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 帰りのホームルームが終わるや否や教室を飛び出した。
 三咲先輩は、律儀にも校門の横で待っていてくれていた。彼の横を通り過ぎる一年生の女子が、「あの人かっこいい」と口々につぶやいている。
「すみません、行きましょうか」
「え、おい、どこに?」
 困惑したままの三咲先輩を連れて、沙耶さんが入院していたという病院まで行く。道路では邪魔になるので、病院の隣にある公園に入った。
 沙耶さんも空も、オレたちの後ろからついて来ている。三咲先輩にバレないように、こっそり。
「ここって……」
 三咲先輩があたりを見渡す。視線が止まったのは、公園内ではなく、沙耶さんがかつて入院していたという病院だった。
「……なんだよ、話って。こんなところまで連れてきて」
「この病院、来たことあるんですか?」
 オレも病院を見ながら、三咲先輩に問いかける。
「……何が言いたい」
 三咲先輩の眉間に皺がよった。
「三咲先輩、本当は沙耶さんのこと、覚えてますよね?」
「沙耶さん?」
 三咲先輩が疑わしげな表情になった。
 それを無視して、オレは続ける。
「オレ、沙耶さんから、三咲先輩に伝言を預かってるんです」
「はぁ?」
 すぅ、と息を吸い込む。冷たい冬の空気が喉を通って、少し痛い。
 沙耶さんから伝えられていた言葉を思い出しながら、紡いでいく。
「──どうして、あの日、お見舞いに来てくれなかったの? 何か悪いことしちゃったなら謝るから、ごめんね」
「おい、なんだそれ!」
 三咲先輩が珍しく声を荒げた。理解が追いつかないと言わんばかりに、手を顔に当てている。
 部活で大声を上げるところはよく聞くけれど、こんな感情的になっている先輩を見るのは初めてかもしれない。
「ちょっと待てって、意味わかんねぇんだけど!」
 強めの言い方をしてくる三咲先輩に、オレも負けじと言い返す。
「沙耶さんを知らないって言うのは、嘘ですよね? まだしらばっくれるんですか?」
「だから、そうじゃねえって! どうして、お前がそんな伝言、預かってるんだよ」
「この前、沙耶さんと知り合ったんですよ」
「この前っていつだよ?」
 ずんずんと三咲先輩がすごい剣幕で距離を詰めてくる。さすがに気圧されてしまった。
「え……? いつって、み、三日前くらい、ですけど……」
「そんなのありえねぇ。お前こそ、テキトーなこと言ってんじゃねぇのか」
「な、なんでそんなこと、言い切れるんですか!?」
「だって、鈴野は──」
 少しだけ、三咲先輩の唇が震えた。

「去年、心臓の病気で、死んでるんだよ」

 ────え?
 沙耶さんが、去年、死んでる?
 思わず沙耶さんを振り返る。
 沙耶さんは困ったように笑っていた。

『ごめんね、騙すつもりは、なかったんだけれど』

 ──嘘だろ。
 苦笑する沙耶さんの横で、空が『あちゃー』と頭を抱えていた。
 空は気づいてたのか、沙耶さんが幽霊だって。
 あぁ、でも、そしたら色んなことが腑に落ちる。
 沙耶さんに空が見えるのは、自分も幽霊だから。
 オレに話しかけてきたのは、幽霊が見えるから。
 祟るって言っていたのは、三咲先輩に未練があるから。
 そうか、そうだったのか……。
 どんどん、どんどん、今までのことが整理されていく。
「なぁ、なんでお前が、去年死んだ鈴野の伝言を預かってるんだ?」
「それは……」
 三咲先輩がオレの両肩を掴んだ。痛いくらい強く掴んでいるが、その手はわずかに震えていた。
 ……三咲先輩も、沙耶さんに特別な思いがあるんだろうか。
「……オレに、幽霊が見えるからです」
「幽霊が見える?」
 肩を掴んでいた手が離される。一歩、三咲先輩が後ろに下がった。
「じゃあ、何か? お前には、鈴野の幽霊が見えて、幽霊の鈴野と話したってことか?」
「はい」
「んなバカな……」
 三咲先輩の口角が片方だけ吊り上がる。
 信じられない、と顔に書いてあった。去年、空が見えるって言ったときの両親や親戚と同じ表情だ。あんまり言うもんだから、病院に連れて行かれた。
 あのときは、周りに信じさせる術はなかったけれど、今回は違う。
「三咲先輩、オレとカフェに行ったとき、コーヒー飲んでましたよね」
「あ、あぁ、飲んでたけど……」

「ミルク二つと砂糖三つ、入れなくてよかったんですか?」

 三咲先輩が、息をのんだ。
「……な、なんでそれ、お前が知ってんだよ……」
 彼の両目が、震えながら見開かれていく。
「俺がその量のミルクと砂糖入れることを知ってるのは、鈴野だけのはずなのに……」
「だから、沙耶さんから聞いたんです」
『三咲……』
 いつの間にか、沙耶さんはオレの隣に立っていた。両手を胸の前で組んで、心配そうに三咲先輩を見守っている。
 その姿を見て、オレの心臓が苦しくなる。
 ……祟りたいなんて、嘘じゃん。
 三咲先輩のこと、大好きなんじゃん。
 胸が痛くなるのを無視して、オレは沙耶さんのために言葉を続ける。
「……こうも言っていましたよ」
 オレは上を向いた。昨日、沙耶さんが三咲先輩に言っていた小言を思い出す。

「──ココア頼めって言ってるのに」

「あ……」
 大きく見開かれたままの三咲先輩の目から、ぽろ、と涙が一粒だけこぼれ落ちた。
「何か特別なセリフなんですか?」
「……鈴野がミルクと砂糖を手渡してくるときに……毎回言ってきたセリフだよ……」
 三咲先輩は、乱暴にこぼれた涙を拭った。はぁ、と大きく息を吐く。その息は白く染まっていた。
「……分かった。お前を信じる。疑って悪かった」
 意を決したような目つきになった三咲先輩は、謝罪と共に頭を下げてきた。
 オレは慌ててそれを制する。
「いやいや、顔あげてくださいよ! そこまで謝んなくていいですって」
 言われて、ゆっくりと三咲先輩が頭を上げた。
「……鈴野は、そこにいるのか?」
『いるよ、三咲。聞いてるよ』
 オレは沙耶さんの言葉を代わりに伝える。ここにいます、と隣を手で示すと、そっちに体を向けた。
「約束の日──手術の前日に行けなかったのは、友達にからかわれて恥ずかしくなったからなんだ。鈴野のこと好き過ぎだろ、って」
 三咲先輩は、沙耶さんのほうに頭を深々と下げた。
「本当にごめん。子供の、つまんない意地でお前を傷つけて」
『そうだったの……』
 からかわれて、恥ずかしくなって、意地を張って。それで、大切な手術前日に行かなかったなんて。
 ──その翌日の手術で、きっと沙耶さんは……。
 そう思うと、三咲先輩にふつふつと怒りが湧いてくるけれど、沙耶さんは安堵の表情を浮かべていた。

 ──『……わたし、何かしちゃったのかな?』

 そう言って、涙目になっていた沙耶さんのことだから──きっと、自分が何かしたわけではないとわかって、ほっとしたんだろう。
「それなら……なんで、最初、オレが聞いたとき、沙耶さんのこと知らないなんて言ったんですか」
 オレが疑問をぶつけると、三咲先輩は目をつむって、首を横に振った。
「……忘れようとしたんだ。鈴野のことが、好きだったから」
『え……』
 沙耶さんは口元を手で隠した。しかし、手の隙間から覗く頬は、真っ赤に染まっている。
 ……そうだよな。
 三咲先輩の想いを聞いて、嬉しそうに照れる沙耶さんを見たくなくて、目を逸らした。
 三咲先輩は続ける。
「でも、無理だった。恋愛する気になれなかったのは、鈴野のことが忘れられなかったから」
 そういえば、恋愛とかそういうのは苦手、なんて言ってたっけ。
 ふと、ちらちらと白いものが空から舞ってきた。
 ──雪だ。
「鈴野が幽霊になって成仏してないのって、多分、俺のこと恨んでるからだよな……。恨まれて当然だと思ってる。本当にごめん」
 俯く三咲先輩。また、目から涙がこぼれ落ちる。
『三咲!』
 沙耶さんが駆け出して、三咲先輩を抱きしめた──しかし、手はすり抜けて、何も触れることはできない。
『違う、違うの! わたし、三咲を恨んでるんじゃないの! 悲しかっただけなの!』
 必死に叫んでも、沙耶さんの声は三咲先輩には届かない。
 この気持ちを、伝えられるのは、オレしかいないんだ。
 ……損な役回りだな。
 オレは自分のお人好し具合に鼻で笑う。
 まぁ、でも、終わった恋心も、最後に好きな人の役に立つなら、いい墓場かもしれない。
『わたしも、三咲が好きだから!!』
 オレは三咲先輩に、沙耶さんの思いの丈をぶつけた。
 三咲先輩の瞳から、せきを切ったように涙がこぼれ始める。
「鈴野……ありがとう」
 三咲先輩の手が、恐る恐る、沙耶さんの手と重なる。見えていないはずなのに、二人は見つめ合っていた。
 雪が降る中、沙耶さんはだんだん透けていった。
『陸くん、空くん、ありがとう。二人とも、ちゃんと話さなきゃ、ダメだよ』
 オレたちに向かって、にっこりと笑う沙耶さんは、やっぱりとても可愛い。
『じゃあね』
 雪と一緒に、透明になっていく。泣きながらも、笑顔で、手を振って──そして、沙耶さんは見えなくなった。
 ……これが、成仏したってことなのかな。
「……沙耶さん、いなくなりました」
「……そうか、ありがとうな。早川」
「いえ……」
 どちらからともなく、歩き出す。
 コツン、と三咲先輩の足に何かがぶつかった。
「ん?」
「どうしましたか?」
 一緒に地面を見れば、未開封のココアの缶が転がっている。
 あ──……。

『ココア頼めって言ってるのに』

 沙耶さんの笑った顔が思い浮かぶ。
 幽霊は物に触れないはずだから、沙耶さんの仕業じゃないんだろうけど。
 オレと三咲先輩には、そのココアを沙耶さんが置いていったようにしか見えなかった。
 三咲先輩がしゃがんで、ゆっくりとココアを拾い上げる。
「……本当はさ、あいつが死ぬところ、見たくなかったんだ」
 ぽつり、ぽつり。
 三咲先輩は言う。
「手術の前の日に会って、これが最後なんて、思いたくなかった。怖かったんだ、あいつが本当に死んじゃうかもしれないって、実感するのが」
 ココアを握りしめて、先輩が立ち上がる。
「……帰るか」
「……そうですね」
 そう言う三咲先輩の声が、涙に濡れていたのを、オレは気づかないふりをした。
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