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6章 ことのはじまり

1話 ジャミルと妙な二人組

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「おいジャミル、本当にいい加減にしてくれ。なんで自制できない」
「――すんません」
 
 ――もはや、何度目か分からない注意。
 
 酒場の厨房で働き始めて1年が経とうとしていた頃、オレはあの剣を拾った。
 それからというもの、毎日イライラする。とにかくムカつく。
 あの剣のせいかもしれないと元あった場所に捨ててきても、いつの間にか枕元に戻っている。
 
 職場はオープンキッチンなため、客からは「あのシェフがいつも嫌そうな顔で料理を作っていて不快だ」と苦情を受ける。
 上司である酒場のマスターからも「お前の情熱は分かったから、もう少し怒りを抑えてほしい」と再三言われていた。
 忙しくなってくると備品を投げ、ゴミ捨場にゴミを叩きつける。壁を蹴る。同僚とも衝突することがしばしば。
 一通りやらかした後はいつも罪悪感に見舞われる。毎日毎日注意を受けていた。
 マスターは人がいいが、きっとそろそろクビになるだろう。
 やりたかった仕事なのに何もうまくいかない……それもさらにイライラに拍車をかける。全く悪循環だった。
 
 
 ある日、夕方にやたらとオーダーが入った日があった。
 肉、魚、米、パン、野菜、麺――ありとあらゆる物が注文され、在庫切れを起こすくらいだった。酒場だから夜からがかき入れ時なのにだ。
 団体客が入ったのかと思えば、大量のオーダーの品が並ぶテーブルには男と小柄な女の2人しか座っていなかった。
 男はノルデン人で、剣士のようだ。連れの小さい女はピンクの髪。どこの国の人間かよく分からない。
 ジャラジャラとアクセサリーを着けている。多分魔法使いだろう。
 
 よく見りゃあ男の方はそこまで食べてなくて、小さい女がひたすら異次元に食べているのを見てあっけに取られているようだった。
 パンケーキが気に入ったようで、そいつがパンケーキを口にしてからはずっとパンケーキばかり注文が入っていた。
 やがてマスターは「食い逃げかもしれないから見張っとけ」とオレに耳打ちをした。
 
 そしてその予感が当たったのかなんなのか、会計時に男は「手持ちが足りない」と言い出した。
 飲食代、20万リエール。その日一日の売上に匹敵するほどの額だった。
 店の食材をほとんど全て食い尽くされたから、店を閉めなければいけない。それなのに金がないと言う。
「家に取りに帰るから」と言う男にオレは「ふざけるな」と怒鳴った。
 男は「申し訳ない」と、気まずそうに指でデコをかきながら言う。
 一方連れの女は人形のように表情なく何も言わない。ただ大きな瞳をギョロリとさせて男を凝視しながら立っているだけ。……不気味だった。
 
 しかしマスターはどこまでも人がいい。男を信用するというのだ。
 だが万が一逃げようとした場合は……ということで、オレが男の家までついていくことになった。
「こいつはこれでけっこう強いから変な気を起こさないほうがいい」とマスターに牽制され、男はあいまいに笑った。
 
 見知らぬ男と2人。
 道すがら話があるはずもなく、オレはあの黒い剣を腰から下げて男の背中を睨みながらついていっていた。
 なんでこんな事をしなきゃならない。さっさと通報しちまえばいいのに――そう思っていた。
 
 ――やがて男の自宅付近に到着した頃、頭に妙な声が聞こえた。
「火の紋章の男」がどうたらこうたら……その妙な声は剣から聞こえているようだった。
 
 ――後に『最近剣が喋る』なんて言っていたが、実はこの頃から聞こえていた。
 ただそれから数ヶ月間は静かだったし、なんとなくこれは言うとヤバそうだと思って黙っていたんだ。
 さっさと告げていればもうちょっとくらいは症状がマシになってたかもしれない……もう後の祭りだけど。
 
 そしてその声が聞こえたのか、家に入っていこうとする男が鋭い目つきで振り向いた。
 気づけばオレの身体から紫色の煙のようなものが出てきていた。
 そして、「この男を殺してしまおう」と頭の中に声が響く。

 ――イライラする。ムカつく。だけど、今目の前にいるこの男を殺したいという程じゃない。なんで殺さなけりゃならない。喋りかけるな。

 だがオレの心と身体はまるで誰かに取って代わられたかのように勝手に動き出し、剣を抜いて男に斬りかかっていた。
 
 男はそれを最初から分かっていたかのように、オレが抜くよりも早く剣を抜いてオレの斬撃を受け止めた。
 しばらくそのまま押し合い睨み合うが、体格差があり力で押し勝つことはできない。
 一度身を離してからまた男に斬りかかるが、これもかわされる。
 その後はオレが何回斬りかかっても、剣を受け止めることすらなく全てかわされた。
 
 ――オレの目から見ても、この男はかなりの実力の剣士だとは思っていた。
 しかしその予想以上に男は強かった。
 どの瞬間に剣が振り下ろされて、どこに斬撃が来るのかまでも正確に読めているかのように全くかすりもしなかった。
 やがてスキを見た男の放った一撃で吹き飛ばされ、オレは意識を手放した。
 
 オレは、見るのは好きだけど自分が戦うのはそんなに好きじゃない。
 けどオヤジに鍛えられてそこそこに自信はあった。……それが完膚なきまでにのされた。それも一撃で。
 あの剣に操られた時、オレの身体は自分の実力・身体能力以上に動いていたと思う。ドーピングとでもいうのか……でも、それでも負けた。
 一撃も当たらなかった――いや、当たらなくてよかったんだけど。
 
 まあともかく、あれはけっこうショックだったな……。
 
 
 ◇
 
 
 そんなことがあったので立場は完全に逆転。
 オレは男に引きずられ、酒場のマスターの前に連れて行かれた。
「金を取りに行ったら急にこいつに斬りかかられたがあんたの差し金か。この黒い剣は何だ」と。
 ――ちなみに20万はちゃんと払ったらしい。本当に、ただ手持ちが足りないだけだった。
 
 それを聞いたマスターにゲンコツを振り下ろされ「客に斬りかかるとは何事だ。その剣についても説明しろ」と、かなりの剣幕で怒鳴られた。
 オレは観念して、地面に正座して男とマスターに謝罪をし、2人に全てを白状した。
 マスターは「そんな事情なら早く言え」とオレを諌め、男と連れの女に「少し待っていてほしい」と頼んだ後、2件先にあるギルドに速やかに報告に行った。
 そしてそこからミランダ教会へ報告が行きさらに返答があったとのことで、マスターは男に「あんたに頼みがある」と言い、全員で酒場に入り話をすることになった。
 ――その間、約20分。
 
 マスターは……どこどこまでも人がよかった。
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