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第31話 オフィーリア

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女子3人を伴って見学する事となった俺は、鴨志田さんと佐伯さんの後に続くように歩いている。因みに、穂乃果は俺の1歩後ろを音も立てずに歩いていた。

「それでね~~日下みどり先生っておかしいの。チンピラみたいな人に足蹴りをしながら、的確な指示を出してるのよ」
「1日で結衣が遠い存在になった気がするよ」

昨夜の出来事が現実離れしておかしかったのか、鴨志田さんは佐伯さんに興奮気味で話している。

本当は、口外してはいけないのだろうが、楽しそうなので良しとするか……

俺が、そんな2人を見ていると、後ろにいた樫藤さんが小さな声で話しかけて来た。

「気付いておられますか?」
「ああ、2人だな。だが目的がわからない」

周辺に怪しい目線がある。
目的は俺たちじゃないようだが……

「集合時間前に、周囲を警戒しましたが、路上に2台不審な車を発見しました」

「というと公園内には、もっといる可能性があるな。目的は何だと思う?」
「わかりませんが、もしかしたら展示されているミレーの強奪ではないかと」
「物取りにしては、物騒じゃないか?明らかに銃を所持してる」
「ええ、準備はして来ましたが、相手の正確な人数がわかりませんと下手な攻撃はできません」
「まあ、依頼の無い状態でわざわざ火中の栗を拾いに行く必要はないだろう?」
「そうですが、身に降りかかる火の粉は払わねばなりません。1人の捕まえて口を割らせましょうか?」
「それもいいが、気付いた仲間がこちらをターゲットにする可能性もある。一般人に被害が出る可能性がある。俺は別に構わないが」
「そうですね。様子をみましょう」

俺と樫藤が小声で話してると、佐伯さんが不思議そうに俺達をみて問いかける。

「ねえ、樫藤さんと東藤君は何でそんなに仲が良いの?付き合ってるのかなって思ったけど、そんな感じしないし、でも友達にも思えないし」

短時間でよく観察している。
女子ってみんなこうなのか?

「ああ、2人はね。家がお隣同士なんだって」

鴨志田さんがそう話す。
まあ、ある意味事実なのだが……

「そういうことか、幼馴染みってわけじゃ無いけど、ご近所さん同士の関係か、それならわかる」

何がわかるのか、俺にはちっとも理解できない。

美術館に近づくと警備の数が多過ぎる気がする。
館内に重要人物が入ってるようだ。

「今、館内に入るのはどうかと思うが?」
「大丈夫です。あれは藤宮家の者です。私も面識があります」

聡美姉も中でミレーを見てるはずだ。

俺達に追尾してた視線も消えてる。
この美術館周辺には警備の者しかいないようだ。

諦めるような連中じゃなさそうだがな……

「東藤君、早く、早く。ミレーが展示されているんだってさ」

鴨志田さんは楽しそうにしてるが、この状況を楽しめるなんて俺にとっては凄いとしか言えない。

そんな厳重態勢の中、俺達はチケットを買って館内に入館した。





入館チケットと同時に、館内の催事案内の印刷物を貰った。
それによると、ミレーの『オフィーリア』は、2階に展示されてるようだ。
行路を案内する立札があり、この順序で周る事を推奨しているようだ。

俺達は、まず、1階の展示物から拝観する。
一緒にいる女子2人は、結構楽しそうに絵を見て感想を言い合っていた。

確かに、それぞれ趣のある絵だ。
俺には芸術を理解できないが……

順路を周って2階に上がる途中で人の流れが止まった。
階段は上りと下りに仕切られており、見終わった来館者は下りの階段を降りて来る。
周りの人の話を聞くと『オフィーリア』が展示されてる場所は、広いスペースが確保されておりその部屋に入る人数が決められているようだ。

それに、部屋の入口には、警備員が2人立番しておりその前には、入室を待つ人で溢れているようだ。

「わ~~混んでるわね~~」
「本当だ、あっ、羅維華達もいるよ」

入室を待つ人の中に、鴨志田さんと佐伯さんは同じグループだった鈴谷羅維華達を見つけたようだ。

少し時間が過ぎて、鴨志田さん達は、2階が見渡せる位置まで昇っていた。
その後ろにいる俺と穂乃果は辛うじて見渡せる程度だ。

「なあ、あれって……」
「おっしゃる通りです。あの連中はハムですね」
「ハム!?私服警察じゃないのか?」
「公安警察のことです。ハムとは公安の『公』の字が『ハ』と『ム』で構成されている為、そう呼ばれています。主に公安を揶揄する言葉ですが」
「面と向かって使う機会も無いだろうがな。すると、俺達を追尾して消えた連中もハムだった可能性があるな」
「そうですね。東藤殿はユリア殿の弟子ですからハムが目をつけてもおかしくありません」
「そういうことか、面倒だな」

「確かに面倒になりました。ハムがいるということはそれに見合う相手が近くにいると言う事です」

そして……

ミレーを見終わった集団が階段を降りてくる。
黒スーツの警護官を先頭に華やかな制服を身に包んだうら若い乙女達だ。

「東藤殿、あの方々は白来館女学院の方です。それもSクラスの人達です」

白来館女学院?
それって、百合子がいる学校では……

女学院の生徒達が階段を降りてくる。
そして、俺はその人達の中である人物に目が止まった。

「百合子……」

俺はその女子生徒をただ黙って見ている。
お互いの眼が合った。
そして、俺と百合子は交差する。

俺は昇り、百合子は下り……

俺との距離は僅かなものだ。1メートルぐらいしか離れていない。
だが、その距離は俺にとって天空に浮かぶ月のように遥かに遠く、手を伸ばして掴もうとすれば、霞が手の中から零れ落ちるように儚いものだった。
俺と百合子の再会は、僅か0、5秒のすれ違いで終わった。

「警備の目的は女学院の生徒達のようですね」
「ああ、そのようだ」

夢の中で、百合子をよく見た。
何でも興味を持つ女の子だった。
今、思えば庶民の子の話や行動が面白かったのだと理解できる。
現に一緒に拉致された賢一郎が俺にそんな事を言っていた。

俺達は出会ってはいけなかったんだ。
元々住む世界が違う。
豪華客船という限られたスペースで、子供が少なかった場所ならではだ。

これは運命の悪戯なのだろうか?
もし、運命というものがあるのなら、その運命を与えた存在はどうして見守る事しかしないのだろう。

何度もその存在に祈りを捧げただろうか。
だが、その祈りに応えてはくれなかった。
助けるどころか地獄に落とされた。

そんな地獄の中で夢に出てくる百合子は何時も無邪気に笑っていたんだ。
俺は、その夢を見るのがとても楽しみだった。

ああ、俺は百合子が好きだったんだ……

幼い心では理解できなかった。
改めて今日、再開してよくわかった。
俺の初恋だったんだと。

だが、その思いは気付く前に終わっていた。

既に終わっていたんだ……

俺は虚空を見つめ消えてしまった花を探していた。





少し前、『オフィーリア』を鑑賞する女学院の生徒達は……

「この時のオフィーリアは、柳の木から落ち溺死する前に歌を口ずさんでるところを描いているのですわ」

そう絵の説明をするのは、黄嶋琴音。
一緒に鑑賞している白鴎院百合子に対して説明をしているようだ。

「見事ですわね。人物もそうですが、水面も、苔もそして花もとても繊細に描かれています。まるで、私が絵画の風景の中にいるように見えます」

「百合子様、私もそう思いますわ。特にオフィーリアが手に持つ花はケシの花と言われております。これには意味がありまして『死」を表す花と言われているのです」

「そうですわね。私も文献で読みました。でも、実際に見てみるとこうも印象が違うのでしょうか。怖いイメージがあったのですが、こんなにも『死』を目前とした人を美しいと思ったのは初めてですわ」

「綺麗でございますね。こんな死もあるのでありますね」

百合子の言葉にお付きの遊佐和真里はそう感想を述べた。

でも、百合子は、

「でも、私はこの絵を見て思うのです。オフィーリアは死を受け入れていたと。いくら気がふれてたとはいえ、死が迫る瞬間に人はもがき足掻くのでは無いかと思います。ハムレットに裏切られ父親も殺された。その結果、気がふれてしまったオフィーリアは、絶望の中にいたのだと思います。歌を口ずさみながらも心の中では苦しんでいたのではないかと。だから、私はこのオフィーリアの姿は覚悟を決めた人の美しさなのだと思いますわ」

「確かにそうですわね。気がふれていても痛みや苦しみを感じます。溺れる恐怖も全く感じなかったというのは少し違和感があります」

百合子も琴音も絵画の中のオフィーリアを見つめながら想いを巡らしていた。


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