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5章 兄弟

19話 兄ちゃん(後)

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 全てを言い切ったのかカイルは掴んでいたジャミルの襟首を放し、その後言葉もなく激しく肩で息をする。
 やがてそのまま、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
 襟首をつかまれていたジャミルは少し息苦しそうに咳をしていたけどやがて立ち上がり、切れて血が出ている口元を拭いながらよろよろとカイルまで歩み寄る。

「悪かった……お前をそんな境遇に追いやるきっかけを作ったのは、オレだ。……オレが悪い。ごめん。……兄ちゃんが、悪かった」
「…………っ」

 カイルはうつむいたまま返事をしない。片手で覆った顔から、水滴がポツポツと流れ落ちる。

「お前の置かれた境遇も気持ちも、オレには分からねえ、分かるはずもない。……どうすりゃお前の気が晴れる。オレが憎いなら、殺せばいい。そうだ、オレが『闇に堕ちる』だの『赤眼』だのいうのになる前に、お前の手でってくれ」
 
「!!」
「ジャ……ジャミル、知って――」
「その剣がそう言ってた……ペラペラとアタマに語りかけてきてうぜえのなんの……へへ」

 食堂の隅に追いやられて転がっている、未だに紫のオーラを発する剣。……本当にいらないことばっかりする。
 
「……ほら、カイル。お前の思う通りに」
「嫌だ」
「……オレが憎いんだろうが」
「憎くはない……」
「なんだよそれ、さっき散々――」
「……俺は、兄ちゃんを斬りたくなんかない」
「意味が……分かんねぇ。何がやりたいんだよ」
「……別に、何も望まない」
「ウソつけよ」
「ついていない」
「ウソだな……ウソだ。オマエがそう言う時は大体なんか我慢して、隠してんだ。何だよ、言えよ! 黙ってちゃあ、分かんねーだろが!」
「…………」
 
 カイルはあぐらをかいて両手で足の甲を握ったままうつむいて、何も喋らない。

「……に……たい」
「え?」

 何かポソポソと言葉を発したようだけど聞き取れない。一番近くにいるジャミルにも聞こえなかったようだ。

「なんだ? よく、聞こえな――」
「家に、……家に帰りたい……」
 
「家に、帰りたい……?」
「家に帰って、食卓囲んで、みんなでどうでもいい話とかしたい。――俺は竜騎士として、『クライブ・ディクソン』として生きた自分を忘れられたくなかった。自分を捨てたくなかったから、あの日と全く同じ行動してまた過去に飛ぶようにして……その選択に後悔はない。だけど本当は、選びたくなんか……『カイル』として生きる自分も捨てたくなんかなかった。家族と過ごしたかった。……もう全然遊ばなくなってたけど――カルムの街で、兄ちゃんとレイチェルと、3人一緒に同じ時を過ごして、大人になりたかった……!」
 
「カイル……っ」

 涙を抑えられなくて、わたしはその場にへたり込む。ベルが一緒に座って背中をさすってくれる。
 ――心が、胸が苦しい。
 どっちかの自分を捨てるなんて、なんで彼はそんな辛い選択をしないといけなかったんだろう?
 明日も明後日も変わらないはずの日常を誰が奪ったんだろう?
 どうして……3人で過ごせなかったんだろう?
 
「そんならなんで、再会したときオレやレイチェルの前で他人のフリした。そりゃ、すぐには信じられなかったかもだけどよ……」
「俺は『お前どこの誰だ』って言われるのが何より怖くて……。再会した時は嬉しかったけど、俺はあまりに違う姿をしてるから分かってもらえない、信じてもらえないかもしれない――だけどやっぱりどうしても話をしたかったから、会ったばかりの他人のふりを」
「なんで……なんでよ」

 どうしても耐えられなくて、わたしは会話に割り込んでしまった。

「それで、もしわたし達が昔の話はじめても、あなたが『クライブさん』だったら何も共有できないじゃない、仲間はずれだよ。そんなの悲しいよ、耐えられないよ……!」
「ああ、そうだ……ほんとだね。あまり……考えてなかったよ。……はは」

 額を指で掻きながら自嘲するようにカイルが笑う。
 
「――3人で同じ時はもう無理でも、家に帰って来たいなら帰ってくりゃあ、いいじゃねぇか……」
「……こんな姿で行っても、俺だって信じてもらえない」
「兄ちゃんが、一緒に説明してやっから」
「それでも信じてもらえなかったら? 自分ですら自分が分からなくなる時があるのに、父ちゃん母ちゃんに『お前誰だ』って言われたら、俺は」
「父ちゃん母ちゃんは、そんなこと言わねぇ――」
 
「だって、さっさと引っ越していったじゃないかっ!?」
 
 彼は気が動転したように大声でそう叫んで、拳で床を叩きつけた。――小さい子供みたいに一瞬で目から大粒の涙が流れ、ぼたぼたとこぼれて床を濡らす。

「カ……カイル」

 彼の絶叫にジャミルもわたし達も言葉を失くし息を呑む。
 
 
「12歳の俺が消えたらみんな悲しむかもしれないけど――『カイル・レッドフォード』っていう自分はきっとみんな憶えていてくれるからって思ってた……。だけど俺が消えて半年も経たないうちに引っ越してった、俺を忘れるために! 誕生日だって、まだだったのにさあ……っ! 父ちゃんも、母ちゃんも、兄ちゃんもひどいんだよ! なんで? なんで俺を置いていくんだよ!? 俺は生きてるのに! ずっと生きて、ここにいるのに……っ!!」
 
 そう叫ぶとカイルは床に突っ伏して、うずくまって頭を抱えて嗚咽する。
 
 ――現状を受け入れないと何にもならなかったから、泣いてる暇はなかったな。
 ――ありがとう。あの時の――12歳の俺の為に、泣いてくれて。
 
 辛くても泣けなかったという彼が、きっと今初めてその心情を吐露した。
 
 ――両親の中では、もう俺はいないものだったんだよな。
 ――俺がいなくなって1年も経ってなかったはずなのに――切り替え早いよね。
 
 彼は冷静に、極めてドライにそう言ってみせていた。だけど本当は平気なんかじゃないんだ。
 大人だけど家族に対する気持ちや感覚はあのときのまま……12歳で置いてきぼりにされてしまったカイルなんだ。
 わたしは彼の発言を思い出して、涙も鼻水も止まらずグジュグジュとみっともない音を立てて泣くしかなかった。
 そんなわたしを横にいるベルは涙目で少し鼻をすすりながら、ずっと背中をさすってくれている。
 
 弟の発言を黙って聞いていたジャミルは、唇を震わせて涙を流しながら膝から崩れ落ちる。
 
「カイル……ごめん……。オレだって、嫌だった。……言ったんだよ、まだ捜索の途中だって。見つかってねえのになんで引っ越すんだ、そんなのできないって……! けど父ちゃんも母ちゃんも『お前が憔悴しきっているのを見てられない』の一点張りで、けどそのうち母ちゃんが『私が辛いから引っ越したい』って……。オレは、オレのせいでこうなったから、そう言われたら従うしかなくて……止められなかったんだ」
「…………」
「置いていってごめん……お前を1人にしてごめん、悪かった。……オレを、兄ちゃんを許してくれ」
 そう言ってジャミルは、無言で泣いているだけになった『年上の弟』の頭を抱いて撫でる。
 ――やがてカイルも口を開く。
 
「……ごめん、兄ちゃん。八つ当たりして罵って、ひどいこと言ってごめん……」
「そんなもん、気にしねぇ……一緒に帰ろう。父ちゃんと母ちゃんのいる家に……」
「うん……ありがとう、兄ちゃん、ありがとう……」
「言うの忘れてた。……お前が、生きてて良かった。……おかえり」
「……。ただいま……兄ちゃん」
 
 そう言って、床にあぐらをかいて向かい合った兄弟は少し笑いあった。
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