朔夜蒼紗の大学生活④~別れを惜しむ狼は鬼と対峙する~

折原さゆみ

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42鬼崎さんの家にお邪魔します➁

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「お邪魔します」

「お邪魔します!」

「どうぞ、片付けはしたのですが、まだ散らかっている部分もあって、お見苦しいところをお見せするかもしれませんが」

「こ、これは」

 アパートのドアを開けてすぐに目に入ったのは、壁に貼られた無数の写真だった。壁を覆いつくすほどの写真が貼られていた

「驚いた?これ、全部、心霊写真と呼ばれるものなんだって。僕にはただの風景写真とか、美瑠お姉ちゃんと他の人が一緒に映っている写真にしか見えないんだけど」

 笑いながら犬史君が写真の説明をしてくれたが、私は笑うことができず、ただ頷くだけで精一杯で、今すぐにでもこの部屋から抜け出したい衝動に駆られた。犬史君の軽い説明に鬼崎さんが補足を加えることはしなかった。

「顔色が悪いみたいだけど、どこか調子でも悪いのですか?」

 写真についての説明はなく、代わりに私の様子がおかしいことに気付いた鬼崎さんが、心配そうに私の顔を覗き込む。犬史君はどうして、この写真が普通の写真だと言って、笑えているのだろうか。この写真には。

「この写真たちに何か映っていて、それにおびえている感じにも見えますが」

「も、もしそうだとしたら、鬼崎さんはどうしますか?」

 これ以上、この家に長居すると、私の精神が崩壊しそうだ。写真は通常ではありえない者が映り込んでいるものがほとんどで、まともな写真はおそらく一枚も飾っていないだろう。玄関から靴を脱ぐ前からこの状態では、部屋の中に上がったら私の精神は持つだろうか。発狂して、その場で叫びだしたくなる衝動を必死で押さえる。

 GW最終日の今日は快晴で、初夏のような暑さで外で待っていてもうっすらと汗をかくくらいの気温だったが、この家の温度は外の気温に関係なく、背筋がぞくりとする嫌な寒気を感じた。

 最初に目に着いた写真は、どこかの山の風景を撮ったもので、天気が良かったのだろう。きれいな青空と、山の緑がきれいに調和した色鮮やかな写真だった。しかし、その写真には、あるものが映り込んでいた。

「この写真に何があるの?ぼくは、この家の写真の中でも、結構お気に入りの写真だけど」

 私が見つめていた写真を犬史君はこの無数の写真の中のお気に入りの一つと嬉しそうに教えてくれた。

 写真には、無数の赤い点があちこちにちりばめられていた。写真を加工したのか、もとから映り込んでいたのかは不明だが、殺された人の恨みが込められた血の跡のようにも見える。しかし、その写真は風景写真なのか、人の姿は映っていなかった。

「犬史君はこの、赤い血のような点が見えないのですか?」

「ち?きれいな青空と山が映っているだけだけど、きれいだよね」

「ふふふ。朔夜先輩には見えているのですね」

 やはり、これは加工ではないようだ。鬼崎さんの言葉にぞっとするが、怖がっている様子を見せたくはないので、見えますとだけ答えた。

 他には、鬼崎さんが映っている写真に不自然な誰のものかわからない青白い手が映り込んでいたり、彼女の隣に小さな足が透けている少女が映り込んでいたり、いわゆる心霊写真と呼べるものがあった。最初に見つけた一見ただの風景写真に見えるけれど、血の跡のようなものが見える写真も多数あった。しかし、写真には鬼崎さんが映っているか、風景写真のどちらかで、それ以外の写真はなかった。

 これだけ写真に写りこんでいるということは、鬼崎さんには霊感があるのだろうか。もしそうなら、これはお祓いをしてもらわなければならないレベルだと、その手のことに疎い私でも感じるくらいだ。鬼崎さんに大きな病気や事故がないのが不思議で仕方ない。





 私が鬼崎さんの心配をしている間にも、鬼崎さんは私たちを廊下を抜けてリビングに案内してくれた。

「写真が気になるのなら、他にもありますよ。とはいっても、今日のメインは写真ではないので、写真については、また次回にでも鑑賞してはいかがでしょうか」

 鬼崎さんは、私が壁の写真を食い入るように見つめていたので、親切にも今度の機会に説明してくれると言い出した。

「いえ、大丈夫です。こんなに写真が大量に張られているのを見て、驚いただけです。他人の家に気軽にまた行きたいですなんて、私は言いません」

 こんな不気味な家だと知っていたら、私はお金をもらったとしても、行かなかったはずだ。事前にどんな家の様子なのかを聞いておくべきだったと今更ながらに後悔した。

「ねえねえ、写真はいいから、早くお兄ちゃんに会わせてよ!」


 私たちが写真について気を取られているのが不満に思ったのか、犬史君が声を張り上げた。私は、今日の本来の目的である、犬史君のお兄さんに会うという目的を危うく忘れて帰るところだった。

「それなら、もうそばにいますよ。犬史君には見えていないだけで、すでにあなたの近くにお兄さんは存在して、あなたに見てもらえることを待っています」

「そんなはずは!」

 鬼崎さんは新手の新興宗教を広める布教者だったのだろうか。突然の発言に私は思わず、彼女の言葉を否定した。そもそも、犬史君のお兄さんは狼貴君で、私と一緒に鬼崎さんの家までついてきているが、部屋には入ってきていないはずだ。それなのに、犬史君の隣にいるのはありえない。

 私には、犬史君の隣に誰かいるという妄言を信じることはできなかった。私に霊感があるかはわからないが、九尾たちといる時間が長いので、きっと霊感も勝手についていると思う。その私に何も見えていないのだから、犬史君の隣には何もいないはずだ。



「うそ、本当だ。お兄さん、僕、ずっと会いたかったんだ。どうして、僕を置いて出て言ったりしたの?」

「う、嘘、いったい誰と話しているの、けん、しく」

「静かにしてください。彼は今、お兄さんと交信している最中ですので。他人の邪魔が入ると、すぐに途切れてしまいます」

「何をいって」

 目の前で、誰もいない空間に向かって嬉しそうに話をしている犬史君を放っておけというのか。それはあまりにも危険だと本能が告げていた。同時に、この部屋に充満する匂いにようやく気が付いた。

「朔夜さんは薬が効きにくい体質みたいですね。ようやく効き始めたというところでしょうか」

 鬼崎さんが匂いの元となるお香を部屋の隅から持ち上げて私に見えるように近づけた。そこからは甘い、腐った果実のようなにおいが発生していた。とっさに自分の鼻を自分の服の袖で覆うが、すでに大量のにおいを吸い込んでしまった。




「ゲホゲホっ」

 急にめまいがしてきた。案内されたのは、鬼崎さんの私室らしく、机やベッドや家具が置かれている部屋だった。この部屋にも先ほどよりも枚数が少ないが、壁には写真が貼られていた。

「意識が薄れてきているようですが、それでいいのです。私は朔夜さんにいろいろ聞きたかったので、目が覚めたら、私と楽しくおしゃべりしましょうね」

「そ、そんなことでき、る、は、ずが」

 意識がいよいよ混濁してきた。目の前には楽しそうに宙に向けて話しかける犬史君。楽しそうに微笑む鬼崎さん。そして、私が意識を失う前に見たのは、壁に貼られた飲み会の時に撮られたであろう、ケモミミ少年姿の九尾たちの写真だった。

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