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本編

23 雨男こんちくしょう

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 西シャガ村に着いた頃には、シャガ中町であんなに晴れていたのに、どんよりと今にも泣き出しそうな空模様に変わっていった。来た道の空を振り返れば、真っ青な夏空が広がっている。天気の境目がわりかしくっきり分かれているのは、地球もこの世界もそう変わらないらしい。

 モンスター討伐隊の駐屯予定だった件の大きな宿にたどり着くと、また馬小屋にチャリンコを留めさせてもらった。

 馬小屋を出て店舗のほうへ向かおうとした瞬間、ポツリポツリと大粒の雨が降り出した。

「わー降ってきちゃった」
「急ごうスイ」
「あ、ありがとエミさん」

 エミリオがローブをばさりと巻くって内側にスイを囲み込んだ。自分はローブのフードをかぶってそのまま駆け足で宿屋の玄関までともに走る。
 洗ったばかりの魔術師のローブからは自分のものと同じ柔軟剤の香りがした。それと同時にエミリオ自身の体臭が混ざってやたらとセクシーな匂いがして、スイははからずも昨夜のことを思い出してしまって顔面が熱くなってしまった。

 まだ会って二日目だ。そう、昨日の夕方あたりに出会ったばかりなのに、いろいろと濃ゆい行為をした相手。あまつさえ一緒のベッドで眠り、彼の魔力枯渇回復のために本番行為以外でいいならと約束してしまった相手だ。

 昨日の行為以降、エミリオはずいぶんと距離が近い。一緒のベッドで抱き合いながら寝たのもそうだが、朝も「そばにいなかった」と言って抱き着いてきたし、自転車に二人乗りするときもかなり密着してスイの腰に腕を回してつかまってきていた。背中に彼の魔術師にしては筋肉質の胸板ががっつり当たってそこからカッカと熱を持ってしまっていた。彼のシフトレバーは昼間だからか大人しかったけども。

 エミリオのことはスイは嫌いじゃない。むしろ顔も体つきも性格もそりゃあ好みだし、なんといってもニャンニャンしているときの態度がめちゃくちゃ可愛くてこねくり回したくなるくらいだ。
 だから元彼の悟にさえしなかった精飲だって自然にやった。あんなことができたなんて自分でも驚きだ。まとわりつくようにねっとりと濃厚で、男臭くて生臭くて苦いものであったが、決して嫌じゃなかった。

 彼は少しだけ回復したとはいえまだまだ魔力枯渇症状は出ていて、それに引き摺られて体力もどんどん減っていくので、生存本能から性欲がやたら強くなって発情状態に陥る。今は昼間だから理性で抑えられるみたいだが、おそらく今夜だってきっとそうした欲求は出てくるはず。
 顎がくたびれているので今日は無理、などと言っておいてなんだが、今夜だって相手してあげようかなと思い始めている。

 本当ならお互いの魔力が同程度なので本番行為に及べば彼の魔力は一気に回復するだろうけれど、いろいろ言い訳をしながらそれは拒んでいるスイ。

 ――なんだろう。それって、エミさんの魔力が回復したら王都に帰っちゃうから、先延ばしに先延ばしにしているってことか? 帰ってほしくないから、言い訳して。あたしってそういう奴だったっけか。そうだったな。そういえば。それなら、なおさら一夜限りの関係なんてとてもじゃないけど持てる気がしない。

 いい大人が未練がましいと呆れるが、悟と離れて忘れることよりもエミリオと離れて忘れることのほうが身を切られるような気持ちになる。いつの間にこんなに好きになってしまったのか。

 恋心というやつか。一年前にはすでに枯れていたあれか。

 まだ会って二日目だというのに、恋というものは突然落とし穴に引っかかるようなもので、期間は関係ないらしい。人にもよるだろうが、スイにとってはそうなのかもしれない。

 だからまだどうか、許してほしいと思う。ゆっくりゆっくり休んで回復してもらって、エミリオがほぼ自力である程度回復したら、ちゃんと告白して、それできっぱりふってもらえばこのもやもやした気持ちに区切りがつくかもしれないと、スイはエミリオには聞こえないようにふう、と一息ついた。もちろんスイの魔力を読めるエミリオに、そのため息はしっかり聞こえていたようだが、スイにはわからない。

 馬小屋から宿屋の玄関まではそれほどの距離じゃないけれど、ロビーに入った瞬間、ピカッと雷を伴う強い雨に変化して驚いた。

「うそぉ。チャリンコで来たのに。帰りどうしよう」

 現代日本の都会と違って、アスファルトの地面などでなく、田舎なので都会の石畳でもなく普通に露出した土の地面だ。これほどの雨ならぬかるんでしまって、来たときのように颯爽と自転車に乗れるかどうかわかったものではない。

「通り雨だろう。今のうちにやることをやってしまおう」
「え、ヤルこと?」
「自分のと仲間の荷物を回収してくる。ここで待っていてくれるか」
「ああ……うん、行ってらっしゃい」

 頭の中がもんもんとしていたせいでエミリオの言動を誤解しそうになった。どんなエロエロ脳か。沸いた頭を鎮めるためにも、ロビーのソファーに座って落ち着くことにする。

 亡くなったらしいお仲間と、王都へ強制退避させたというお仲間全員の荷物となると相当なものになるだろうと思ったのだが、それぞれ魔道具の亜空間収納袋とやらに入れているらしいので、せいぜい現代日本でいう両手で持てるくらいの段ボール一箱分くらいだそうだ。

 エミリオの物以外はその場で王都へ貨物として送るそうで、エミリオの収納袋だけ持ち帰ればいいらしい。

「はあ……帰りは馬車かなあ」

 西シャガ村からシャガ中町近郊にあるシュクラ神殿内の自宅までは徒歩で三時間くらいかかるので、自転車が乗れないなら馬車に乗るしかない。今だに馬車の匂いやガタゴト揺れるあの乗り心地に慣れない現代人のスイには結構きついものがあった。


「いらっしゃいませ。お早いお着きで。ご夫婦ですか? 別嬪の奥さん連れちゃって」
「い、いや……その、数日前に荷物を預かってもらっていた王都騎士団の者だが」
「おや、そうでしたか。大変申し訳ありません」

 一方、エミリオのほうはロビーで荷物回収の手続きをしようとカウンターに行くと店主らしき男性にいきなりこんなやり取りをされた。
 謝られても困るのだが、ロビーのソファーに座って外を心配そうに眺めているスイを見て、自分とスイは夫婦に見えるのかと思ったら、何故だかエミリオの胸のあたりがどくんと疼いた。なんだかむず痒いようなホンワカとした気持ちになる。

 とりあえず頭を切り替えて荷物回収と、自分以外の仲間の荷物の王都への送付手続きをしていると、窓の外がピカリと光って先ほどより大きなゴロゴロという雷の音が鳴った。光と音の間隔が近いので近くに落ちたかもしれない。
 雨の音はざあざあとますます大きくなってきた。通り雨どころじゃないようだ。

「ありゃあ、これじゃ今日はお客は少ないかもなあ。お話によると騎士団の皆様もお帰りになったみたいですし」

 さすがに大勢亡くなったとか強制退避したとは言っていないが、事情があって泊まれなくなった旨を話して、とりあえずキャンセル料と荷物を預かってもらっていたのでこれまでの宿代もきっちり払っておいたが、人の好さそうな店主はもてなす相手がいなくて少し寂しそうであった。

「この雨だと今日はお客は引いたかもしれませんな」
「通り雨だと思っていたが」
「うーん、そうだといいんですが。あまり道がぬかるむようだと馬車も止まるし、お客がすっかり途絶えてしまうもので」
「馬車が止まる? そうか、そういうこともあり得るか……」

 通り雨で運よくすぐに雨が止んだとしても、道がぬかるんでいては馬車もそうそう出せないだろうし、スイのチャリンコとやらにも乗れないだろう。

 エミリオはしばし考えた末に、「店主殿、物は相談だが」と話しかけた。



「スイ」

 手続きを終えてスイのところに戻ってきたエミリオ。あれから三十分ほど経過したが雨が止む気配はないうえ、ますますひどい雨足となってきた。

「エミさん、どうしよう。結構雨ひどいね。これじゃチャリンコは無理かも」
「今馬車のことを聞いてきた。道のぬかるみがひどい場合は馬車は出せないらしい。どうなるかは今検討中と言っていた」
「まじか……あーもう、来るときあんなに晴れてたのに。帰りは歩きか……チャリ押してくのめんど……」
「スイ、そういえば言ってなかったんだが」
「うん?」
「俺は雨男だ」
「こんちくしょう」
「何だろうな……そうやってスイに罵られるとなんだかゾクゾクする」
「もうエミさんはエムリオ・ドマゾネッティさんに改名するといいよ」
「誰がうまいことを言えと」

 ぷい、と横を向いて、心配そうに窓の外に目をやっているスイに、エミリオはその美しい黒髪と黒い目の少女とも成熟した女性ともとれる姿にしばし見とれて、おもむろに内ポケットから何かを取り出した。

「スイ」
「なに?」
「物は相談なんだが」
「……?」

 エミリオはスイの目の前に、皮革素材に金属の楕円形のプレートのキーホルダーがついたどこかの鍵を見せた。
 キーホルダーのプレートには番号が彫金されている。

 まさかまさか。
 この状況でこの場所(宿屋)だと致し方ないのかもしれないが。
 しかもどう見ても鍵は一つだけで。

「今日は……ここに泊まろう、スイ。俺と、一緒に。……ダメ?」
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