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1話 寝坊する神祖
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弱きを守り、強きを従える。
それこそが高貴なる者の運命。
不安の闇に飲み込まれんとしても、案ずることはない。
消せぬ夢も、止まれぬ歩みも、その覇道を夜天に輝く月と星達が照らし続ける。
月光の頂き座すは、高貴なる誠の神祖。
導かれし星々は千の眷族。
全ての品格は、彼女から発現したものである。
神祖伝承記 『千血の銀姫』より
著 ニコ――・テス――
◇
『ッッ――ちゃん! 熱いよぉおおお! 助けてぇぇ!』
肉の焦げた匂いは、妹が炎に焼かれた姿を思い出す。
まだ幼い妹が苦悶の表情で泣き叫び、必死になって私を呼んでいた。
『ユーリ! 逃げてええぇぇぇ!』
『奴がくる! 逃げるんじゃぁぁああ!』
真っ赤に染まった夕空を見る度に、両親が絶叫しながら血塗れの腕を必死に振っていたあの風景を脳裏に刻む。
事切れた人形みたいに倒れ伏した家族を遠目で見つめることしかできなかった、無力な私を忘れないために。大切な人が死にそうなあの瞬間、恐怖に怯えた自分の弱さを克服するために。悔しさと絶望の中で、魔力がなくとも必ず這い上がるのだと誓ったのだ。
「……」
夕暮れ時の街中に漂う香り豊かな、夕食の匂いも。
ロマンチックに地平線を茜に染める、世界の色も。
私にとっては家族を失った、10年前の悲しみを呼び覚ますトリガーでしかない。
世界はこんなにも美しいのに、現実は残酷だ。
「ユーリ! 返事をして! 大丈夫なの!?」
私の名を呼ぶ声が、私の意識を現実へと引き戻す。声主のほうへとかすかに首だけを向ける。どうやら、全身を動かすのは困難な状態らしい。
「ちょっと、ユーリ!? その傷……」
私と立場を同じとする炎髪の美しい同僚が駆けつける。彼女、フェニシアが両目の端に涙を貯め込み、心配気にこちらを覗いてきた。
「実験は……失敗、か……?」
なんとか絞り出せたものの、私の声はかすれきっていた。
喉の奥からあふれ出る多量の液体が発声を邪魔してくるけど、問わずにはいられない大切な案件。
「わかったから、それ以上喋らないで。血を吐いてるじゃないッ!」
私のわずかな声でも、同僚の耳にはしっかりと届いたようだ。
「じ、実験は……?」
「せめて……もう少し、『神祖伝承記』を解読できていればッッ。せめてアレを記した人物が誰なのか判明してれば、もっと……真理を追えたのに…………出会っているはずなのに!」
うら若き同僚のフェニシアは涙をこぼしながら、悔恨深く語る。
その内容から、実験はやはり失敗したのだと悟った。
そして私の命も実験失敗の弊害で長くはないと悟る。
「死ねない……、まだ」
アストラ歴3024年より勃発した世界大戦。
地球からの転生者、フランキスト・デラノ・ルーズベルトが引き起こした未曾有の大戦争、『天下崩落』は現在進行形でその被害を拡大させている。
あいつは私の目の前で、容赦なく最愛の家族の命を奪っていった。平和と調和を維持していた我らが『魔導制アストラ合衆国』に、神をも超えるその力で侵略戦争を仕掛けたのだ。
多くの命を踏みにじったあいつらを――
「転生者、を……根絶やしにするまで、は……死ね、ない……」
【王竜領域】を統一したルーズベルト大統領が世界各国に宣戦布告した時を同じく、世界中で【転生者・転移者】を名乗りでる者達が、自身に備わる強大な力を発揮し始めた。そして【極彩国家ウィンストン】のチャーチル首相を始めとする転生者勢力は、ルーズベルト大統領に迎合するようにして『魔導制アストラ合衆国』を攻撃し始めたのだ。
あいつらは……数多の生物、種族を殺して回った。獣族や魔族、竜族と神族すらも膝を屈し、転生者どもの暴力から逃れる事はできなかった。人族もその例外ではない。
私の家族も、学友、戦友も、同志たちも傷付き、死んでいった。
民たちの絶叫の影で、あいつらの富と笑顔が咲き誇る。そんな軍産複合体を主導する奴らの思想を許容できるはずがない。
「転生者、どもめ……必ず、殺してやる……」
しかし転生者たちの力は桁外れだった。それに残虐性も尋常ではない。
自分たちの要求を呑ませるための示威行為とし……もはや反抗する軍すら維持できない疲弊し切った東の国家を絶望の淵に叩き込んだ。奴らはわざわざ100万人規模の市民が生きる大都市を狙い、破滅へと追いやる非道攻撃を躊躇なく敢行できたのだ。
転生者どもが生んだ恐るべき『核融合魔法』を、人口の多い都市を選んで放ったのだ。それは多くの生命を一瞬にして無に帰した。
世界が恐怖に陥るなか、それでも対抗手段はあった。いや、これから作るはずだった。
「私たちの、憎しみが……脈々と、引き継がれ、転生者を、転移者を、殺す……」
凶悪な転生者に対する決死の抵抗策、【大極時空巡る熾天魔法】を生みだすための実験は――――
私達の実験は失敗に終わった。
震えるこの手が掴み取れたものは、虚しい信念だけなのか!
灼熱の憎悪が私を、理性なき獣にさせようとするのを懸命に堪える。
残虐なる転生者どもを殺せない悔しさに身を焦がし、怨嗟の業火に呑まれようとも――
まだ希望はある。
今は、炎に包まれる我が身を案じるより、残された未来を視るべき。
それが【第二級アストラ歴史学者】としての矜持にして誇り。
「と、時を操る……準聖級至高魔法実験の成功は……『神祖伝承記』が、鍵を握って、いる……世界を、知性ある種の歴史を…………お願い、フェニシア……」
私よりも優秀な研究者が生き永らえたという希望的事実に感謝し、今度こそ最後の言葉を託す。
「消えない意志で、運命を照らして…………世界を、託した……」
学友は何度も何度も首を横に振り、まるで私の死を否定するようにして泣きじゃくる。
そして言った。
「ユーリ……私達は、ずっと友達よ」
フェニシアの泣き顔を朦朧と眺め、ほんのわずかだけれど救われた気分になれた。存外に死というのも、悪いものではないかもしれないと……。
まさか彼女が自分の死をここまで悼んでくれるとは予想外だった。それに……他者に自分を労わってもらえる優しさがここまで心地よいものだとは……歴史を学んだ私でも、この胸に灯る温かみは予想できなかった。
「フェニ、シア……生き、て……」
あぁ……妹と両親を救えなかった悔恨も、研究半ばにして自分の生が終わる絶望も、揺らめく炎に飲まれていく。だが、最後にフェニシアの優しさに、人の腕に抱かれる喜びを知れて良かった。
ようやくこれで、長い、長い冬が終わりを迎える。
怨恨が降り積もり、冷え切った心にも雪解けが訪れると――暖かな春の日差しに喜ぶ子供みたいな心境で目を閉じる。
復讐に取り憑かれ、一心不乱になって歴史研究に費やした私の28年に及ぶ生涯は、こうして幕を閉じたのだった。
◇
「ん……」
穏やかな紅蓮の炎に包まれる心地良さに、意識がかすめ取られるも――
なぜだか妙に長い睡眠を取った後の、倦怠感がのしかかる。
ここはもしかして、死者の魂が集うという天上の園エデンなの?
そう思い、覚醒した自我がまず最初に敢行した動作は、ひと思いに目を開けてみる事だった。
「ここは…………どこだ?」
周囲は石作りの荘厳な神殿、の内部みたい?
幻想的なまでに重厚な造りは優美さと豪華絢爛さを兼ね備えつつ、決してうるさくない静かな領域だった。
その圧倒的な美を体現した空間にしばらくは息を呑んでしまう。贅を尽くした『魔導制アストラ合衆国』の式典宮殿ですら凌ぐ美麗さがそこにはあった。が、すぐに自分の置かれた状況を確認せねばと頭を振る。
明りは一切つけられておらず、礼拝堂らしき広い空間は薄暗い。どうやら今は夜らしい。しかし、辺りは真っ暗ではない。私を照らし出すように散りばめられた白黒の天上ガラスから、青白い光が降り注いでいる。
「月の光……?」
私が寝そべっているのは、蒼い薔薇が敷き詰められたベッド……いや、これは棺の中なのか……。とにかく一風変わった場所に寝かしつけられていたようだ。
私は、死んではいない?
右手で薔薇をそっと触る。感触は確かにある。
呼吸もできる。
芳醇な薔薇の香りが鼻をくすぐり、嗅覚も正常に働いていると確信する。
目は見える、けれども色彩障害に陥っている可能性が否めない……というのも薔薇というのは本来、赤か白、黄の三種しか存在しない。どんなに品種改良を重ねても蒼色の薔薇を植生する事は、高度な魔法技術を誇った魔導制アストラ合衆国でも実現できなかった。ゆえに不可能の比喩として、各分野の著名人が集まる社交パーティーでは『蒼薔薇のように美しい』などと、気になる婦女子に言えば、『貴方の美貌に勝るなんて、他の婦女子では到底不可能だ』という、遠まわしに好感を伝える口説き文句が一時流行ったものだ。
まぁ研究に没頭していた私には無縁な知識ではあったけれど……。
そんなあるはずのない蒼薔薇が、わたしの横たわるここにはある。
それにさっきから気になっていたけれど、この蒼薔薇は宙空にうっすらと蒼い光の粒子を散布している……まるで、凍てついた星達がキラキラと揺らめきながら浮上しているかのように。
どこか懐かしく、胸の奥をしめつけられるような……そんな香りに戸惑い、混乱は深まるばかり。
そして最後の五感。
残る聴覚の確認なのだけど――
「その薔薇たちは、とある身の程知らずの王が、貴女様に贈った花々でございます」
その声は不思議と、私の胸の奥深くまで響いた。
「遅いではありませんか」
落ち着いた声音は、混乱極まった気持ちをどこまでも静めてくれる。その安心感のある低美音を私の耳は拾っているようだ。
いつの間にか目の前に、感極まれりといった風情で粛々と頭を下げる男が1人いた。
「おはようございます、我が君」
「わが……きみ?」
私を主君呼ばわりする男の風貌を端的に言い表すなら、それは夜を纏った漆黒の美青年。
艶やかに流された黒髪は、青空を支配しきった夜空のように美しい。私を熱心に見つめる双眸は名剣の如き鋭さを帯び、しかし聡明な光を宿している。眼差しの奥には、天に煌めく星々のような輝きが灯され、私に対する狂信的な何かを感じた。
人族にしてはスタイルが抜群によく、10頭身以上はある長身だろう。そんなスラッとした体躯に黒を基調とした執事服をきっちり着込んでいるのだが、これがまた一段と彼の危うい魅力を引き出している。
主人に絶対の忠節を誓う衣類は、静寂と理知を。
夜よりも深い闇の奥底から滲み出るは、歓喜の感情。
それら静謐と情熱の相反するエネルギーを内包した、不可思議な人物。
これほどまで端正な顔立ちとルックスの持ち主は、『魔導制アストラ合衆国』においてもお目にかかった事はない。
「今宵もアストラの月は、美しく輝いております……」
彼の声はわずかに震えていた。
華麗に跪き、そして恭しく私の右手を取る。何をするかと思えば、そのまま手の甲へと唇を落としたではないか。しっとりとした彼の感触が、広がっていく。
「えっ……」
こ、こ、この男は、いきなり何をしている?
あ、当たり前のことだけど、男性に口付けをされた経験などない私は、不覚にもひどく動揺してしまう。
呆然とする私と再び視線が合わされば、彼の瞳がひどく揺れている事に気付いた。今にもその両目から、あふれんばかりの涙を強靭な意思で堪えているかのように。
この状況は一体何?
次々と起こる事象に対し、理解が追いつかない。
「このニコラ・テスラ――」
ニコラ・テスラ……誰だ?
自身をニコラ・テスラと名乗る謎の美青年に、首を傾げる他ない。
「不詳の身ではございますが、我が君のお目覚めを心よりお待ちしておりました」
落ち着こう私。まがりなりにも『第二級アストラ歴史学者』の地位を合衆国より賜る人物が、早々に取り乱してはいけない。
魔法実験の失敗により命潰えたと思えば、見知らぬ部屋で目を覚まし、見知らぬ男に起こされた?
とにかくまずは、起き上がろう。寝転んだままでは、この男性にも失礼に値する。私はゆっくりと横たわった姿勢から上体を起こしていく。
すると、自然と自分の足元が目に入った。
うん?
どうして私は――
「この服はなに? なぜ私にこのようなスカートをはかせている?」
その事実に動揺し、堪え切れず真っ当な疑問が口から飛び出てしまった。
スカートの裾には精緻な装飾が施され、レースがふんだんにあしらわれている。一目で最高級品とわかる……これ程までに見事なスカートはお目にかかった事がないのだが、この意匠には見覚えがあった……特に腰から膝下にかけてのボリュームのある形容は、古より伝わる人族の……特権階級にあった貴族たちが好んで着込んでいた物に酷似している。
端的に言うなれば、年頃の少女が着る用の骨董品まがいな服だ。
28歳の私に着せるには少女趣味が過ぎる逸品であり、間違ってもこのような服を着る立場にない。
となると、残された可能性は一つ。
私はおそらく、あの魔法実験後に死んだのだろう。
そして、目の前の美青年は死した者をゾンビとして復活させる技能に特化した、【死霊術種】なのだろうか。
だとしたら、彼は私の死体を保管し……しかも適齢期をとっくに超えた遺体に、少女服を着せるという特殊な趣味の死体愛好家で――あまつさえ、私の事を『我が君』と呼び、自身を下の地位に置く性癖も見受けられる。つまりは扱かれるのを好むマゾヒストなのだろうか?
だとすれば、頷ける……というか私は、この変態の魔法によって復活を遂げ、リビングデット化したの……?
「き、きみは、変態なのか?」
「あぁ! このやり取りは……やはり我が君であらせられる!」
ついには涙をはらりと一粒こぼし、出会いがしらに『変態』とののしられた事で静かに嬉し泣きする青年を見て確信する。
彼は真性の変態ドMなのだと。
◇
【転生者・転移者 人物録】
●フランクリン・デラノ・ルーズベルト●
第二次世界大戦時 アメリカ合衆国の第32代大統領。
日本への核爆弾を投下させる実行部隊を編成するように指示した。
●ウィンストン・チャーチル●
第二次世界大戦時 イギリスの首相
日本への原爆投下の意思を示し、核開発は英米で協力すると合意した。
※核爆弾がどこに落とされるかは、100万人以上の人口を誇る都市だと条件づけられていた。より多くの人間が住む場所を狙った理由としては、実験結果のデータを収集するためだったようだ。
●ニコラ・テスラ●
?????
一説によると未来人、と噂された人物。
それこそが高貴なる者の運命。
不安の闇に飲み込まれんとしても、案ずることはない。
消せぬ夢も、止まれぬ歩みも、その覇道を夜天に輝く月と星達が照らし続ける。
月光の頂き座すは、高貴なる誠の神祖。
導かれし星々は千の眷族。
全ての品格は、彼女から発現したものである。
神祖伝承記 『千血の銀姫』より
著 ニコ――・テス――
◇
『ッッ――ちゃん! 熱いよぉおおお! 助けてぇぇ!』
肉の焦げた匂いは、妹が炎に焼かれた姿を思い出す。
まだ幼い妹が苦悶の表情で泣き叫び、必死になって私を呼んでいた。
『ユーリ! 逃げてええぇぇぇ!』
『奴がくる! 逃げるんじゃぁぁああ!』
真っ赤に染まった夕空を見る度に、両親が絶叫しながら血塗れの腕を必死に振っていたあの風景を脳裏に刻む。
事切れた人形みたいに倒れ伏した家族を遠目で見つめることしかできなかった、無力な私を忘れないために。大切な人が死にそうなあの瞬間、恐怖に怯えた自分の弱さを克服するために。悔しさと絶望の中で、魔力がなくとも必ず這い上がるのだと誓ったのだ。
「……」
夕暮れ時の街中に漂う香り豊かな、夕食の匂いも。
ロマンチックに地平線を茜に染める、世界の色も。
私にとっては家族を失った、10年前の悲しみを呼び覚ますトリガーでしかない。
世界はこんなにも美しいのに、現実は残酷だ。
「ユーリ! 返事をして! 大丈夫なの!?」
私の名を呼ぶ声が、私の意識を現実へと引き戻す。声主のほうへとかすかに首だけを向ける。どうやら、全身を動かすのは困難な状態らしい。
「ちょっと、ユーリ!? その傷……」
私と立場を同じとする炎髪の美しい同僚が駆けつける。彼女、フェニシアが両目の端に涙を貯め込み、心配気にこちらを覗いてきた。
「実験は……失敗、か……?」
なんとか絞り出せたものの、私の声はかすれきっていた。
喉の奥からあふれ出る多量の液体が発声を邪魔してくるけど、問わずにはいられない大切な案件。
「わかったから、それ以上喋らないで。血を吐いてるじゃないッ!」
私のわずかな声でも、同僚の耳にはしっかりと届いたようだ。
「じ、実験は……?」
「せめて……もう少し、『神祖伝承記』を解読できていればッッ。せめてアレを記した人物が誰なのか判明してれば、もっと……真理を追えたのに…………出会っているはずなのに!」
うら若き同僚のフェニシアは涙をこぼしながら、悔恨深く語る。
その内容から、実験はやはり失敗したのだと悟った。
そして私の命も実験失敗の弊害で長くはないと悟る。
「死ねない……、まだ」
アストラ歴3024年より勃発した世界大戦。
地球からの転生者、フランキスト・デラノ・ルーズベルトが引き起こした未曾有の大戦争、『天下崩落』は現在進行形でその被害を拡大させている。
あいつは私の目の前で、容赦なく最愛の家族の命を奪っていった。平和と調和を維持していた我らが『魔導制アストラ合衆国』に、神をも超えるその力で侵略戦争を仕掛けたのだ。
多くの命を踏みにじったあいつらを――
「転生者、を……根絶やしにするまで、は……死ね、ない……」
【王竜領域】を統一したルーズベルト大統領が世界各国に宣戦布告した時を同じく、世界中で【転生者・転移者】を名乗りでる者達が、自身に備わる強大な力を発揮し始めた。そして【極彩国家ウィンストン】のチャーチル首相を始めとする転生者勢力は、ルーズベルト大統領に迎合するようにして『魔導制アストラ合衆国』を攻撃し始めたのだ。
あいつらは……数多の生物、種族を殺して回った。獣族や魔族、竜族と神族すらも膝を屈し、転生者どもの暴力から逃れる事はできなかった。人族もその例外ではない。
私の家族も、学友、戦友も、同志たちも傷付き、死んでいった。
民たちの絶叫の影で、あいつらの富と笑顔が咲き誇る。そんな軍産複合体を主導する奴らの思想を許容できるはずがない。
「転生者、どもめ……必ず、殺してやる……」
しかし転生者たちの力は桁外れだった。それに残虐性も尋常ではない。
自分たちの要求を呑ませるための示威行為とし……もはや反抗する軍すら維持できない疲弊し切った東の国家を絶望の淵に叩き込んだ。奴らはわざわざ100万人規模の市民が生きる大都市を狙い、破滅へと追いやる非道攻撃を躊躇なく敢行できたのだ。
転生者どもが生んだ恐るべき『核融合魔法』を、人口の多い都市を選んで放ったのだ。それは多くの生命を一瞬にして無に帰した。
世界が恐怖に陥るなか、それでも対抗手段はあった。いや、これから作るはずだった。
「私たちの、憎しみが……脈々と、引き継がれ、転生者を、転移者を、殺す……」
凶悪な転生者に対する決死の抵抗策、【大極時空巡る熾天魔法】を生みだすための実験は――――
私達の実験は失敗に終わった。
震えるこの手が掴み取れたものは、虚しい信念だけなのか!
灼熱の憎悪が私を、理性なき獣にさせようとするのを懸命に堪える。
残虐なる転生者どもを殺せない悔しさに身を焦がし、怨嗟の業火に呑まれようとも――
まだ希望はある。
今は、炎に包まれる我が身を案じるより、残された未来を視るべき。
それが【第二級アストラ歴史学者】としての矜持にして誇り。
「と、時を操る……準聖級至高魔法実験の成功は……『神祖伝承記』が、鍵を握って、いる……世界を、知性ある種の歴史を…………お願い、フェニシア……」
私よりも優秀な研究者が生き永らえたという希望的事実に感謝し、今度こそ最後の言葉を託す。
「消えない意志で、運命を照らして…………世界を、託した……」
学友は何度も何度も首を横に振り、まるで私の死を否定するようにして泣きじゃくる。
そして言った。
「ユーリ……私達は、ずっと友達よ」
フェニシアの泣き顔を朦朧と眺め、ほんのわずかだけれど救われた気分になれた。存外に死というのも、悪いものではないかもしれないと……。
まさか彼女が自分の死をここまで悼んでくれるとは予想外だった。それに……他者に自分を労わってもらえる優しさがここまで心地よいものだとは……歴史を学んだ私でも、この胸に灯る温かみは予想できなかった。
「フェニ、シア……生き、て……」
あぁ……妹と両親を救えなかった悔恨も、研究半ばにして自分の生が終わる絶望も、揺らめく炎に飲まれていく。だが、最後にフェニシアの優しさに、人の腕に抱かれる喜びを知れて良かった。
ようやくこれで、長い、長い冬が終わりを迎える。
怨恨が降り積もり、冷え切った心にも雪解けが訪れると――暖かな春の日差しに喜ぶ子供みたいな心境で目を閉じる。
復讐に取り憑かれ、一心不乱になって歴史研究に費やした私の28年に及ぶ生涯は、こうして幕を閉じたのだった。
◇
「ん……」
穏やかな紅蓮の炎に包まれる心地良さに、意識がかすめ取られるも――
なぜだか妙に長い睡眠を取った後の、倦怠感がのしかかる。
ここはもしかして、死者の魂が集うという天上の園エデンなの?
そう思い、覚醒した自我がまず最初に敢行した動作は、ひと思いに目を開けてみる事だった。
「ここは…………どこだ?」
周囲は石作りの荘厳な神殿、の内部みたい?
幻想的なまでに重厚な造りは優美さと豪華絢爛さを兼ね備えつつ、決してうるさくない静かな領域だった。
その圧倒的な美を体現した空間にしばらくは息を呑んでしまう。贅を尽くした『魔導制アストラ合衆国』の式典宮殿ですら凌ぐ美麗さがそこにはあった。が、すぐに自分の置かれた状況を確認せねばと頭を振る。
明りは一切つけられておらず、礼拝堂らしき広い空間は薄暗い。どうやら今は夜らしい。しかし、辺りは真っ暗ではない。私を照らし出すように散りばめられた白黒の天上ガラスから、青白い光が降り注いでいる。
「月の光……?」
私が寝そべっているのは、蒼い薔薇が敷き詰められたベッド……いや、これは棺の中なのか……。とにかく一風変わった場所に寝かしつけられていたようだ。
私は、死んではいない?
右手で薔薇をそっと触る。感触は確かにある。
呼吸もできる。
芳醇な薔薇の香りが鼻をくすぐり、嗅覚も正常に働いていると確信する。
目は見える、けれども色彩障害に陥っている可能性が否めない……というのも薔薇というのは本来、赤か白、黄の三種しか存在しない。どんなに品種改良を重ねても蒼色の薔薇を植生する事は、高度な魔法技術を誇った魔導制アストラ合衆国でも実現できなかった。ゆえに不可能の比喩として、各分野の著名人が集まる社交パーティーでは『蒼薔薇のように美しい』などと、気になる婦女子に言えば、『貴方の美貌に勝るなんて、他の婦女子では到底不可能だ』という、遠まわしに好感を伝える口説き文句が一時流行ったものだ。
まぁ研究に没頭していた私には無縁な知識ではあったけれど……。
そんなあるはずのない蒼薔薇が、わたしの横たわるここにはある。
それにさっきから気になっていたけれど、この蒼薔薇は宙空にうっすらと蒼い光の粒子を散布している……まるで、凍てついた星達がキラキラと揺らめきながら浮上しているかのように。
どこか懐かしく、胸の奥をしめつけられるような……そんな香りに戸惑い、混乱は深まるばかり。
そして最後の五感。
残る聴覚の確認なのだけど――
「その薔薇たちは、とある身の程知らずの王が、貴女様に贈った花々でございます」
その声は不思議と、私の胸の奥深くまで響いた。
「遅いではありませんか」
落ち着いた声音は、混乱極まった気持ちをどこまでも静めてくれる。その安心感のある低美音を私の耳は拾っているようだ。
いつの間にか目の前に、感極まれりといった風情で粛々と頭を下げる男が1人いた。
「おはようございます、我が君」
「わが……きみ?」
私を主君呼ばわりする男の風貌を端的に言い表すなら、それは夜を纏った漆黒の美青年。
艶やかに流された黒髪は、青空を支配しきった夜空のように美しい。私を熱心に見つめる双眸は名剣の如き鋭さを帯び、しかし聡明な光を宿している。眼差しの奥には、天に煌めく星々のような輝きが灯され、私に対する狂信的な何かを感じた。
人族にしてはスタイルが抜群によく、10頭身以上はある長身だろう。そんなスラッとした体躯に黒を基調とした執事服をきっちり着込んでいるのだが、これがまた一段と彼の危うい魅力を引き出している。
主人に絶対の忠節を誓う衣類は、静寂と理知を。
夜よりも深い闇の奥底から滲み出るは、歓喜の感情。
それら静謐と情熱の相反するエネルギーを内包した、不可思議な人物。
これほどまで端正な顔立ちとルックスの持ち主は、『魔導制アストラ合衆国』においてもお目にかかった事はない。
「今宵もアストラの月は、美しく輝いております……」
彼の声はわずかに震えていた。
華麗に跪き、そして恭しく私の右手を取る。何をするかと思えば、そのまま手の甲へと唇を落としたではないか。しっとりとした彼の感触が、広がっていく。
「えっ……」
こ、こ、この男は、いきなり何をしている?
あ、当たり前のことだけど、男性に口付けをされた経験などない私は、不覚にもひどく動揺してしまう。
呆然とする私と再び視線が合わされば、彼の瞳がひどく揺れている事に気付いた。今にもその両目から、あふれんばかりの涙を強靭な意思で堪えているかのように。
この状況は一体何?
次々と起こる事象に対し、理解が追いつかない。
「このニコラ・テスラ――」
ニコラ・テスラ……誰だ?
自身をニコラ・テスラと名乗る謎の美青年に、首を傾げる他ない。
「不詳の身ではございますが、我が君のお目覚めを心よりお待ちしておりました」
落ち着こう私。まがりなりにも『第二級アストラ歴史学者』の地位を合衆国より賜る人物が、早々に取り乱してはいけない。
魔法実験の失敗により命潰えたと思えば、見知らぬ部屋で目を覚まし、見知らぬ男に起こされた?
とにかくまずは、起き上がろう。寝転んだままでは、この男性にも失礼に値する。私はゆっくりと横たわった姿勢から上体を起こしていく。
すると、自然と自分の足元が目に入った。
うん?
どうして私は――
「この服はなに? なぜ私にこのようなスカートをはかせている?」
その事実に動揺し、堪え切れず真っ当な疑問が口から飛び出てしまった。
スカートの裾には精緻な装飾が施され、レースがふんだんにあしらわれている。一目で最高級品とわかる……これ程までに見事なスカートはお目にかかった事がないのだが、この意匠には見覚えがあった……特に腰から膝下にかけてのボリュームのある形容は、古より伝わる人族の……特権階級にあった貴族たちが好んで着込んでいた物に酷似している。
端的に言うなれば、年頃の少女が着る用の骨董品まがいな服だ。
28歳の私に着せるには少女趣味が過ぎる逸品であり、間違ってもこのような服を着る立場にない。
となると、残された可能性は一つ。
私はおそらく、あの魔法実験後に死んだのだろう。
そして、目の前の美青年は死した者をゾンビとして復活させる技能に特化した、【死霊術種】なのだろうか。
だとしたら、彼は私の死体を保管し……しかも適齢期をとっくに超えた遺体に、少女服を着せるという特殊な趣味の死体愛好家で――あまつさえ、私の事を『我が君』と呼び、自身を下の地位に置く性癖も見受けられる。つまりは扱かれるのを好むマゾヒストなのだろうか?
だとすれば、頷ける……というか私は、この変態の魔法によって復活を遂げ、リビングデット化したの……?
「き、きみは、変態なのか?」
「あぁ! このやり取りは……やはり我が君であらせられる!」
ついには涙をはらりと一粒こぼし、出会いがしらに『変態』とののしられた事で静かに嬉し泣きする青年を見て確信する。
彼は真性の変態ドMなのだと。
◇
【転生者・転移者 人物録】
●フランクリン・デラノ・ルーズベルト●
第二次世界大戦時 アメリカ合衆国の第32代大統領。
日本への核爆弾を投下させる実行部隊を編成するように指示した。
●ウィンストン・チャーチル●
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日本への原爆投下の意思を示し、核開発は英米で協力すると合意した。
※核爆弾がどこに落とされるかは、100万人以上の人口を誇る都市だと条件づけられていた。より多くの人間が住む場所を狙った理由としては、実験結果のデータを収集するためだったようだ。
●ニコラ・テスラ●
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