51 / 132
十三話 「ただの人間」 下中中
しおりを挟む
本気を出した魔王がすぐ目の前にいる。
一瞬たりとも気が抜けず、余計な物に割くリソースはひとかけらもない。
「なあ、リョウジ」
ソフィアさんの声は、いっそ穏やかと言ってもいいくらいで。
「は、はいぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
だというのに僕は反射的に振り返ってしまった。
「教えてくれないか、リョウジ」
「な、何をでしょうか……」
ソフィアさんは笑顔だった。
白い歯が輝き、目は細められて、一見笑顔に見える。
彼女は刀も納め、ただ立っていた。
「誰かに守られる剣士なんて、何の意味がある?」
「そ、それは……」
「いや、お前に答えを求めていない。 結論は出ている」
僕を見つめると、彼女は更に笑みを深める。
「お前に悪気がないのはわかってるんだ」
でも、と続くはずの言葉はない。
それが逆に背骨を引っこ抜かれて、氷柱をぶち込まれるような現実的な痛みすら感じてしまいそうな怖さを呼び起こす。
「そして、ここまで相手にされないのは久しぶりだ」
「あ?」
「いや、魔王にも悪気がないのはわかってるんだ。 斬る事が出来ない私は、貴様の敵にすらなれない」
誰から視線を外しているのか思い出した僕は、慌てて顔を戻した。
魔王もどこか戸惑っているのか、しきりに首を傾げている。
今、魔王は未知と遭遇しているんだ。
「ここまで舐められるのは久しぶり過ぎて、ちょっとどうしていいかわからないな」
「ソ、ソフィアさん……僕はそんなつもりじゃ」
「黙れ」
穏やかな声は反転し、白刃を首筋に突きつけられているかのような、張り詰めた一本の絹糸のような、そんな声だった。
「ここまで真っ正面から、私の誇りを傷付けた奴らは初めてだ」
『ら』!?
複数形になってるのは、なんでですか!?
そう聞きたくても、聞けるはずがない。
今、僕が感じている悽愴な剣気……悽愴な殺気はただの余波だ。
肌が強い死の予感に触れ一瞬で泡立ち、つむじの辺りがムズムズして、あっという間に胃に穴でも空いたんじゃないかと思うくらいキリキリする原因の、この殺気はただの余波に過ぎない。
「……カカカ、マジかよ」
魔王は強い。
全てを破壊する最強の矛を持ち、全てを防ぐ最高の盾を持とうとも、魂まで強くなるわけではないんだ。
本人の言葉を信じるなら、生後半年。
たったそれだけの期間で、ソフィアさんという存在を受け止められるはずがない。
「今日で終わりでいい」
彼女は笑っていた。
「私という存在がここで終わっても、いい」
穏やかな、津波が押し寄せる前の海が、さーっと引いていくような笑み。
「だが、お前を斬る」
「ふざけんなよ、おい……!」
拳で聖剣を殴り、痛みを覚えた様子もなかった魔王が、ただの殺気で一歩。
たったの一歩だが、確かに下がった。
「魔剣チィルダが主ソフィア・ネート」
より一層、笑みが強くなり、三日月のように歪む口元。
目に光はなく、夜の海のような暗い色合い。
彼女の身体は、いっそ風に吹かれて倒れてしまいそうなくらいに力の存在を感じさせず、ふらふらと左右に揺れている。
しかし、極限まで引き絞った弓を見てこの矢は撃たれないと思う馬鹿はいないように、その力の無さは一切の力を無駄にしないための動きだろう。
「貴様の身に、この名を刻んでやる」
ゆらり、と揺れるソフィアさんの一歩は魔王を言うに及ばず、僕よりもゆったりとした動きだ。
しかし、その一歩は何故か目に映らない。
実は瞬間移動していた、と言われても信じてしまいそうな距離の詰め方だ。
「まさか……!」
人間の意識という物は連続しているものではなく、メトロノームがリズムを刻むようにカチ、カチ、カチと僅かな空白があるらしい。
本人すら、本人だからこそ意識出来ないその意識の空白。
その意識の空白を突けば、八十歳を過ぎた老人が屈強な若者を苦もなく倒す事が出来る。
そんな剣道、いや、剣道だけじゃない、ありとあらゆる武術の極み。
棒立ちでソフィアさんを迎える魔王、そして僕。
「あ、あれ……!?」
催眠術にでもかけられたように身体が動かない。
ソフィアさんを意識出来ない僕は、ソフィアさんが近付いてきても、それが何なのかわかっていないらしい。
頭ではわかっている事が、身体には全く情報が行ってないせいで反応出来ないんだ。
そんな武術の極致と言ってもいい技を二人同時に使うなんて……なんで僕まで?
え、ひょっとして僕まで斬られ……そんなまさか。
「お嬢ちゃん……!」
言葉を返さないソフィアさんに、魔王はとりあえずといった様子で拳を振りかぶった。
ただ目標が定まっておらず微妙にズレていて、すでに当たる気配が微塵も感じない。
それに対し刀を抜いていないとはいえ、ソフィアさんが抜けば必ず当たるはずだ。
「だけど……」
あれだけ斬りつけても一筋の傷も与えられなかった魔王の防御を、一体どうやって抜くというんだろう。
一瞬たりとも気が抜けず、余計な物に割くリソースはひとかけらもない。
「なあ、リョウジ」
ソフィアさんの声は、いっそ穏やかと言ってもいいくらいで。
「は、はいぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
だというのに僕は反射的に振り返ってしまった。
「教えてくれないか、リョウジ」
「な、何をでしょうか……」
ソフィアさんは笑顔だった。
白い歯が輝き、目は細められて、一見笑顔に見える。
彼女は刀も納め、ただ立っていた。
「誰かに守られる剣士なんて、何の意味がある?」
「そ、それは……」
「いや、お前に答えを求めていない。 結論は出ている」
僕を見つめると、彼女は更に笑みを深める。
「お前に悪気がないのはわかってるんだ」
でも、と続くはずの言葉はない。
それが逆に背骨を引っこ抜かれて、氷柱をぶち込まれるような現実的な痛みすら感じてしまいそうな怖さを呼び起こす。
「そして、ここまで相手にされないのは久しぶりだ」
「あ?」
「いや、魔王にも悪気がないのはわかってるんだ。 斬る事が出来ない私は、貴様の敵にすらなれない」
誰から視線を外しているのか思い出した僕は、慌てて顔を戻した。
魔王もどこか戸惑っているのか、しきりに首を傾げている。
今、魔王は未知と遭遇しているんだ。
「ここまで舐められるのは久しぶり過ぎて、ちょっとどうしていいかわからないな」
「ソ、ソフィアさん……僕はそんなつもりじゃ」
「黙れ」
穏やかな声は反転し、白刃を首筋に突きつけられているかのような、張り詰めた一本の絹糸のような、そんな声だった。
「ここまで真っ正面から、私の誇りを傷付けた奴らは初めてだ」
『ら』!?
複数形になってるのは、なんでですか!?
そう聞きたくても、聞けるはずがない。
今、僕が感じている悽愴な剣気……悽愴な殺気はただの余波だ。
肌が強い死の予感に触れ一瞬で泡立ち、つむじの辺りがムズムズして、あっという間に胃に穴でも空いたんじゃないかと思うくらいキリキリする原因の、この殺気はただの余波に過ぎない。
「……カカカ、マジかよ」
魔王は強い。
全てを破壊する最強の矛を持ち、全てを防ぐ最高の盾を持とうとも、魂まで強くなるわけではないんだ。
本人の言葉を信じるなら、生後半年。
たったそれだけの期間で、ソフィアさんという存在を受け止められるはずがない。
「今日で終わりでいい」
彼女は笑っていた。
「私という存在がここで終わっても、いい」
穏やかな、津波が押し寄せる前の海が、さーっと引いていくような笑み。
「だが、お前を斬る」
「ふざけんなよ、おい……!」
拳で聖剣を殴り、痛みを覚えた様子もなかった魔王が、ただの殺気で一歩。
たったの一歩だが、確かに下がった。
「魔剣チィルダが主ソフィア・ネート」
より一層、笑みが強くなり、三日月のように歪む口元。
目に光はなく、夜の海のような暗い色合い。
彼女の身体は、いっそ風に吹かれて倒れてしまいそうなくらいに力の存在を感じさせず、ふらふらと左右に揺れている。
しかし、極限まで引き絞った弓を見てこの矢は撃たれないと思う馬鹿はいないように、その力の無さは一切の力を無駄にしないための動きだろう。
「貴様の身に、この名を刻んでやる」
ゆらり、と揺れるソフィアさんの一歩は魔王を言うに及ばず、僕よりもゆったりとした動きだ。
しかし、その一歩は何故か目に映らない。
実は瞬間移動していた、と言われても信じてしまいそうな距離の詰め方だ。
「まさか……!」
人間の意識という物は連続しているものではなく、メトロノームがリズムを刻むようにカチ、カチ、カチと僅かな空白があるらしい。
本人すら、本人だからこそ意識出来ないその意識の空白。
その意識の空白を突けば、八十歳を過ぎた老人が屈強な若者を苦もなく倒す事が出来る。
そんな剣道、いや、剣道だけじゃない、ありとあらゆる武術の極み。
棒立ちでソフィアさんを迎える魔王、そして僕。
「あ、あれ……!?」
催眠術にでもかけられたように身体が動かない。
ソフィアさんを意識出来ない僕は、ソフィアさんが近付いてきても、それが何なのかわかっていないらしい。
頭ではわかっている事が、身体には全く情報が行ってないせいで反応出来ないんだ。
そんな武術の極致と言ってもいい技を二人同時に使うなんて……なんで僕まで?
え、ひょっとして僕まで斬られ……そんなまさか。
「お嬢ちゃん……!」
言葉を返さないソフィアさんに、魔王はとりあえずといった様子で拳を振りかぶった。
ただ目標が定まっておらず微妙にズレていて、すでに当たる気配が微塵も感じない。
それに対し刀を抜いていないとはいえ、ソフィアさんが抜けば必ず当たるはずだ。
「だけど……」
あれだけ斬りつけても一筋の傷も与えられなかった魔王の防御を、一体どうやって抜くというんだろう。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる