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ブルースター6

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「な、にしてんだよ!」

胸倉を掴んでいた手にぎゅうっと学は抱きついた。なんだか喉が乾いて、お水でもいっぱい貰おうかなと気楽に扉を開けた瞬間の修羅場だ。
末永の胸倉をきいちの細い腕が持ち上げる。もうすでに一発食らっていたのか、目を見開いてこちらを見た末永の頬は赤くなっていた。

「学、」
「なあ、なにこれ…なんでこんなんなってんの…!?

「…体調は?」
「平気だよ!!きいち離せって、なんでキレてんだよお前!」
「…うん、わかった。」

きいちだってキレたくてキレたわけではなかった。だけど、煮えきらない態度に苛ついてしまって手が出たのだ。これは完全にきいちが悪い。学に窘められると冷静になったのか、乱暴に掴んでいた胸倉を離す。胸元の皺を正すと、末永は髪をかきあげて学から背を向けた。

「…時間をくれ。それと、今日は帰ってくるな。」

まるで突き放すかのような末永の言い草に、再びきいちの目には怒りの色が灯った。一歩踏み出そうとした体に学が抱きついて静止させると、聞いたことのない舌打ちをして押し黙る。
こんな二人は知らない。学はきいちに抱きついたまま泣きそうだった。これも、俺のせいなのだろうか。
末永の一言にも傷ついたが、なんだか自分が 疫病神のように感じてしまい、ぽろりと一粒涙がこぼれた。

「っ、お、俺があやまるから、っ…喧嘩、しないでよ …っ!」
「ごめん、ちがう。ちがわないけど…学は何も悪くないから…ごめん。」

ぐすぐすと涙をこぼす学を抱きしめると、きいちはその背を優しく撫でる。やらかしたとこちらも反省してはいるのだが、きいちだって妊娠してても男だ。止められなくなるときだってある。
未だ末永に対して燻る靄付きはあるものの、自分の行動で学を泣かせてしまったことに、少なからずきいち自身もショックを受けていた。

「……悪いのは、俺だな。」

独白のように末永がつぶやく。学に背を向けたまま、外を見つめる。窓に映る景色はしとしとと雨が振り始めていた。

「ここ使っていいよ、僕…ちょっと俊くんとこいく。」
「きいち、」
「学なら、できるよ。」

身を離して立ち上がるきいちを見上げ、怯えたような目で学が見つめる。これから勇気を出して話し合いをするにしても、そばにいてほしかった。
そんな目線に気づきながら、無責任とも取れることを言う。泣きそうに顔を歪ませる学の頭を撫でると、きいちも不安定な情緒を整えるためにふらふらと俊くんの部屋に向かった。
二人が苦しいと、自分も苦しい。大好きな仲間だと思っているからこそ、全力でぶつかった。
その結果学を泣かせてしまったことが、きいちの情緒を大きく乱す。泣きそうだ。殴って罵って、泣くなんてずるい。わかっているから見られないように部屋をあとにした。


残された二人はと言うと、静かな室内に学が泣く声だけが際立つ。
数歩程度で詰められる距離が、こんなにも怖いと思うのは初めてだった。
このまま終わりたくない。学は禊萩を見つめて誓った決意を引き絞り、震える足でその距離を詰めた。

広い末永の背に触れる。こんなにも大きな体で、小さい俺に怯えている。触れた手はそっと背中から腰に周り、その背に頬をつけるようにして後ろから抱きついた。

びくりと小さく見をはねさせた末永は、その無骨な手で壊れ物に触れるかのようにして、腹に回った学のちいさな手に触れた。

「す、すきだよ。わ、わすれちゃっても…っ、」
「学、」
「もう、いや?こ、こんなばかなおれ、っ…も、もう、っ…いらな、っ」

いらない?

その4文字を言い終わる前に、きつく抱きすくめられる。あの日の部屋での一方的な抱擁とは違う。まるで離さないとでも言うように、それはきつく抱きしめられた。

「う、ぅ…っ、」
「いやだ。いらないとか言うな。お前が、お前からそんな言葉…聞きたくはない。」
「ひ、っ…」

じわりと末永の肩口を濡らす。おずおずと広い背に手を回す。離れたくない。いやだ、離れたくない。

「いやだ、っ…ひ、ひとりに…っ、しない、でぇ…っ…!」
「学、すまん、すまん…っ、するもんか、一人になんて…っ、俺が悪かった、不安にさせて悪かった!!」
「うぁ、っあ、や、やだぁ…っ、お、俺だけ、俺だけって、いっ…てぇ、っ…!」
「お前だけだ、お前しかいらないんだ、学…っ、」

末永の腕の中で、溜め込んできたものをすべて出した。言いたくても言わなかったことを、全部はきだした。嗚咽混じりに、情けないくらいに泣きながら、全部、全部。
一人は嫌だ、ずっとそばにいてほしい。俺だけを見てほしい。大切にして、幸せにするから、幸せにして。俺の唯一なら、守って。

小さい子のように大泣きしながら、そう震えた声で言葉を紡ぐ。その小さな体に溜め込んだ健気なおねだりは、それだけ学が我慢をしていた証だった。
縋り付くその体を、存在を確かめる様にしてかき抱く。

「お前が、嫌だと言っても離さない。だから、お前も離れるな。」
「よ、うへ…っ、うん、っ…」
「怖い思いをさせてすまない、ほんとうに、すまない…」
「俺が、っ…もっと、信じてればよかった…俺が、っ…」

額を重ねる。互いに涙で最高に格好がつかない。濡れた唇が触れそうな距離で鼻先をすり合わせる。互いの輪郭を確かめるかのように、そっと唇を重ねた。

「ふ、っ…!」

震える指を押し開くようにして絡ませる。末永の大きな手で優しく握り込められた掌を通して、愛しいという感情か流れ込んでくるかのような甘やかな痺れが項を刺激した。唇に吸い付き、食む。濡れた音を時折立てながら、互いの呼吸を奪うような口付けに翻弄される。

惜しむような唾液の糸が二人の間を繋ぐと、末永の手のひらが学の頬を包んだ。その手にすり寄る様に甘えると、学の目は心地良さそうに細まった。

「キスして思い出すなら、さっさとすりゃあ良かった…っ」
「おま、っ」

小さく呟く。学から、末永の唇を奪うように再び口付けた。末永の薫りが、体温が、その唇の柔らかさが呼び水となって、まるでパズルのピースを当てはめていくかのようにして思い出していった。
あの日、何が起こったのか。なぜそれを止められなかったのか。
簡単なことだったのに、ただあのとき、振り上げられた手を掴んでそれは違うと言っていればよかったのに。

口にされた言葉に動揺したまま、不注意で自分から記憶をしまい込んでしまった。
その言葉が真実だったらどうしようと、一瞬でも疑ってしまった自分が招いたことだった。

「お前を信じきれなくてごめん。」
「いい。俺も自分で解決せずにおまえに相談すれば良かったんだ。」
「うん、言ってほしかった。でも、もういい。」

腹は決まった。学が怯えてたのは、隣に自分がいない未来だ。末永の家は華道の名家だ。学が一緒にいたくても、それが叶わない可能性だってあるはずだった。

末永はそれを潰してくれた。自分のために道を作ってくれたのに、許嫁だったという女性の一言で揺らいで、こんなに末永を不安にさせた。

「もっと、話をして。言いたいこと、全部言って。」
「ああ、」
「俺もごめん、忘れてごめん。お前にばっか、甘えてごめん。」
「俺も、怖気づいた。きいちが呆れて殴るくらいには無様だった。すまん。」

学は、末永の首に腕を回して抱きつく。存在をたしかめるように。
その優しさに促されるように、あの日のことを話した。まるで言いつけるかのような内容を口にするのは嫌だったが、言わなくてもなんとなくわかっていると言った末永に、あれは自分の不注意もあると付け加えて言い聞かせた。

「俺に任せろ、今度こそ間違わない。お前の不安は、俺が取り除く。」

末永はもう、こんなことは懲り懲りだった。
自分が巻いた種火だ。その不始末は自分がする。
学が自分のことを棚に上げて相手を気遣うのには少しだけ腹が立ったが、そもそもきっかけを作ってしまったのは自分だ。末永は学の傷をひと撫ですると口を開いた。

「必ず言う。お前に、全部話すから待っててくれないか。」
「わかった。でもここじゃない、待つなら俺たちの家でだ。」

これ以上迷惑はかけられないだろと言うと、流石に思うところがあったのか、苦笑した。
赤く腫れた末永の頬を撫でる。随分男前になったものだ。きいちにも嫌な思いをさせてしまった、謝らなくてはいけない。

二人して支え合うように立ち上がると、きいちの消えて行った部屋に向かう。
コンコンとノックをすると、顔を出したのは俊くんだった。

「終わったのか。」
「悪い、全部思い出した。」
「そりゃ重畳。帰んの?」
「おう、きいちいる?」
「いるけど、今は無理だな。」

ちらりと体をずらして視線を向けた先にはこんもりとした山があった。
もぞもぞとその山が動いて凪が顔を出すと、トトトっと駆け寄って俊くんの足にしがみついた。

「まま、えーんってしてぅ。」
「わかった。今行くから凪はそばにいてやって。」
「え、きいち泣いてんの。」
「キレた後はいつもあんな感じ。可愛いだろ。」

そう言うと少しだけ熱の籠もった目で小山を見つめた。情緒不安定になると番の匂いを求める。本能に素直になるオメガを愛しいと思わないわけがないのだ。末永はわからないでもないと頷くと、お前が言うなバカと頭を叩かれた。

「ごめん、ありがとって言っといて。」
「終わったら話す。」
「おう、俺はもう今日は連絡とれなくなるから明後日にしろ。」
「大学は?」
「明日はいかねえ。」

なんともマイペースだ。きいちも大概だが、俊くんもなかなかに酷い。その友人二人に救われてもいるのだが。
学は小さく笑うと、邪魔者は消えると言って末永の手を引いて桑原家を後にした。
なんだか人騒がせなカップルだ。俊くんはその後ろ姿を凪とともに見送ると、ぐすぐすと俊くんの匂いのついている枕を抱きしめながら布団にくるまるきいちのもとに向かう。

ぺらりと捲った布団から凪が我先にと入っていくと、もぞもぞとその小さな体をきいちの腕の中に収めた。

「ままぁ、まなちゃんまたねって」
「うん…」

ぎゅうっと凪を抱き込むきいちの頭を俊くんが撫でる。
キシリと音を立ててベッドに腰を下ろすと、その長い前髪をかき上げるようにしてきいちの額に口づけた。

「学、もう大丈夫そうだぞ。」
「………。」
「嫌われてねえ。むしろ心配してた。」
「ほんと…?」
「ほんと。」

目元を赤く腫らして俊くんを見つめ返す。小さくうなずく様子を見ると、ホッとしたのか再びその目に涙を貯めた。じわりと止まらないそれにため息を吐く。

「凪、ちょっと目瞑ってろ。」
「はぁい。」

小さい両手で顔を被う。パパとママの秘密の儀式のときはいつもこうだ。凪はその後たくさん甘やかしてもらえるのを知っているから、素直に言うことを聞く。
きいちの胸元に擦り寄るようにして縮こまる凪を見ると、俊くんは親指でなぞるように唇に触れると、きいちは素直に唇を開いた。

ちらりと見える赤い舌に舌先で触れる。そっと唾液を飲ませるように与えると、ちゅっと舌先に吸い付いた。緩く舌を絡ませてから唇を離すと、少し落ち着いたのかその大きな手に甘えるようにすり寄った。

「凪、ままと俺と三人で寝ようか。」
「まま、へーき?」
「うん、一緒にいて。」
「いーよぅ。」

よにんだよ。と凪が訂正して、きいちが嬉しそうに笑う。三人を包むように俊くんが正面からきいちを抱き込む。間に挟まれた凪は、嬉しそうにくふくふ笑うと今度は俊くんの胸元に擦り寄る。いつもきいちとふたりで寝ているけれど、今日は俊くんも一緒で嬉しい。
そう言うように甘える息子の頭を撫でると、きいちにしたように額に口づけた。

きいちが末永と学を心配しているなら、俺はきいちのことだけ考えておけばいい。そんなこと言うとまた怒られそうだから口にはしないが、俊くんは早くきいちが立ち直ってくれる為にも、さっさと解決してくれと思った。

そうしたらまた、きいちは俺と息子だけを考えるだろう。きいちの感情を揺さぶるのは自分と家族だけでいい。俊くんはそんなことを考えるくらいには少しだけ
二人にはムッとしていた。
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