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5章 兄弟

4話 彼の、その日

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「えー……と、レイチェル」
「はい?」
「何だっけ、あいつの名前」
「カイルですか?」
「いや、そっちじゃなくて、もう一つの……クラ、クラ……」

 宿のカウンター前でカイルの偽名が思い出せず唸っているグレンさん。友達なのに知らないのかな? そういえば『クライブ』って呼んでるとこ見たことないかもだけど……。

「……クラモト・ソウ……?」
「ち、ちがいますよ……『クライブ・ディクソン』さんでしょ?」
「ああ、そうだ。そいつ、いる?」
 
「クライブ・ディクソンさん? えー……」

 宿の主人が宿帳を見ながらポリポリと頭をかく。

「ああ、いるね。ちょっと待っててよ……」

 そう言うと、他の従業員に声をかけた。
 わたしだと来てもらえないかもしれないから、グレンさんの名前で呼び出してもらった。
 
「グレンさん……『クライブ』という名前を覚えてないんですか? 友達なのに」
「ああ……人前ではそっちで呼べって言われてたんだけど、どうも偽名は頭にインプットされないんだよな」
「じゃあいつもどう呼んで……? あっ、『先輩』!」
「ああ、それそれ」
「偽名はインプットされないって、それもこれのせいで?」
 紋章というワードは使わないほうがいいかと思って、わたしは手の甲を指差した。
「まあ……そんなとこかな」

 そういえば『クライブ・ディクソンさん』の話をした時は、いつも一呼吸の間があったような気がする。それってそのせいだったのかも?

「それは……大変ですね」
「大変なんです。……ああ、来たぞ」
「……!」
 
 彼が従業員の人に促されてやってきた。こちらを見て、ひどく驚いた顔をしている。
(も、もしかして話してもらえない……?)
 と思ったけどこっちに歩いて来てくれた。
 
「レイチェルか……どうりで。グレンが『クライブ・ディクソン』を呼ぶはずがないと思ったんだよな」

 そう言うと彼は少し笑う。それだけでもほっとしてしまう。

「あ、あの……『カイル』って呼んでも、いいん、ですよね」

 恐る恐る彼を見上げて尋ねる。

「構わないよ。……今更クライブとも呼べないだろうし」
「うん。……あの、わたしあなたと話がしたくて。でも、その前に言いたいことが。……カイル」
「……何?」
「……生きてて、よかった」
「…………」

 カイルはわたしを見て黙り込む。
 姿がかなり変わってしまった。何があったか詳しく聞きたい。ジャミルとどうにか話し合ってほしい。
 ……だけどその前にこれだけは言いたかった。

「…………ありがとう」

 しばらくの沈黙のあと、彼は伏し目がちにそう呟いて笑った。
 
 
 ◇

 
「ここなら誰も聞いてないかな。……レイチェル。最初に言うけど、一人でこういう所来ちゃ駄目だよ」 
「あ……うん」

 話をするのに1階の酒場はうるさいだろうってことで宿屋の屋上庭園にやってきたけど、カイルにも注意されちゃった……。
 グレンさんも一緒に屋上に来たけど、話が聞こえないところに座って本を読んでいる。

 
「で、何から話そうかな……」
「……あの日。カイルに何があったの?」

「……実は俺にもよく分からないんだよ。釣りをしていたはずが湖の中にはまってて、左足は燃えるように熱かった。めちゃくちゃ痛いのに『血がすごい出てるなー』とか、『よく分かんないけど俺死ぬんだなー』って、どこか他人事だったよ」
「……」

 淡々と自分の身に起こったことを話すカイルに泣きそうになってしまう。今は大人だけれど、でも瀕死の重傷を負って湖で溺れたのは12歳の彼で。
 
「で、なんだかよく分からないうちに助けられて。しかも助けてくれた人に現在地を聞いたら『竜騎士団領だ』って言うんだから驚いたよな。いくら反対側の湖岸が竜騎士団領とはいえ場所が離れすぎてるし、とにかく足の出血がひどかったから『流れ着いている間に死んでてもおかしくなかった』って助けてくれた人が言ってたよ」

 竜騎士団領に流れ着いているかもしれないって確かにわたしも考えたけど、現実的に考えたらやっぱりありえない話だった。
 飛行船で行けばすぐに着くけど、例えばボートで行こうとしたら1日でも着くかどうか……。
 そして7月とはいえ、湖の水温は冷たい。その距離を流されていたら、怪我をしていなくてもきっと死んでしまう。
 
「運のいいことに俺を助けてくれたのは貴族の屋敷の人だったから回復術師もいて、足の大怪我も治すことができた。歩けるまでにはけっこうかかったけどね。だけどその時の俺は記憶もあいまいで、自分の名前も言えないような状態でさ……それじゃ不便だろうからって、とりあえず『クライブ』って名前で呼ばれてた」
「クライブって、その時の名前だったの……。でもそれって記憶喪失ってこと……?」

「そこまでではないよ。一時的な記憶の混濁っていうのかな……何せいきなり違う国にいたから訳分からなくて何を聞かれても答えられなくて……俺の方が説明してほしいくらいだったよ。それから数日療養しながら過ごすうちに色々思い出してはきたんだけど……なんだか、国が違う以上の違和感を憶え始めたんだ」
「違和感?」
「うん……」 

 手すりにもたれていたカイルは遠い目で空を見上げる。

「俺がもっと子供の時に読んでいた物語なんかが『新発売』、とっくに完結した小説が『連載中』ってなってたりさ。それだけなら、国が違うからかなって思えるんだけど。ある日屋敷の人が『ノルデンの大災害から4年か』とか会話してるのが聞こえたんだ。……おかしいんだよ。学校では先生が『今年で15年、節目の年ですね』とか言っていたはずだって。屋敷の人もそのうち俺が何かおかしいって思ったらしくて色々聞いてきたんだけど、子供じゃうまく説明できなくてさ。だけど俺がポケットに入れてた新聞――水に濡れて読める部分が少なくなってたけど、それに『王太子殿下20歳の誕生日を迎える』って書いてるのを見て『あの方はまだ9歳のはずだ』って」
「…………」
「つまり俺は、なぜか過去の竜騎士団領に飛ばされてたんだ」
 
 過去の世界に飛んでいた――。
 わたしとジャミルとベル、3人で「そんなこともあるかもね」と話し合ってた。不可能でもないかもしれないって。
 だけど3人共やっぱり「そんなわけないよね」ってニュアンスで話してたと思う。
 だけど目の前にいる彼は、そんな現実にはありえない出来事を体験していた。

「そんな、そんなことが……」 
「信じられないよね?」
「えっ! えっと……」

 急にカイルにそう投げかけられて返答に困っていると、カイルがクスッと笑う。

「はは、いいんだよ。俺だって今でも信じられないくらいなんだから。……それで、助けてくれた屋敷の主が魔術に造詣の深い人で、その人が予測するに『禁呪の儀式に巻き込まれたんじゃないか』ってさ」
「禁呪の……儀式?」

 ルカやベルが言っていた。人道に反すること、神に近い行いをする魔法、それが禁呪。

「魔法を使うには杖とかの魔器ルーンを使うよね。禁呪を使うにはもっと特別な物が必要なんだって」
「特、別……?」

 その先を、聞きたくない。嫌な予感がして、額に少し汗がにじむ。

「動物とか、生けるものの命。魂だ。高度の魔法になるとより上質のもの……要するに人間の魂がいる。『無垢または虚無の魂、術者や紋章を持つ者だとより望ましい』そうだよ」
「……!」

 言葉を失う。予想した通りの答だったけれど聞きたくなかった。

「カイルは……その魔器ルーンに使われたって、こと?」
「そうかもしれないっていうだけ、だけどね」
「どうして、カイルが」
「さあ……『術者は時間を超えたかったけれど失敗して俺の方が飛ばされたんじゃないか』とも言ってたな。で、『無垢の魂』っていうのが俺だったのかなあ。あの頃の俺って馬鹿だったからある意味無垢と言えなくも――」
「ちがう、ちがうよ! ……『どうして』ってそういうのじゃなくて!」

 他人事のようにあっけらかんと話すカイルに思わず強めの口調になってしまう。

「どうして? どうしてカイルがそんな目に遭うの……?」
 
 何があったか分からないけど、死に瀕するほどの大怪我を負って、冷たい湖に投げ出されて知らない土地へ。それもなぜか時間の流れが違う。

「……いつもみたいに、釣り、してただけなのに……」

 大した魚も釣れない湖で釣りをする。釣れても釣れなくても、どっちでもいい。それで途中で雨に降られて濡れながら大急ぎで帰る。
 帰ってから「濡れちゃったよ、最悪」「なんで兄ちゃんおれを置いていったんだよ」とか言って、ジャミルは「うるせー、ガキはついてくんじゃねーよ」って返す。
 それできっとその日は終わるはずだった。
 それが日常だったのに。
 
「…………っ」
「……レイチェル、泣くことはないだろ?」

 こらえきれずに泣いてしまったわたしに困ったようにカイルが笑う。

「だって……禁呪の儀式って何? ……そんなの、意味分かんないよ!」

 思ったより大きい声が出てしまったようで、少し離れた所で本を読んでいたグレンさんがこちらを一瞥して、すぐにまた本に目を落とした。

「辛かった……?」
「そうだな……うん。でも、現状を受け入れないと何にもならなかったから、泣いてる暇はなかったな」
「そんな……」
 
 生きている環境と日常を急に取り上げられて帰れなくなり、だけど受け入れないといけなくて、辛くても泣けない。
 ――どうして彼がそんな目に。彼が何をしたっていうんだろう。誰が彼を取り上げたんだろう。
 泣いた所で何にもならないのに、うまく言葉が出てこない。
 いつも人の言葉と話を聞いているだけしかできない自分。
 だけどわたしに何が言えるんだろう?
 
 しばらくの沈黙のあと、頭にカイルの大きな手が乗って撫でられた。

「泣かないでよ……でも、ありがとう。あの時の――12歳の俺の為に、泣いてくれて」
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