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第43話 春の木漏れ日と膝枕
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案の定というべきか、水町家へお邪魔した直後に、玲子の母親が猛ダッシュで玄関へやってきた。
娘を溺愛している両親だけに、受験の結果が気になって仕方なかったのだ。よくよく見れば、玲子の父親まで様子を窺うように奥から玄関を覗いている。
仕事中なはずなのに、こうして自宅へいるのだから、よほど玲子の受験結果を知りたくてたまらないのだろう。恐らくは仕事も手につかなかったに違いない。
そんな状況下で玲子が「合格」の二文字を両親へ告げれば、やはり予想どおりの大騒ぎになる。
小学校時代から、水町玲子の学力は決して低くなかった。しかし、何度も人生をやり直し、そのたびに同じ勉強を繰り返している哲郎には到底及ばなかった。
加えて今回入学を希望した高校は、県内でも有数の進学校であり、他の地域からも受験しにくる学生もいるくらいだった。
レベルはかなり高く、地元でも各々の中学校でトップクラスの成績を収めている人間しか受験しないようなところだ。残念ながら、水町玲子の学力はそこまで到達していなかった。
だがそれも、哲郎と一緒に受験勉強をするようになるまでの話だ。最近では目に見えて成績がグングン上昇していたため、水町玲子の両親もご近所さんに対して誇らしげだった。
ゆえに哲郎はますます水町家で重宝され、それこそご近所さんには将来の婿候補などとも呼ばれたりしている。
哲郎からすれば婿になるか嫁にするかはさておいて、当初よりそのつもりなので、言われて悪い気はまったくしていない。もうひとりの当事者、水町玲子も満更ではない感じである。
哲郎の両親にはそこまでの話をしていないが、水町家の両親は反対するどころか大賛成してくれそうだった。
交際自体にかんしても苦言を呈されたりはせず、むしろ「娘をよろしく頼むよ」という言葉を、玲子の父親から頂戴している。
たまに言い争いくらいはあっても、喧嘩はほとんどなく、順調極まりない清い交際生活を送っていた。
志願していた高校にも無事に二人で合格したのもあり、ますます相手方の両親は哲郎を信頼するようなる。
「さすがは哲郎君ね。まさか玲子まで、地元でも有名な高校に入れるとは思っていなかったもの」
すでに哲朗が自宅の両親へ合格の報告をしてきたと告げると、水町玲子の母親はそれなら憂いはないとばかりにお祝いの準備を始めた。
作業を手伝っている玲子が、母親の発言に「それは言いすぎだわ。もう少し、自分の娘を信用してくれないと」などと応じている。
ちなみに玲子の父親は娘の合格を知った直後に、駆け足で敷地内にある工場へ戻っていた。やはり途中の仕事があったのだ。
それでも合格を祝うパーティーが始まる前までには、仕事を終わらせて戻ってくると言い残していったらしかった。
こんなに両親から愛されているのであれば、前回の人生で水町玲子があそこまで気にしていたのも頷ける。
家族水入らずで祝った方がいいような気がしなくもないので、早めに帰るべきだろうか。そんなことを考えていると、水町玲子の母親が穏やかな笑顔を浮かべたまま話しかけてきた。
「さすがの哲郎君も、無事に合格できて安堵したのかしら。あまり元気がないわね」
「それもありますけど……家族でもない俺が、お祝いに参加するのも、なにか変な気がして……」
今の気持ちを素直に告げると、水町玲子の母親にしては珍しく怒りの表情を浮かべた。
「そんなことを気にしてるなんて、悲しいわ。私は哲郎君のことを、ずっと前から家族だと思っていたわよ。だから、何も問題ないわ」
優しい声で言ってもらえて、哲郎の迷いも消える。これからどのような出来事に遭遇するかはわからないが、今だけはこの心地よい空間でゆったりしていよう。
そんなふうに思いながら、哲郎も恋人の少女とともに、お祝いの準備を手伝うのだった。
*
無事に高校への合格が判明したあとは、実の楽しい春休みを送ることになる。
進学校での勉強へついていくためにも、多少は図書館などで勉強したりもするが、受験前みたいな緊迫感はなかった。
楽しいお勉強といえば語弊があるかもしれないが、雑談交じりの笑顔が絶えないものになった。
午前中で勉強を終えたあとは、図書館から出て近くの緑豊かな公園へ向かう。そこのベンチで春の陽光を浴びながら、水町玲子が作ってきてくれたお弁当を二人で食べるのだ。
文字どおりの健全なカップルでおり、公園を利用中の人々に見守られながら、この時期でしか味わえない幸せを満喫する。
「玲子って、料理が上手だよね」
昼食をごちそうさましたあとで、空になったお弁当箱をリュックにしまっている恋人の少女に声をかけた。
前回の人生でも、暇があれば玲子が哲郎へ手料理を披露してくれたが、実のところ上手と呼べるレベルではなかった。
決して食べられないほどではないが、いくらでも食べたいほど美味しいかと言われれば、失礼ながらも首を傾げてしまう。
ところが高校生になろうとしている水町玲子は、前回の人生では考えられないくらいの腕前を発揮している。
ずいぶん上手になったね。見違えたよ。などとは間違っても口にできないため、先ほどのような発言になったのである。
「本当に?」
「ああ。春休みになって、毎日食べさせてもらってるけど、とても美味しいからビックリしてる」
哲郎の褒め言葉が本心からなのか確かめようとする恋人に、はっきりとした称賛の言葉を送る。
すると水町玲子は満面の笑みを浮かべて「ありがとう」とお礼を言ってきた。
「お礼を言うのは俺の方だ。こんなに幸せでいいのかなって思うよ」
「うふふ。哲郎君ったら、大げさね。でも、嬉しい。毎日、お母さんに指導してもらってるかいがあったわ」
「そっか。お母さんに教えてもらっていたんだ」
その事実も哲郎の胸を熱くさせる。本来なら、田所六郎や佐野昭雄に蹂躙されて、得られなかった母娘の時間である。
言葉は悪いかもしれないが、両者の落ちぶれた姿を実際に見てきた哲郎には、それだけの出来事がとても嬉しく感じられた。
目を閉じれば、台所で並んで立つ水町家の母娘の背中が浮かんでくる。楽しそうに会話をしながら、手を動かしている。
時折、料理の段取りが悪いと母親から注意されるものの、玲子は舌を出しながら「ごめん」と笑ったりする。
まるでホームドラマのワンシーンだが、きっとそんな光景なのだろうと哲郎はひとり勝手な想像を続ける。
お腹も一杯になり、座っているベンチの上で動かなくなった哲郎に「眠くなったの」と声をかけられた。
「そうだね。少し、眠いかな」
妄想をしてましたとはとても言えず、相手の台詞に乗るような形になる。とはいえ決して嘘ではなく、実際に睡魔が哲郎を襲っていた。
「それなら、少し休んでいこうか。あそこに日陰もあるし」
水町玲子が指差したのは、周囲に大きな木々が多い茂っている芝生だった。
「こんなこともあるかもしれないって、実はこういうのを用意していたの」
手際よく恋人の少女がリュックから取り出したのは、わりと大きめのブルーシートだった。
さあ、行こうと手を引かれるままに、哲郎は芝生がある地点まで移動する。テキパキと敷かれたブルシートの上に水町玲子が座る。
「哲郎君もどうぞ」
ここで遠慮するのも変なので、遠慮なく哲郎は水町玲子が用意してくれたブルーシートに腰を下ろした。
「私は本でも読んでるから、哲郎君はひと眠りするといいわ。あ、でも、枕がないと不便よね」
――いや。枕がなくても大丈夫だよ。哲朗がそういう前に、水町玲子は目の前で膝を折って、はいているズボンの上から太腿部分を軽くポンと叩いた。
「ど、どうぞ」
どうぞと言われたのは二度目だが、先ほどとは明らかに相手女性の表情も口調も違っている。
まさか……と尋ねるまでもなく、水町玲子がどのような意図で自分の太腿を示したのかは明らかだった。
照れまくる哲郎を目にして、恋人の少女もまたおおいに恥ずかしさを顔に表す。せっかく決意してくれたのだから、この機会に甘えておこうと覚悟を決める。
「し、失礼します……」
「は、はい……」
場違いにも聞こえる言葉にも、普通に応じるのが精一杯。哲郎も水町玲子も、余裕などまったくなかった。
ブルーシートの上で横になった哲郎は、おずおずと頭を恋人の少女の太腿へ乗せた。
ズボンの生地越しではあっても、女性特有の肉の柔らかさが頭に伝わってくる。
同居していた前回の人生でも、ここまでしてもらった覚えはなかった。やはり世界は平和が一番だ。そんなことを考えながら、哲郎はゆっくりと目を閉じた。
「遠慮しなくていいから、ゆっくり眠ってね」
「ああ、ありがとう」
一応は眠ろうとしてみるが、とてもそんな気分になれないのは、この時点ですでにわかっていた。
けれど眠くなくなったなんて言ったら、至福の時間が終わってしまう。相手に迷惑をかけるかもしれないが、しばらく哲郎はこのままでいるつもりだった。
緑の香りを嗅ぎながら、恋人の膝枕でゆっくりする。あまりに幸せすぎるので、すべて夢なのではないかとも疑ってしまう。
願わくば、目を開いても覚めることのない現実でありますように。哲郎はそう祈らずにはいられなかった。
*
緊張で眠れるはずがない。そう思っていたのに、気づけば哲郎はウトウトしていたみたいだった。
薄っすらと目を開けた時、恋人の少女に「よく眠っていたね」と声をかけられて、熟睡ではなくとも軽く眠っていた事実に気づいた。
幸いにして眠りから覚めても、夢でしたなんてオチにはならずに済んだ。幸せな現実は今もなお続いており、緑と恋人の匂いに包まれ、実に幸せな目覚めを堪能する。
名残惜しかったが、ゆっくりと上半身を起こした哲郎は、甘美なまどろみの中を漂いながら、水町玲子へ「とのくらい眠っていたの」と質問する。
「三十分と少しくらいかな。哲郎君の寝顔を初めて見たけれど、凄く可愛くてドキドキした」
「可愛いか……男だけに、嬉しいようなそうでないような……」
あまり言われた覚えのない褒め言葉に若干戸惑っている哲郎へ、不意に恋人の少女が手を伸ばしてくる。
「動いたら駄目よ。頬に草がついてるから、取ってあげるね」
照れて頬を掻いてる最中にでも、どこからか付着してしまったのか。とりあえず相手女性に任せて、取ってもらっていると、ふとある事実に気づいた。
いつの間にやら二人の距離が縮まり、すぐ側に大好きな女の子の顔があったのである。
互いに互いの顔の近さに気づき、瞬間的に時間が止まる。呼吸をするのも忘れ、相手の瞳の美しい輝きに視線を奪われる。
無言の静寂が二人の間に訪れ、かすかに揺れる木々の音と耳をくすぐる風が自然にムードを高めてくれる。
どちらから提案するでもなくお互いの顔と顔の間隔は短くなり、昼下がりの公園で哲郎と玲子の影が重なった。
感動に打ち震える余裕もないくらい哲郎の頭の中は真っ白で、一枚の絵画みたいにしばらくそのまま動けなかった。
時間の経過もよくわからないうちに、これまた自然と二人の影が離れた。目の前にある水町玲子の顔は、もの凄く真っ赤だった。きっと相手の瞳に映る哲郎の顔も、同様の色に染まっているだろう。
何度人生を繰り返しても忘れられそうにない春の出来事を胸に刻み、いよいよ哲郎はこれまでとはまったく違うふうになるであろう高校生活をスタートさせる。
娘を溺愛している両親だけに、受験の結果が気になって仕方なかったのだ。よくよく見れば、玲子の父親まで様子を窺うように奥から玄関を覗いている。
仕事中なはずなのに、こうして自宅へいるのだから、よほど玲子の受験結果を知りたくてたまらないのだろう。恐らくは仕事も手につかなかったに違いない。
そんな状況下で玲子が「合格」の二文字を両親へ告げれば、やはり予想どおりの大騒ぎになる。
小学校時代から、水町玲子の学力は決して低くなかった。しかし、何度も人生をやり直し、そのたびに同じ勉強を繰り返している哲郎には到底及ばなかった。
加えて今回入学を希望した高校は、県内でも有数の進学校であり、他の地域からも受験しにくる学生もいるくらいだった。
レベルはかなり高く、地元でも各々の中学校でトップクラスの成績を収めている人間しか受験しないようなところだ。残念ながら、水町玲子の学力はそこまで到達していなかった。
だがそれも、哲郎と一緒に受験勉強をするようになるまでの話だ。最近では目に見えて成績がグングン上昇していたため、水町玲子の両親もご近所さんに対して誇らしげだった。
ゆえに哲郎はますます水町家で重宝され、それこそご近所さんには将来の婿候補などとも呼ばれたりしている。
哲郎からすれば婿になるか嫁にするかはさておいて、当初よりそのつもりなので、言われて悪い気はまったくしていない。もうひとりの当事者、水町玲子も満更ではない感じである。
哲郎の両親にはそこまでの話をしていないが、水町家の両親は反対するどころか大賛成してくれそうだった。
交際自体にかんしても苦言を呈されたりはせず、むしろ「娘をよろしく頼むよ」という言葉を、玲子の父親から頂戴している。
たまに言い争いくらいはあっても、喧嘩はほとんどなく、順調極まりない清い交際生活を送っていた。
志願していた高校にも無事に二人で合格したのもあり、ますます相手方の両親は哲郎を信頼するようなる。
「さすがは哲郎君ね。まさか玲子まで、地元でも有名な高校に入れるとは思っていなかったもの」
すでに哲朗が自宅の両親へ合格の報告をしてきたと告げると、水町玲子の母親はそれなら憂いはないとばかりにお祝いの準備を始めた。
作業を手伝っている玲子が、母親の発言に「それは言いすぎだわ。もう少し、自分の娘を信用してくれないと」などと応じている。
ちなみに玲子の父親は娘の合格を知った直後に、駆け足で敷地内にある工場へ戻っていた。やはり途中の仕事があったのだ。
それでも合格を祝うパーティーが始まる前までには、仕事を終わらせて戻ってくると言い残していったらしかった。
こんなに両親から愛されているのであれば、前回の人生で水町玲子があそこまで気にしていたのも頷ける。
家族水入らずで祝った方がいいような気がしなくもないので、早めに帰るべきだろうか。そんなことを考えていると、水町玲子の母親が穏やかな笑顔を浮かべたまま話しかけてきた。
「さすがの哲郎君も、無事に合格できて安堵したのかしら。あまり元気がないわね」
「それもありますけど……家族でもない俺が、お祝いに参加するのも、なにか変な気がして……」
今の気持ちを素直に告げると、水町玲子の母親にしては珍しく怒りの表情を浮かべた。
「そんなことを気にしてるなんて、悲しいわ。私は哲郎君のことを、ずっと前から家族だと思っていたわよ。だから、何も問題ないわ」
優しい声で言ってもらえて、哲郎の迷いも消える。これからどのような出来事に遭遇するかはわからないが、今だけはこの心地よい空間でゆったりしていよう。
そんなふうに思いながら、哲郎も恋人の少女とともに、お祝いの準備を手伝うのだった。
*
無事に高校への合格が判明したあとは、実の楽しい春休みを送ることになる。
進学校での勉強へついていくためにも、多少は図書館などで勉強したりもするが、受験前みたいな緊迫感はなかった。
楽しいお勉強といえば語弊があるかもしれないが、雑談交じりの笑顔が絶えないものになった。
午前中で勉強を終えたあとは、図書館から出て近くの緑豊かな公園へ向かう。そこのベンチで春の陽光を浴びながら、水町玲子が作ってきてくれたお弁当を二人で食べるのだ。
文字どおりの健全なカップルでおり、公園を利用中の人々に見守られながら、この時期でしか味わえない幸せを満喫する。
「玲子って、料理が上手だよね」
昼食をごちそうさましたあとで、空になったお弁当箱をリュックにしまっている恋人の少女に声をかけた。
前回の人生でも、暇があれば玲子が哲郎へ手料理を披露してくれたが、実のところ上手と呼べるレベルではなかった。
決して食べられないほどではないが、いくらでも食べたいほど美味しいかと言われれば、失礼ながらも首を傾げてしまう。
ところが高校生になろうとしている水町玲子は、前回の人生では考えられないくらいの腕前を発揮している。
ずいぶん上手になったね。見違えたよ。などとは間違っても口にできないため、先ほどのような発言になったのである。
「本当に?」
「ああ。春休みになって、毎日食べさせてもらってるけど、とても美味しいからビックリしてる」
哲郎の褒め言葉が本心からなのか確かめようとする恋人に、はっきりとした称賛の言葉を送る。
すると水町玲子は満面の笑みを浮かべて「ありがとう」とお礼を言ってきた。
「お礼を言うのは俺の方だ。こんなに幸せでいいのかなって思うよ」
「うふふ。哲郎君ったら、大げさね。でも、嬉しい。毎日、お母さんに指導してもらってるかいがあったわ」
「そっか。お母さんに教えてもらっていたんだ」
その事実も哲郎の胸を熱くさせる。本来なら、田所六郎や佐野昭雄に蹂躙されて、得られなかった母娘の時間である。
言葉は悪いかもしれないが、両者の落ちぶれた姿を実際に見てきた哲郎には、それだけの出来事がとても嬉しく感じられた。
目を閉じれば、台所で並んで立つ水町家の母娘の背中が浮かんでくる。楽しそうに会話をしながら、手を動かしている。
時折、料理の段取りが悪いと母親から注意されるものの、玲子は舌を出しながら「ごめん」と笑ったりする。
まるでホームドラマのワンシーンだが、きっとそんな光景なのだろうと哲郎はひとり勝手な想像を続ける。
お腹も一杯になり、座っているベンチの上で動かなくなった哲郎に「眠くなったの」と声をかけられた。
「そうだね。少し、眠いかな」
妄想をしてましたとはとても言えず、相手の台詞に乗るような形になる。とはいえ決して嘘ではなく、実際に睡魔が哲郎を襲っていた。
「それなら、少し休んでいこうか。あそこに日陰もあるし」
水町玲子が指差したのは、周囲に大きな木々が多い茂っている芝生だった。
「こんなこともあるかもしれないって、実はこういうのを用意していたの」
手際よく恋人の少女がリュックから取り出したのは、わりと大きめのブルーシートだった。
さあ、行こうと手を引かれるままに、哲郎は芝生がある地点まで移動する。テキパキと敷かれたブルシートの上に水町玲子が座る。
「哲郎君もどうぞ」
ここで遠慮するのも変なので、遠慮なく哲郎は水町玲子が用意してくれたブルーシートに腰を下ろした。
「私は本でも読んでるから、哲郎君はひと眠りするといいわ。あ、でも、枕がないと不便よね」
――いや。枕がなくても大丈夫だよ。哲朗がそういう前に、水町玲子は目の前で膝を折って、はいているズボンの上から太腿部分を軽くポンと叩いた。
「ど、どうぞ」
どうぞと言われたのは二度目だが、先ほどとは明らかに相手女性の表情も口調も違っている。
まさか……と尋ねるまでもなく、水町玲子がどのような意図で自分の太腿を示したのかは明らかだった。
照れまくる哲郎を目にして、恋人の少女もまたおおいに恥ずかしさを顔に表す。せっかく決意してくれたのだから、この機会に甘えておこうと覚悟を決める。
「し、失礼します……」
「は、はい……」
場違いにも聞こえる言葉にも、普通に応じるのが精一杯。哲郎も水町玲子も、余裕などまったくなかった。
ブルーシートの上で横になった哲郎は、おずおずと頭を恋人の少女の太腿へ乗せた。
ズボンの生地越しではあっても、女性特有の肉の柔らかさが頭に伝わってくる。
同居していた前回の人生でも、ここまでしてもらった覚えはなかった。やはり世界は平和が一番だ。そんなことを考えながら、哲郎はゆっくりと目を閉じた。
「遠慮しなくていいから、ゆっくり眠ってね」
「ああ、ありがとう」
一応は眠ろうとしてみるが、とてもそんな気分になれないのは、この時点ですでにわかっていた。
けれど眠くなくなったなんて言ったら、至福の時間が終わってしまう。相手に迷惑をかけるかもしれないが、しばらく哲郎はこのままでいるつもりだった。
緑の香りを嗅ぎながら、恋人の膝枕でゆっくりする。あまりに幸せすぎるので、すべて夢なのではないかとも疑ってしまう。
願わくば、目を開いても覚めることのない現実でありますように。哲郎はそう祈らずにはいられなかった。
*
緊張で眠れるはずがない。そう思っていたのに、気づけば哲郎はウトウトしていたみたいだった。
薄っすらと目を開けた時、恋人の少女に「よく眠っていたね」と声をかけられて、熟睡ではなくとも軽く眠っていた事実に気づいた。
幸いにして眠りから覚めても、夢でしたなんてオチにはならずに済んだ。幸せな現実は今もなお続いており、緑と恋人の匂いに包まれ、実に幸せな目覚めを堪能する。
名残惜しかったが、ゆっくりと上半身を起こした哲郎は、甘美なまどろみの中を漂いながら、水町玲子へ「とのくらい眠っていたの」と質問する。
「三十分と少しくらいかな。哲郎君の寝顔を初めて見たけれど、凄く可愛くてドキドキした」
「可愛いか……男だけに、嬉しいようなそうでないような……」
あまり言われた覚えのない褒め言葉に若干戸惑っている哲郎へ、不意に恋人の少女が手を伸ばしてくる。
「動いたら駄目よ。頬に草がついてるから、取ってあげるね」
照れて頬を掻いてる最中にでも、どこからか付着してしまったのか。とりあえず相手女性に任せて、取ってもらっていると、ふとある事実に気づいた。
いつの間にやら二人の距離が縮まり、すぐ側に大好きな女の子の顔があったのである。
互いに互いの顔の近さに気づき、瞬間的に時間が止まる。呼吸をするのも忘れ、相手の瞳の美しい輝きに視線を奪われる。
無言の静寂が二人の間に訪れ、かすかに揺れる木々の音と耳をくすぐる風が自然にムードを高めてくれる。
どちらから提案するでもなくお互いの顔と顔の間隔は短くなり、昼下がりの公園で哲郎と玲子の影が重なった。
感動に打ち震える余裕もないくらい哲郎の頭の中は真っ白で、一枚の絵画みたいにしばらくそのまま動けなかった。
時間の経過もよくわからないうちに、これまた自然と二人の影が離れた。目の前にある水町玲子の顔は、もの凄く真っ赤だった。きっと相手の瞳に映る哲郎の顔も、同様の色に染まっているだろう。
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