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第2章 過去の文明への干渉開始
29.1492年7月、イタリア
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在日イタリア大使フェルナンド・ドッティが、ローマの外港であるチビタベッキアに着いたのは1492年の7月6日であった。彼はスペイン大使と共に、母国内に大きなイベントを抱えており、その解決をすることを決心していた。
ただ、イタリアがスペインと事情が異なるのは、この1492年においてスペインが、21世紀の領土と同じ地域の覇権を固めたのに対し、イタリアが未だ多くの国や地域に分かれていることである。
イベントというのは、スペインの場合が世界史に残るコロンブスの出航という事態であり、嘗ては輝ける偉業として見られていたが、有色人の発言権が高まるにつれて、先住民への侵略と虐殺の幕あけと言われようになった。そして、日本が先日の会合で発表した各国の産業開発の援助を実行するとなると、スペインにとっても侵略などを始める意味は薄い。
しかも日本は、中南米にすでに地元の人を送り込んでおり、彼らはコロンブスの所業を防ぐことのできる機材を与えられているため、コロンブスが予定通り出航しても侵略は不可能だろう。おそらく、天然痘の保菌者の彼らは上陸も許されまい。フランコ大使が、スペイン両王を説得してコロンブスの出航を止めることが出来る、出来ないにかかわらず、コロンブスの新大陸侵略というイベントはなくなったのだ。
そして、自分のミッションもなかなか重い。ロドリーゴ・ボルジア枢機卿がローマ教皇に当選して、アレキサンドル6世になるのは8月11日なのだ。ちなみにその時代のイタリア半島は、ローマ帝国の栄光はすでになく、神聖ローマ帝国はあってもその皇帝フルードリヒ3世はオーストラリアを本拠としてイタリア半島とは殆ど関係ない。
半島は、南半分を占めるナポリ王国と、ローマを中心として中央部に位置する精々1/5位の面積を占める教皇領、北部にイタリア王国の名残のいくつかの領土がある。また、その北側の半島を外れた辺りに東にベネツア共和国、西にミラノ公国がある。
金と女が大好きな教皇アレキサンドル6世は、必要な数の枢機卿を買収して教皇になったのだが、最初の半年くらいは真面目に職務に励んでいたようだ。しかし、早々に正体を現し、まずは様々な女に産ませた自分の子供を中心に、権力を独占して、さらには領土を持たせようとした。
とりあえずは、愛人に生ませた16歳の息子のチェーザレを始めボルジア家だけでまず5人の枢機卿を任命し、さらに最終的には12人の自分の息のかかった枢機卿を任命している。さらに2人の息子に教皇領とナポリ王国領を割譲しようとしたために、フィレンツェ共和国、ミラノ公国、ベネツア共和国と手を結んだナポリ王であるフェルディナンド1世と対立した。
教皇は反ナポリ王国同盟を結成して開戦準備を始め、さらに自らの地位強化の為、嫁いでいた娘を呼び戻し有力者と豪華な結婚式を挙げた。しかし教皇庁の華やかさとは裏腹に、ローマの情勢は目もあてられない程で、街にはならずものや、暗殺者、売春婦、情報屋などが我が物顔に歩き回っていた。ここでは、ローマ貴族でさえも教皇の権威に服さず徒党を組んで秩序を乱しために、殺人や強盗は日常茶飯事であった。
教皇はさらに、フランス王シャルル8世をそそのかしてナポリ王国を狙わせている。結果、1495年にシャルル8世はナポリ王国に侵攻して、戦意の乏しい相手を一旦は征服した。しかし、シャルル8世も長居はできずイタリア全土を荒らした末に、結局フランス軍は撤退した。
一方で、息子チェーザレは暴力的で、一度目をつけた相手を決して許さない冷酷な反面、政治家としては有能で冷徹なマキャヴェリストとして台頭した。彼と教皇は多くの金を必要とするようになると、他人の資産の没収を始めたが、その手段は乱暴なものだった。
まず、誰かに資産があると噂が立つと、何らかの罪によって告訴される。告訴されるとすぐに投獄され、しばしば処刑へと進み、当人の資産が没収された。 教皇庁でこのような無法が横行し始めた事に人々はショックを受けた。
同様に横行していた聖職売買も非難されたが、事態は既にボルジア家の悪口を言おうものなら死を覚悟しなければならない程になっていた。聖職者の堕落にそれほど目くじらをたてる時代ではなかったにも関わらず、ボルジア家は悪名を轟かせていた。
1503年8月18日、アレクサンデル6世は死去したが、史上最悪の教皇、カトリック教会の権威を失墜させた張本人という評価から、バランスのとれた政治家という評価まで様々な評価が行われている。
近現代の史家達はアレクサンデル6世が、フランスやスペインといった大国の侵食の危機を乗り切り、ユリウス2世によって達される教皇領の政治的統一の先鞭をつけた教皇だという事で一定の評価を与えている。
しかし、ドッティ大使の考えは、かの教皇は、宗教改革への流れを早めはしたが、それは自らの醜い行いによってであった。そして、彼の行為のすべては信仰心からではなく、自分の私欲を満たすための統治の道具としようということだった。
だから大使は、アレクサンデル6世の教皇就任を阻止したかった。そして、その際の懸念は彼を除くことによって、イタリアという国にとって事態は却って悪化するのではないかということである。かの教皇は私欲にまみれた人としては唾棄すべき者であったが、その息子を含めて目的を達成するという点においては、極めて有能であったことは事実である。
従って、結果的に彼らの自分の権力維持のための行為とその結果は、大国の浸食の危機を乗り切ることに貢献したかもしれない。しかし、今は嘗ての歴史と既に流れが変わっている。つまり、今までは中世の感覚の王や貴族が支配していたが、今後は500年進んだ知識を持った者達の存在とその意見を無視できるわけはないのだ。
イタリアは確かに統一したスペインやフランスに比して脆弱な存在である。しかし、その危険因子であるスペイン、フランスは、今後続々と帰ってくる21世紀に生きた人々の影響が高まるなかで、侵略的な性向はなくなっていくと考えられる。
そして、スペインやイギリス、フランスと違って、地下資源に乏しいイタリアは、自領の資源のみで産業革命を起こすのは困難なのであり、周辺諸国の力を借りる必要があるのだ。ドッティ大使が乗ってきたのは、コスタ・マリーナ号2万1千トンであり、乗船してきたのは在日イタリア人約4400人の内、180人である。当面大使以下の活動は、農業を中心に変革を起こしつつ、他の産業も興してそれを見せることで国の統一を促すことになると考えている。
その意味で、ローマカトリック教会が中心になって欲しいと思っているのだが、その場合に私欲にまみれた教皇は甚だ都合が悪いのだ。だから、アレクサンデル6世の教皇就任の阻止は帰国者のコンセンスになっている。コスタ・マリーナ号はローマの外港であるチビタベッキアであるが、今の教皇領はアレクサンデル6世が軍事力を強化する前であり、それほどこの港は警備が厳しくなかった。
それでも、桟橋が見える港の沖にみたことのない巨船が現れると多数の見物人が集まっている。現在あるふ頭では当然喫水が10mのコスタ・マリーナは接岸できないので、貨物用のボートによって桟橋まで運ぶことになっている。船からランクルを吊り下ろして、ボートに乗せ桟橋につける。
巨船と、漕ぐものがないのに走る船に気を取られ恐る恐るといった感じで、桟橋で兵士2名と、聖職者の服を着た1名が現れ「何者か?」と問いかける。帰国者は宗教国家に着くことを考慮して、皆十字架を胸に吊っているので、彼らも幾分安心しているようだ。
それからは、ドッティ大使が信任状を出して見せ、イギリスなど他国と同じ手続きで、タブレットで自分たちが500年未来から来た者達であることを説明する。聞いたものは巨船とボート、それに乗ったランクル等を見て否定はできないはずだが、担当のオッポ神父は一般人より思い込みが激しくなかなか納得しない。
教皇インノケンティウス8世に合いたいという要請には、今は病床におられるということで、会うのは無理だということだ。確かに、来月8月11日に教皇選挙の結果が確定するということは、もはや現教皇は死の床にあるのは当然だろう。
また現教皇はアレキサンドル6世と負けず劣らずの腐敗した人物で、回勅によって魔女狩りと異端審問を活発化させたほかに、同時に聖職売買、親族登用、派手な女性関係など、堕落した中世的な教皇の典型といわれる。だから、会っても却って困ったことになったかもしれない。
オッポ神父とは、2時間に及ぶ議論の末に、ローマの大司教を紹介されたので、この大司教を通じて目的であった、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿に会うことができた。オッポ神父と紹介された大司教はロドリーゴ・ボルジア枢機卿の教皇就任に強く反対する勢力に属している。
ローヴェレ枢機卿は、最後まで教皇の座を争って、さらに、アレキサンドル6世と教会内の最大のライバルとして争い、後の教皇ユリウス2世となった人物である。そして、前任者の影響を拭い去り、イタリアの一体性を取り戻し、外国勢力の駆逐にまい進した。彼も、この時代の教皇選挙の賄賂等の悪習から無縁ではなかったが、教会とイタリアのために尽くした人物で、私欲によって行動した人ではないとされる。
この枢機卿は49歳、長身痩躯、白髪・白髭の信念に満ちた鋭い目の人物で、ドッティ大使が届けた冊子を握りしめていた。ひとしきりの挨拶の後に、枢機卿が口を開く、苦渋に満ちた口調であった。
「ドッティ殿、貴殿は530年後のこのイタリア国から、ジパングに派遣された大使であるという。貴殿はその職にかけて、ここに書いてある内容が真実であると、神の御前に誓えるかな?」
「ローヴェレ枢機卿、いかにも神の御前に誓いましょう。その内容は私の世界の歴史において真実です」
「うむ、私の考えは正しかったな。しかし、あのロドリーゴ・ボルジアめがここまでやるとは考えなかった。教会の一員として私は恥ずかしい。とは言え、アスカニオ・スフォルツァ枢機卿もロドリーゴに金で買われるとは!厳しい状況であることは変わらん。しかしながら、貴殿らの登場によってその歴史は変わるのではないかな」
「その通り、すでに歴史は大きく変わりつつあります。この欧州の国々、わがイタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ、ドイツには、すでに我々と同様な帰国団が訪れています。従って、これらの国々は現主君や貴族に侵略的性向があっても、それは改められると信じています。
そして、それはこの世界におけるスーパーパワーである日本が、強く求めているところであります。私は是非、このイタリアを一つにまとめたいと思っております。そうでないと、人々が豊かに幸せに暮らせる産業革命が起こせないのです。その中心になるのはローマ教会であるべきです。そのためには、私欲が第1のボルジア枢機卿が教皇になるのは困ります」
「うむ。私もこの冊子を読んで、それは絶対に阻止しなければならぬと思う。他の枢機卿もこの冊子が真実と判断すれば、金だけではロドリーゴ以外の枢機卿は彼に投票はしないだろう。ただ、何人かは弱みを握られていて、彼に反対できない可能性がある」
「それでは、こうした方法はいかがでしょうか。いずれにせよ、私どもはイタリアに良い変革をもたらすために、530年後の世界を紹介して、私どものやろうとすることの説明をさせて頂こうと思っています。その際に、イタリアの歴史の一環としてアレキサンドル6世の所業を説明しましょう。その聴衆は、一定以上の地位の聖職者と貴族になるかと思いますので、そのあとに、誰もボルジア枢機卿に投票はできないでしょう」
「うーむ、それが最も確実であるか……。なるほど、私が働きかけて、貴殿らの説明会を仕掛けよう」
「ええ、まずは持ってきたこの時代では作れないものの紹介をして、その後にしましょう」
「よろしい。ただ、ロドリーゴの手は長い。彼の周りには不審な死もある。身辺には気を付けて欲しい」
「え、なるほど。しかし、私は士官学校を出ており、軍務にもついていました。500年先の武器がどんなものか、もしそういうことがあれば、人々は知るでしょうね」
ドッティ大使は笑った。
大使一行は、ローマで会った大司教に、教会の宿舎を宛がわれていたが、別の面からみると、教会関係者は自由に出入りできるのだ。ドッティ大使は、宿舎で大使館付き武官のカミロ・デ・セータ少佐と少佐の部下の2人の下士官と協議をしている。
今回大使は、船からランクル2台に小型スポーツ車2台で18名を連れてきており、その内戦闘可能である人員は大尉の階級も持っている大使に、デ・セータ少佐と2人の下士官である。銃は、日本政府の許可のもとに大使館に持ち込んでいた小銃ベレッタARX160を5丁、拳銃ベレッタ1934を5丁がある。帰国団はこれらでは十分でないので、衛隊の物を供与されておりそれらは船にまだ積んでいる。
「カミロ、どうだったローマの治安は?襲撃はありうるか?」
大使の問いに、すでに夜の街を含めてローマの街を探索(?)していたデ・セータ少佐は応える。
「ええ、治安は最低ですね。やはり、モラル最低の聖職者が治めるような警察組織では無理です。徒党を組んだギャングみたいな連中が大勢います。町の噂でもボルジア枢機卿の評判は最低のようですな。それでも、歴史では彼が勝つのですから、どれだけ選挙をした枢機卿が腐っているかを表しています。
しかし、ボルジア枢機卿が有能なことは疑いありません。これだけ派手に登場した我々の存在と、大使閣下がローヴェレ枢機卿に会ったことは掴んでいるでしょう。我々を消してしまえば良いのですから、襲撃は非常に可能性が高いように思います。そして、金でそれを実行する連中はいくらでもいます」
「ふむ、備えはできるな?」
「ええ、聴音機を10個持ってきていますから。庭と廊下に仕掛けられます。大使閣下も入っていますが、戦闘員は寝て、アドリアとカストに寝ずの番を頼みましょう。弾倉に25発入るベレッタARX160が5丁あれば、50人以下の襲撃なら問題なく退けられます。暗視スコープもありますからね。相手は死傷しますが、町の暴力沙汰では簡単に死刑になっていますから、明らかな正当防衛で問題ないでしょう」
その夜、筋骨たくましく髭もじゃのラミド・ドランは手下20人を引き連れて、教会の客員宿舎に忍び寄っていた。各々が、斧、槍、刀をもって、戦争の経験もあって乱闘、襲撃など荒事には慣れた連中だ。相手は18人、その内女が8人だから問題ないだろう。多少腕がたつ者がいても、いきなり襲撃されてまともな抵抗は出来るはずはない。そして、2晩の偵察では見張りが立っている様子はないから、奇襲になるはずだ。
彼らは3部屋に分かれているから、窓とドアを斧で破り、突入して手あたり次第殺す。うまく女が捕まられれば連れ帰っても良いとされているが、男は皆殺しすることを厳命されている。ドランは窓から飛び込む班の指揮だ。月明かりの中を、芝生を踏んで狙いをつけた窓に近づくが部屋はまだ静かだ。
部屋から、10歩ほどになって、突入の合図をしようと思った時、2つの窓がキーという音を立てて開いた。そして、月明かりの中で何か棒のようなものを持っている2人の人影がそこに立ち、火柱が連続的にその棒から吹きダダダという連続した轟音が湧いた。
「う!」
「ギャー」
「アアイ!」
叫びが仲間からあがって、10人ほどいた仲間が次々に倒れ伏す。ドランは、腹に何かがぶち当たり、経験したことにない苦痛の中で後ろに倒れ込む。そうやって数分は痛みにうめいていたが、大量に何かが抜けていく感触の中で意識を失う。
結局、その夜の襲撃は、21人の荒くれものによって行われ、庭で12人、廊下で9人の全員が銃撃によって殺傷された。その夜の内に息を引き取った者8名、その負傷で後に亡くなった者8名、そして5名は助かったが縛り首になった。それを命じた罪で、暗黒街のボスが追われたが逃亡し5日後に死体で見つかった。
ドッティ大使たちの、21世紀の様々な日用品・機器等の展覧会と、さらに写真・動画を豊富に用いた説明会は予定通り開催され、そこで教皇に当選後のアレキサンドル6世の所業が公になった。先だって見せられたものとその説明に、出席した者に大使たちの発表を疑うものはなく、結果としてロドリーゴ・ボルジア枢機卿は教皇選挙から棄権せざるを得なくなった。
そして、彼は教皇ユリウス2世から教会の役職を罷免されることになり、歴史の舞台から身を消すことになった。未来において明らかになった記録から辿れば、彼の不正行為を立証するのは難しくはなかったのだ。
ただ、イタリアがスペインと事情が異なるのは、この1492年においてスペインが、21世紀の領土と同じ地域の覇権を固めたのに対し、イタリアが未だ多くの国や地域に分かれていることである。
イベントというのは、スペインの場合が世界史に残るコロンブスの出航という事態であり、嘗ては輝ける偉業として見られていたが、有色人の発言権が高まるにつれて、先住民への侵略と虐殺の幕あけと言われようになった。そして、日本が先日の会合で発表した各国の産業開発の援助を実行するとなると、スペインにとっても侵略などを始める意味は薄い。
しかも日本は、中南米にすでに地元の人を送り込んでおり、彼らはコロンブスの所業を防ぐことのできる機材を与えられているため、コロンブスが予定通り出航しても侵略は不可能だろう。おそらく、天然痘の保菌者の彼らは上陸も許されまい。フランコ大使が、スペイン両王を説得してコロンブスの出航を止めることが出来る、出来ないにかかわらず、コロンブスの新大陸侵略というイベントはなくなったのだ。
そして、自分のミッションもなかなか重い。ロドリーゴ・ボルジア枢機卿がローマ教皇に当選して、アレキサンドル6世になるのは8月11日なのだ。ちなみにその時代のイタリア半島は、ローマ帝国の栄光はすでになく、神聖ローマ帝国はあってもその皇帝フルードリヒ3世はオーストラリアを本拠としてイタリア半島とは殆ど関係ない。
半島は、南半分を占めるナポリ王国と、ローマを中心として中央部に位置する精々1/5位の面積を占める教皇領、北部にイタリア王国の名残のいくつかの領土がある。また、その北側の半島を外れた辺りに東にベネツア共和国、西にミラノ公国がある。
金と女が大好きな教皇アレキサンドル6世は、必要な数の枢機卿を買収して教皇になったのだが、最初の半年くらいは真面目に職務に励んでいたようだ。しかし、早々に正体を現し、まずは様々な女に産ませた自分の子供を中心に、権力を独占して、さらには領土を持たせようとした。
とりあえずは、愛人に生ませた16歳の息子のチェーザレを始めボルジア家だけでまず5人の枢機卿を任命し、さらに最終的には12人の自分の息のかかった枢機卿を任命している。さらに2人の息子に教皇領とナポリ王国領を割譲しようとしたために、フィレンツェ共和国、ミラノ公国、ベネツア共和国と手を結んだナポリ王であるフェルディナンド1世と対立した。
教皇は反ナポリ王国同盟を結成して開戦準備を始め、さらに自らの地位強化の為、嫁いでいた娘を呼び戻し有力者と豪華な結婚式を挙げた。しかし教皇庁の華やかさとは裏腹に、ローマの情勢は目もあてられない程で、街にはならずものや、暗殺者、売春婦、情報屋などが我が物顔に歩き回っていた。ここでは、ローマ貴族でさえも教皇の権威に服さず徒党を組んで秩序を乱しために、殺人や強盗は日常茶飯事であった。
教皇はさらに、フランス王シャルル8世をそそのかしてナポリ王国を狙わせている。結果、1495年にシャルル8世はナポリ王国に侵攻して、戦意の乏しい相手を一旦は征服した。しかし、シャルル8世も長居はできずイタリア全土を荒らした末に、結局フランス軍は撤退した。
一方で、息子チェーザレは暴力的で、一度目をつけた相手を決して許さない冷酷な反面、政治家としては有能で冷徹なマキャヴェリストとして台頭した。彼と教皇は多くの金を必要とするようになると、他人の資産の没収を始めたが、その手段は乱暴なものだった。
まず、誰かに資産があると噂が立つと、何らかの罪によって告訴される。告訴されるとすぐに投獄され、しばしば処刑へと進み、当人の資産が没収された。 教皇庁でこのような無法が横行し始めた事に人々はショックを受けた。
同様に横行していた聖職売買も非難されたが、事態は既にボルジア家の悪口を言おうものなら死を覚悟しなければならない程になっていた。聖職者の堕落にそれほど目くじらをたてる時代ではなかったにも関わらず、ボルジア家は悪名を轟かせていた。
1503年8月18日、アレクサンデル6世は死去したが、史上最悪の教皇、カトリック教会の権威を失墜させた張本人という評価から、バランスのとれた政治家という評価まで様々な評価が行われている。
近現代の史家達はアレクサンデル6世が、フランスやスペインといった大国の侵食の危機を乗り切り、ユリウス2世によって達される教皇領の政治的統一の先鞭をつけた教皇だという事で一定の評価を与えている。
しかし、ドッティ大使の考えは、かの教皇は、宗教改革への流れを早めはしたが、それは自らの醜い行いによってであった。そして、彼の行為のすべては信仰心からではなく、自分の私欲を満たすための統治の道具としようということだった。
だから大使は、アレクサンデル6世の教皇就任を阻止したかった。そして、その際の懸念は彼を除くことによって、イタリアという国にとって事態は却って悪化するのではないかということである。かの教皇は私欲にまみれた人としては唾棄すべき者であったが、その息子を含めて目的を達成するという点においては、極めて有能であったことは事実である。
従って、結果的に彼らの自分の権力維持のための行為とその結果は、大国の浸食の危機を乗り切ることに貢献したかもしれない。しかし、今は嘗ての歴史と既に流れが変わっている。つまり、今までは中世の感覚の王や貴族が支配していたが、今後は500年進んだ知識を持った者達の存在とその意見を無視できるわけはないのだ。
イタリアは確かに統一したスペインやフランスに比して脆弱な存在である。しかし、その危険因子であるスペイン、フランスは、今後続々と帰ってくる21世紀に生きた人々の影響が高まるなかで、侵略的な性向はなくなっていくと考えられる。
そして、スペインやイギリス、フランスと違って、地下資源に乏しいイタリアは、自領の資源のみで産業革命を起こすのは困難なのであり、周辺諸国の力を借りる必要があるのだ。ドッティ大使が乗ってきたのは、コスタ・マリーナ号2万1千トンであり、乗船してきたのは在日イタリア人約4400人の内、180人である。当面大使以下の活動は、農業を中心に変革を起こしつつ、他の産業も興してそれを見せることで国の統一を促すことになると考えている。
その意味で、ローマカトリック教会が中心になって欲しいと思っているのだが、その場合に私欲にまみれた教皇は甚だ都合が悪いのだ。だから、アレクサンデル6世の教皇就任の阻止は帰国者のコンセンスになっている。コスタ・マリーナ号はローマの外港であるチビタベッキアであるが、今の教皇領はアレクサンデル6世が軍事力を強化する前であり、それほどこの港は警備が厳しくなかった。
それでも、桟橋が見える港の沖にみたことのない巨船が現れると多数の見物人が集まっている。現在あるふ頭では当然喫水が10mのコスタ・マリーナは接岸できないので、貨物用のボートによって桟橋まで運ぶことになっている。船からランクルを吊り下ろして、ボートに乗せ桟橋につける。
巨船と、漕ぐものがないのに走る船に気を取られ恐る恐るといった感じで、桟橋で兵士2名と、聖職者の服を着た1名が現れ「何者か?」と問いかける。帰国者は宗教国家に着くことを考慮して、皆十字架を胸に吊っているので、彼らも幾分安心しているようだ。
それからは、ドッティ大使が信任状を出して見せ、イギリスなど他国と同じ手続きで、タブレットで自分たちが500年未来から来た者達であることを説明する。聞いたものは巨船とボート、それに乗ったランクル等を見て否定はできないはずだが、担当のオッポ神父は一般人より思い込みが激しくなかなか納得しない。
教皇インノケンティウス8世に合いたいという要請には、今は病床におられるということで、会うのは無理だということだ。確かに、来月8月11日に教皇選挙の結果が確定するということは、もはや現教皇は死の床にあるのは当然だろう。
また現教皇はアレキサンドル6世と負けず劣らずの腐敗した人物で、回勅によって魔女狩りと異端審問を活発化させたほかに、同時に聖職売買、親族登用、派手な女性関係など、堕落した中世的な教皇の典型といわれる。だから、会っても却って困ったことになったかもしれない。
オッポ神父とは、2時間に及ぶ議論の末に、ローマの大司教を紹介されたので、この大司教を通じて目的であった、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿に会うことができた。オッポ神父と紹介された大司教はロドリーゴ・ボルジア枢機卿の教皇就任に強く反対する勢力に属している。
ローヴェレ枢機卿は、最後まで教皇の座を争って、さらに、アレキサンドル6世と教会内の最大のライバルとして争い、後の教皇ユリウス2世となった人物である。そして、前任者の影響を拭い去り、イタリアの一体性を取り戻し、外国勢力の駆逐にまい進した。彼も、この時代の教皇選挙の賄賂等の悪習から無縁ではなかったが、教会とイタリアのために尽くした人物で、私欲によって行動した人ではないとされる。
この枢機卿は49歳、長身痩躯、白髪・白髭の信念に満ちた鋭い目の人物で、ドッティ大使が届けた冊子を握りしめていた。ひとしきりの挨拶の後に、枢機卿が口を開く、苦渋に満ちた口調であった。
「ドッティ殿、貴殿は530年後のこのイタリア国から、ジパングに派遣された大使であるという。貴殿はその職にかけて、ここに書いてある内容が真実であると、神の御前に誓えるかな?」
「ローヴェレ枢機卿、いかにも神の御前に誓いましょう。その内容は私の世界の歴史において真実です」
「うむ、私の考えは正しかったな。しかし、あのロドリーゴ・ボルジアめがここまでやるとは考えなかった。教会の一員として私は恥ずかしい。とは言え、アスカニオ・スフォルツァ枢機卿もロドリーゴに金で買われるとは!厳しい状況であることは変わらん。しかしながら、貴殿らの登場によってその歴史は変わるのではないかな」
「その通り、すでに歴史は大きく変わりつつあります。この欧州の国々、わがイタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ、ドイツには、すでに我々と同様な帰国団が訪れています。従って、これらの国々は現主君や貴族に侵略的性向があっても、それは改められると信じています。
そして、それはこの世界におけるスーパーパワーである日本が、強く求めているところであります。私は是非、このイタリアを一つにまとめたいと思っております。そうでないと、人々が豊かに幸せに暮らせる産業革命が起こせないのです。その中心になるのはローマ教会であるべきです。そのためには、私欲が第1のボルジア枢機卿が教皇になるのは困ります」
「うむ。私もこの冊子を読んで、それは絶対に阻止しなければならぬと思う。他の枢機卿もこの冊子が真実と判断すれば、金だけではロドリーゴ以外の枢機卿は彼に投票はしないだろう。ただ、何人かは弱みを握られていて、彼に反対できない可能性がある」
「それでは、こうした方法はいかがでしょうか。いずれにせよ、私どもはイタリアに良い変革をもたらすために、530年後の世界を紹介して、私どものやろうとすることの説明をさせて頂こうと思っています。その際に、イタリアの歴史の一環としてアレキサンドル6世の所業を説明しましょう。その聴衆は、一定以上の地位の聖職者と貴族になるかと思いますので、そのあとに、誰もボルジア枢機卿に投票はできないでしょう」
「うーむ、それが最も確実であるか……。なるほど、私が働きかけて、貴殿らの説明会を仕掛けよう」
「ええ、まずは持ってきたこの時代では作れないものの紹介をして、その後にしましょう」
「よろしい。ただ、ロドリーゴの手は長い。彼の周りには不審な死もある。身辺には気を付けて欲しい」
「え、なるほど。しかし、私は士官学校を出ており、軍務にもついていました。500年先の武器がどんなものか、もしそういうことがあれば、人々は知るでしょうね」
ドッティ大使は笑った。
大使一行は、ローマで会った大司教に、教会の宿舎を宛がわれていたが、別の面からみると、教会関係者は自由に出入りできるのだ。ドッティ大使は、宿舎で大使館付き武官のカミロ・デ・セータ少佐と少佐の部下の2人の下士官と協議をしている。
今回大使は、船からランクル2台に小型スポーツ車2台で18名を連れてきており、その内戦闘可能である人員は大尉の階級も持っている大使に、デ・セータ少佐と2人の下士官である。銃は、日本政府の許可のもとに大使館に持ち込んでいた小銃ベレッタARX160を5丁、拳銃ベレッタ1934を5丁がある。帰国団はこれらでは十分でないので、衛隊の物を供与されておりそれらは船にまだ積んでいる。
「カミロ、どうだったローマの治安は?襲撃はありうるか?」
大使の問いに、すでに夜の街を含めてローマの街を探索(?)していたデ・セータ少佐は応える。
「ええ、治安は最低ですね。やはり、モラル最低の聖職者が治めるような警察組織では無理です。徒党を組んだギャングみたいな連中が大勢います。町の噂でもボルジア枢機卿の評判は最低のようですな。それでも、歴史では彼が勝つのですから、どれだけ選挙をした枢機卿が腐っているかを表しています。
しかし、ボルジア枢機卿が有能なことは疑いありません。これだけ派手に登場した我々の存在と、大使閣下がローヴェレ枢機卿に会ったことは掴んでいるでしょう。我々を消してしまえば良いのですから、襲撃は非常に可能性が高いように思います。そして、金でそれを実行する連中はいくらでもいます」
「ふむ、備えはできるな?」
「ええ、聴音機を10個持ってきていますから。庭と廊下に仕掛けられます。大使閣下も入っていますが、戦闘員は寝て、アドリアとカストに寝ずの番を頼みましょう。弾倉に25発入るベレッタARX160が5丁あれば、50人以下の襲撃なら問題なく退けられます。暗視スコープもありますからね。相手は死傷しますが、町の暴力沙汰では簡単に死刑になっていますから、明らかな正当防衛で問題ないでしょう」
その夜、筋骨たくましく髭もじゃのラミド・ドランは手下20人を引き連れて、教会の客員宿舎に忍び寄っていた。各々が、斧、槍、刀をもって、戦争の経験もあって乱闘、襲撃など荒事には慣れた連中だ。相手は18人、その内女が8人だから問題ないだろう。多少腕がたつ者がいても、いきなり襲撃されてまともな抵抗は出来るはずはない。そして、2晩の偵察では見張りが立っている様子はないから、奇襲になるはずだ。
彼らは3部屋に分かれているから、窓とドアを斧で破り、突入して手あたり次第殺す。うまく女が捕まられれば連れ帰っても良いとされているが、男は皆殺しすることを厳命されている。ドランは窓から飛び込む班の指揮だ。月明かりの中を、芝生を踏んで狙いをつけた窓に近づくが部屋はまだ静かだ。
部屋から、10歩ほどになって、突入の合図をしようと思った時、2つの窓がキーという音を立てて開いた。そして、月明かりの中で何か棒のようなものを持っている2人の人影がそこに立ち、火柱が連続的にその棒から吹きダダダという連続した轟音が湧いた。
「う!」
「ギャー」
「アアイ!」
叫びが仲間からあがって、10人ほどいた仲間が次々に倒れ伏す。ドランは、腹に何かがぶち当たり、経験したことにない苦痛の中で後ろに倒れ込む。そうやって数分は痛みにうめいていたが、大量に何かが抜けていく感触の中で意識を失う。
結局、その夜の襲撃は、21人の荒くれものによって行われ、庭で12人、廊下で9人の全員が銃撃によって殺傷された。その夜の内に息を引き取った者8名、その負傷で後に亡くなった者8名、そして5名は助かったが縛り首になった。それを命じた罪で、暗黒街のボスが追われたが逃亡し5日後に死体で見つかった。
ドッティ大使たちの、21世紀の様々な日用品・機器等の展覧会と、さらに写真・動画を豊富に用いた説明会は予定通り開催され、そこで教皇に当選後のアレキサンドル6世の所業が公になった。先だって見せられたものとその説明に、出席した者に大使たちの発表を疑うものはなく、結果としてロドリーゴ・ボルジア枢機卿は教皇選挙から棄権せざるを得なくなった。
そして、彼は教皇ユリウス2世から教会の役職を罷免されることになり、歴史の舞台から身を消すことになった。未来において明らかになった記録から辿れば、彼の不正行為を立証するのは難しくはなかったのだ。
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