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第九章 最終決戦
3 粒子
しおりを挟む《驚きましたわ、ヒュウガ様》
その声が耳に届いたのは、それから俺たち魔族軍がいくばくも進まないうちだった。
清らかで穢れを知らぬ、まだ少女といっていいような声。
シスター・マリアだ。
その声は、全軍の耳に届いているらしい。周囲を飛んでいる皆がその瞬間、はっと体を固くしたのが分かったからだ。
《まさか魔王になったあなた様が、四天王ばかりでなくヴァルーシャ陛下まで抱き込んで……さらにはかの、古のドラゴンの助力まで得ようとは。これはさすがに、わたくしの予想をはるかに上回る事態でしてよ。褒めてさしあげますわ、心から》
《……それはどうも》
半眼になってそう答えると、女の思念はうふふ、と軽やかな笑声をたてた。
《けれども、わたくしをあんまり見くびらないで下さいませね。申し上げたではありませんか。わたくしは、かの『創世神』さまの巫女なのですよ? 被造物たるあなたがたがいくら集まってこようとも、たとえドラゴンたちの助力を仰げたとしても……わたくしに勝とうなどとは、お思いにならないほうがよろしくてよ。それは、労力の無駄と申すものです》
《あなたを見くびったことなどありません》
俺はごく静かに返した。
《いまだかつて、ただの一度も》
《あら。そうなのですか? ……お礼を言わなくてはいけないのかしら》
女の声が、ころころと笑う。
《けれども、だとしたら、この状況はいったい何だとおっしゃるのでしょう。世界中の上級ドラゴンたちが、わたくしの周りを魔力で取り巻いているではありませんか? お陰でわたくしたち、ここから身動きも取れませんわ。かれらから感じるのは明らかな敵意です。その背後には、かの者の存在すら感じられますけれど?》
《左様でしょうね》
「かの者」というのはもちろん、伝説のドラゴンのことだろう。
ガッシュが言うところによれば、上級ドラゴンは年を重ねるごとにその魔力を増大させていく。そしてある限界を超えた時、かれらは巨大になりすぎた己が体を分解し、粒子状にして、世界に溶けてしまうのだという。
実はその状態でいるほうが、大地や空気から魔力を吸収することも容易になるのだそうだ。
リールーの母ドラゴンがヴァルーシャ宮の地下から空へ飛び出た方法もそれである。彼女は分子や原子のレベルまで分解した自分の体の質量を、少しずつ空気に溶かして移動したのだ。そして普段も、大地の粒に溶けるようにして自分の体を潜ませている。
だから、ガッシュの言は間違いではない。
──『オレたちはどこにでもいるし、逆に言えばどこにもいない』。
その通り、いま、彼の祖父たる伝説のドラゴンも、この場の空気に溶けるようにして事態のすべてを見守ってくれているはずだった。
先ほどから空中に見えている光の集まりのようなものが、進むにつれて次第にはっきりとしてくる。
それは確かに、まったく同じ顔、同じ姿をしたマリアが集まって構成された光の球体だった。光の正体は、彼女たちが発している魔力である。それぞれに<空中浮遊>を使った上、複数の<保護魔法>をみずからに施しているためだ。
マリアの一団をまるで薄い羊毛で包むように、全体にも魔力障壁が張られているのがわかる。
そのうちの一人だけが、今、ほかのマリアたちよりも少し前に出て、じっと俺を見下ろしているのが分かった。
俺は片手を上げて、全軍の移動を止めた。
そして、あらためて女に言った。
《お訊ねしてもよろしいですか? シスター・マリア》
女は答えない。
《そもそも、あなたがたは何者でしょう。いったい何を目的として、数百年もの間、この地でこのような活動をしてこられたのでしょうか》
《…………》
女はやっぱり、答えなかった。
以前のとおりの、優しく清らかな微笑を湛えたきれいな顔で、じっとこちらを見返しているばかりである。
俺はやむなく言葉を続けた。それは、全軍に、つまりはこの世界の全部に向かって聞かせるためでもあった。
《あなたは、この自分のように、あちら世界から『堕ちて』きた人間を『勇者』あるいは『魔王』としてこの地に存在させてきた。『勇者』には三名の『奴隷』を与え、さらにほかの『奴隷』を得るための<テイム>という魔法も与えた。そんなことのできる存在は、この地にあなた以外にはありますまい》
いや、もしかしたらドラゴンにも可能であるかも知れないが、彼らにはそもそもそんな意思はない。
この世界ではマリアたちにだけ、他者に干渉するための特に強力な力が付与されている。それは、彼女たちが何者であるからなのか。
《それは、誤解ですわ。ヒュウガ様》
マリアは微笑みを崩さないまま言った。
《ずっと申しているではありませんか。わたくしたちは、ただの『システム』なのです。かの『創世神』さまにお仕えするしもべに過ぎない存在なのです。ですからあらゆることは、創世神さまのご意思によって──》
《お言葉ですが》
俺はさっさと彼女の言を遮った。
《申し訳ありませんが、正直申し上げて、自分はこの地の『創世神』の存在そのものすら疑っている。それは、あなたが皆に教え込み、作り出した教義にすぎないのではありませんか?》
《なんと……不埒な》
にっこりと笑いつつ、マリアは言った。
《あなた様は、創生神さまの存在を疑おうとおっしゃるのかしら? なんとも、畏れ多いことにございますわね》
俺の周囲や背後にいる将兵たちも、この会話を聞いて少なからず動揺したようだった。が、そもそも創世神信仰のない魔族にとって、それはさしたる問題にはならない。
その動揺は、ヴァルーシャ軍のほうがより大きいように見えた。あちらの将兵は、「え、なんだって?」「そんな、まさか……」と互いの顔を見合っているようだ。
フリーダやデュカリスたちが、「皆、静まれ」と兵らを制する声が聞こえた。
俺はそれが静まるのを少し待って、また言った。
《何よりこの地の人々の目には、この数百年というもの、あなたの姿しか見えていないのです。人族の地のあらゆる『創世神信仰』は、ほかならぬあなたが創り上げてきたものだ。……ちがいますか》
その瞬間。
おおおお、と、虚空に人々の驚愕のどよめきが満ち溢れたような感覚があった。
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