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72話
しおりを挟む「ティアナ様?」
「え……」
モニカの声に我に返り手元を見ると手にはナイフとフォークを握ったままだった。彼女を見ると心配そうにこちらを見ている。
(そうだ、今は夕食の途中だった)
昼間の事が頭から離れずぼうっとしていた様だ。ティアナは笑って誤魔化しつつ慌てて目の前にあるミートパイを切り分ける。本来熱々なら中からチーズがトロリと溢れ出てくるのだが、すっかり冷え切ってしまっているのでチーズは固まってしまっていた。どうやら中々の時間自分は考え込んでいた様だ。気を取り直して食事を続ける。冷めていてもフレミー家のシェフの料理はとても美味しい。ただ何となく味気なく感じた。
その夜、ティアナは中々寝付けづにベッドの上で身体を起こすとそのまま座り込んだ。暗闇の中、少しだけ開いたカーテンの隙間から月明かりが窓に差し込んでいる。今夜はミアがカーテンを閉めていたので確りと閉まり切っていなかったのだろうと苦笑した。
こうしているとまた余計な事ばかりを考えてしまう。
『エルヴィーラ様』
ティアナはクラウディウスに会いに登城する前にエルヴィーラと一度会っている。
今から一ヶ月程前、クラウディウスとエルヴィーラの婚約解消の話を耳にしたティアナは心配になり直ぐに彼女に手紙を送った。だが何日経っても返事は来なかった。もしかしたら余り干渉されたくないのかも知れない、出過ぎた事をしてしまったと反省しそれからは連絡はしなかった。
だが数日前、突然エルヴィーラがフレミー家を訪ねて来たのだ。モニカからエルヴィーラの来訪を聞いたティアナが急いでロビーへと向かうと、そこには少し痩せたエルヴィーラが立っていた。ティアナに気付いた彼女は力なく笑みを浮かべ会釈をする。
かなり驚いた。何の音沙汰もなかったし、それに彼女と城以外で会う事自体ほぼないと言っていい。無論屋敷を訪ねて来る事は初めてだ。
『どうされたんですか』
『……』
彼女は落ち着かない様子で困った様に視線を彷徨わせた。
『エルヴィーラ様、宜しければこちらへどうぞ』
ティアナはニッコリと笑うと彼女を客間へと案内した。
向かい合い長椅子に腰を下ろしモニカにお茶を淹れて貰った後人払いをした。部屋に二人きりになるがエルヴィーラは何をするでもなく申し訳なさそうに俯いたまま微動だにしない。彼女は家族とクラウディウス以外の人間とは話す事が出来ないので、テーブルに筆談出来る様に紙とペンが置かれているがそれ等に触れる気配はない。
『エルヴィーラ様、このお菓子とっても美味しいんですよ』
ティアナが話し掛けるとようやくエルヴィーラは顔を上げこっちを見てくれた。
皿には緋色や青、黄色など様々な色鮮やかな菓子が並べられている。宝石の様に美しい一口サイズの粒を彼女がよく見える様にと徐にティアナは摘み上げ見せた。
『寒天と呼ばれる材料から作られた砂糖菓子だそうです。見た目は固そうなんですけど、中はプルプルで柔らかいんですよ』
以前ミハエルとお茶をした時に出された砂糖菓子だ。ティアナが気に入ったと話すと、その後彼は度々他国から取り寄せては持って来てくれる様になった。何でも日々のお弁当のお礼らしい。そういう事ならばと、ティアナも遠慮する事なく喜んで受け取っていた。
『……』
『どうぞ』
目を丸くしてティアナと砂糖菓子を見比べるエルヴィーラに、取り易い様に皿を彼女へ近付ける。少し戸惑った様子を見せるが伸ばされた手は迷う事なくある色の粒を選んだ。それを彼女は口にせずに凝視する
『緑色が、お好きなんですね』
『っ……』
エルヴィーラが何を想い眺めているのか分かってしまった。彼女も言葉の意味を理解したのだろう。顔を歪ませながらも静かに頷いた。
緑はクラウディウスの瞳の色だ。ティアナもレンブラントと出会ってからは彼の瞳と同じ青色が一番好きになったので良く分かる。
『……きれ、い』
『⁉︎』
『ぁ……⁉︎』
彼女の口から声が洩れ、ティアナも彼女自身も驚き互いに目を見開きながら顔を見合わせてしまった。
『エルヴィーラ様、声が……』
『私、声が……話せます』
カリッと砂糖菓子を噛む音と二人分の笑う声が部屋に聞こえている。少し落ち着いたエルヴィーラは、ティアナにクラウディウスとの事を話してくれた。
三ヶ月程前のチャリティーの日、教会に聖女フローラが現れた後クラウディウスは聖女という存在に興味を抱いたらしく自ら進んで彼女に会いに行く様になったそうだ。エルヴィーラにも隠す事なくその事を話している事からして彼に疾しい気持ちはなかったのかも知れない。ただ日々を追う毎にクラウディウスは聖女フローラにのめり込んでいったという。そして遂に一ヶ月程前に彼から婚約破棄の申し出があり、エルヴィーラはそれを了承したと言う。
『遅くなりましたが、お手紙をありがとうございました。ティアナ様からの温かい言葉の綴られたお手紙を拝見した時、私などを気にかけて下さっているのだと思い本当に嬉しかった。ただ何とお返事をして良いか悩んでいる内に時間だけが過ぎてしまって……』
『エルヴィーラ様……』
『ティアナ様。本日は何の約束もなしに屋敷を訪問してしまい申し訳ありませんでした。本来なら妹の事もあり親しくして貰える立場ではないのにも関わらず、こうして変わらずティアナ様が優しくして下さるので、きっとティアナ様の優しさに甘えているのも知れません』
エルヴィーラの親しい友人はレンブラントやヘンリック、テオフィルくらいだが、それもクラウディウスが居てこその関係に過ぎず実質友人はいないも同然だと彼女は話す。また両親は昔から妹のヴェローニカばかりを溺愛しておりエルヴィーラには関心がなく、家族仲は余り良好ではないそうだ。彼女は自身の事をティアナに語り教えてくれた。
『元々私などがクラウディウス様の婚約者など相応しくなかったので仕方がない事なんです。きっとフローラ様なら、クラウディウス様の支えとなり力になって下さる筈です』
彼女はそう言って笑うが、何時もニコニコと優しかった笑みは悲しみに染まっていた。
『ティアナ様とお話し出来て良かったです』
何かを誤魔化すようにエルヴィーラは徐に砂糖菓子を口に放り込んだ。彼女自身溢れる涙に気が付いていないのか拭う事もせずにカリッと音を立ててゆっくりと味わう様にそれを咀嚼していた。
あの時、そんな彼女を見て胸が締め付けられた。自分に出来たのはただハンカチを差し出す事だけだ。本当に無力だ。ただ烏滸がましいかも知れないがどうにかしてあげたいと思った。
エルヴィーラは初めて会った時からティアナに対してとても友好的に接してくれた。銀色の髪と赤い瞳という変わった容姿の所為で殆どの人間が気味悪がる中、彼女は当然の様にティアナを受け入れてくれた。優しいあの笑顔は、彼女自身の為ではなく周りの人達の為にあるのだと知っている。そんな彼女をティアナは尊敬しているし大好きだ。その彼女の笑顔を曇らせているクラウディウスに対して苛立ちを感じている。そしてそんな彼を庇うレンブラントに対してもだ。
『ティアナ、貴族や王族の結婚などそんなものなんだよ。謂わば打算や利益、政治的駆け引きの為にある制度と言っても過言じゃない』
(分かってる、分かっているがそうじゃない……そうじゃないの)
少しずつレンブラントと距離が縮まり少しだけ彼を理解したつもりになっていた。だがまた分からなくなってしまった。
レンブラントならきっと自分の想いを分かってくれて、エルヴィーラの事をどうにかしてくれると期待していた。だが予想に反して彼はクラウディウスとフローラを擁護よる発言をした。
『それは私達も、ですか』
『どうだろうね』
更にあの瞬間、ティアナとレンブラントの関係すら否定された気がした。
ティアナはベッドの上で暫く蹲ったままでいた。考えれば考える程気分は沈むばかりだ。心に暗い影を落とし苦しくて動く事が出来ない。
(ダメ……)
このままではまた昔に逆戻りになってしまう。
頭を冷やそうと思いティアナはベッドから降りると窓を開けた。すると少し冷たい夜風が部屋の中に流れ込みカーテンを大きく揺らす。ふと鏡台へと視線を向けると月明かりを受けた青い宝石が輝いていた。深く濃く青いのに何処までも透き通る様な美しさは、まるで彼の瞳と同じだ。
(確りしなさい、ティアナ)
彼は彼だ。
レンブラントの考えはティアナには受け入れ難いものだが、否定するだけでは何も始まらない。今自分に出来る事を自分自身で考えなくてはならない。
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