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八章 エステラの真珠

166. 釦と真珠

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 海へ出ないという約束をどうして破ったのか。

 夜の帳が降りて眠りの舟に揺られる頃、ニレルは隣で寝そべるエステラに聞いた。
 エステラは眠そうな瞳のままニレルを見て、その頬に触れ、その手で髪を漉いた。

「あの日……朝、目が覚めて、ニレルの瞳を見たの。その時、まるで当然みたいに、あ、海へ行かなきゃって思ったの。海で真珠つくろうって。そしたらクイーンシェルのアイデアが浮かんで、他にもアレやこれや浮かんで……あのね、約束破ってごめんなさい……」

 ニレルはエステラの頬に触れる。
 これはエステラの方が「呼ばれた」んだ、海に。

「許すよ。安全には気をつけてくれたみたいだからね。今度はちゃんと初めから僕も仲間に入れて」

「……ニレルは海が苦手なんだと思ってた」

「違うよ。泳げないのに、海に出ようとするエステラが心配だっただけだよ」
「そう、だから海での魔法の訓練も必要だと思ったの。無事私とヒラとハラとモモは海属性、海耐性も身につけたのよ」

「相変わらずエステラは発想が独特だね」

 そういうと、ニレルは笑んで目を瞑る。
 エステラも目を閉じて、眠りに落ちた。



◇◇◇



「皆さん、昨日は心配かけてしまって、ごめんなさいね。それから、エステラちゃん、ヒラちゃんとハラちゃんもありがとう」

 サロンに集まると、昨日より顔色もよく元気なシャロンの様子に、皆喜んだ。

 今日のサロンには、ブレアとドーラ夫妻も来ていて、早速ニレルとエステラを取り囲んでいた。

 ニレルとエステラは珍しく、釦の付いた半袖のシャツを着ていて、ブレアとドーラの興味を惹いたのだ。

 それは珍しい織の絹地を使ってある以外に、四つの理由があった。

 一つは普段平民は釦のある服を着ないこと。

 釦は高級な衣服の装飾品の一つであり、木や魔物の角や鱗を削って作られる。釦穴を縫うのも腕の良い職人の仕事だ。ニレルもエステラも普段は釦のないチュニック等を着ていた。

 二つ目は、そんな貴族の衣類である釦付きシャツは半袖にされる事はないこと。

 貴族の衣類は、高い布地使ってナンボであるからして。因みに女性が夜会のドレス以外で、肘より上の肌を見せるのは、はしたないとされるので、一応エステラは七部袖だ。

 そして三つ目が折り襟であること。

 マグダリーナやエステラには見慣れた襟だが、この世界では襟なしか立て襟、もしくはフリルの襟が主流だった。ニレルの着ている折り襟は襟の先を月光のような淡い黄色の真珠のピンで固定してある。
 そしてエステラの襟は丸襟で、縁には小さなレース。そこにはビーズのような小さな白い真珠がいい感じの間隔で入っていた。

 四つ目が釦の素材。

 これもマグダリーナには見慣れた貝釦だが、この世界、海の生物は未知の領域なので、人が手にする貝は多くない。
 真珠も小さな淡水真珠がとても高価だった。
 その貝殻も宝飾扱いされるので、釦には使われない。
 しかしニレルのシャツを飾る上品なナチュラルグレーの貝釦も、エステラの縁有りの青緑色の釦も、どれも神秘的な虹色の光沢を纏っていた。

「これは良いな。すごく贅沢だが、いかにもといった派手さがない。とても上品だ」
「このボタン、全部真珠貝なのね……なんて綺麗な色なのかしら」

「売れるなこれは」
「売れるわね」

 そして二人は、真珠をみてまた驚いていた。

「まあ、これが……真珠?」

 目利きのドーラが驚くほど、エステラの真珠は美しかった。

 特に薔薇色や黄色の火焔模様のはっきり出た真珠は、今までなかったもので、ドーラの目を釘付けにしている。

「まるで生きてるみたい……」
 その美しさをたっぷり鑑賞して、ドーラとブレアはソファに戻った。

 昨日はゆっくり見れなかったので、レベッカも手に取って眺める。

「本当に不思議ですわ。魔獣から取れても魔石……ではないのですわよね。この貝殻達も素敵ですわ」
「どの真珠も精霊達は好きみたいですね! 小精霊がいっぱい集まって来てます」
 アンソニーが目を輝かせて言う。

「すごいな、貝の魔獣、あんなに美味しかったのに、こんな綺麗なものまで生み出すのか」

 ぶっぶとライアンの頭の上で、カーバンクルも鳴く。ダーモットは黙って頷いていた。

 ライアンが浜辺で貝とスラゴー達の作業を見て、貝の形と身の特徴、そしてそこから取れる真珠の種類をまとめたスケッチを見せてくれた。ちゃんとダーモットも見れるように、冊子状にされていた。

 線画だけのスケッチだが、それがまた趣きがある。

「ライアン兄さん、絵がすごく上手だわ! それにこの量を一晩で描いたの?」
 マグダリーナは驚いた。

「伝授してもらった、記憶保持魔法のおかげで、鮮明に思い出せたし、楽しかったからつい……エステラが色々夢中になる気持ちがちょっとわかった」

 少し眠そうなカーバンクルが、ライアンの肩の上にズリ落ちて、ぶーぅと鳴いた。


 さて、とドーラは本題を切り出した。

「私たちに見せたってことは、この真珠と貝殻は流通させるつもりなのよね?」

 エステラは頷いた。

「貝殻の方だけね。真珠の方はね、ハイエルフの妊婦用のポーションにも使うから、うちから積極的に売り出すことにはしないつもり。これはディオンヌ商会とショウネシーの海の象徴として、特別な相手との商談に使えば良いかなって。例えば王家とか」
「あら王家?」

 意外そうにドーラは言った。

「私の真珠は、他に類を見ないものだと思うんだけど、間違いないかな?」

 宝飾品に詳しいブレア、ドーラ、シャロンの三人が、揃って頷いた。

「だったら国の顔である王家で使って貰えば、まあ他国の人も度肝を抜かれるだろうと想像したら私が楽しいからなんだけど。もちろんここにいる皆んなにも真珠は使って欲しい。そんな範囲かな。希少感を出したいから収入のメイン商材にはしない感じ。でも貝殻の方は好きに売って良いわ」

 エステラは魔法収納から、貝殻が入った木箱を取り出した。中には、色んな種類の貝殻が、大小様々入っている。

 ドーラは貝殻の裏も表も確認する。

「既に洗浄済みなのね。これならすぐ職人に渡せる状態だわ」
「真珠貝の育成ははじめたばかりだから、どのくらいの捕獲量になるかまだよくわからないの。ショウネシーの海を貝だらけにするわけにもいかないから、定期的に捕獲は必要だとは思ってるけど」

「なるほどね。とりあえずこの一箱はうちでいただくわ。金二十で良いかしら?」

 金二十は金貨二十枚の略で、商人独特の言い回しだった。
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