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8章 不穏の足音

12話 花と少女II(1)

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「レイチェル……見て」
「わぁ! お花! 咲いたんだぁ!」
「うん……綺麗。すごく、綺麗」
「やったね! ルカが頑張ったからだね!!」
「うん……!」
 
 4月から、ずっと花にお水をあげていたルカ。
 ちょっとずつ花が育っていくように、ルカの顔にも表情が出てきた。
 いくつか植えた中で、最初に花が咲いたのはバーベナの花。
 小さい花だった。ルカもその花みたいに小さく、でもふわりと綺麗に笑ったの。
 
 それからも、色々な花が咲いた。
 色鉛筆を買ってもらったルカは、その花の絵を描いていた。楽しそうだった。

 あの花たちは、ルカの喜び。
 それなのに、それなのに――。
 
「どうして……」
 
 枯れ果てた花園。
 1日2日水をあげなかった、というレベルじゃない。
 数週間、数ヶ月ほったらかしにされたかのように、全部が全部カラカラに枯れてしまっている。
 昨日はあんなに綺麗に咲いていたのに、どうして。
 
「ひっ……!?」
 
 しかも、枯れた花の根元には大量の虫の死骸。何これ、一体……まさかあの人が?
 ――ううん、駄目よね。いくら嫌な思いしたからって全部人のせいにしちゃ……。
 
「……お花……」
「!!」
 
 ルカの声――振り返ると、廊下から中庭に出る窓の所で呆然と立ち尽くしていた。

「あ……ル、ルカ……」
 
 ルカは目の前に広がる信じがたい光景に、よろよろとした足つきで中庭へ歩みを進める。そして震える両手を抱えながら、枯れた花畑を見渡す……。
 
「どう、して、どうして……」
「ルカ……」
「わたし、ずっとお水、あげれなかった、から……」
「ちがうよ! 一日二日あげないだけでこんな風にならないよ! こんな、こんな」

 何を言っていいのか分からない。彼女の藍色の瞳が揺れて、涙が次々にこぼれる。

「じゃあ、どうして。どうして、この子、たち……」
「ルカ、ルカ……落ち着いて……」
「……っ、ひっ、ひっ、ひっ……」

 ルカは息をひたすら吸い続ける。やがて――……。
 
「いやああああぁぁ――――っ!!」
 
 砦じゅうに、彼女の悲鳴が響き渡った。
 
 
 ◇
 
 
「どうした!?」
「カイル……っ」
 
 悲鳴を聞きつけて、カイルにベル、フランツが走ってきた。
 すぐに花畑の惨状が目に入ったようで、3人もまた息を呑む。
 
「え、え、どうしちゃったの、これ……昨日まできれいに咲いてたよね!?」
「一晩で急に? ……何があったんだ。それにこの、虫の死骸……」
「ひどい、何これ……」

 ルカはその場にへたり込んでしまった。今わたしの腕の中でひたすらしゃくりあげている。
 
「朝来たら、こうなってたの……」
 
 わたしが泣いてる場合じゃないのに、どうしても我慢できない。
 どうして、どうしてこんなことに。理解できない。
 
「どうなさったの? すごい悲鳴が聞こえましたけれど」
「!!」
 
 遅れて、アーテさんが登場した。悲鳴を聞いてやってきた割には随分のんびりと優雅だ。
 ――正直、今この人の顔を見たくない。
 
「まあ……! これは一体どうしたことですの?」
 
 彼女は枯れた花畑を見て瞳を潤ませ、大きく息を吸ってから口を手で覆う。
 
「昨日までここには綺麗なお花が咲いていましたわよね? ……お財布をなくして心細かったですけれど、あのお花を見ることで寂しさが少し紛れていましたのに、……どうして……とても、悲しいですわ」

 そう言いながら銀のまつ毛を伏せて儚げにうつむき、怯えた目でカイルを見上げる。

 ――すごい。
「花ごときで喜ぶなんて羨ましい」なんて馬鹿にしていたのに。ていうか、なんでカイルに?
 
「……あの人……」

 ルカが不意につぶやき、ゆらりと立ち上がった。

「ルカ……?」
 
 ルカは呼吸を乱しつつ、アーテさんを睨む。見たことがない、怒りに滲んだ表情。
 
「――何かしら? 名乗りもせずに急に睨みつけてくるだなんて、頭が――」
「この人! この人が、あの子達を!!」
 
 ルカが叫ぶと、彼女の足元に氷が螺旋を描いて飛び出す。
 左手には水の紋章――彼女は薄い水色のオーラのようなもので包まれ、魔力で地面から浮き上がった。

「ル、ルカ……っ」

 ――身の毛がよだち、悪寒が走る。魔法が使えないわたしにも分かる……これは殺気だ。
 飛び出た氷が鋭い槍のような形状になり、一斉にアーテさんの方を向く。
 
「だめぇっ! ルカ!! やめてーっ!!」

 わたしが叫ぶのと、何本もの氷の槍が回転しながら彼女の元へ飛んでいくのはほぼ同時だった。

「危ない!!」
「ひぃっ……!」

 カイルが、アーテさんを抱えて地に伏せる。
 ……すんでのところで彼女には当たらなかった。けど当たらなかった氷の槍は砦の廊下のガラスを突き破って粉々に割れてしまった。
 
 ――ふと、また空気が揺れる感覚がした。
 ルカの足元に氷が広がり、また氷の槍を精製している。
 紋章使いは、魔器ルーンを介さずに魔法が使える。
 だから、第二撃が早いんだ。それに怒っているから魔法の威力も――。
 駄目だ……ルカはあの人に当たるまで続ける気だ。確実に殺してしまう……!
 
「ルカ! お願い、やめてっ!」

 わたしはへたり込んだまま、ルカに抱きつく。でも彼女を包む水色のオーラは消えてくれない。
 この水色のオーラは冷気だ。冷たい、寒い……凍てつくような空気。

「ダメだよ! 魔法撃っちゃダメえぇーっ!」

 ――次の瞬間。
 パン、と乾いた音がして、ルカの水色のオーラが消えた。
 ルカはその場に崩れ落ち、呆然と地面を見つめる。でもすぐに目の前に立っている人を睨みあげた。
 
「――いい加減にしろ」
 
 乾いた音は、カイルがルカを引っ叩いた音。
 カイルもまたルカを睨みつけていたが、すぐに身を翻しアーテさんに頭を下げた。
 
「……申し訳ありません。彼女が非礼を」
 
(……カイル……!)

 この場を収めるには仕方がないことだろう。でも――。
 
「どうして! どうして! わあぁああ――っ!」
 
 ルカには、そんなことは分からない……。
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