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6章 ことのはじまり

11話 沈む(前)

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「グレン、入るぞ」
「ああ」
「これ、今月分の帳簿」

 隊長室にいるグレンに毎月つけている砦の帳簿を渡す。

「ああ、ありがとう。……さすが、仕事が早いな」
「まあな。……?」
 
 応接のソファにはあのクライブという竜騎士が腰掛けていた。
 巻き直すためなのか、竜騎士の赤いスカーフを広げているところだった。本物のスカーフの中にもう一枚、小さい赤い布を畳んで入れている。
 あれはたぶんオレ達も子供の頃持っていた、お土産屋に売っている子供用の竜騎士スカーフのレプリカだ。
 
(子供用のスカーフ……? 願掛けか何かか?)
 
「!」
 
 その様子を見ているのを知ってか知らずか、こちらと視線がかち合ってしまった。気まずい。
 
「……じゃあ、オレはこれで」
 クライブという男に軽く会釈をすると、目を細めて少し笑って会釈を返してきた。
 
 
(竜騎士……か)

 隊長室を出て廊下を歩きながらぼんやりと考える。

 フランツという、弟に似た雰囲気の無邪気な子供が最近加わった。
 何にでも「すげー!」と目を輝かせる。あの竜騎士に竜を見せてもらって大興奮している。
 竜騎士のクライブは、昔レイチェルの家族と一緒に竜騎士団領に行った時に出会って写真を一緒に撮った『竜騎士のお兄さん』その人だった。
 弟に「君は竜騎士の素質があるのかもしれない」って言った男だ。
 以来弟は舞い上がって、いつか竜騎士になるって息巻いていた。
 
「…………」
(今……何を考えてんだ、オレは……)
 
 心がザワつく。
 フランツは無邪気だ。何にでも感動する。竜をかっこいいと言う。
 竜騎士のクライブ。昔会ったことがある。弟に社交辞令で褒め言葉を言った。
 それだけだ。それぞれ独立した事実。
 
 それなのに、頭の中で全てが「いなくなった弟」に繋がっていく。
 フランツは弟みたいにはしゃぐ。弟もフランツみたいに竜をかっこいいって言っていた。
 竜騎士――あいつも竜騎士になりたいって言っていた。あのお兄さんみたいになりたいって。
 
 
 ◇
 
 
(あー……今回はすげー沈んでんな……)
 夢の中で、オレはまた黒いぬかるみにはまっていた。
 お嬢さんに回復魔法をかけてもらった時だけスッとする。
 だが夢の中の黒いぬかるみは日に日に深くなっていき、最近は頭まで浸かり……そして今回は底なし沼に沈んだかのようにどんどん沈んでいっていた。
 
 あのクライブって男の正体は、弟のカイルだった。
 グレンの話によると11年前の過去の世界、それもなぜか竜騎士団領に飛ばされてそこでずっと生活していたらしい。
 いつか自分の時代に戻るための制約があって、それで名前を偽って、だけどやっぱり戻りたくなくなったとかなんとか……ちょっと理解が追いつかない。
 聞くのと体験するのじゃえらい違いだろうから、アイツさぞかし大変だったんだろうな。12歳かそこらで受け入れないといけなかったんだもんな。
 
 黒い湖面の上の方では大人になったカイルが立っていて、沈んでいるオレを冷めた目で見下ろしていた。
 あの大人のカイルが子供のカイルに『君は素質があるのかも』なんて言ってたんだ。
 ――ワケわかんねぇな。アイツあの時どういう気持ちであのセリフ言ったんだろ?
 
『素質ある、だって! 父ちゃん! おれも竜騎士になるっ!』
『分かった分かった。じゃあ強くなるためにはまず好き嫌い直さないとな。ピーマン残ってるぞ』
『うぇー……』
『そうそう。背が伸びないわよ。それに騎士たるもの、勉学も多少は必要よ。遊んでばかりいないで勉強もしなさいね』
『ううう~~』
 
 ――どんな経緯かは知らねえけどアイツ、竜騎士になってたな。ピーマンは食えるようになったんかな?
 チビだったのに背も随分ゴツくなって、ウデも立ちそうだ……オレよりよっぽど実戦積んでんだろな。
 見た目だけだと全く弟と同一人物かどうか分からない。だけど……。
 
『うるさいな』
『お前と話すことは何もない』
 
(あの野郎、『お前』だってよ……はは……)
  
 昔、アイツが大事にしていたガラスのペン立てを不注意で落として割っちまったことがあった。
 わざとじゃないから謝りまくった。
 だけどアイツは目から涙をボロボロ流して、
『うるさい! バカ! どっかいけ!! お前なんか大嫌いだ! おれお前のこと絶対許さない!!』ってオレを怒鳴りつけた。
 それに対してオレは自分が悪いのにめちゃくちゃアタマにきて
『だからさっきからなんべんも謝ってんじゃねーかよ!! つか、兄ちゃんに向かってお前って何だよ!』
 そう言って殴って更に泣かせて、結局二人して親に怒られた。 
 
『すまない君、大丈夫か』なんて、ちょっとキザで余裕ある大人感出してたのにな。……怒り方、昔と同じなんだな。
 ああ、こいつ紛れもなく弟だ、カイルなんだ。
 オレにだけよく分かるように、めちゃくちゃ怒ってますアピールしやがって――。
 
 
 ◇
 
 
「……う、うう……」
 夢から覚めた。この所毎日目覚めは最悪だ。
 ベルナデッタお嬢さんに魔法をかけてもらっているが、夢の中のぬかるみはなくならない。
 
 不意に、頭の中にキーンと不快な音が響く。
「くっ……!」
 ――あんな奴、放っておけばいい……。
「!!」

 頭の中に声が響く。これは……数ヶ月前、火の紋章の男――グレンに斬りかかった時と同じだ。
 今頭の中にはっきり聞こえる。
 地に響くような聞いたことのない低い声かと思えば、オレの声でも喋る。
 剣からは色々な人間の声がする。
 
 お前のせいだ、違うオレのせいじゃない、弟が生きてたんだから両親に報告しろ、言わなくてもいい、放っておけ。
 ……そして「我がマスター」とか、訳のわからないことを繰り返し繰り返し、頭の中に注ぎ込む。
 ダメだ。大声で叫びだしそうだ。
 こういう時にはグレンに剣の手合わせに付き合ってもらっているが、もはやそういう気分じゃない。
 何より料理をしていれば気が紛れるんだから、仕事に戻りたい。
 
 だがその後グレンに剣のことを言ったら『仕事は当面諦めてくれ』と言われてしまった。
 そりゃそうだろう。叫びだしそう、暴れそう、紫のオーラが出てる……こんな危険人物、仕事場ばかりか街に繰り出してもダメだろう。
 
 ――イライラする。ムカつく。殺してやりたい。
 
(殺してやりたい? ……誰を?)
 今自分の頭の中をよぎった考えは何だろう。頭をかきむしりながら振り払う。
 
 視界がぐにゃりと歪む。……今自分がいる場所はどこなんだろう。
 これは現実なのか。またあの夢の中の黒いぬかるみなのか。
 フラフラと歩きながらも自室と思しき場所に辿り着き、横になる。
 感触が分からない。地べたかもしれない。ベッドかもしれない。

(どうでもいいか……)
 
 目の前に置いてある黒い剣から紫の煙が立ち上るのを見ながら、オレはそのまま眠った。
 
 
 ◇
 
 
 次に目を開けるとあのぬかるみではなく、美しい湖が広がっていた。
(ミロワール湖……)
 5年前、カイルはここへ釣りをしに行き消息を絶った。
 
『カイル! カイル! どうしてぇ……っ』
「!」
 オフクロの声がした。
 見ると足に大怪我を負ったカイルが水濡れの遺体となって横たわり、オフクロがそれに取り縋って泣いている。
 その横で、オヤジは拳を握ってただ打ち震えていた。
 
(違う……)
 
『……ただの夢だよ。カイルは生きてるよ』
 レイチェルの声。……そうだ、これは夢だ。現実じゃない。こんな場面には遭遇していない。
 
『お前がカイルを連れて行ってやってれば……』
『そうよ……どうしてカイルが死なないといけないの』
「え……」
 
 オヤジとオフクロがこちらに向き直り、赤く輝く眼でオレを捕らえる。
『どうして、どうしてカイルが。もうこの子はどこにも行けない。何にもなれない』
『剣を教えてやりたかった……』
「と、父ちゃん……」

 違う。違う違う。こんな事は言われてない。妄想だ。
 それなのにまるで真実として体験したかのように頭の中をフラッシュバックする。
 
『ジャミル……そんなにお前が気に病むのは見ていられないんだ。』
『ごめんね、お兄ちゃん。ここに住んでるの、お母さんが辛いの。だから引っ越したい……』
 ――これは、現実。
 
『全部全部お兄ちゃんのせいよ』
『お前がカイルを殺したも同然だ』
『いくら勉強頑張ったってあの子の代わりになんてならないわ』
『きっとカイルの方が剣の素質があっただろうに』
 ――違う、こっちは現実じゃない。現実じゃないのに目の前の両親は矢継ぎ早に口を開きオレを口撃する。
『どうしてお前じゃなかったの』
『お前が死ねばよかった』
『『あの子じゃなくて、お前が』』
 
(……違わないか……)
 
 ――言われてないけど、きっと二人共そう思ってんだよ。
 オレがそう感じてんだから、それは事実なんだ。現実なんだ。
 オレはアイツを殺した。だから消えないといけない。
 
 どんどん身体が黒い泥の中に沈んでいく。
 もはや泥の中に自分がいるか、自分が泥なのか分からない。
 
『もう疲れたろ? お前はここにいろよ。ラクだぞ?』
 いつもの通り赤い眼をしたオレが現れる。あの黒い剣を手にしている。
『ちょっと眼が赤くなるくらいで、闇に堕ちるのは何も怖くない。むしろ罪悪感からも解き放たれて、何も考えなくて済むんだ。サイコーだろ?』
『その身体、オレに明け渡せよ』
『コイツを手にとって、何もかも斬って捨てればスッとするぜ』
 赤い眼をしたソイツが歯を最大限むき出しにした汚い笑顔で、黒い剣をオレに手渡そうとする。
 
 何もかも斬る……誰を?
 オレは別に何も憎くない。そりゃ親とは気まずいけど、殺したいなんて思ったことはない。
 黒い泥の遥か上の方には小さい光が見える。きっとあのお嬢さんが魔法をかけてくれているんだろう。
 
 けど――ちょっと今回は、もう上がっていけないかもしれない……。
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