狼王の贄神子様

だいきち

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「ああぁああぁあ‼︎」
 
 ミカヅキ平野に、モラリアの絶叫が響いた。ルスフスの放った高濃度の毒の霧を正面から浴びて、依代にしていた体がじゅうじゅうと溶け始めたのだ。
 恐ろしいまでの毒の威力だ。こんなものを体内に宿して、平気なはずがない。とろめき、崩れ落ちていく肉が、ぼたぼたと地べたに落ちていく。
 
「ルスフス‼︎」
 
 ユドが叫ぶように姿を現した。目の前には、全身を氷漬けにされたルスフスが、牙を向くようにして佇んでいる。ユドはのたうちまわるモラリアへは一瞥もくれずに近づくと、大慌てで砂を被せた。
 
「無駄よ……その男の氷は消えない。言ったでしょう、私はお前の砂を覚えたと」
「ぬうぅ……! この死に損ないめが‼︎」
「構わないわ……私にはまだこれがあるもの……‼︎」
「な、そ、それは……っ」
 
 肉がとけ、頭蓋が露出していた。それでもモラリアは歪に笑みを浮かべると、空間からザントマンの魔石を取り出した。ユドの荷物の中に入っていたそれを、奪っていたのだ。
 
「私はねえ、長く生きたいの。だから、あんたたちの能力、頂戴な」
「やめろ……それを返せ……‼︎」
 
 グパリと口を開けたモラリアが、ユドの目の前で魔石を飲み込んだ。その瞬間、モラリアの体の内側が鋭く光った。
 魔石が、モラリアの体に馴染んでいく。魔物が魔石を取り込む瞬間を、ユドは初めて目にした。汚れた白いドレスに這うように、徐々に氷が張っていく。自身の特性に飲み込まれるようにして、モラリアの体は変化した。腐り落ちた皮膚や肉が再生し、その素肌はまるで内側を透かすように半透明になったのだ。死鬼の上位種なのだろう、名前も知らぬ異形の魔族は、不可視の糸に体を持ち上げられるようにして立ち上がった。
 
「ああ、気分がいいわ。蛇男を番いにできなかったのは残念だけれど。見栄えがするからそばに置いておくのはいいかもしれないわ」
「お前……」
「凍てつく壁よ」
「っ……‼︎」
 
 ユドの周りを囲むように、ザントマンの操る砂が壁を形成する。それはみるみるうちに氷結していくと、聳え立つ壁として立ち塞がった。土属性と氷結属性の混合術だ。めちゃくちゃな術の行使を前に、ユドは姿を消して上空へと逃げた。
 
「なるほどね、体の不可視化はできないのか。残念」
 
 眼下では、モノリスのように地面から生えた氷の板が乱立していた。ルスフスはそれを眺めるように、氷の彫像とかしている。
 体を砕かれたら、ひとたまりもないだろう。しかし、モラリアは地べたを滑るようにルスフスへと近づくと、ゆっくりと頬に触れた。
 
(このままでは、負け戦だ。ウメノを呼ばねば)
 
 ユドの眉間に皺が刻まれる。愛でるように氷づけのルスフスに絡みつくモラリアを一瞥すると、ユドはウメノを呼ぶべく結界の外へと脱出した。太陽が照りつける大地の、温かな気温が肌を撫でる。寒暖の差は、それだけ高密度な結界を施しているからだろう。間に合うか。モラリアはルスフスを気に入っているから、きっとすぐには体を砕くことはしないだろう。これはあくまでも、ユドの希望的観測だった。
 
 
 
 
 
 目の前で火粉が吹き上がった。それは視界を彩るように蔓延すると、土から飛び出したグランドマタンゴは傘を震わすような動きを見せる。
 操るのは、幻惑魔法だ。やはり、随分と厄介なものである。ウメノの二対の宝石は忙しなく動く。物言わぬ小さな体は、次々と繰り出される小爆発を避けるように鮮やかに動く。
 服の裾を鷲掴む猛禽の鉤爪。アモンによって、釣り上げられる形で、ウメノは空中を移動していた。
 
「集積、反復、射出」
 
 小さな手のひらが、言葉と共に素早く空を一閃した。オレンジ色の竜巻が、ウメノの目の前で集まるように球状へと変化する。めらめらと空気が揺らぐほどの炎を纏っているようにもみえた。紫色の瞳が見開かれると、それは一瞬にして冷気を纏う術に変わった。
 
「頭いいね、火炎だと思わせる幻惑魔法か。僕が氷結を出したら、倍になって帰ってくるとこだった」
「童がそのような凡ミスをするとでも?」
「ならご期待に備えてあげなくちゃ」
 
 両手が、蝶を作るように翳された。すると、瞬く間に敵の術はウメノのもとへ集まり圧縮されていく。やがて小さな球へと姿を変えると、両手で銃を作るようにして宣った。
 
「ばんっ」
 
 たった一言。それだけで、球は空気を切り裂くようにしてグランドマタンゴへと向かっていった。同じ魔力を纏う親へと、真っ直ぐに軌跡を描く。
 むにりとした白い体の中に、球は勢いよくめり込んだ。オレンジ色の大きな傘がばるんと震えると、グランドマタンゴの体は途端に動きが鈍くなった。
 顔にも見える空洞から、勢いよく冷気が噴き上げる。ウメノは、襲いくる術を前に反射魔法を行ったのだ。それも、一つの魔力の漏れも許さずにカケラを集めて解き放つ。
 敵が放った時よりも、はるかに強い術だ。それは柔らかな体の内側から散弾銃のように放たれた。
 グランドマタンゴの、断末魔の叫びが響く。飛び散った肉片が空中で形を変えようとした時、アモンの羽ばたきとともに放たれた火の精が全てを焼き払う。
 
「空中じゃ構わぬだろうよ」
「全く知恵をつけた敵は厄介だね。いいよ、火の粉は平原に落ちないように注意してね」
「そんなヘマはせぬ」
 
 ウメノの目の前で、回復もできぬまま萎んでいく。グランドマタンゴだった魔物は萎びたきのこへと姿を変えると、魔石と共に平原の中心にポテリと落ちた。
 辺り一帯に待っていた胞子は、全て火の精が焼き払ってくれた。煤は落ちたが、直接アモンが手を下したわけではない。ウメノはため息をひとつ吐くと、アモンによって抱えられたままゆっくりと地上へとおりた。
 
「む、この気配は、ユドか……?」
「え、一人だけ? あいつは?」
「妙だな……直接聞いてみるとしよう」
 
 アモンが目を凝らす方へと体を向けた。ユドは、ひどく張り詰めた表情で現れた。モラリアの張った結界を抜けてきたということは、おそらく戦闘は終わったのだろう。無意識にルスフスを探すが、その姿はどこにも見受けられなかった。
 
「ユド、荷物取りに来たの?」
「荷物はもういい、そんなものよりもあやつがやられおった。モラリアはワシの友の魔石を喰らって、上位種へと進化しおった」
「あいつ……って」
 
 深く刻まれた皺の向こう、ユドの瞳が静かに伏せられる。アモンが、様子を窺うように己を見つめている。ウメノは、今どんな表情を貼り付けているのかわからなかった。
 
「なんで、だって……あいつ、大丈夫だって言ったじゃん」
「モラリアの方が、強かった……それだけのことじゃ」
「強かったって、だって……」
「ウメノ」
 
 アモンの手のひらが、ウメノの薄い背中に添えられた。
 嫌な記憶が蘇る。小さな体に十字架のように刻まれているのは、ルスフスの右目を壊してしまった後悔だ。ルスフスの身に宿す魔力を減らしてしまったのだ。
 あの時、相対したヒュドラの攻撃にいち早く気づいて動けていれば、ルスフスは力を半減されることなくモラリアを倒していたに違いない。

「……僕が」
「違うぞウメノ。冷静でいろ、わかるな」
「僕が間抜けじゃなかったら、勝てたでしょ」
「そういうのは、仕事を終えてから考えるのだ」
 
 様子が変わったウメノを前に、ユドは言葉を選んでいるようだった。二対の宝石が、鈍い光を滲ませる。小さな体を囲むように、淡い光が陣を描いていく。無詠唱で行使したのは、上級魔法である空間移動の術式であった。
 ユドは、場所の説明もしていない。それなのに、ユドが飛んできた距離に残るわずかな残滓を集めるように飛ぼうとしているのだ。
 規格外の力を見せるウメノを前に、ユドは滲む冷や汗を誤魔化すように帽子をかぶり直した。そして、ウメノが協力者である幸運を改めて理解したのであった。
 
   
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