たいし寒い。道はぬかるんでいて、一歩踏み出すたびに水が跳ねる。あっという間にずぶ濡れの泥まみれだ。
 でもそんなことどうでもいい。とにかく逃げないと、ひどい目に遭わされる。
 
(いやだ、いやだ、もういやだ……! どうして、どうして)
 
 どこまで行っても、神父の言ったとおりにしかならない。
 ヒトの世界は、苦しみしかない。感情にまみれたヒトは汚い。
 
 副院長も院長も嫌だ、みんなも嫌だ、レスターも嫌だ。
 レスター、友達だと思ってたのに。なんであんな顔で俺を見るんだ。
 鼻が痛い。目が熱い。胸がズキズキするし頭はグラグラする。
 嫌だ。みんな嫌いだ。今この手から火が出たら、みんな焼いてやるのに。
 そんなことを考えながらひたすらに走った。
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