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第九章 最終決戦
2 北壁消滅
しおりを挟む《お久しぶりですな、ヒュウガ殿。はるばる、よくここまでお越し頂きました》
《バーデン閣下……!》
それは北壁を守る麓の町、ハッサムで出会った、あのバーデン総督の声だった。
俺はあの司令部で会った初老の将軍の、堂々とした風貌を思い出しつつ頭を下げた。相手に見えているわけではないけれども、ついそうしてしまうところはやっぱり日本人なのだ。
《この度は、まことにお世話になります。どうぞよろしくお願いします》
《いえいえ。お傍のギガンテは、お役に立っておりましょうや》
《もちろんです。その節は、色々とお気遣いを頂き、有難うございました》
《もったいないお言葉です。……さてさて。それでは諸々、予定通りに粛々と参りましょう。ご準備はよろしいですかな?》
《は。いつなりと》
俺がそう返してから数秒後、目の前の景色に異変が生じた。
大山脈の山稜から屏風のように連なっていた<防御機構>の壁が、ふいにしゅうっと消失したのだ。もちろん、バーデンの指揮により、それを発生させていた<魔術師>たちが術を解いたからにほかならない。
とはいえ、それはこちらの軍勢が通り抜けられるだけの幅での話だ。俺たちが通り抜ければ、この穴はまた元通りに塞がれる予定である。
《ありがとう存じます、バーデン閣下》
《いえいえ》
と、そんな一連の挨拶が終わり、俺たちの軍がしずしずと前へ進み始めた時だった。いきなりバーデンと俺との<思念>の会話に、聞き覚えのある幼い少女の声が割り込んできた。
《ヒュウガ! ヒュウガーっっ!》
《リールーか。どこだ?》
俺が聞き間違えるはずはなかった。
視線を動かすと、<防御機構>のあったすぐ向こうから、わらわらとヴァルーシャ軍のものであるドラゴン部隊が姿を見せ始めている。あちらもこれまで、こちらと同じく<隠遁>によって姿を隠していたのだ。こちらの軍勢ほどの数ではないが、それでもざっと数千頭の騎獣の姿が見える。
その群れの中から、ついと青白色のドラゴンが飛び出したのが見えた。その姿が一目散に、こちらに向かって飛んでくる。まさに光のごとき速さ。
間違いない。リールーだった。
《ヒュウガ、ヒュウガ、ヒュウガーっっ!》
後半は、もう完全に泣き声だ。
彼女の背に乗っているのは、もと緑パーティーのフレイヤ、サンドラ、アデルの三名。彼女たちはやや苦笑顔になりつつも、リールーに任せてそのままこちらへやってくる。
俺の周囲を固めていた近衛隊の兵らが、はっと一瞬身構えた。が、俺が片手を上げて彼らを制した。
リールーが、あっという間にそばへやってくる。
以前の通りの、まことに流麗なドラゴンだ。ただ心持ち、体が前よりも大きくなったような気もする。
《リールー。久しぶりだな。元気にやっていたか?》
《バカー! ヒュウガのバカー! ヒュウガがあんなんでいなくなっちゃって、ボクがどれだけ泣いちゃったと思ってるのーっ!》
リールーは女性たちを背に乗せたまま、翼をばたばたさせてガッシュのまわりを飛び回っている。
《そんな子に浮気してえ! もー、めっちゃ許さないんだからー!》
《浮気って、あのなあ……》
ガッシュがげんなりしたように思念を挟んだ。
《その子、ちゃんと働いてるー? ヒュウガに迷惑、かけてないー?》
《くぉら! しつれーだぞ、お前ぇ! ちゃーんと働いてるっつの。なあ、ヒュウガー? 俺、ちゃんとしてるよなあ?》
《ふーんだ。男のコって、お調子もんだしカッコつけたがりだから、若いうちはほんと役に立たないって、よくママが言ってるもーんだ!》
《なっ、なな……なにをー!》
《こらこら。いい加減にしろ、二人とも》
俺が頭を抱えながらそう言って、ようやく二人……いや、二頭の喧嘩はおさまった。
まったく。これから正念場だぞ。
と、リールーの背に乗る三人が、苦笑したまま俺に頭を下げて来た。
「お久しぶりです、ヒュウガ様。お元気そうで、なによりにございます」
「またこうしてお会いできて、大変嬉しゅうございますわ」
「どうかまた、ご一緒させてくださいっ!」
「……ああ。こちらこそ、どうかよろしく頼む」
こちらも苦笑して礼を返すと、女性たちは嬉しそうに微笑んだ。
この騒ぎで一旦足の止まっていた魔族の連合軍は、俺が再度進軍を命ずると、一糸乱れぬ隊列を保って、ふたたび北壁にあいた「穴」の中へと粛々と進みだした。
ヴァルーシャ軍は俺たちから見て左側へよける形で隊列をたもち、こちらの動きの一部始終を見守っている。
実は当初、ヴァルーシャ軍は俺たちの軍を挟むように、左右に分かれて待機しようかと打診してきた。
が、こちらの将兵の大部分は、まださほどヴァルーシャ軍を信用しているわけではない。何といってもあちらの軍は、つい先日、恐るべき急襲をかけて魔王マノンを滅ぼしたばかりなのだ。
のこのこと奴らの軍の真ん中に出たりすれば、左右からの挟撃に遭うのではないかという魔族軍側の将兵の感覚は、至極当然のものである。
と、ヴァルーシャ軍からフリーダの騎獣であるリールーの姉ドラゴン、白銀のシエラが姿を現して、まっすぐにこちらへ飛んできた。その隣にはデュカリスはじめ、近衛隊らしいドラゴンたちが従っている。
さらにその後方には、もと「赤パーティー」の面々がそれぞれのドラゴンやキメラに乗ってついてきているのが見えた。先頭にいる偉丈夫は、もちろんあのガイアだ。
「久方ぶりだな、ヒュウガ」
いつも通り、白銀の鎧に白いマントを流したフリーダが、貴種そのものの尊大な態度で言い放った。が、ふと気づいてひとつしわぶきをし、言い直す。
「……あ、いえ。魔王陛下」
さも、「やれやれ、仕方ないな」と言わんばかりだ。隣のデュカリスがそれを見て、わずかに苦笑したようだった。
俺は、慌てて謝罪の言葉を述べようとしたらしいフリーダの機先を制した。
「いえ、フリーダ閣下。どうぞ以前通りにお呼び捨てを。で、作戦の首尾はいかがにございましょうか」
「うむ。ここまでのところは、まずまず上首尾だ。この地のドラゴンたちが魔力を放出して空気を震わせ、マリアどもを挑発した。マリアたちは全員が、それに呼応したようだ。<空中浮遊>をつかい、上空に集まっている。……ほら、あれだ」
フリーダが白銀の小手をつけた指でさす先には、はるか遠い空にもやもやと光る綿毛のようなものが見えていた。
この空間には、いまドラゴンたちの魔力による細かな網の目が張り巡らされている。この網の目から抜け出すことは容易ではないはずだ。
「あそこに、奴らは集まっている。今はまだ、さほどの動きを見せておらぬ。こちらの動向を窺っている段階だな」
「……なるほど」
俺は少し目を細めて、南の空をじっと見つめた。
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