<奨励賞>鑑定士ハリエットと失われた記憶の指環

雲井咲穂(くもいさほ)

文字の大きさ
35 / 39
第3章

第35話.ただ闇の中で惑う者たち

しおりを挟む

 塗りこめたような漆黒がじとりと空気に染み入るような、重く陰鬱そのものの空間だった。

 厚く引いたカーテンの傍で椅子に深く腰を掛け、次から次へともたらされる報告に耳を傾けていた男は、小さく息を吐き零すと長い睫毛を震わせて静かに瞳を閉じた。机の横に立てかけている黒い杖の持ち手に、男のシルエットが湾曲して映り込んでいる。

「まだ見つからないのか」

 黒い手袋をはめた指先を、苛立ったようにとんとん、とひじ掛けに落とす。

 静かな囁きのような音量なのに、鋭利な刃物の先端が空気を切り裂くような声だった。

 荒げてもいないし、怒りを孕んで大声を張り上げてもいないはずなのに、空気を振動させたその確かな音は、扉の前で立ち尽くす複数の人物の身体をたじろがせるに十分なほどの迫力を伴っていた。

「申し訳ありません」

 低く紡がれた声音は、部屋の主の感情を慮ってのものだったが、それでも十分な効力を発揮したとは言えなかった。

 片腕を抑えながら深く項垂れたやや小柄で細身の人物は、窺うように彼を見た。

「謝ってほしいわけではない。ただ、行動に対する誠実な結果が欲しいだけなのだよ、私は」
「……はい」

 淡々と告げられる言葉の羅列に細身の男はしばらく沈黙し、足元を見下ろしていたが、ややあって顔をわずかに上げると蒼白な肌色の中の黒石の瞳を主に向けた。

「あの男が居ました」
「あの男?」

 足を組み替えて体の位置を少しずらしてから部屋の主が聞き返せば、有能だと思っていた部下の一人の男が静かに頷き、続きを話しだす。

「ご命令通り、複製品を回収に向かったあの店に、先日、オークションで見かけたあの男が居ました」

 オークションで会った人間などそれこそ数は膨大で、一人や二人ではない、と言いかけてふと口をつぐむ。彼がわざわざ単なるご機嫌伺いのために無駄な話をするとも言えず、ちらりと記憶に意識を向ける。するとぼんやりと浮かび上がる輪郭を見つけ、思わず口の端を上げてしまう。

「へぇ。それは実に興味深い。それは、どの『彼』のことかな?」

 それがまさしく、記憶から呼び戻したばかりの「それ」と同一か確認するために薄く笑う。

 すれば扉の方で首肯した彼はまっすぐにその瞳をこちらに向けてくる。

「金色の目の娘のパートナーとして会場で挨拶を交わしました」
「ああ。そうか。彼か」

 これは意外に、少し面白いことに発展するかもしれないという予感が何故だかじんわりと男の胸の中に広がっていく。フェレイユ社のブラックオパールの指環を熱心に見つめていた少女の隣に立っていた、一人の男。

 まるで指環に興味がないとばかりに付き添いの少女の言葉の羅列を聞き流しながら、こちらに間違いなく尖った敵意を向けていた人物。

 ちゃちゃを入れられるのがお嫌いなのか、それとも別の理由があるのか。

 指環を求めている、ただのコレクターでもなさそうだ。

「少し頼まれてくれるかい?」
「頼み、ですか?」

 主がこんな風に誰かに頼みごとをするのは珍しい事ではないが、ざわりとした悪戯めいた違和感を感じて小首を傾げる。
「見舞いに花を持って行こうと思ってね。適当に見繕ってくれるかな」

 花、という一言にわずかに目を見開いた。

 この世の何よりも、それが嫌いな主から意外な言葉が引き出され、ざわりと空気が揺れた。だがそれ以上追及することはとてもできず、彼は静かに頷くようにして主に背中を向け、部屋を出て行ったのだった。 



◇◇◇



 青みを帯びた灰色の光が部屋の中を満たしている。

 僅かに割れたカーテンの隙間から、頼りない光が少しずつ差し入っているのを視界に留めながら、もうこれ以上は横になっているのもつらいとばかりに体を起こす。

 ぱちりと慣れない寝台で目を覚ましてしまったハリエットは、隣の空間を少し開けて寝台で眠りこけている兄と、その向こうのベッドで熟睡をしている母の背中を見つめながら、どうしようかと息をついた。

 この部屋はアルフレッドが用意してくれた三人分のベッドが用意されている寝室で、元々の部屋の主である彼は真反対の小さな執務室のような洋室に、臨時で簡易ベットを運び入れてもらい、そこで眠っているらしかった。

 自宅とは全く異なる、整いすぎた豪華な環境にはじめは緊張しきりだったが、それを上回るほどの疲労感のせいで、ハリエットはあっという間に眠りに落ちてしまったようだった。

 夜半、水が飲みたくなって一回起きた時には、いつの間にか帰って来たらしい兄と母が既に寝台に潜り込んでいて寝息を立てていて、その様子にさしものハリエットも安堵したのだが、今後の方針を聞いていないため心配なのは変わりがなかった。

 ともあれ、家族が全員無事で、護衛の人たちも負傷はしたけれど死者は誰もいなかったという報告だけはアルフレッドから知らされていて、そのことだけは本当に視えない存在に感謝した。

 アルフレッドには、落ち着いたら何かしらのお礼をしなければ、と思いながら、彼が遠いアストリカからの異邦人であるという事実をいまさらながらに思い出す。

(この後、アルフレッドはどうするのかしら? 帰国する?)

 ふかふかの枕をクッションのように背中に敷いて、細やかな金色の刺繍が施された灰青色の掛け布を手元に引き寄せる。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう、という悩みよりも、何故ここまで彼は良くしてくれるのだろうという疑問が浮かび上がった。

(確かにティアーズに入るにはヘンリーのコネが必要だったから、その点では私も役に立ったのかもしれない)

 けれどティアーズに入るという目論見は無事に成功し、オークション自体は中止になってしまったのだからあとはもうハリエットなどは用済みと言ってしかるべきだった。

 目的は達成できなかったが、それ以上ハリエット達にはどうしようもない事だから、そこで関係が終わってしまうのが普通なのではないだろうか。つまりハリエットたちは普通の日常に戻り、彼はまた姉の命を奪った犯人を捜すため、フェレイユ社のオパールの指環を探し求めるという日々が始まる。

 けれどそうはならなかった。

 彼はハリエットが目覚めるまで、そばをちょろちょろうろついていたのだと兄からは聞かされていた。

 どうして彼は立ち去らずに居続けたのだろう。

 それに。

(アルフレッドは……、私が急に倒れたことを、どう思っているのだろう)

 ぎゅっと布に指をかけてきつく握ってしまう。深々と皺が入り、濃い波のようにしわが刻まれていく。それはまるで心に刺し入った傷のように、忍び寄る暗い影のように心にざわりとした音を立てるのだ。

 ミレーユが店舗にやってきて、何か彼女の気に障ることをハリエットが言ってしまったがために、彼女はあろうことかアルフレッドの大切な懐中時計を床に叩きつけようとした。それを防ごうとしたところ、ミレーユはハリエットの手袋を奪った。そしてまんまと、どうなるか結果を予測して懐中時計を見事にハリエットの手元に落下させた。

『見せてよ、ハリエット。――あなたの特別な力を』

 アルフレッドの耳に、あの言葉は触れたのだろうか。

 否、間違いなく聞こえただろう。

 彼はどう思っただろうか。

 そ知らぬふりをするハリエットを訝しんだりはしていないだろうか。彼は、今に至るまで何も言ってこない。

 それがかえって不気味だった。

 ハリエットはそろりと布から指先をほどくと、ゆっくりと掌を広げた。

 血の気が引いて白くなった指先に少しずつ朱が戻っていく。

(もし、アルフレッドが、私の秘密を暴こうとしてきたら。私は、どうすればいいだろう)

 誤魔化すのか。

 とぼけるのか。

 それとも、真実を告げるのか。

 告げるともなれば、懐中時計に触れたことによって視えたものにも触れねばならないのだろうか。

 人の心の一番深く穿たれた、昏い闇を覗き見る能力を持っているのだと、彼に知られるのを考えると、今すぐにこの場から逃げ去ってしまいたいほどの恐怖が押し寄せる。

 どうしてここまで近づいてしまったのだろう、とハリエットはきつく目を瞑った。

 知らなければ。

 近づかなければ、迷うことなどなかったのに。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...