憧れの世界でもう一度

五味

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28章 事も無く

出かける前に

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各々忙しいだろうに、オユキにそれを求める相手だろうに。さも当然とばかりに、見事に襲撃をかけてきた者たち三人が引き上げていって暫く。王太子妃が、何も言わずにオユキに与えられはずの護符、それをそのまま持ち帰るところだったのを、どうにかオユキが声を上げて引き留めてといった一幕があってから、既に数日。

「明後日の事になったようです」
「また、随分と早いといいますか」

ここ数日は、トモエにしても休日とはかくあるべしと考えたままに。オユキが、室内で刺繍に退屈する頃には、そのまま四阿に連れ出して。オユキはそこでのんびりとお茶を楽しみながら、トモエは鍛錬に精を出して。丸太にしても当たり前のように用意されているし、立木打ちようの手ごろな木材にしても同様に。どうにも、ここ暫くの事でトモエのほうでも随分と過剰な加護を得たからだろう。こちらに来てからは本当に度々の事、感覚のずれがまたも襲ってきていることもありその修正の為にと粛々と。繰り返して、とにかく体を動かす。慣れた型の通りに動いて、そこで一体どういったずれが生まれているのか、ただそれを把握することに努める。少年たちには、型の使い方として教えていない方法ではあるのだが、特にこうした状況では役に立つのだ。
方やオユキのほうはどうかと言えば、数日はきちんとのんびりできたからだろう。シェリアに関しては、ナザレアがまたもや戻ってきたこともあり、オユキの側ではなくトモエの側につくことが増えた。そして、そのナザレアはいよいよシェリアやエステールよりも周囲を整えることが上手い。今も当たり前のようにオユキの側に侍って、トモエの様子を見ながらも持ち帰ってきた、カナリアにどうにか整理させた書籍などを読んでいるオユキの世話をしていた。ふらりと、手がさまよえば、それが飲み物を求めてか軽く口に運ぶものを求めてか。それも、トモエなら分かる事ではあるのだが、ナザレアにしてもさも当然とばかりに。

「その時に、ユフィさんもですか」
「ええ。ようやくですね」

魔国から、這う這うの体でアイリスとアベルが異邦人たちの帰還に合わせて戻って来てもいる。オユキたちが戻るに合わせて、少々まとまった数の人員の移動が行われたからだろう。ヴィルヘルミナは、全くもって気にならぬといった様相であったし、カリンも同様。基本的に屋敷の中での作業の多いアルノーにしても、話には聞いているがと言った程度。実際に何があったかは、オユキ宛の手紙が特にないために、後からまた聞かなければという物ではある。寧ろ、それを早々に聞こうとしたものではあるし、アベルが多少の恨み節を交えて話そうとしたところにナザレアが顔を出してそこで終わったのだが。王妃からの人員でもあり、オユキが休むと決めたからとまた預けられていることもある。その様な事は、後にせよと言わんばかりに。

「事前に顔合わせ、その様な事も言い出したでしょうに」
「それも必要ではないでしょう」

互いに既によく知った間柄。今更としか言いようもなく。

「あの方も、そう言いだしたでしょうから」
「トモエさんは、その」
「オユキさんには、必要な方だと理解していましたから」
「確かに、職務上の事では、随分と頼りきりになった自覚はありますが」

オユキにしても、はっきりと自覚がある。トモエのほうでは、それ以上に。オユキは、やはり誰かが世話をしなければならない。本人にその自覚がなく、実際になくてもどうにかしていくだけの能力はある。だが、その結果、ただ坂道を転がる様に進んでいくのが、オユキだ。トモエよりも早く、父が気が付いて。なにくれとなくトモエに対して、様子を見てくるようにと勧められて。そして、一度オユキの暮らす家に足を運べばもはやトモエにしてもはっきりと。これは、流石に手を入れなければならないとそう思わせるほどの物がそこにはあった。清潔であるには違いなかった。金銭に十分すぎる程の余裕があったからだろう、定期的に人を頼んで清掃などが行われていると分かる家屋。だというのに、生活感と言うのがオユキの、かつてのオユキがここが自分の居場所だと決めていた部屋意外に全くもって存在しない空間。当時はまだ学生であったオユキが、大学で周囲に気を配って、他人にはあって、己には無い物に打ちのめされて。それで戻った先で、このような空虚が迎えるのならば、さらに傷ついてと実に分かりやすいかつての家。徒歩で、それも少し急げば五分ほどの距離、そんなところに空虚な家がありと言った状況に、さて何故トモエは気が付かなかったのか。そんなことを改めて自分に問うてみたりもしたものだ。
そのあたりを契機に、トモエにしても、改めて自覚が進んだものだ。己は、他人に対し、己の握る刀以外に、それ以上の興味を全く示していなかったのだと。刀を、太刀を交える事だけが、言葉を交わす手段なのだと。

「こちらでも、ええ、ユフィさんはそれを喜んでくださるでしょう」
「全く、誰も彼もが子ども扱い、ですか」
「そうとばかりではありませんが」

オユキとしては、まるでそんな幼子を相手にするような真似は、甚だ不本意だと言いたげに。寝台の上で、頬を膨らませたりなどしている。わかりやすく、ふてくされているのだぞと、そうした様相を隠しもしない。全く、随分と見た目通りに、そちらにしっかりと精神が寄っているものだとトモエにしてもそう感じる。
オユキとも度々話すのだ、人の心と言うのはどうした家庭で作られていくのだろうかと。
オユキからは、かつて読んだ書籍の論文の一説を引用した物として。
トモエからは、こちらに来てからの己の経験を主体として。
結論としては、やはりどちらも変わらない。器である、物理としての肉体。そこにある精神としての心、自認。それは複雑に絡み合い、不可分の物なのだと互いに既に意見の一致は見ている。トモエのほうは、確かにもとよりそうした部分はあった。だからこそ、あまり表には出ていない。と言うよりも、はっきりと食の好みが変わっている、その事実がただ大きい。しかし、オユキのほうはやはり精神のほうに強く作用が出ている物であるらしい。かつても、寂しさという物をかなり強く感じている風ではあったのだが、こちらに来てからは尚の事。こうして、二人の時間では、ナザレアが相も変わらず部屋の隅でオユキの考えた雨と虹の図案を前に、糸をあれこれと選んだりはしているのだが、気やすいと感じている相手の前では甘える事を当然としている。

「そうでは無いところも、あるにはある、ですか」
「ええ。本当にその様であれば、仕事を振ったりなどしませんとも」
「それは、ええ、違いありませんね」

トモエとしては、オユキの自尊心、これまでの事でどうにか身についた、少しは育ったそれをくすぐる様に。本当に、オユキは自己評価が低い。己で出来ることなど誰にでもできる。そのように考えすぎるきらいがある。ミズキリにも、散々に注意されただろうに治らないその思考。トモエとしても、注意をしようと考えていた時期もあるのだが、治らぬ者として既に諦めた。なんとなればこれから来るユフィにそこは任せてしまえと決め込んだこともある。どのみち、トモエに対してオユキが求めていることと言うのはわかりやすい。信頼している、それがどこまでも事実であり、いよいよもってこうして甘えを見せるのは今のところトモエにだけ。ならば、それを存分にできる様にとするのが、トモエの役割ではないのかと考えるのだから。

「ユフィさんが来たら、どうしましょうか」
「一先ずは、カリン様に任せていること、それを補佐していただくのが第一でしょうね」

そして、そのカリンは魔国に連れて行かなったこともあり、その間にアマリーアに泣きついて色々と聞いたりはしていたらしい。結果として、それなりの期間があったのは事実なのだが、仕事がこれまでに比べて一気に進んでいる。家財の管理、その目録については信頼できる相手にきちんと管理と下書きを任せ。始まりの町とマリーア公爵領都、それから王都の屋敷に必要な人員をきちんと配置して。これまでは、どこか遠回りに、カレンの自尊心をこれまで培ってきたものを傷つけぬ様にとオユキが遠回しに話していたものだが、彼女に色々と教えていた人物としては本当に容赦が無い物であったのだろう。理想形、それを掲げるのは全くもって問題ないのだが、現実に合わせた形と言うのは常に必要だと言い聞かせでもしたのだろうと。

「アマリーア様には、改めてお礼をとは思いますが」
「カレンさんの事で、かなり骨を折って頂いているようですから」

こちらでも、お中元のようなものがあればよいのですがと、そんなことをトモエが言い出せば。

「領都でも、行ってみましょうか」
「オユキさん」

オルテンシアが、非常に喜んだからだろう。実に分かりやすい結果が、今も魔国の門の外に存在していることもある。同じく花精であるアマリーアであるならば、それを喜ぶのではないかとそんなことを言い出すオユキを、やはり止めるのはトモエだ。

「火星を守護星とされている柱、ナザレア様の祖霊、それに加えてとするには、あまりに過剰ですよ」
「ええと、そのうちいくつかは正直後に回しても」
「後と言うのが、来年以降であれば私も頷きますが」

オユキの考えていること、やはりそれはトモエにとっては手に取るようにわかるのだ。虚飾と絢爛の神、盾と軍略。加えて雨と虹。その三柱をこの機会にと考えているには違いない。それに加えて領都でもアマリーアの為にと力を振るうというのは、オユキが己の根源に連なる何かを使うというのはあまりに度が過ぎていると止める。こちらに来てからという物、オユキが己の役職としてそれを与えられてからという物。本人はそれを好まぬと、そうした素振りを店はするのだが、口でだけだというのが何よりも問題なのだとトモエは示して。

「オユキさん、休むと決めたのなら、その期間は」
「ですが」

ただ、オユキとしては休み明けの予定、それについては今も考えていたいのだとそんな素振り。

「オユキさん」

だが、それを取り上げるのが、トモエの仕事なのだろうと。このあたりは、本当に今も昔も変わらぬものだとばかりに、ため息を一つ零しながら。
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