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時と聖邪、不死の炎に焼かれて【外伝】
しおりを挟む歴史は命を守れる。
「ごはっ」
そう愚かにも、私は過信していた。
存外に死というものは、歴史の研究を積み重ねていても容易くは回避できなかったようだ。
自分の口からとめどなく吐き出された、真っ赤な液体を見て痛感する。
いつの間にか倒れていた身体すら、自力で持ちあげることができなくなっている。
なんと、なんと私は無力なのだろう。
栄えある首都『魔導の集結頂点』上空は白と黒の爆発、次元を巻き込む渦で荒れ狂っていた。世界の色彩がまるで白黒しか存在しなくなってしまったとでも言うように。
しかしチラリと目を横に流せば、地平は茜に染まり夕暮れ時を示している。
眼下の街からは人々の営みの喧騒や、夕食の香りが漂ってくるので、世界はそんなにうら寂しいものではないと思い直す。
「かはッ……実験は、失敗か……」
フェニシアの懸念通り。
準聖級至高魔法実験、次元を超える【時を操る大極の時空巡る熾天魔法】の発動は失敗に終わったのだ。
魔法の暴発により、実験場にいた多くの学者や研究員が……私の友たちが苦悶の声を上げて倒れている。私もその例外ではない。
気付いたら、胸に穴がぽっかりと空いていたのだ。
この現象はおそらく『次元喰い』だろう。空間移動や、空間そのものに関与する魔法が失敗すると、その空間にいる存在ごと削り取られてしまう現象が昔から散見されている。
その『次元喰い』が起こったとしても、十分な対処措置をとっていたにも拘わらず、この被害量ということは……それだけ爆発的かつ膨大な魔法力を、この実験は生みだす事に至ったようだ。
「ユーリ!? 大丈夫なの!? しっかりしなさいよ!」
仰向けのまま、後悔に涙しながら空を見続ける。
白と黒だけに染まった世界。
そこに唐突に現れたには深紅の赤。
あぁ、フェニシアか。私より優秀な彼女が無事だったのは僥倖だ。
「フェニ、シア……君が、無事で……なによりだ。生きて、くれ」
「ちょっと、ユーリ!? その傷……」
燃え盛る紅蓮の瞳は涙に濡れていた。
なんだ、それは。それではまるで、私の安否を心配しているように見えるじゃないか。
潤った薄桃色の唇は細かく震え、『ほら見なさい! あたしの心配した通りでしょ』なんて、今にも憎まれ口の一つでも叩くのかと思いきや。
「死なないで! ユーリ! ねぇお願いよ!」
「転生者、を……根絶やしにするまで、は……死ね、ない……」
彼女は腰をおろし、あろうことか私をそっと膝へと抱き上げたではないか
何を悠長な事をしているんだ。この場は危険すぎる。神が魔法を放ったとしても、耐えうる施設でこの有様なのだ。聖と邪、決して交わらない魔力性質が混ぜ合った事で、神をも凌駕する魔力濃度が一時的に残留しているはず。
今は無事でも、いつ『次元喰い』が連鎖発動するかわかったものではない。
「今は、ここ、から逃げろ……大丈夫だ。私たちの、憎しみが……脈々と、引き継がれ、転生者を、転移者を、殺す……」
「なんで、なんでユーリなのよ! どうして、あたしみたいな世界に絶望した、何の望みもない抜けがらが生きて、あなたみたいに必死な人間が私より先に死んでしまうの!」
フェニシアは日頃から何かと苛立つ娘だったが……彼女には彼女の事情があると私は察知していた。それが何なのかは詮索せずとも……何かを抱えた者同士、互いに若くして『アストラ歴史学者』に成り得るには、それ相応の理由があるのは語らずとも窺えた。だからこそ、どんなに鬱陶しく感じても、彼女を拒絶する事はなかった。
「返して! あたしの大切なものを、先に行ってしまった人達を! 返してよ!」
私を抱きかかえ、天へとその慟哭を叫ぶ彼女の姿は美しかった。
駄々をこねる赤子のような純粋さ、勢いだけは天上をも焦がす太陽の女神のようで、そして何より暖かく、柔らかった。
最後に見る光景が彼女で良かった、と不覚にもそんな考えに陥ってしまう。
小生意気な彼女にすら、そんな感情が湧き起こってしまうのだから……死に際の思考というのは、こうも、支離滅裂なものなのか。
さて、もう意識を……保つのも難しい。
視界も、暗くなってしま、った。
この若き情動に駆られた……少女に、最後の言葉を伝えねば、なら……ない。
「消えない意志で、運命を照らして……世界を、託した……」
「……もう無理。ユーリの死を許容するなんて、無理! い、今のあたしじゃッッ、あなたを蘇生させることも、癒す事もできないけど」
むり……? 何、が……?
あぁ、泣きじゃくる彼女の顔がぼやけ――
意識が遠のき、フェニシアの声も……薄らんでいく。
「何度も何人も見送ってきたけど、もう私には無理なの。今のあたしじゃ、ダメかもだけど、でも、それでもあるいは……不死の炎と、この場に残留した魔法の力を転用すれば……どうなるか、わからないけどッ」
もはや私の耳は彼女が何を言っているのか聞き取れない。ほとんどの感覚を失いかけた中で、不意にゴウッと何かの気配が燃え広がるのを感じる。
「……世界が崩壊するとか、どうなっても知らない! ユーリの言う通り、前に進まないと、失ったモノは取り戻せないもんね!」
これ、は……何だ?
何かが……私を、包み込んで……いる?
霞みがかった視力では判然としない。しかし、このシルエットから鑑みるに……火の鳥?
「不滅、不変、不動……再生まといし我が輪廻の炎に誓う、時欠け満ち欠け、万若の――――命芽吹きし昇火を尽くさん――」
視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚、その全てが穴の空いてしまった胸から流れ落ち、喪失感が満ちる。
けれども、彼女が発した何かは心地よく響いた。
それは優しい陽だまりと、慈母心溢れる子守唄のように。
「不死鳥フェニクス・ラーミアの名において、小さき灯よ、その黒翼と白翼を以って飛翔せよ――【聖邪と銀光交わりし転生の業火】」
……炎?
それにしては、なんとも、ぬるく……暖かい。
これが、死ぬ……という事なのか?
「ユーリ……私達はずっと友達よ」
彼女の、最後の一言だけはなぜかハッキリと耳に響いた。
フェニシアの泣き顔を朦朧と眺め、存外に死というのも悪いものではないかもしれないと思う。
妹と両親を救えなかった悔恨も、研究半ばにして自分の生が終わる絶望も、揺らめく炎に飲まれていった。
こうして私の28年に及ぶ生涯は幕を閉じたのだった。
◇
聖と邪。
決して交わらぬ二つを銀光で縫い留めた、不死性の神祖。
偉大なる我が君は……かつての友を語るとき、その目にひどく不安定な焔を灯される。
哀愁と決して手に入らぬ情動に、輝かしい瞳が潤むそのご尊顔は――
この世の何よりも尊く、お美しい。
神祖伝承記 『千血の銀姫』より
著 ニコラ・テスラ
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