14 / 111
二人だけ
しおりを挟むティティアの味覚異常は、幸い誰にも知られることもなかった。ウメノに相談することも頭に浮かんだのだが、話が大きくなることを恐れてやめた。
本当は、この異常に名前がついてしまうのが怖かったのかもしれない。
あれから、味覚が戻らないかとティティアなりに色々試したのだ。薬草摘みでは、徐にカエンジクの実を口に含もうとしてロクにこっぴどく怒られるほどには。
(拾い食いはいけませんって、怒られたな。無意識って怖い)
あの時のロクの怖い顔と言ったらない。ティティアは、久しぶりにロクの種族を思い出したほどであった。
しかし、ロクが怒るのも無理はなかった。味覚がないからと言って、それが食えるものかも確認せずに口に運ぼうとしたティティアにも非がある。カエンジクの実は、寒冷地で作業するものが体温を高めるために口に含むものらしい。普段体温の高い獣人が口にするほどのものだから、ティティアが口にすれば、また体温が上がって倒れる。
そう懇々と説教をするロクに、お母さんみたいだと口にして怒られたのもご愛嬌だ。
味覚が消えたことは不便極まりないが、食事以外は気楽なものだった。主なティティアの一日といえば、カエレスと寝食をともにし、薬草を持ってウメノの箱庭を往復するくらいだ。
ティティアにできる仕事が少ないというのもあるが、それが終わればやることもなく城内を探検する。その姿が何故か不憫に思われたらしい。ある日マルカから城外へ行ってみませんかと提案をされた。
(もしかしたら、こうして会うための口実を作ってくれたのかもしれない)
外出はティティアの一存で決められるわけではない。それは、なんとなく理解していた。ニルやハニからは、決まりごとが多くて嫌になったりしないのかと聞かれたこともあった。
心配をしてくれているのだろう。不器用な二人から城に来たことを後悔していないかと、遠回しに気に掛けられているのだと知って、少しだけ嬉しかったのは秘密だ。
カエレスの執務室の前で立ち止まる。大きな扉の取手は、ティティアにとっては胸の位置にある。辺りを見回して、誰もいないことがわかると気合を入れ直した。
「せーの……っ!」
グ、と取っ手を掴んで、上半身をそらすようにして力を入れた。ハニやニルが簡単に開けられる扉も、ティティアには重いのだ。足に力を入れて、後退りするように少しずつ扉をずらしていく。そんな時、ティティアの体に影が刺した。
「え、ぅわっ」
「すみません、時間がかかりそうだったんで」
「ロク!」
突然扉が軽くなり、尻餅をつきかけた体を受け止められた。見上げれば、見慣れた侍従が扉に手をかけている。どうやら見かねて開けてくれたらしい。
「ちょうど良かった!」
「次から一言声をかけてください、入りますよカエレス様」
ロクが開けてくれた扉の向こうでは、ティティアの訪問に目を丸くしているカエレスの姿があった。羽ペンを片手に仕事をしていたらしい、机には積み重なった本が幅を利かせていた。
「もしかして、その扉は重いのかい?」
「あ、いや重いっていうか」
「人の力には無理ですよ。これ、鉄が入っているじゃないですか」
扉を拳で軽く叩くロクを前に、ティティアはようやく納得した。この部屋はカエレスの執務室だ。いざとなれば籠城できるような作りになっているのも、理解できる。どうやら己が貧弱ではないとわかって、少しだけホッとした。
「それで、私のところへ来たのだから何かあるのだろう? 何か相談してくれるのかな」
ロクの言葉に、何かに納得するようにカエレスが頷いた。静かに本をとじ、羽ペンを台座にさす。丁寧な動きは、獣の手のひらからは想像しにくいものだ。机の上で手を組んだカエレスが、真っ直ぐにティティアを見つめる。
別に普通のことなのに、ティティアはじんわりと耳の先を赤くした。
もしかしたら、これはおねだりになるのかもしれないと思ったのだ。意を決して、マルカから言われたことを口にする。背中に添えられたロクの手が、励ましてくれているようだった。
「あ、あの……、市井を見て回るのもいいんじゃないかって。カエレス、マルカと行ってきていい?」
「……マルカと?」
「うん、たまにお喋りするんだ。二人がダメならカエレスもついてきていいから」
「く……っ、ティ、ティティア様それは」
執務室へと顔を出したティティアを前に、豊かな尾を揺らしてご機嫌を現していたカエレスの様子が分かりやすく沈む。
大きな執務机の前で、そわそわと様子を伺うティティアは実に可愛らしかった。それでも、背後のロクが珍しく表情を崩すくらいには妙なことを言ってのけたのだ。
唇を真一文字に引き結んだカエレスが、ロクへと目配せをする。言いたいことがわかったのか、ロクは無言でこくりと頷いた。
「一応、一国の王であるカエレス様が城外にお出になるには、共のものつけねばなりません。ただでさえ屈強な兵を侍らせるだけでも目を引くというのに、市井に現れたら騒ぎになるでしょうな」
「一応は余計な一言だと思うのだが」
「そっか……、じゃあマルカと二人で行くよ……」
「安心してください、俺が共に行きます」
「え、ほんと?」
ロクの言葉にカエレスはティティアと真逆の反応を示した。目を輝かせて期待の眼差しを向けるティティアの死角で、カエレスが口吻に皺を寄せるように悔しがる。
珍しい表情を見ておきたい気もするが、別に下心があって申し出たわけではない。
ロクは己よりも随分と真下にいるティティアを見下ろすと、コクンとひとつ頷いた。
「手芸屋に用があるので」
「ああ、ロク好きだもんね」
嘘だろう。と言ったポカンとした表情で見つめるカエレスを置いてけぼりに、どうやら二人の間で話はまとまったようである。
ふくふくと嬉しそうに笑うティティアの笑みがこちらに向かないのは不満だが、カエレスとて己の立場は理解している。大きな手のひらで顔を覆うように溜め息を吐く。今ほど縛られる立場を悔やんだことはなかった。
「ロク、すまないがティティアと二人きりにしてくれないか」
「はい。それではティティア様、日程はまた後ほど」
「あ、うん。ありがとうね」
コランダムの瞳を緩ませ、一礼をしてその場を辞す。鬼族のロクは寡黙だが、ティティアに対してはどことなく母性のようなものを感じる。
カエレスはそんなことを思いながら、ロクの礼に手をあげるようにして応えた。
ティティアと寝食を共にするが、周りに人がいない状態での二人きりというのは随分と久しぶりな気がする。カエレスは金糸水晶の瞳で己の番いを捉えると、椅子をずらすようにして体を向けた。
5
お気に入りに追加
399
あなたにおすすめの小説
R18禁BLゲームの主人公(総攻め)の弟(非攻略対象)に成りました⁉
あおい夜
BL
昨日、自分の部屋で眠ったあと目を覚ましたらR18禁BLゲーム“極道は、非情で温かく”の主人公(総攻め)の弟(非攻略対象)に成っていた!
弟は兄に溺愛されている為、嫉妬の対象に成るはずが?
僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした
なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。
「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」
高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。
そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに…
その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。
ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。
かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで…
ハッピーエンドです。
R18の場面には※をつけます。
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
【※R-18】αXΩ 懐妊特別対策室
aika
BL
αXΩ 懐妊特別対策室
【※閲覧注意 マニアックな性的描写など多数出てくる予定です。男性しか存在しない世界。BL、複数プレイ、乱交、陵辱、治療行為など】独自設定多めです。
宇宙空間で起きた謎の大爆発の影響で、人類は滅亡の危機を迎えていた。
高度な文明を保持することに成功したコミュニティ「エピゾシティ」では、人類存続をかけて懐妊のための治療行為が日夜行われている。
大爆発の影響か人々は子孫を残すのが難しくなっていた。
人類滅亡の危機が訪れるまではひっそりと身を隠すように暮らしてきた特殊能力を持つラムダとミュー。
ラムダとは、アルファの生殖能力を高める能力を持ち、ミューはオメガの生殖能力を高める能力を持っている。
エピゾジティを運営する特別機関より、人類存続をかけて懐妊のための特別対策室が設置されることになった。
番であるαとΩを対象に、懐妊のための治療が開始される。
狂宴〜接待させられる美少年〜
はる
BL
アイドル級に可愛い18歳の美少年、空。ある日、空は何者かに拉致監禁され、ありとあらゆる"性接待"を強いられる事となる。
※めちゃくちゃ可愛い男の子がひたすらエロい目に合うお話です。8割エロです。予告なく性描写入ります。
※この辺のキーワードがお好きな方にオススメです
⇒「美少年受け」「エロエロ」「総受け」「複数」「調教」「監禁」「触手」「衆人環視」「羞恥」「視姦」「モブ攻め」「オークション」「快楽地獄」「男体盛り」etc
※痛い系の描写はありません(可哀想なので)
※ピーナッツバター、永遠の夏に出てくる空のパラレル話です。この話だけ別物と考えて下さい。
幽閉された魔王は王子と王様に七代かけて愛される
くろなが
BL
『不器用クールデレ王様×魔族最後の生き残り魔王』と『息子×魔王』や『父+息子×魔王』などがあります。親子3人イチャラブセックス!
12歳の誕生日に王子は王様から魔王討伐時の話を聞く。討伐時、王様は魔王の呪いによって人間と結婚できなくなり、呪いを解くためにも魔王を生かして地下に幽閉しているそうだ。王子は、魔王が自分を産んだ存在であると知る。王家存続のために、息子も魔王と子作りセックス!?
※含まれる要素※ ・男性妊娠(当たり前ではなく禁呪によって可能) ・血縁近親相姦 ・3P ・ショタ攻めの自慰 ・親のセックスを見てしまう息子 ・子×親 ・精通
完全に趣味に走った作品です。明るいハッピーエンドです。
男とラブホに入ろうとしてるのがわんこ属性の親友に見つかった件
水瀬かずか
BL
一夜限りの相手とホテルに入ろうとしていたら、後からきた男女がケンカを始め、その場でその男はふられた。
殴られてこっち向いた男と、うっかりそれをじっと見ていた俺の目が合った。
それは、ずっと好きだけど、忘れなきゃと思っていた親友だった。
俺は親友に、ゲイだと、バレてしまった。
イラストは、すぎちよさまからいただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる