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最終話 お墓参り
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次の日曜日。
養子縁組の書類はすでに提出済みで、家族となるのが決定した透たち四人は、里奈と奈流が一ヶ月くらい前まで生活していた野々村家の近くにいた。
透が住んでいるところと同レベルなオンボロアパートはすでに引き払われており、姉妹が持ち帰れる物は何一つ得られなかった。
新幹線での移動中はまだ楽しそうだった奈流も、生前の母親と住んでいた家が近づくにつれて口数が少なくなった。
そんな姉妹を連れて立ち寄ったのが、現在の場所――野々村美奈子が眠る墓地だった。野々村家の墓に彼女は眠っている。
墓の前に立つ奈流と里奈。この日のために買った子供向けの黒いワンピース。それはまるで喪服のようであった。
今日は今朝から強い風が、手を繋いで無言で墓の前に立つ姉妹の髪の毛を揺らす。スカートの裾もひらりと舞う。
土と緑が目立つ墓地。漂う線香のにおい。日常とは違う風景。
透が姉妹をここに連れてきたのには、もちろん理由があった。
「いいんだぞ、泣いても」
かけられた声に驚き、姉妹が揃って背後の透を振り向く。
言葉のない問いかけに、透は笑顔で応える。
ゆっくりと里奈と奈流は顔の位置を戻し、夏の日を浴びて黒光りする墓石を見つめる。
梅雨の晴れ間の一日。虫の声はまだなく、墓地はシンとしている。
見守る姉妹の肩が少しずつ上下に揺れだす。程なく漏れ聞こえる嗚咽。それは段々と大きくなっていった。
「ひっく、うあ、うああ……ママ……ママぁ!」
姉と硬く手を握ったまま、天へと奈流は泣き声を響かせる。ボロボロと頬を伝い、足元に垂れ落ちる。
普段はお姉ちゃんらしくしっかり者でいる里奈も、この時ばかりは声を張り上げた。彼女もまだ小学生。母親が恋しい年頃だ。
「どうして、死んじゃったの……ママ! 酷いよ……帰ってきてよぉ」
無理だと知りながらも、願わずにはいられない。里奈の気持ちが、すでに両親を失っている透には痛いほどわかった。
ズボンのポケットに両手を突っ込み、透は泣き続ける姉妹を黙って見守る。それが二人と正式な家族になる自分の最初の仕事だと思った。
不意に柑橘系の香りが鼻先に届く。いつの間にか寄り添うように、妻となった奏が透のそばにいた。
「里奈と奈流を、存分に泣かせてあげたかったのか」
「ああ。二人とも子供にはキツすぎるくらい忙しかっただろうからな。母親の死を悲しめてないだろうと思った。十分に認識する前に、姉妹での生活を守りたくて行動を起こしたんだから当然だ。ここらでいったん立ち止まってみるのも悪くない」
「……そうだな。フフ、透はもう十分に立派な父親のようだ。私も頑張らなければな」
「やめてくれよ。まだまだ新米さ。頑張るなら、二人でにしよう。いや、四人でだな」
返事をする代わりに、奏は透の肩に頭をちょこんと乗せた。葬儀に参加するわけではないが、二人とも黒のスーツを身に着けていた。
カジュアルな格好でもよかったかもしれないが、なんとなくけじめというかきっちりした服装で野々村美奈子の墓と向き合っておきたかった。
透の我儘にすぎないのだが、奏は賛成してくれた。
透は里奈と奈流の頭に手を乗せる。二人とも、時間を気にせずにおもいきり泣いたせいで呼吸困難みたいになっている。
「いつかまた会える。その時まで精一杯生きようじゃないか」
姉妹に言ってから、透は顔を上げて墓に目線を合わせる。
「美奈子さん。貴女の大切な娘は、立花武春の息子である俺、透が責任をもって面倒を見ます。どうか安心してゆっくり休んでください」
風に煽られても消えず、灯っている蝋燭の火が墓前で揺らめく。
透は静かに手を合わせ、見ていた姉妹もそれに倣う。
「ママ。私と奈流は大丈夫だよ。優しいお兄ちゃんとお姉ちゃんもできたから、心配しないでね」
「奏お姉ちゃんは、ちょっとだけこわいけど」
奈流の一言に透が吹き出す。すかさず脇腹に痛みが走り、横目で奏に睨まれた。
そのうちに誰ともなく笑い出し、しんみりとした空気が軽くなった。
「ねえ、お兄ちゃん。またいつか、ママにあいにきていいー?」
「ああ。お盆とかに皆で来よう。約束だ」
頭を撫でられた奈流は「えへへー」と、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにした。
はしゃぐ家族の側を、少し強めの風が走り抜ける。
木々が揺れて、葉がそよぐ。
砂が地面を滑り、風が鳴る。
すべては自然の音。
普段と変わらない音。
だからきっと気のせいだろう。
透の耳元で、ありがとうと誰かが囁いたように聞こえたのは。
「さあ、帰るか。地元に置いてきた綾乃さんが、今頃拗ねてるかもしれないしな」
透の言葉に、元気よく里奈と奈流が頷く。
二人の背中を押し、墓石に回れ右をしたところで透はなんとなく呟く。
「そういえば、俺は生前の美奈子さんを生で見たことはなかったな」
「ママね、すっごくびじんなんだよー」
奈流が嬉しそうに母親の説明をする。
「それにね、それにね、おっぱいが大きかったのー」
「ほう」
反応してしまってから気づく。
透は自身の背後に嫉妬深い妻がいる事実に。
「まったく。私が夫に選んだのはどうしようもない男だったようだ。これは……教育が必要だな」
「なっ――!? ちょ、ちょっと待てって! り、里奈、お兄ちゃんを助けてくれ!」
「え、ええっ!? 私を巻き込まないでよっ!」
だいぶ口調が子供らしくなってきた里奈が、遠慮なく透を突き飛ばす。
転ばないように気をつけて体を捻った結果、ぽよんとした感触に顔が包まれる。
恐る恐る顔を上げると、そこには愛しい妻が般若のお面をかぶったような顔で立っていた。
「墓地で欲情するとは何事だ! 徹底的に教育してやる! ここなら何かあっても大丈夫だしな!」
「笑えないって! 本気で怖いからやめてくれ! それに今のは事故だろうが!」
奏に追いかけられる透を、里奈と奈流が楽しそうに指差す。
新しく家族になった四人の頭上には、もうすぐやってくる夏を思わせる大きな太陽があって、青い絵の具だけで塗られたみたいな空の中、笑うように一際明るく輝いた。
養子縁組の書類はすでに提出済みで、家族となるのが決定した透たち四人は、里奈と奈流が一ヶ月くらい前まで生活していた野々村家の近くにいた。
透が住んでいるところと同レベルなオンボロアパートはすでに引き払われており、姉妹が持ち帰れる物は何一つ得られなかった。
新幹線での移動中はまだ楽しそうだった奈流も、生前の母親と住んでいた家が近づくにつれて口数が少なくなった。
そんな姉妹を連れて立ち寄ったのが、現在の場所――野々村美奈子が眠る墓地だった。野々村家の墓に彼女は眠っている。
墓の前に立つ奈流と里奈。この日のために買った子供向けの黒いワンピース。それはまるで喪服のようであった。
今日は今朝から強い風が、手を繋いで無言で墓の前に立つ姉妹の髪の毛を揺らす。スカートの裾もひらりと舞う。
土と緑が目立つ墓地。漂う線香のにおい。日常とは違う風景。
透が姉妹をここに連れてきたのには、もちろん理由があった。
「いいんだぞ、泣いても」
かけられた声に驚き、姉妹が揃って背後の透を振り向く。
言葉のない問いかけに、透は笑顔で応える。
ゆっくりと里奈と奈流は顔の位置を戻し、夏の日を浴びて黒光りする墓石を見つめる。
梅雨の晴れ間の一日。虫の声はまだなく、墓地はシンとしている。
見守る姉妹の肩が少しずつ上下に揺れだす。程なく漏れ聞こえる嗚咽。それは段々と大きくなっていった。
「ひっく、うあ、うああ……ママ……ママぁ!」
姉と硬く手を握ったまま、天へと奈流は泣き声を響かせる。ボロボロと頬を伝い、足元に垂れ落ちる。
普段はお姉ちゃんらしくしっかり者でいる里奈も、この時ばかりは声を張り上げた。彼女もまだ小学生。母親が恋しい年頃だ。
「どうして、死んじゃったの……ママ! 酷いよ……帰ってきてよぉ」
無理だと知りながらも、願わずにはいられない。里奈の気持ちが、すでに両親を失っている透には痛いほどわかった。
ズボンのポケットに両手を突っ込み、透は泣き続ける姉妹を黙って見守る。それが二人と正式な家族になる自分の最初の仕事だと思った。
不意に柑橘系の香りが鼻先に届く。いつの間にか寄り添うように、妻となった奏が透のそばにいた。
「里奈と奈流を、存分に泣かせてあげたかったのか」
「ああ。二人とも子供にはキツすぎるくらい忙しかっただろうからな。母親の死を悲しめてないだろうと思った。十分に認識する前に、姉妹での生活を守りたくて行動を起こしたんだから当然だ。ここらでいったん立ち止まってみるのも悪くない」
「……そうだな。フフ、透はもう十分に立派な父親のようだ。私も頑張らなければな」
「やめてくれよ。まだまだ新米さ。頑張るなら、二人でにしよう。いや、四人でだな」
返事をする代わりに、奏は透の肩に頭をちょこんと乗せた。葬儀に参加するわけではないが、二人とも黒のスーツを身に着けていた。
カジュアルな格好でもよかったかもしれないが、なんとなくけじめというかきっちりした服装で野々村美奈子の墓と向き合っておきたかった。
透の我儘にすぎないのだが、奏は賛成してくれた。
透は里奈と奈流の頭に手を乗せる。二人とも、時間を気にせずにおもいきり泣いたせいで呼吸困難みたいになっている。
「いつかまた会える。その時まで精一杯生きようじゃないか」
姉妹に言ってから、透は顔を上げて墓に目線を合わせる。
「美奈子さん。貴女の大切な娘は、立花武春の息子である俺、透が責任をもって面倒を見ます。どうか安心してゆっくり休んでください」
風に煽られても消えず、灯っている蝋燭の火が墓前で揺らめく。
透は静かに手を合わせ、見ていた姉妹もそれに倣う。
「ママ。私と奈流は大丈夫だよ。優しいお兄ちゃんとお姉ちゃんもできたから、心配しないでね」
「奏お姉ちゃんは、ちょっとだけこわいけど」
奈流の一言に透が吹き出す。すかさず脇腹に痛みが走り、横目で奏に睨まれた。
そのうちに誰ともなく笑い出し、しんみりとした空気が軽くなった。
「ねえ、お兄ちゃん。またいつか、ママにあいにきていいー?」
「ああ。お盆とかに皆で来よう。約束だ」
頭を撫でられた奈流は「えへへー」と、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにした。
はしゃぐ家族の側を、少し強めの風が走り抜ける。
木々が揺れて、葉がそよぐ。
砂が地面を滑り、風が鳴る。
すべては自然の音。
普段と変わらない音。
だからきっと気のせいだろう。
透の耳元で、ありがとうと誰かが囁いたように聞こえたのは。
「さあ、帰るか。地元に置いてきた綾乃さんが、今頃拗ねてるかもしれないしな」
透の言葉に、元気よく里奈と奈流が頷く。
二人の背中を押し、墓石に回れ右をしたところで透はなんとなく呟く。
「そういえば、俺は生前の美奈子さんを生で見たことはなかったな」
「ママね、すっごくびじんなんだよー」
奈流が嬉しそうに母親の説明をする。
「それにね、それにね、おっぱいが大きかったのー」
「ほう」
反応してしまってから気づく。
透は自身の背後に嫉妬深い妻がいる事実に。
「まったく。私が夫に選んだのはどうしようもない男だったようだ。これは……教育が必要だな」
「なっ――!? ちょ、ちょっと待てって! り、里奈、お兄ちゃんを助けてくれ!」
「え、ええっ!? 私を巻き込まないでよっ!」
だいぶ口調が子供らしくなってきた里奈が、遠慮なく透を突き飛ばす。
転ばないように気をつけて体を捻った結果、ぽよんとした感触に顔が包まれる。
恐る恐る顔を上げると、そこには愛しい妻が般若のお面をかぶったような顔で立っていた。
「墓地で欲情するとは何事だ! 徹底的に教育してやる! ここなら何かあっても大丈夫だしな!」
「笑えないって! 本気で怖いからやめてくれ! それに今のは事故だろうが!」
奏に追いかけられる透を、里奈と奈流が楽しそうに指差す。
新しく家族になった四人の頭上には、もうすぐやってくる夏を思わせる大きな太陽があって、青い絵の具だけで塗られたみたいな空の中、笑うように一際明るく輝いた。
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