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第3話 姉妹の事情
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透に強く要求されては断り切れず、里奈がおずおずとジーンズのポケットに入れていた財布の中から小さなメモ紙を取り出した。
神崎律子という名前の女性らしい。受け取ったメモ紙で名前を確認すると、その下に書かれていた携帯電話の番号へすぐに連絡を取った。
「もしもし、神崎律子さんでいらっしゃいますか?」
数度のコールの後に電話に出た相手へ尋ねる。見知らぬ番号からだったので、警戒している様子がありありと伝わる。
「……そうですが、どちら様ですか」
「夜分遅く申し訳ありません。私は立花透と申します。実はですね、今、私のところに野々村里奈さんと奈流さんの姉妹が――」
「――ああっ! あの子たちの家族の方ね。お世話をよろしくお願いします」
説明の途中で続きを遮られ、勝気そうな中年女性特有の甲高い声で一方的にまくしたてられる。
「あの美奈子ちゃんの子供ですもの。どうせ面倒を起こすに決まってますから、そちらでお好きになさってください」
向こうにも言い分はあるだろうが、これではあまりにとんでもない。他人事とはいえ、さすがの透も軽く怒りを覚える。
だが文句を言ってやろうにも、神崎律子のマシンガンのごとき口は止まるそぶりを一向に見せない。
「昔から素行が良くなくて親戚中から避けられてたもの。勘当されたご両親も他界しているし、どうしようかと思ってたの。だからお父さんを知ってると里奈ちゃんが言いだした時は心の底からホッとしたわ」
今度は悪びれもせずにケラケラ笑う。
なるほど、と透は思う。
こんな大人ばかりの親戚連中に囲まれていたら、とてもじゃないが面倒を見て欲しいとは思えない。
引き取られた先で虐められかねないのは、小学校低学年の女児でも理解できる。
それでも姉妹一緒ならまだ我慢できたのだろう。
無理だと知ってしまったがために、口ぶりからして頻繁に交流があったわけでなさそうな武春を頼るしかなかったのだ。
「そんなわけですから、そちらの住所を教えてください。必要な書類などをまとめて送りますから。委任状は貰ってありますので大丈夫ですよ。それと残念ながら遺産はありません。ただ美奈子ちゃんは親戚に借金をしておりまして、そちらを返済していただきたいのです。総額三百万円ほどになります。借用書もありますので、お願いしますね」
「いや、お願いしますじゃないでしょう。そもそも彼女たちの父親についての話も簡単に信じたんですか!?」
「母親があの美奈子ちゃんですもの。父親が誰かなんてわかりませんし、出会ったばかりの男の種だったとしても別に驚きません」
とことんまで美奈子という女性を見下してるのがわかる。
そして透と神崎律子の会話が聞こえているらしい里奈は、その名前が出るたびに酷く悲しそうな顔をする。
美奈子という女性が、姉妹の母親と考えて間違いなさそうだ。
「奥さんの借金を旦那さんが返すのは当たり前でしょう? 社会人ならそれくらいは理解できますよね? それとも美奈子ちゃんの夫だけに、その程度の頭脳もありませんか?」
矢継ぎ早な屈辱的な質問の数々。
実際に美奈子という女性を知らない透でも腹が立つほどだ。
わざとこちらを怒らせようとする意図を察しても、不愉快になってしまうのだから神崎律子の煽りは一級品だった。
だが透は決して安い挑発には乗らず、なるべく平静さを保つようにしてこちらの事情も伝える。
「彼女たちが父と呼ぶのは私の父の武春です。しかし武春は数年前に他界しており――」
「――なら貴方が面倒を見ればいいでしょ」
やはり透の話を最後まで聞かず、神崎律子はさも当然とばかりに言い放った。
「貴方の父親が里奈ちゃんの父親なら、貴方たちは兄妹になるんでしょ。面倒を見るのは当然じゃない。仮に未成年だというのなら、そちらの親戚に援助をお願いして頂戴。あ、こちらの借金の話もきちんと伝えなさいよ」
透が年下らしいと知った神崎律子の口調が尊大なものへと変わり、明らかな上から目線で接してくる。
どのような顔をしているかは電話からは不明だが、友達になりたいタイプでないのだけは確かだった。
「美奈子さんの親戚であるそちらが面倒を見るのは当然ではないと言うんですか?」
「失礼なことを言わないで頂戴。面倒を見てあげるといったこちらの善意を突っぱねたのは、他ならぬ里奈ちゃんたちよ。甘やかすとろくな大人にならないから、許して引き取るつもりはもうないの。そちらで持て余すようならさっさと施設にでも送るといいわ。その場合の諸経費はそちらでお願いするわね。あと忘れちゃ困るのが私たちへの美奈子ちゃんの借金よ。美奈子ちゃんのご両親が亡くなっている以上、旦那さん側の血縁者に要求するしかないもの」
とんでもない発言のオンパレードである。
どこのバーゲンで仕入れたのか問いたいくらいに、次から次へと出てくる。
厄介事を避けるなら、知らぬ存ぜぬで神崎律子の要求を姉妹ごと突っ撥ねればいい。
父の娘という点も真実かどうかは怪しい。素直に信じろという方が無理だった。
「申し訳ありませんが、私が支払うべきという根拠がわかりかねます。それとも父は美奈子さんの連帯保証人になっていたのですか? もしそうなら弁護士を通じてご請求いただければ考慮します」
「あらそう。なら別に構わないわ。私たちは借金を返済してもらえればいいだけ。利息つきで計算して、あとで子供の里奈ちゃんたちに請求すればいいもの」
「子供に親の債務を負わせるのなら、すべてを公開すべきでしょう。葬儀を行なえたのであればそれなりの生命保険に加入していたことになりますよね? もしくは貯金があったと考えてもおかしくない」
写真で見た美奈子はスナックで働いていたみたいだった。借金の有無はともかく、極端に稼ぎが少ないとは考え辛い。
「事情を知らないくせに好き勝手言うわね」
「お互い様です」
「なら教えてあげるわ。水商売を辞めた美奈子ちゃんは日中にアルバイトしたみたいだけど、収入が足りなくて親戚中に頭を下げて回ってたのよ。クレジットカードを作るのも消費者金融に借金するのも自己破産してるから無理。必ず返すというから仕方なしに貸してあげたのよ」
「法外な利息込みで、ですか?」
あの美奈子ちゃん呼ばわりまでして嫌っている女が、親切心でお金を貸すとは思えない。
態度からして姉妹と今後も平和的な付き合いをしていく気もなさそうだし、どんなに悪辣非道な真似をしても自身の利益を優先するだろう。
「貸し借りした金額について、貴方にあれこれと教える理由はないわ」
なら返済する理由もないと透が言えば、神崎律子は幼い姉妹を言葉巧みに騙して借金を背負わせる。
世の中にはとことんまで腐ったクズというのも存在する。電話向こうの女との会話で、改めて痛感した。
「それに美奈子ちゃんの借金はきちんと返すと、二人とも約束してくれてるもの」
驚いて透は里奈を見る。
電話の内容が聞こえてるらしい彼女は、辛そうに俯いた。
「大丈夫でしょ。元ヤンの美奈子ちゃんの娘だもの。力強く生きていくわよ。現に親戚の力は借りないと言ったのだから」
透は嘆息した。相手女性には何を言っても無駄だ。
だからといって素直にわかりましたとも言いたくない。
結果として無言となる透へ、有利と思ったのか、女は息つく暇を与えないようにひたすら自身の正当性だけを主張する。
母親を失ったばかりの幼い姉妹への配慮は何一つなかった。
電話を切って大きなため息をつく透を、心配そうに里奈と奈流が見上げる。
「ご迷惑をおかけしてごめんなさい」
謝罪の言葉一つとっても、マセているというか里奈は大人顔向けだった。
透が彼女と同年代の頃は、空バット片手に空き地で野球などをしていたものだ。
時代もあるので単純に比べるのはどうかと思うが、それを差し引いても当時の透とは大違いである。
学級委員長を務めるような女児でも、ここまでしっかりはしていなかったはずだ。
神崎律子という名前の女性らしい。受け取ったメモ紙で名前を確認すると、その下に書かれていた携帯電話の番号へすぐに連絡を取った。
「もしもし、神崎律子さんでいらっしゃいますか?」
数度のコールの後に電話に出た相手へ尋ねる。見知らぬ番号からだったので、警戒している様子がありありと伝わる。
「……そうですが、どちら様ですか」
「夜分遅く申し訳ありません。私は立花透と申します。実はですね、今、私のところに野々村里奈さんと奈流さんの姉妹が――」
「――ああっ! あの子たちの家族の方ね。お世話をよろしくお願いします」
説明の途中で続きを遮られ、勝気そうな中年女性特有の甲高い声で一方的にまくしたてられる。
「あの美奈子ちゃんの子供ですもの。どうせ面倒を起こすに決まってますから、そちらでお好きになさってください」
向こうにも言い分はあるだろうが、これではあまりにとんでもない。他人事とはいえ、さすがの透も軽く怒りを覚える。
だが文句を言ってやろうにも、神崎律子のマシンガンのごとき口は止まるそぶりを一向に見せない。
「昔から素行が良くなくて親戚中から避けられてたもの。勘当されたご両親も他界しているし、どうしようかと思ってたの。だからお父さんを知ってると里奈ちゃんが言いだした時は心の底からホッとしたわ」
今度は悪びれもせずにケラケラ笑う。
なるほど、と透は思う。
こんな大人ばかりの親戚連中に囲まれていたら、とてもじゃないが面倒を見て欲しいとは思えない。
引き取られた先で虐められかねないのは、小学校低学年の女児でも理解できる。
それでも姉妹一緒ならまだ我慢できたのだろう。
無理だと知ってしまったがために、口ぶりからして頻繁に交流があったわけでなさそうな武春を頼るしかなかったのだ。
「そんなわけですから、そちらの住所を教えてください。必要な書類などをまとめて送りますから。委任状は貰ってありますので大丈夫ですよ。それと残念ながら遺産はありません。ただ美奈子ちゃんは親戚に借金をしておりまして、そちらを返済していただきたいのです。総額三百万円ほどになります。借用書もありますので、お願いしますね」
「いや、お願いしますじゃないでしょう。そもそも彼女たちの父親についての話も簡単に信じたんですか!?」
「母親があの美奈子ちゃんですもの。父親が誰かなんてわかりませんし、出会ったばかりの男の種だったとしても別に驚きません」
とことんまで美奈子という女性を見下してるのがわかる。
そして透と神崎律子の会話が聞こえているらしい里奈は、その名前が出るたびに酷く悲しそうな顔をする。
美奈子という女性が、姉妹の母親と考えて間違いなさそうだ。
「奥さんの借金を旦那さんが返すのは当たり前でしょう? 社会人ならそれくらいは理解できますよね? それとも美奈子ちゃんの夫だけに、その程度の頭脳もありませんか?」
矢継ぎ早な屈辱的な質問の数々。
実際に美奈子という女性を知らない透でも腹が立つほどだ。
わざとこちらを怒らせようとする意図を察しても、不愉快になってしまうのだから神崎律子の煽りは一級品だった。
だが透は決して安い挑発には乗らず、なるべく平静さを保つようにしてこちらの事情も伝える。
「彼女たちが父と呼ぶのは私の父の武春です。しかし武春は数年前に他界しており――」
「――なら貴方が面倒を見ればいいでしょ」
やはり透の話を最後まで聞かず、神崎律子はさも当然とばかりに言い放った。
「貴方の父親が里奈ちゃんの父親なら、貴方たちは兄妹になるんでしょ。面倒を見るのは当然じゃない。仮に未成年だというのなら、そちらの親戚に援助をお願いして頂戴。あ、こちらの借金の話もきちんと伝えなさいよ」
透が年下らしいと知った神崎律子の口調が尊大なものへと変わり、明らかな上から目線で接してくる。
どのような顔をしているかは電話からは不明だが、友達になりたいタイプでないのだけは確かだった。
「美奈子さんの親戚であるそちらが面倒を見るのは当然ではないと言うんですか?」
「失礼なことを言わないで頂戴。面倒を見てあげるといったこちらの善意を突っぱねたのは、他ならぬ里奈ちゃんたちよ。甘やかすとろくな大人にならないから、許して引き取るつもりはもうないの。そちらで持て余すようならさっさと施設にでも送るといいわ。その場合の諸経費はそちらでお願いするわね。あと忘れちゃ困るのが私たちへの美奈子ちゃんの借金よ。美奈子ちゃんのご両親が亡くなっている以上、旦那さん側の血縁者に要求するしかないもの」
とんでもない発言のオンパレードである。
どこのバーゲンで仕入れたのか問いたいくらいに、次から次へと出てくる。
厄介事を避けるなら、知らぬ存ぜぬで神崎律子の要求を姉妹ごと突っ撥ねればいい。
父の娘という点も真実かどうかは怪しい。素直に信じろという方が無理だった。
「申し訳ありませんが、私が支払うべきという根拠がわかりかねます。それとも父は美奈子さんの連帯保証人になっていたのですか? もしそうなら弁護士を通じてご請求いただければ考慮します」
「あらそう。なら別に構わないわ。私たちは借金を返済してもらえればいいだけ。利息つきで計算して、あとで子供の里奈ちゃんたちに請求すればいいもの」
「子供に親の債務を負わせるのなら、すべてを公開すべきでしょう。葬儀を行なえたのであればそれなりの生命保険に加入していたことになりますよね? もしくは貯金があったと考えてもおかしくない」
写真で見た美奈子はスナックで働いていたみたいだった。借金の有無はともかく、極端に稼ぎが少ないとは考え辛い。
「事情を知らないくせに好き勝手言うわね」
「お互い様です」
「なら教えてあげるわ。水商売を辞めた美奈子ちゃんは日中にアルバイトしたみたいだけど、収入が足りなくて親戚中に頭を下げて回ってたのよ。クレジットカードを作るのも消費者金融に借金するのも自己破産してるから無理。必ず返すというから仕方なしに貸してあげたのよ」
「法外な利息込みで、ですか?」
あの美奈子ちゃん呼ばわりまでして嫌っている女が、親切心でお金を貸すとは思えない。
態度からして姉妹と今後も平和的な付き合いをしていく気もなさそうだし、どんなに悪辣非道な真似をしても自身の利益を優先するだろう。
「貸し借りした金額について、貴方にあれこれと教える理由はないわ」
なら返済する理由もないと透が言えば、神崎律子は幼い姉妹を言葉巧みに騙して借金を背負わせる。
世の中にはとことんまで腐ったクズというのも存在する。電話向こうの女との会話で、改めて痛感した。
「それに美奈子ちゃんの借金はきちんと返すと、二人とも約束してくれてるもの」
驚いて透は里奈を見る。
電話の内容が聞こえてるらしい彼女は、辛そうに俯いた。
「大丈夫でしょ。元ヤンの美奈子ちゃんの娘だもの。力強く生きていくわよ。現に親戚の力は借りないと言ったのだから」
透は嘆息した。相手女性には何を言っても無駄だ。
だからといって素直にわかりましたとも言いたくない。
結果として無言となる透へ、有利と思ったのか、女は息つく暇を与えないようにひたすら自身の正当性だけを主張する。
母親を失ったばかりの幼い姉妹への配慮は何一つなかった。
電話を切って大きなため息をつく透を、心配そうに里奈と奈流が見上げる。
「ご迷惑をおかけしてごめんなさい」
謝罪の言葉一つとっても、マセているというか里奈は大人顔向けだった。
透が彼女と同年代の頃は、空バット片手に空き地で野球などをしていたものだ。
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